第百三十六話 オープニング・ギグ
お待たせしました。更新再開致します。
そこには一つの舞台があった。
野外で展開されたそれは、しかし会場全体を覆い隠す屋根の存在によって、その内部に薄暗闇を齎されていた。
数段高くなった壇上には、二人分の人影が、照明による逆光で闇の中に浮かび上がっている。
随分と身長差のある二人組だった。
背の高い一人は、その背中に透き通った四枚の大きな羽らしき物を備えており、もう一方は、その頭から特徴的な長い垂れ耳を生やしている。
ステージ正面側には幾ばくかの観客。
その足元はむき出しの地面ではなく、滑り止めの付いたタイルが敷き詰められていた。
それによって、野外会場であるにも関わらず、一見すればその場に新しく建設された建物の様にも思える。
しかしながら、現在舞台のあるこの場所には先日まで柱の一本も建っていなかった事を、この場にいる全員が把握していた。
本来ならば存在するはずの無い舞台。
舞台上に佇んでいた二つの影の内、背が随分と低い片方が、己の手の内に携えた巨大な本を片手の上で大開きにする。
「『音楽。発動』」
ぼそりと、呪文が呟かれる。
確かな力を伴ったその言葉はこの世界の法則に則り、その効果を発揮し始める。
開かれた本の上に、多色の光線で様々な装置らしき存在が描かれ、それは立体映像となって展開された。
鍵盤、ターンテーブル、スライドスイッチ、ダイヤル――など、それらを挙げればきりがない。
そしてそれらの出現と同時に、それら装置と光の線で繋がったヘッドホンに似た物体が少女の首元へと現れた。
それを意に介さず、彼女は本を持つ手とは逆のそれで、装置のスライダーを一つ、ゆっくりと奥側へと滑らせた。
――瞬間、ステージ各所に設置されたスピーカー装置から、重低音とシンセサイザー音源で構成されたイントロダクションが流れ始める。
背の高い女性が、頭を軽く上下させながらそのリズムを捉えていた。
そして何も持っていないはずのその両手を、まるでギターでも構えるかのように動かす。
瞬間、その手の間に、舞台の薄暗闇を文字通り瞬間的に切り裂く六条の雷光が迸る。
その稲光で、舞台上の暗闇の中に女性の姿が仄かに浮かび上がった。
妖精らしい若葉色のワンピースドレス、しかしそれをパンク風にアレンジさせた装いの女性の手の中で旋風が巻き起こり、それが雷の弦を包み込んでいく。
観客席からでは口元より上がまだ闇の中にあるその女性が、そこに感情の高ぶりを如実に表す笑みを浮かべる。
そして、ギター型の旋風に包まれた雷光の弦を、何時の間にか出現していた、同じく紫電を迸らせるピックで弾いた。
流れ出したイントロダクションにエレキギターの乱暴な音が交じり合う。
本を持つ少女が進行する展開に合わせて、その紙面上の装置を次々に操作して音に厚みを増させていった。
「――――――」
ギターを弾く女性が、初めは抑制されたパートを、そして徐々にそれは解放され、激しい雷雨を思わせる旋律へと変化する。
そのパートに合わせて少女の指先が鍵盤を走り、そして、その音が重なる。
重層された音圧が解き放たれた瞬間、会場の照明が一斉に点灯し、全ての闇が払われる。
「ライブの時間だ! 見てろよ! おらーー!!」
雷のピックを観客に突き出しながら、パンクファッションに身を包んだ金髪銀眼の『妖精』が吠える。
片側を乱暴に結った、その背中まで伸びた長い金髪を広げ、その背に生える四枚羽が大音量を受けて小刻みに振動していた。
彼女は手元の六弦を抱きかかえる様に引き込むと、一心不乱にメロディーをかき鳴らす。
それを一歩引いた位置から横目で眺める少女、メルメル・メリッサは己の持つ遺物から手を離すと、それは彼女に追従する形で空中に浮かんだままとなった。
いつもと変わらぬ眠たげな瞳を本の上へと向けると、空いた両手で『音楽』の魔法を複雑に操作し、妖精が発揮する旋律に足りない音を補う。
彼女がいつも身に着けている耳カバーはそこには無く、代わりに野球帽をちょこんと頭に乗せていた。
時折首元のヘッドホンを耳元に寄せる様に首を竦めながら、メルメルは演奏を続ける。
響き渡るメロディーに合わせて、会場の照明が色と動きを激しく変化させながらそれに応える。
舞台最前列、観客席にいるライラ、ロット、マールメアが、その異世界には存在しないはずのロック音楽に興奮を隠せないでいた。
舞台から少し離れた場所には他の観客の姿も見える。彼等もまた、身体で小さくリズムを取りながら演奏を聴いていた。
そしてそんな中、この場にいる誰よりも興奮して、黄色い声を上げ続けている人物がいた。
水色の髪、聖職者を思わせる意匠の衣服。その手には、豪奢な錫杖。
サーレイン・ボイボスティア。
隣で不満げな顔を浮かべるスライムのゼラの表情など目に入っていない様子で、水の巫女姫である彼女は、片手に持つ錫杖を突き上げながらその音楽を楽しんでいた。
やがて一分半ほどの演奏の後、最後に雷光を操る妖精が激しいギターリフを弾き切った所でそれは終了する。
万雷の、とは行かないが観客人数に対しては充分過ぎる程の拍手が舞台上の二人に送られた。
当然のことながら、最もその手を赤くしたのはサーレインだ。
それを見たゼラは益々不機嫌さを増した表情をしながら、魔法で再現されたエレキギターを演奏していた妖精を睨みつけていた。
妖精はそんな視線には全く気付くことなく、手元のギターを消すと自分の後ろで演奏を手伝ってくれたメルメルの背中に手を添え、そのまま彼女を前へと押し出す。
メルメルは片手で本をパタリと閉じると、観客席に向かって一礼をした。その際に浅く被っていた野球帽が地面へと落ちる。
「お前ら! どうだった!? これが『ロック』だ! 気に入っただろう!? 今回のライブはこのDJメルメルと――」
メルメルが野球帽を拾って被りなおす間に、妖精は自分が更に前に歩み出た。
「ギタリスト! 『アルペジオ』の演奏でお送りしたぜ!!」
満足げな笑みでそう叫んだアルペジオの背を、メルメルがちょんちょんと突いた。
そして自分達が立つ舞台に向かって下向きに指を差した。
「――そして会場管理! 演出! 音響! あー! 照明! その他諸々! ――アダム!!」
全く。
忘れないでくれ。
溜息など最初から吐けない身体であることは常々言っていたが、今の私は何時もにも増してその傾向が強い。
しかしどうやら、演奏会は上手く行ったようだ。
観客は、その殆どの人間が今の演奏に好感触を持ったようだった。あちこちで楽しげにm感想を述べあう光景が見られる。
私は安堵を覚えながら、会場そのものとなった私の身体の中で繰り広げられるそれを眺めていた。
――アルペジオ。
これで義理は果たしたぞ。
私は視界代わりの照明装置を、舞台上ではしゃぐロックギタリストに向けながら、こうなった経緯を思い返すのだった。