第百三十五話 エピローグ
「覇者の塔管理者! ジルギリス=エクターラ様に! カンパーイ!」
冒険者ギルド、その内部にて運営されている酒場のあちこちで、同じ様な乾杯の音頭がいくつも上がる。
ジルギリス=エクターラ。
バトランド皇国建国の折から、唯一皇帝にのみ明かされ秘されてきた筈のその龍の名前が、そこかしこで叫ばれている。
私は一人、もうすっかり修復がされた身体をギルド内の壁に預けながら、その様子を静かに眺めていた。
私とふぇに子が最上階で事の始末を付けた日から早二週間。
龍の名前は今やここヴァルカントに留まらず、バトランド皇国内に広く知れ渡る結果となっていた。
あの日、最上階にて龍の名前を知る事となったのは三名。
私。
ふぇに子。
そして今はガルナの屋敷の一角で静養している第四皇子のミトラだ。
あの後の検査で、幸いにしてミトラの命に別条が無いのが判明していた。
だが、その心は酷く打ちひしがれ、あまりにも深く傷付けられていた。
無理も無い。
彼には、ズヌバに身体の主導権を握られている間中ずっと、自分の意識がはっきりとあったのだと言う。
乳母が己の為に凶行に走り、それが失敗するや自らの手で慕っている乳母に秘薬を撒き散らし、乳母達を怪物に変貌させた忌まわしい記憶を、ミトラは一切違うことなく覚えていた。
現在ミトラは一日の殆どをベッドの上で寝て過ごし、眠りに付いた途端に罪悪感から長い悪夢にうなされては、ごく短い時間だけ覚醒するという生活を繰り返している。
毎日見舞いに通っているふぇに子の献身や、連合の伝で取り寄せた魔法や薬を処方、またカウンセリングを行う事で徐々にではあるが快方には向かいつつある。
それでも、完全に彼の心の傷が癒える事は決して無いだろう。
そんな状態のミトラでは、例え彼が龍の名前を知っていたとしても到底皇太子には擁立出来ない。
では残りの三人の皇子の何かに名前を伝えるのかというと、それも話が違う。
しかしそれでは結局、皇位継承権を持つ皇子の中でミトラだけが龍の名前を知っている、という状況が周囲に対して浮彫になってしまう。
誰にも見向きされなかった第四皇子が、一転して皇太子、未来の皇帝に担ぎ上げられる。
それは或いは、例え歪んでいたとしても、彼を心から愛していたアリアの望みに一番適う結果なのかもしれなかった。
けれども、今のミトラにそれは不可能なのは前述の通りだった。
「ジルギリス=エクターラ様! バンザーイ!」
だからこそ、私は今この状況を生み出すことにした。
今や龍の名は、国の最奥に奥深く秘される権威の象徴では無く、酔っ払いが乾杯の名目に使う程に周知された存在となっている。
勿論、ガルナや他の皇子の同意は得ていた。まあ、皇子達には選択権など有ってないようなものだったが。
尤も、同意が得られなくとも、ふぇに子は名前をばら撒いただろう。
ミトラの重荷を減らし、彼への矛先を逸らすには、こうするのが一番だったのだから。
これによって、実態は幻想に過ぎなかった皇帝への特急券は、本格的に有名無実と化した。
他の皇子達は、ガルナの指摘を念頭に、それぞれが己の思い描く理想の皇帝像に向かって努力を始めている。
彼らが皇国の未来を背負えるかどうかは、彼ら次第だ。
「アダムさん、どうされましたか?」
ぼんやりと酒場の様子を眺めていた私に向かって、黒髪の受付職員、ジギーさんが声を掛けて来た。
普段はカウンター越しにしか彼の姿を見ないので、受付の外に出ているのを見るのは初めてかもしれなかった。
「ああ、ジギーさん。お疲れ様です。特に何でもないのですが――ジギーさんは休憩ですか?」
「ええまあ、そんな所です。最近働きっぱなしだと、同僚に追い出されてしまって」
彼は事件の日も、最後まで塔の中に残って職務を果たしていたらしい。
そんな彼のワーカホリックな所には、悪癖だと理解していても何処か親近感を感じてしまう。
会話が途切れると、私達は並んで壁に背を預けた状態で、ギルド内の喧騒を眺めていた。
再び何処かで、龍の名前が呼ばれる。
「やはり貴方にも、ご相談した方が良かったでしょうか」
「いえ、相談されても、何か貴方方に強制する結果になれば、それは『禁』に触れるでしょう」
唐突な私の質問に、隣で佇む黒髪の男性は、その表情を全く変えないまま返答する。
そして、少しだけ困った顔をした。
「やはり、気付かれていましたか」
「ええ、最初にお姿を拝見した時から。シャール=シャラシャリーア。グラガナン=ガシャ。そして――貴方。気配、が同じでしたので」
私は今までに二人の龍と対面した経験があった。
守護龍はその本体たる王都の基礎、水晶塔の他に端末としての化身を有していた。
それは龍らしい巨大なそれであったり、または幼い子供の姿であったりした。
抱山龍は、その巨大な姿からは想像もできない程自然に住処である霊峰と一体となり、自らの存在を、そうと知らぬ者には気付かせない振る舞いをする事が出来た。
私がその事実に初見で気付くことが出来たのは、それらと接した経験と、内蔵されたゴーレムの感覚器官、そして魔力運用に偏重させたこの身体の賜物だった。
ジギー。
ジルギリス。
つまり、そういう事だった。
「直接、接しなくては攻略者様達の実情には添えませんので。それに、塔の攻略を楽しんでおられる姿を見るのは、私にとって無上の喜びでございます。約束を果たす甲斐もあるというものです」
何度も自分の名前を呼ぶ冒険者達を、黒龍の化身、分体、あるいは端末である彼は愛おし気に微笑み眺めていた。
「彼の勇者としての使命が果たされた後、共に旅をしていたある時、如月に言われてしまったんですよ。『この世界は、つまらない。生きていても苦しいばかりだ』とね」
勇者の一人である如月は、廃龍と相打ちとなった女性に恋をしていた。
彼からそれを告白する事は無かったが、周囲の人間は全員それに気づいていた。
廃龍ズヌバ亡き後、人の姿を取ったジルギリス=エクターラや、後の初代皇帝と共に放浪を続けた彼は、自分が愛した女性の仇を求めるかのように、世界に点在する魔窟の排除に没頭していったのだという。
己の使命、存在意義としてこの世界の安定を是とするジルギリスは、そんな彼の言い分に不満を覚えた。
殊更に、彼との旅を楽しんでしまっている自分が存在している事に対する欺瞞も、そこには理由として含まれていた。
その言葉を受けて、ジルギリスは彼に問うた。
では、どういう世界が良かったのか、と。
如月は、自分の元居た世界の漫画やゲーム、アニメなどの話を繰り返し彼に語った。
自分の知らない娯楽の話の数々に、黒龍は納得を覚えてしまった。
そんな夢の様な話をこの世界を期待してくれていたのに、自分が守り、彼に与えることの出来る世界は何と冷たく、悲劇に満ちているのか。
ある時、旅の中で最大の魔窟に彼らは出くわし、これを攻略した。
高い高い、塔の形をした魔窟を見上げ、如月は、そしてジルギリスは一つの考えに辿り着いた。
――これを、使ってみよう。
「色々な案を出し合って、この塔を運営が形になった時、如月は本当に楽しそうでした。不謹慎でしょうけど、私も、神の造りたもうたこの世界に、意に沿わないであろう遊戯の形を組み込んだ事には、溜飲が下がる思いでしたよ」
運営は続き、国が生まれ、都市が生まれ、長い年月が過ぎた頃、さしもの勇者にも時の流れの結末が訪れた。
そして最期に、二人の間で約束が交わされた。
「もし――もしも次にこの世界に自分の様な異世界人が来たのなら……少しでも、この世界を楽しんで欲しい」
そのためにも、塔の運営は、出来るだけ続けて欲しい。
それは、神の定めた運命に縛られた存在達の、せめてもの抵抗だった。
ジルギリス=エクターラは、その約束をずっと守り続けた。
大戦が勃発し、土地が荒れ、国が滅びかけ、この塔の存在を知る者が減り、己の名を利用されても、何百年もその約束を守り続けたのだった。
「今回は、本当にありがとうございました。我々の小さな意地であるこの地にお越し頂けた事、心より御礼申し上げます」
そう言って男は深々と頭を下げた。
私はそんな彼に声をかけようとする。
「アダムさーん!」
そんな時、二方向より、私を呼ぶ声がした。
ライラ、そしてふぇに子が手を振りながらこちらに近づいて来る。
互いに存在を認識した二人は、何故か競争でもするかのように私に向かって走り込んで来た。
素早い身のこなしでライラが先に私に元へと滑り込むように到着する。
「ぐわあああああ!」
一方ふぇに子はと言うと、もう何度目かになるお決まりの悲鳴を上げながら盛大にすっ転んでいた。
衝撃で短いスカートが捲れ上がり、その下の尾羽が生えた尻の上半分が丸見えだった。
それに気づいたライラが慌てて駆け寄ると、急いでスカートの位置を元に戻す。
「何やってんだお前ら? ふぇに子。権威の破壊者が、尻丸出しにしてんなよ」
ライラに助け起こされるふぇに子を見て、今日で最後となるロット達の攻略に監督として付き添っていたスピネが、彼らと共にやってきて呆れた声を出した。
「丸出しじゃありませんよ! それに、不名誉な呼び方はやめて下さい! 今日早速、名前を公表した良い影響が確認出来たんですから!」
なんだそれは。
「何と! 今まで『キサ×黒』とか『キサ×龍』と呼称されていたカプが、正式に『キサ×ジル』と改められたんです!」
メルメル。あの口を塞ぐ紙を大至急やってくれ。
当事者が目の前に居る事に気づいていないふぇに子は、ヒラヒラと舞い踊りながら自分目掛けて飛来する紙を必死になって避けている。
「馬鹿な奴ですが、よろしくお願いします」
私は隣で面映げに微笑む龍にそう告げると、深く頭を下げた。
「またのお越しをお待ちしております」
互いに礼を交わした私達に、捕まえた紙を頭の天辺のアホ毛に押し付けながら燃やそうと試みていたふぇに子が、不思議そうに声をかけてきた。
「あれ? アダムさん達どっか行くんですか?」
聞いていなかったのか。
私達は間も無くこの都市を立つ。
ミトラの居るこの都市に残って修行を続ける事になったふぇに子とはお別れだった。
「えっ!? そう言えばそんな話が有った様な無かった様な……」
有ったんだってば。
この破茶滅茶なな不死鳥のおかげで、都市に来る事になった私の目的は達成出来た。
だから、長く空けていたミネリアに帰らなければならない。
「私はまだここに残る。ロット、いつか私を『ロット・ガレーの母親』と呼ばれる様にしてくれよな」
スピネは、きっと照れ隠しだろう、隣にいる自分の息子の頭を乱暴に掻き回すと、その快活な笑みを口元に浮かべた。
「そう言えば、ふぇに子とお前らで勝負をしていたよな? どっちが高く塔に登れるか」
そう言えばしていたな。すっかり忘れていた。
「スピネさ〜ん? 何を言ってるんですか。頂上まで到達した私達が勝ったに決まって……あれえーー!?」
私達の視線の先、順位表のその表記は、勝利者が誰であるかをはっきりと示していた。
ふぇに子と私チーム、三十階層。
ライラチーム、五十階層。
ふぇに子もこの二週間で随分頑張ったが、かなりの大差が付いてしまっていた。
「何でですかーー!?」
ふぇに子は黒髪が美しい、この塔の事を最も知り尽くしているであろう受付へと食ってかかる。
それはあれだよ。
「実情に則した結果を載せております」
ニッコリと愛想の良い笑顔と共に放たれたその言葉には、全く反論の余地は無かった。
「じゃあ負けたふぇに子には私の特別訓練を受けて貰おう。この後来る連合の支援部隊の協力も受けられるんだろう? 行ける行ける」
スピネの宣告に、ふぇに子の表情が固まる。
ふぇに子は晴れて連合の預かりとなっていた。彼女はこれでこの世界における確固とした身分を獲得するにあたった。
今回の事件を解決した実績を考慮してのことだ。不正は無い。
それによって支援部隊も無駄にならずに済んだ。連合に所属しているふぇに子のバックアップを行う事に何の問題も無い。
良い事づくめだ。
「頑張れふぇに子」
私は最大限の愛を込めて激励を授ける。
だが、当のふぇに子はと言うと、ジリジリと後退を始めているではないか。
良い加減、観念しろ。
「が、頑張りますけど、ますけどー!」
スピネが獰猛な笑みを浮かべた。
「燃えれば復活するんだから、多少キツくても平気だよな?」
「やだーーー!!!」
ふぇに子は脱兎の如く逃げ出す。
それを追ってスピネが駆けた。
誰とは無しに笑い声が響く。
それは、冒険者達の喧騒に紛れて、もう誰の笑い声なのかも分からない。
私は頭上を見上げると、そこから広がる勇者の夢に想いを馳せた。
人生は選択の連続である。
未知への扉を選んで開き、時には手痛い傷を負うこともある。
それでも先に進んで、階段を上り、困難を乗り越えて、仲間と共にその先へ。
その胸の鼓動が続く限り、何処までも。
了
第三部、完!
五月に投稿を開始した拙作も、折り返しを過ぎることができました。
ひとえに、応援して頂いている読者の皆様のおかげでございます。
本当にありがとうございます。
ネズミ花火の様なふぇに子のおかげで中々大変ではございましたが、第三部、楽しんでいただけましたら幸いです。
次回第四部ですが、安定した投稿ペースに戻すために三日ほどの投稿お休みを頂きたいと存じます。
宜しければ、また拙作にお付き合いいだだけますよう、お願い申し上げます。
2020.09.30 どといち