第百三十二話 高みを目指して
「ガルナ」
生まれた時から己を知る人物であるガルナの登場により、リベナスの感情の波が僅かに凪ぐ。
グレースはその隙を見逃さずに、自分の背に隠したままライラ達を彼から遠ざける。
「殿下、本来このような場で奏上させて頂くべきではございませんが、不肖このガルナめの話を聞いて頂けないでしょうか」
ガルナは恭しく礼を行いながらそう告げる。
周囲が固唾を飲んでその返答を見守る中、冒険者ギルド全体が静かに揺れた。
その揺れによって、天井から小さな石の欠片が落ちる。
アダム達の攻撃がいよいよを以って激しさを増している事が、ナタリアやグレースには容易に想像出来た。
もしくはあの怪物が何かをしているのかも知れないが、どちらにせよこの場に留まって話を続けるのは愚行でしかない。
それでも興奮する皇子達と連合に反感を持つ冒険者達を穏便に退避させるには、今この時の対応を見誤る訳にはいかなかった。
「話せ」
落ち着きを取り戻したリベナスが周囲を見回し、未だに小さな振動が続く状況に忌々し気な顔をする。
その整った輪郭の顎でガルナに話の続きを促すと、老人は皇子達へと歩を詰めた。
同時に、顔色の悪いハルマがスピネから離れ、己の主人であるカルシュナの側へとたどたどしい足取りで向かう。
己の従者でもある兄が戻った事で、苛立ちに心乱されていたカルシュナが安堵の表情を浮かべた。
アルシェールは小さな溜息を吐くも、既にその心持を正していた。議会に影響力を持つ、人の間で生きて来た皇子らしい切り替えの早さだった。
「よう。一触即発だったな」
静かに最前線から離れたグレース達に声を掛けて来たのは、何故かガルナ達と共にこの場に現れたスピネだった。
どうやら、ライラ達を冒険者ギルドに送った後、ガルナやセルキウスと共に皇国の人間が接収していた建物を回っていたらしい。
アダムの水砲の一撃を受けていない、屋内にいた人間の対処の為だそうだ。
「セルキウスの奴は治療に回ってもらってる。あいつ、学校の頃より随分腕を上げたな。攻撃以外は下手くそだった癖に」
「先輩が言えた義理ですか?」
グレースとナタリアが同時に同じ内容の発言を行う。それを受けたスピネがその意見を肯定する笑みを浮かべた。
一先ず信頼出来る人物で固まることが出来たグレース達は、事の成り行きを見守る姿勢となった。
所在が不明瞭であるマールメアとフレンの安否が懸念ではあったが、その二人は行動を共にしているはずだった。
「殿下らの危惧、全く持ってその通りではございます。今や飛行船はこの覇者の塔頂上、黒龍様に手が届かんとしております。勇者に任せるばかりではなく、こちらでも対処は必要でございましょう」
何かを言いかけたリベナスの機先をガルナが手で封じる。
「ですが、それは『皇帝の権威のため』ではございません。今この時この場、我々バトランドの都市である『英傑都市ヴァルカントの民のため』でございます」
その瞳に歴戦の闘志を込めた視線が皇子達を射抜く。
ガルナの言葉に己の過ちを指摘するそれを感じ取った皇子達は、しかし反論を行おうとしてそれを堪えた。
自分達を非難する周囲の視線を感じ取ったからだけではない。彼らには、少なくとそれを認めようとする理性が戻っていた。
「リベナス殿下、アルシェール殿下、そしてカルシュナ殿下。各々方は互いに、互いと同じ高さの目線の人物しか見えておりません。帝都での生活、殿下方の皇子としての人生ゆえそれは致し方ないのやもしれませんが、どうか周りをよく見て頂きたい」
皇子達には、これまで生きて来た皇子達の世界があった。
そう教育したのは他ならぬ自分達である事は認めた上で、ガルナは彼らの視野の狭さを指摘する。
自分の知る世界の頂が高過ぎるが故に、彼等には自分の足元が見えていなかった。
頂に聳える偉大なトロフィーが眩しすぎて、他のもの全てが己の足掛かりとしか思えなくなっていた。
しかしそれは個人が背負うべき瑕疵では無い。
歴史の中でバトランド皇国が、それを必要としたが故の歪みだった。
現皇帝はそれを正しく見抜いていた。
己もまた、その歪みに囚われた頂点であることに気付いていた。
そして、自分の息子達が血と共にそれを受け継いでいる事を憂慮した。
それは老境に差し掛かって廃龍の復活という世界の危機に直面したことで、更に高まった。
己よりも遥かに永くを生き、今や人間の歴史と心の機微を学んだという廃龍ならば、必ずその隙を突くと確信していた。
それ故に懐刀であったガルナ・バートンを連合に送り込み、情報収集と対処に当たらせた。
だが、廃龍の手は早く、そして長かった。
この世で最も穢れた血は、歪んだ歴史を継承して来た皇国の内部に素早く浸透していたのだ。
その終端が、今この時に結実していた。
「龍の名を得た者が、有力な次期皇帝候補であることには間違いございません。ですがそれは、名を得た結果ではありません。この国において龍の名とは、皇帝に相応しいと認められたからこそ継承されるものなのです」
皇子達は結果を求めるあまり、その本質を見誤っていた。
ガルナの言葉に、それを認める言葉こそ出なかったものの、状況を叩きつけられた皇子達は今度こそそれを納得せざるを得なかった。
「どこも、子育ては大変って事だな」
スピネがぽつりと呟く。
その呟きに誰かが反応するよりも早く、彼女はこの騒ぎを平然と眺めるだけだった黒髪のギルド職員が佇む受付へと向かった。
「さっきの話だが、どうだい? 開けられるんじゃないか?」
スピネの発言に黒髪の受付はにこりとほほ笑んだ。
「申し訳ございませんが、スピネ様と言えども、単独で九十階層は手に負えないかと」
「戦力が足りてれば開けてくれるんだな? じゃああいつらも連れて行く。ああ、ちょうどセルキウスの奴も来たな。お前は毎回ちょうど良い時に通りがかる奴だな」
指の動きで自分達が呼ばれたと気づいたスピネの後輩達は、殆ど条件反射で彼女の元へ駆け寄る。
「先輩、何の話をしているんですか!?」
「でかい声だったからな。話は聞こえてたよ。お前も良い考えだとは思ったんだろ、ナタリア? あの皇子様達じゃあ、荷が重かっただろうがな。じゃあ私達ならどうだ? ん?」
それは――可能性はあるかもしれない。
喉まで出かかった言葉をナタリアは飲み込んだ。
「行くんだよ。お前ら。あのクソ雑魚が空で頑張っているのに、逃げる選択肢は私にはないんだよ。このスピネ・ガレーは、やると言ったらやる。今までも、これからもそうだ」
その言葉が本気である事は、散々に付き合わされたナタリア達が一番良く知っていた。
昔から、そして今も、スピネは槍の如き女性だった。
今その穂先は空を向いている。それだけだった。
「受付さん、どうだろう? 我々四人で組む。特例で開けてくれないか?」
「山猿お前勝手な……いや、抵抗は無駄か。先輩のこれに抵抗して成功した試しは無い」
すっかり乗り気になった男性陣に呆れ返った表情を浮かべたナタリアが、何時の間にか蚊帳の外に置かれる形になったガルナ達へ視線を向ける。
ガルナは皇子達が大人しくなったのを確認すると、一つだけ頷いた。
それを見たナタリアは、自分もまた観念せざるを得ないことを確信した。
「受付さん。私達が上に行ったら、ここに居る人達と一緒に避難を。というか、何故貴方は一人だけ逃げていないんですか? 他の職員の方は避難の準備をしていますのに」
ナタリアの指摘通り、冒険者ギルド内の人員は、冒険者達による己達への圧力が弱まった時点でその準備におおわらわだった。
「それは、私がここの責任者でございますから。皆様を置いて逃げるなど、職責に反します」
それが当然であると、何でも無いような顔で受付の男性はそう言った。
それを聞いてポカンとした顔を浮かべる周囲に対して、スピネは心底愉快そうに笑みをかみ殺した顔をする。
「受付さん、あんたが皇帝にでもなれば良い」
「御冗談を、スピネ様。では、直通通路を開けます。ですが昇降装置は振動で停止中なので、申し訳ございませんが階段をご利用ください」
その発言に、今度こそスピネは大笑いをした。
他の三人は対照的にがっくりと肩を落とす。
最初にその案を提唱した皇子達など、それを聞いて自分達の浅慮を今度こそ心底後悔している様子だった。
どうやら彼等では元より無理な案だったようだ。
「行くぞ、後輩共」
既に四人の準備は完了していた。スピネの勘に長年付き合って来た賜物である。
覇者の塔入り繰りへと向かうスピネは、自分の後姿を見つめる息子の視線に気づき、後ろを振り向いた。
「あー……なんだ。母ちゃんは凄いだろう? 何も問題はない。今回のこれが済んだら、武勇伝として友達に自慢しても良いぞ?」
それを聞いたロットは呆れたように笑った。
「もうしてるよ」
スピネは唐突に自分の隣を歩くナタリアの尻をひっぱたいた。
「なんですか!?」
「いや、見ないうちにデカくなったと思ってな」
やがて四人は塔の中に消えていく。
そして、ひと際大きな振動がギルド内に居る人間を襲った。
状況を見送ったロット達は避難のための声掛けを開始する。
後は、信じるだけだった。