第百三十一話 醜態
ぎりぎりセーフ!
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覇者の塔直下、冒険者ギルド周辺は混迷を極めていた。
皇族にまつわるゴタゴタによって飛行船が動き出し、それを追ったゴーレムが救出した不死鳥と共にそれを襲撃し始めた。
その光景を茫然と眺めていただけの群衆は、突如として名状し難き怪物へと変貌したそれの姿を直視する羽目になった。
生理的嫌悪感からの悲鳴はパニックを連鎖させた。あちこちで上を見上げては絶叫を行う人々が生まれていた。
不幸中の幸いだったのは、全員が本能的にそれから離れようと動き出し、覇者の塔周辺からは戦う力の乏しい人間がどんどん避難している状況になっている事だった。
グレースやナタリア達連合のベテランは、以前からの事件で集積された情報を基に状況を正確に把握し、塔の周りで恐慌状態になって動けないでいる人々を逃がそうと奮闘していた。
「そこの君!! すまないがこの御老人を頼む!! ああ、そこの君は声が大きそうだな!! 全力で避難を呼び掛け続けてくれ!!」
グレースの生来持つ声量と共に、彼が放つ威風堂々とした気配の乗った号令が辺り一帯に響く。
唖然とした面持ちで空を見上げていた冒険者達はそれによって正気を取り直すと、彼の指示の元、自らの鍛えた身体を生かして避難活動を手伝い始めた。
正に彼の持つ歴戦の成せる業であった。
「グレース。おおよそ、外で動けなくなっている人の救助は出来たわ。後は近くの家屋の中ね」
「それはセルキウスとガルナ殿が向かった。近くの建物は皇国の関係者が接収している物も多い。彼等が適任だろう」
二人は顔を見合わせると、上空で怪物に接近しようとする炎の鳥を見上げた。
それの飛行によって生じる大空の大気を食い破るかのような轟音が、飛び立ってからずっと地上まで鳴り響いていた。
鳥が怪物に正対する。
その瞬間に、鳥の頭部に当たる場所から複数の火球が吐き出される。
塔にしがみ付く怪物に着弾したそれらは、しかし背中の羽を畳んで甲殻を閉じた怪物の背中で受け止められていた。
僅かに黒い焦げが生じているものの、傍目から見ても痛痒を与えられているようには見えない。
だが、ほんの少しではあるが怪物の登攀を押し留める効果があったようだった。
攻撃を放った火の鳥はすぐさま空中で向きを変えると、その軌道は再び塔の周りを回る軌道へ戻った。
「アダムも形振り構っていられなくなっているようだ。地上の被害よりも撃退を優先させるつもりだ」
「私達が上手くやると信じてくれているのでしょうね。期待に応えなくっちゃ」
このまま見上げていても始まらない。
二人は何者かの言い争いの声が聞こえ始めた冒険者ギルド内へ足を踏み入れた。
果たしてその内部は、外の混乱も斯くやという有様となっていた。
ギルド受付には腕自慢の冒険者達が詰めかけ、それらが全て、塔への入場を求めていた。
彼らの言い分に疑問を覚えたナタリア達が詳しく話を聞いた事によれば、この騒動の発端は正気を取り戻した第一皇子リベナスの発言が元なのだという。
曰く、塔の内部から壁を破壊して、そこから塔に張り付く怪物の裏側へ攻撃を仕掛けるつもりなのだとか。
それを聞いたナタリアは、一瞬本当に正気を取り戻したのかを疑った。
しかしその作戦が、飛行船から落下する際に、塔の外壁を破壊して内部に侵入を果たしたアダム達の様子を観察しての事だと気づき、僅かな時間でその効果を検証する。
検証結果は、危険、だった。
可能か不可能かで言えば可能だろう。
だがそれは、今は塔の頂上と遠く離れたアダム達に意識を向けている怪物のそれを、逃げ場の少ない状況で自分達に向ける行為に他ならなかった。
あの怪物が、遠くに位置するアダム達に何かしらの攻撃を行っていない以上、遠距離まで届く攻撃手段を持っていない可能性が高い。
そうすると、攻撃できない遠くの目標よりも、小うるさい近くの目標へ視線が向くのは必然と思われた。
ナタリアは、空いた壁から攻撃する冒険者達が、あの青白い手や不気味な節足で蹂躙される様を幻視した。
「貴様ら! そこをどけ!」
浄化された水を被り、秘薬の効果を洗い流されたのは一人では無かった。
その褐色の肌と黒髪を水に濡らしたまま現れたのは、第三皇子のカルシュナだ。
供であるハルマは飛行船ではなく近くの建物で休んでいたらしく、あの怪物の餌食にはなっていないとの事だった。
「リベナス! 貴様この期に及んで抜け駆けを! 九十階層への経路開放を要求しているだと!」
それはナタリア達にとって初耳の情報だった。
激昂する様子のカルシュナ曰く、リベナスは今行ける範囲で最も高い位置からの打ち下ろし攻撃を並行して行う事で、あの怪物を下へ叩き落す事をも画策しているらしい。
そして、それを行うべきは兵士も含めた精鋭を率いる自分達が相応しいとの事だそうだ。
確かに現在の混乱の中に有って、普段からの一党をきちんと纏め上げられている状況の冒険者は少ない。
有望な一党は一人か二人、それぞれの理由で人数を欠いてしまっている様だし、全員が揃っている場合でも、九十階層へ向かうには実力が不足しているのが否めない者ばかりだった。
リベナスなら、その身分による号令でもって兵士たちに動員をかけることも出来る上、彼の一党は全員が健在だった。
だが、事情を知る者で、彼の本当の狙いがその言い分のままであるなどと考える者はいなかった。
恐らく攻撃は兵士に任せ、自分達は最上階を目指す腹積もりなのだろう。
カルシュナもまた、その様に考える人物の一人だった。
「兄上、その様な横紙破り。議会が知れば何と言われますか分かっておられますか?」
横暴なリベナスに食って掛かるのは第二皇子も同じだった。
二人の皇子に比べるとかなり疲弊した様子の彼もまた、リベナスの目論見を阻止せんと政治的な点から追及を開始した。
この期に及んでのこの有様に、ナタリアは心中で深くため息を吐いた。
だが兎に角、怪物に向かって攻撃を開始したアダムの為にも、現在塔の中にいる人間は外に出さなければならない。
自分の隣で今にも激発しそうなグレースを宥めながら、ナタリアは人を掻き分けて受付に集まる皇子達元へと向かう。
「殿下、ご機嫌麗しゅう。お話は伺わせていただきました。殿下のご提案、確かに効果が見込まれましょう。ですが、大変に危険な賭けでございます。各々にもしもの事があれば、それこそ一大事ではありませんか?」
ナタリアは努めて穏便な解決策を探ろうとする。
これがグレースであれば、もっと直接的かつ乱暴な物言いであっただろう。それが良くない結果を招くことを本人も理解しているからこそ、グレースはナタリアの説得を隣でじっと聞くに留めていた。
「ふざけた事をぬかすな連合の! 良いか! あの侍女風情が何をしたか分かっているのか!」
しかし、この場合誰が何と言おうと結果は同じだったかもしれない。
リベナスも、そしてアルシェールやカルシュナでさえ、同じ様に憤りを抱えているのが誰の目にも分かった。
「あれは我々に毒を盛ったのだ! 龍の秘薬! そうだな!? そして自分もまたあのような化生と成り果て、不遜にもこの私の頭上で蠢いている!」
リベナスの怒気を孕んだその声に、周りの冒険者達が僅かにたじろいだ。
彼にとって、皇帝の証たる龍の名は己の物であるという認識が強い。
それが、歯牙にもかけていなかった第四皇子の、それも乳母たる侍女によって陥れられ、今や己の頭上に存在するという事自体が耐えがたい屈辱であった。
「あの女は我々バトランドの、皇帝の権威を穢そうとしているのだ! あの龍こそが、皇帝の権威そのものだ! 私が得るべき、権威なのだ! 悍ましいあの腕が、それに触れると思うだけで怖気が走るわ!!」
だからこそ、正当なる自分が先んじて龍の名を得て、あの怪物を地に貶めなければならないと、リベナスは血走った目で主張した。
その気迫に、他の皇子達も一歩立ち退く。
ナタリアとグレースは、彼の説得が不可能であることを確信した。
二人は互いに目線でやり取りを行うと、実力での排除を決心する。
「なんて事をおっしゃるんですか!!」
その時だった。
二人にとって聞き覚えのある少女の声が、人だかりの向こう、ギルドの入り口方面から聞こえて来た。
「皇子様は、龍を、龍の皆さんをなんだと思っているのですか!」
声の主はライラだった。
「彼等は私達と同じ、この世界に住む一つの命です! それをまるで物の様におっしゃって!」
「ライラ落ち着け! メルメル、紙! 紙飛ばせ!」
「ほいほい~」
メルメルの持つ本からページが一枚だけ抜き取られ、魔法で制御されたそれがライラの口を覆い隠した。
ライラの不満げな瞳が、それを指示し、また行った二人の子供へと向かう。
彼女の怒りを、ナタリアとグレースは良く理解出来た。
己の身体の上に人々を住まわせ、それを魔物の脅威から守り続ける、自分達の国の象徴たる守護龍シャール=シャラシャリーア。
そして先の騒動で、文字通り己の身命を削りながらパーマネトラの人々を守った、山抱龍グラガナン=ガシャ。
両名共に、偉大なる人類の、この世界の守護者だった。
それをあたかも、己が手にするべき褒章品のように述べ立てるリベナス、ひいては皇国の在り方には少なからず怒りを覚えていた。
明らかに只の連合職員である少女に批判されたリベナスは、その怒りを更に深めライラへ向かって歩き出した。
「殿下、私の部下の非礼心よりお詫び申し上げます。ですが、手出しをするのはやめて頂きますでしょうか」
その歩みを、グレースが間に入る事で止めた。
内包する静かな怒りを纏った、筋骨隆々たるその姿に、リベナスは突如として立ち塞がる鋼鉄の壁の如き印象を受け、立ち止まる。
それにより、場に膠着が生まれる。
周囲の人間が感じる一秒が、本来のそれよりも長く感じられた。
だがやがて、その膠着が、再燃したリベナスの怒りによって破られようとしたその刹那。
「リベナス殿下、お下がりください」
元バトランド皇国将軍、ガルナ・バートンが、好戦的な笑みを浮かべるスピネと、彼女に肩を貸されたハルマと共に現れたのだった。