第十三話 力の化身
マナコスト(6)(緑)(緑)ではない
怪物が私に手を伸ばし、それが私に死を齎そうと迫る瞬間、私はありったけの力を込めて地面を叩きました。
刹那、爆音とともに土が舞い、飛び散ったそれが私の身体に鈍い痛みと共に当たります。
同時に襲い掛かってきた衝撃波に、私の軽い身体は飛ばされてしまいました。
そのため、土煙が周囲のほとんどを覆いつくし、やがて収まっていく様を、私は離れた距離から確認することが出来ました。
そして、衝撃で幾分か目がくらんだ状態でも、何が起きたのか理解することが出来ました。
いえ、その光景は、或いは理解出来ないものだったかもしれません。
醜悪なジャイアントゴブリンは、通路右側の壁と一体化していました。
先ほどまで浮かべていた捕食者の笑みをズタズタにしながら、肉塊と化していました。
巨体を形成していた、肉が、骨が、赤黒い血が、壁一面に張り付いています。
その原因となったのは、怪物に深く突き刺さる、歪で巨大な石の大斧です。
自然石から無理やり引き出して成り立ったようなその大斧が、自身と同程度の怪物を完膚なきまでに破壊していました。
その代償としてか、大斧はあちこちが罅割れており、既にその用を成さなくなっています。
左の壁には、巨大な穴が開いています。どうやら大斧は壁越しに飛来し、分厚い土壁を粉砕した上で、醜悪な怪物を無残な肉塊に変貌させたようでした。
そこまで確認したところで、私は未だ混乱が収まらない頭で左に空いた大穴の先に考えが及びました。
何という事でしょう。
開いた穴からは、先ほどのジャイアントゴブリン以上の巨躯を思わせる足音が響いているではないですか。
そして爆走しているかの如き間隔の狭いそれが壁の前までやってきます。
そしてその勢いがまるで収まらないまま、丸太の様に太い金属の籠手が穴から出てきたかと思うと、その腕の持ち主にふさわしい巨体が、壁を滅茶苦茶に粉砕しながら這い出てきたのです。
ゴーレム。
直観的に、私はその存在の正体を確信しました。
目の前の、物理的破壊力を体現したかのような存在こそ、私たちがこの魔窟で探し、懸念していた存在だという事を。
三メートルはあろうかという巨体は、岩石がへばりついた様な意匠の金属の鎧で覆われています。
またその鎧には、採掘されたままのごろりとした大きさの水晶や、加工され美しい面が露になったそれが飾られています。
これだけなら、すごく大きい人が、全身鎧を身に着けていると誤解することも出来たかもしれません。
ですが、それがあり得ないことは一目瞭然でした。
まず、本来魔窟に入る前に身に着けるはずの腕章がありませんでした。
連合が管理する前に魔窟に入ったという事も考えられません。この半年間を魔窟の外に出ずに過ごすというのはあり得ないからです。
これこそが、マールちゃんや周りの学者さん達、そして私が、目の前に現れたゴーレムが人為的な産物でないという判断を下した一つの理由でもあります。
確かに一部の魔物からは飲食に適した素材を得られることもあります。ですが、この魔窟に出現する3種からは、いずれも得ることが出来ないのです。
先ほど壁の一部となったジャイアントゴブリンは、すでにその体の大半を魔窟に吸収されています。
飛び散った血も、肉も、すっかり失われつつあり、手のひらに収まる程度の大きさの魔石が、その存在の証明として壁に残っているのが分かります。
ですが、私が目の前に立つ巨体を人間でないと確信したのは、それらのどの理由でもありませんでした。
その理由とは、眼、でした。
兜の隙間から見えるその両眼は、人間の物ではありません。
鎧を飾る水晶と同じ煌きが、そこに見て取れるのです。
そして、ゴーレムはその感情を読み取ることが出来ない瞳で、ただ私をじっと見つめていました。
ですが、不思議なことに恐怖はあまり感じませんでした。
あるいは、余りに隔絶した強さを感じ取った私の本能が、抵抗は無駄だと判断したのかもしれません。
ゴーレムは暫く私を見つめると、壁に刺さったままの大斧に手を伸ばしました。
そして引き抜こうとして、そのままでは壊れてしまうことに気づいたのか、暫くその柄を握ったまま微動だにしませんでした。
すると突如として、ゴーレムから凄まじい魔力の高まりを感じました。その魔力が腕を伝って大斧まで到達すると、斧が突き刺さっている地点から周囲の土を引きずり込むように、それらが移動していきます。
同時に、罅だらけだった斧が、軋みを上げながらその姿を取り戻していきます。
まるで壊れる過程を逆再生しているかのようです。
二、三分程経ったでしょうか。罅一つなく、ですがやはり歪な姿の大斧がそこに現れていました。
その光景を、私は驚愕と共に見つめていました。
私の土操作と同系統、ですが遥かに高度な魔法なのが分かります。
少なくとも、私の祖父でさえ同じ芸当は出来ないでしょう。
ゴーレムは凄まじい重量を誇るそれを事も無げに引き抜くと、その重さを床に向けて解き放ちました。
衝撃で、思わず身体が浮いたかと思いました。
ゴーレムはほんの少し静止した後、床に刺さった斧はそのままに私に向き直りました。
良かった。そのまま両断とかでは無くて。
そうして暫く互いに向き合ったまま、時間だけが過ぎていきました。私の右足は既に全快していますが、魔法がろくに使えない状態では、走って逃げることは不可能でしょう。
只々静寂だけが空間を支配していました。魔物が蔓延るこの領域において、これ程静かなことは滅多にありません。
このゴーレムの存在が静寂を生み出しているのだという事は、想像に難くありませんでした。
「グ……グ……」
不意に、唸り声の様な低い音が聞こえました。慌てて辺りを見回した私は、その音の発生源が目の前のゴーレムであることに気づきます。
「ゴ……オ……」
ゴーレムは喉の辺りをその巨大な手で抑えながら、呻き声に似た音を発しています。
まさか、喋ろうとしている?
それから何度か唸り声を発したゴーレムは、諦めたように軽く首を振ると、喉に有った手を顎の辺りへと移動させ、また暫く動かなくなりました。
まるで人間のようなその仕草に、私は何時しか強い興味を抱いていました。
そして、警戒心が薄れ、目の前の存在への観察意識が高くなった私を知ってか知らずか、ゴーレムはゆっくりとその両手を近づけてきました。
その慎重すぎる程の遅さから、私はこの行為が危害を与えるためのものでは無いと判断し、この行動の行く末を待つことにしました。
左手で右手を覆い隠すかのように重ねたその腕がゆっくりと近づき、目の前でその巨体が屈みこむように沈み込んでいきます。
そしていよいよ、ゴーレムは目と鼻の先までそれらを近づけると、近づけた時よりは幾分か速い速度で、重ねていた両手から、左手を取り去り、その右手を露わにしたのでした。