第百二十九話 アーキテックチェーンバーストブレイバード
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アリア・ナイセルは憎悪していた。
ミトラ・ネドクリフ・バトランドを取り巻く環境全てに憎悪していた。
併呑した土地との折衝を目的とした政略結婚。それが第二皇妃である彼の母親が皇国に嫁いで来た背景だ。
そんな背景など、皇国の歴史的にとりたてて珍しくも無かった。
問題は、当事者の一人である第二皇妃がそれに納得していなかったことだった。
第二皇妃は、自分が年の離れた皇帝に貢物の如く捧げられたという事実に酷い不快感を示した。
また、皇帝は第一皇妃で在らせられる女性を深く愛していた。
その事実が、なおの事彼女に不満を持たせたのは疑いようもない。
しかし、かと言って夜毎に侍女に噂されるような行いを重ねるのは問題外だった。
夜会に出ては、男を侍らす皇妃。
そんな女を、義務以外で閨に呼び寄せる夫がいると思っているのだろうか。
アリアは憎悪していた。
やっと生まれた自分の子供を、汚らわしい物でも見る様に見つめる皇妃を心底憎悪していた。
きっと、胎の中で種が混じったのだ。
そんな悍ましい話を後宮の噂雀共が騒ぎ立て、それに思い当たる節があるような皇妃を、軽蔑していた。
ミトラが紛れも無い皇帝の御子であることは宮廷魔導士が太鼓判を押している。
ミトラは、紛れも無い、バトランド皇国の皇子なのだ。
だが、周囲はその事実をないがしろにして幼い皇子を遠ざけた。
母は己を遠ざけ、父は己を垣間見ない。
そんなミトラの世話を行ってきたのがアリアだった。
貴族のお手付きで生まれた子供を早くに亡くし、醜聞から遠ざけられていた侍女がアリアだ。
全てが、ちょうど良かったのだろう。
生まれつき体の弱かったミトラをアリアは自分の亡くした子供に重ねて育てた。
必要な時以外は絶対に顔を見せようとしない母親に袖にされ、夜毎に話して聞かせる英雄の話に慰めを求めた皇子をアリアは愛した。
アリアは憎悪していた。
血の繋がった兄にも顧みられることの無い、得られるはずの幸福を手に入れる事も無い。
何の瑕疵も無い子供が、ただ己の力の及ばぬところで誰に救い上げられる事も無く、静かに傷ついて行くだけなのが、心底耐えがたかった。
しかしそれは、この世の中には実にありふれた悲しみの一つでしかない事実である事にも気づいていた。
アリアは憎悪していた。
世界に、憎悪していたのだった。
そんな時だ。
国内にて発生した不穏分子、その排除と関係の捜査が行われる事になった。
折しも、嘗て撃退された廃龍の復活と、新たに遣わされた勇者についてミトラが興味を示していた時期だった。
待遇の悪さを知っていたからだろう。
ミトラの周りにも、その不穏分子からの接触が無かったかどうかの調査が入った。
アリアはそれに激怒した。
ミトラの現状を知っていて放置する皇国に耐えがたい怒りを覚えた。
表面上取り繕うことなど、侍女としてそういった教育を受けたアリアには造作も無い。
かくしてアリアは、以前に接触のあった宗教団体『邪血教団』から渡されていたそれを隠し通した。
そして、皇帝が後継者を選ぶ気配が無く、その地位を巡っての争いが起こる事が予想されるようになり、アリアは決心した。
秘薬の制作方法は分かっている。
国内でのそれの汚染を浄化するために、何が有効なのかは周知されていたからだ。
まず自分の身体で試し、浄化された水との併用で安全な運用が可能なことを確かめると、彼女は限界まで薄めた秘薬をミトラに投与した。
効果は直ぐに表れた。
こうして身体の良くなったミトラは、他の皇子にとって歯牙にもかけない程度の存在ではあったが、今回の飛行船遠征に参加することが叶ったのだった。
狭い船内だ。他の皇子とすれ違う機会などいくらでもあった。
それが叶わない場合でも問題の無いように、アリアは飛行船内の共有スペースに香水に混ぜ込んだ秘薬を吹きつけ、撒いていった。
気取られないように、ほんの少量、ごく薄いそれを撒く。
一度の接触では対抗されるであろうそれも、時間をかけての接触では効果が見込めるだろう。
治療を行わなければ、悪影響を及ぼすのは分かっていた。
アリアは、ミトラと自分にだけは浄化された水の内服を続け、周囲の人間がいずれ醜態を晒すであろう事態を待った。
機会を見て、何とかしてミトラを龍に会わせるか、他の皇子に皇位継承権が無い事を内外に示せる状況になる事を祈った。
そして、やがてその時は訪れる。
皇子達の動きが、明らかに周囲への配慮を欠いた乱雑な物になり、更に、頭の悪い、出来損ないの勇者が現れたのだ。
アリアはミトラが短慮を起こす事を知って、不死鳥の情報を彼に伝えた。
そして、彼女を自分達の都合の良い存在として使うつもりだった。
だがそれは失敗した。
不死鳥が危機にあるのを察知したゴーレムが、既に上空に逃れていた飛行船に埒外の方法で乗り込んできたのだ。
アリアは憎悪していた。
己の思い通りにならぬ世の中に憤っていた。
我が子に栄光を。
それは母親として当然の望みなのかもしれなかったが、彼女のそれは既に狂気の淵に指をかけていた。
アリアは憎悪していた。
しかし、その憎悪は過去の話だった。
今、ミトラを乗せた飛行船は、有象無象の手の届かぬ空高くにある。
我が子の栄光は、今や手の届く所へ来ていた。
アリアは歓喜していた。
自分の身体が、周りにいた兵士の身体が、不自然に変形して飛行船の内部と溶け合う様に混ざり合っているのだけが不思議だった。
だが、それで目的が叶うならば本望だった。
アリアは歓喜していた。
ただ、床に落ちた秘薬の小瓶を誰が拾って自分達に向かって撒いたのか、それだけが疑問だったが、その疑問も直ぐに歓喜の中に霧散していった。
アリアは歓喜していた。
今や彼女はアリアであり、我が子を栄光へと運ぶ箱舟でもあった。
龍の待つ頂が見える。
その頂に手を伸ばすように、限界高度を迎えつつある震える巨体を、自分達の身体を消費した魔力で押し上げる。
もう少し。
アリアは歓喜していた。
遥か下の地面でこちらを見上げる群衆に、皇子達が混じっている事がその歓喜を更に増長させた。
アリアは歓喜の中にあった。
次の瞬間、爆発音と共に塔から金属と炎の塊が飛び出してくるまでは――。
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「なんじゃこりゃあああ!!!」
「ふぇに子! 暴れるな! 落ち着け!」
「おんぶ!? おんぶされてるで合ってますか!? わたし、アダムさんの背中にくっついてる感じなんですけど!」
そうだよ!
私はグレイプニルの力でふぇに子と一体となった。
不死鳥のポテンシャルは、極めて高い。それは分かっていた。
ふぇに子がダメダメだったのは、本人の心の傷が原因で魔力がまともに蓄積されていなかったからだ。
それを一時的にでも無理やり鎖の力で繋いで、私の溢れる魔力を共有すればこういう結果になるのはある程度予想していた。
だがこれほどとは。
紅蓮に燃え盛る炎の固まりが鳥の羽の如く私の背中に張り付き、大きく伸びた尾羽と共に制御不能のロケットエンジンの如き推力を私達に齎していた。
塔から飛び出した私達は白い噴煙の軌跡を残しながら、凄まじい勢いで空中を吹き飛んで行っていた。
ヴァルカント上空を一気に突っ切る勢いのそれは、当然目標である飛行船から離れる軌道を取る。
「アダムさん! 離れてる! 離れてます!」
「ふぇに子! 緩められないのか!?」
「え!? いや急にこんなパワー無理です!」
それもそうか。
紙飛行機にいきなりロケットエンジンを積んだような状態だ。
寧ろ、ふぇに子がパーン! とならなくて良かったかもしれない。
「そんなんなるかもしれなかったんですか!? やだー!!」
ああそうか、融合状態だとこちらの考えが伝わるのだった。
すまんすまん。
なら、こちらで何とかするしかない。
私は腰に取り付けていた六本の剣を背中側に回す。
そしてそれは炎を纏い、あたかも六枚の羽のように変貌した。
剣の内二本は激しくばたつく尾羽の側に移動させた。
二丁の拳銃は足元に銃口が来るように足首に配置して、グレイプニルで滅茶苦茶に固定する。
鎖を伝う炎の魔力が銃身に蓄積され、その銃口からは溢れた魔力が噴き出す。
補助翼となった六本の剣と、二丁の銃が取り付けられた両脚で、暴れ狂う推進力を何とか調整し軌道に変化を付ける。
元々生えていたふぇに子の両翼下部にも鎖を取り付け、それらを両手に絡ませることでハンググライダーのように私側で彼女の翼を制御補佐出来る様にした。
「これで良い! ふぇに子! 出力については何も考えなくて良い! 全力で回せ! 下手に制御しようとしたら失速して地面に激突するかもしれない!」
「マジですか! なんかわたし、良く分かんないけどすっごいパワーですけど!?」
ふぇに子の不安が手に取る様に伝わって来る。
だが、それなら私の考えている事も分かるだろう?
「……! はい! ふぇに子! 行きまーす!!」
お互いに脳内で天パのイメージが重なり合うの、笑っちゃうからやめろ。
爆発的な加速を保ったまま、私の操作で私達の身体が空中で翻る。
そうだふぇに子。
私を信じろ。
私が君を信じているように、君も私を信じて飛ぶんだ。
強烈な炎による半円の軌跡を空に描きながら、私達は今や生物的な血管の浮き出る不気味な外見へと変貌しつつある飛行船へ向かって突撃した。