第百二十七話 地上での一幕
何故私がふぇに子と飛行船から飛び降りることになったのか。
時は少し遡る。
私が、人ごみ故に速度の出ていなかった馬車を追い、彼女が飛行船に乗るのを見届けた時の事だ。
当然の様に飛行船の周囲は兵士で固められていた。
だが、その雰囲気が、いつもと少し異なっているように感じたのだ。
マールメアのような輩を近づけさせないためにも、彼等は常に気を張っていたのだが、今はその雰囲気が何故が弛緩しているように感じられる。
配置に隙は無い。
だが兵士達は皆、どこか虚ろな瞳をして、ただ散漫に立っているだけの様に思える。
私はこの感覚を、今よりももっと程度としては強いが、以前にも味わった事が有る。
パーマネトラで、導師の使いとしてやって来た大聖堂の人間に感じが似ている。
あれは、もう完全に自我を失っていたが、今この場にいる兵士たちはそこまでの様子ではない。
一見すれば、ただ眠そうにしているとさえ思えるだろう。
しかし知っている人間からすれば、この状況、楽観視できる状況ではない。
私は先回りして現地に到着しているはずのガルナやグレース、そしてナタリアを探す。
彼らは程なくして見つかった。
だが、随分と切迫した状況になっている。
果たして彼らがいたのは冒険者ギルド入り口前だった。
グレースとナタリアは、ガルナを挟んでカルシュナとアルシェールの一団とにらみ合いをしていたのだ。
「皆、これはどういう事なんだ?」
状況を確認しようと私はその場に割って入る。
皇子達からは明らかに歓迎されていない視線を向けられてしまった。
「アダム。貴様よくもぬけぬけと。ミトラを手引きしたのは貴様か?」
カルシュナがその鋭い眼光を私に向けた。
当然私はその言いがかりを否定するが、それは最早意味をなさない否定だった。
「ええ。こんな事になって残念です。まさか第四皇子と組もうとなさるとは……同情心は、場をかき乱すだけですよ」
アルシェールもまた、私に対して攻撃的な発言を行う。
どう考えても、彼等は理性的ではない。
変化が急すぎる。
いっそ雑ですらある。
私はカルシュナの御目付役であるところのハルマを探した。
だが、その姿はどこにも見当たらなかった。
「ハルマは休ませている。貴様らが卑怯にも、あのような酒を供した所為でな」
まだ二日酔いが続いているのか。
それとも、別の理由で休んでいるのだろうか。
なんにせよ、期待したストッパーの姿が無いというのは非常にまずい。
「ガルナ。皇子達は秘薬の影響下にあると思うか?」
私は懸念事項をそのものずばり口にする。
事こうなっては、彼等の対面を慮るだけ時間の無駄だ。
出来れば国相手にごたごたを起こしたくない思いから、今の今まで相手を立てていたが、強引に飛行船で乗り込んできて場をかき乱す皇子達にはほとほと愛想が尽きていたところだ。
お前おかしいぞ、と言われたに等しいことは皇子達にも理解出来たようで、彼等の敵意が益々増していくのを感じる。
「ガルナ。貴方が今ここで判断出来ないなら、私が代わりに判断を付ける。連合が認めた勇者である私の権限を持って、彼等を正気に戻す試みを行う」
一国の皇子に対してそんな事が許されるのか。
実は許される。
私が魔窟から出てから、何のためにあちこちと書類をやり取りしていたと思っている。
今の私は、人類を魔物や脅威から守る『連合』に公式に所属している、龍が認めた所の本物の勇者だ。
皇太子ですらない皇子など、小突いたところでどうともならない存在なのだ。
だが、それを理由に相手に敬意を払わないなど、私にとっては言語道断だった。
寧ろ、責任ある立場だからこそ、相手を敬い、礼節を持って相手をしなければならない。
子供の教育にも、悪いしな。
私が本気で手を出すつもりなのが理解出来たのか、明らかに皇子達の挙動に戸惑いが見られるようになった。
今の今まで、自分達よりも年上の人物達が、自分に遜った態度を取っていた事で、彼等は自分の価値というものを見誤っていた。
ガルナも、グレースも、ナタリアも大人だから、子供に優しくしてやっていただけだ。
私は憤りを感じる心のままに彼等に近づこうとして――。
明らかに私自身の心の在り様がおかしい事に気付いた。
何故、私はこんなにも憤っている?
彼等に対して不満はあれど、今まで適当に流すことが出来ていたというのに。
ふぇに子が心配だからか?
それは確かにそうだが、今現在自分の心の内に疑問を抱いて止まることが出来ている事からも、その焦りや苛立ちを彼らにぶつける程、自制が出来ていない訳はなかった。
私は、自分の核を取り巻く遺物に魔力を集中させる。
すると、先ほどまでの焦燥感や憤りがウソの様に引いて行った。
「アダム」
私の後ろから名前を呼ぶ声がする。
スピネだ。
子供達も一緒に居る。
「アダム、ここら辺、全部嫌な臭いがするぜ。何の匂いか、今分かった。これは香水だ」
スピネが吸っていたタバコの煙を吐き出し、それをガルナや皇子達に向かって吹きかける。
明らかな不敬。
激怒するかと思いきや、何故か彼等はその煙を吸う事で冷静さを取り戻している様だった。
「こいつの原材料は、体内の魔力の流れを正す薬草だ。それを私の火の魔力で乾燥させて作ったお手製だからな。効果はあったみたいだな」
尤も、タバコの臭いの所為で、アダム達は香水の匂いに気付けなかったみたいだが、と言ってスピネは槍を構えた。
皇子達が正気を取り戻すと同時に、周りの兵士たちの様子が明らかに可笑しくなっていたからだ。
彼らは皆、私達に向かってその虚ろな瞳を向けてきていた。
悪意も、殺意も感じられない。
ただ、こちらをぼーっと眺めているだけなのだが、それが寧ろ異様でしかなかった。
その光景に警戒心を高めていると、冒険者ギルド側から何やら騒がしい一団がやって来た。
「どけ! お前達! 出入り口で何を騒いでいる!」
やって来たのは第一皇子であるリベナスの一団だった。
相変わらずのメンバーを引き連れた彼は周囲を見渡すと、他の皇子達を一喝した。
「俺を気にして塔に登る気概も無い弟達よ! どけ! 往来で醜態を晒すでないわ!」
明らかに他の二人を蔑む意味合いの強い彼の言い分に、落ち着いていたはずの皇子達の目の色が再び変わりつつあった。
「流石に今度は煙を吹きかけるのは拙いだろうな」
スピネが槍の構えを解かないままに軽口を叩いた。
何時の間にか、グレースやナタリアも戦闘態勢に移行している。
ガルナも、剣こそ抜いていないが、その警戒は主に皇子達に向いているようで、立ち位置が私達よりになっていた。
スピネのタバコの効果で、その周囲だけは、今この場に蔓延している香水の臭いとやらの効果を受け付けずに済んでいるようだが、逆に言えば、他の人間達はどんどんその匂いの影響で自制心等が失われつつあるようだった。
状況は、極めて悪いと言わざるを得ない。
そして、その状況を更に悪化させる出来事が起こった。
「おい! なんだ!? 飛行船が!?」
ふぇに子を乗せた飛行船が動き出し、徐々にだがその高度を上げていったのである。
自分達が乗って来た、自分達の権威を証明する飛行船。
それが自分達を置いて空へ飛び立っていく。
その光景は、皇子達の燻っていた感情に火を付けるには充分過ぎた。
最早、迷っている暇はない。
香水の影響から抜け出た私の頭は、今度こそやるべき行いを正確にはじき出していた。
私は腰に取り付けられた二挺の拳銃を一瞬のうちに抜き出すと、そこに込められた弾種が私の思った通りのそれである事を確認する。
そして、二挺のそれを上空に向かって同時に発射した。
バゴン、と大気を破裂させる音が二発分、同時に周囲の人間の鼓膜を強かに打つ。
撃ち出された鉄板をも打ち貫く水鋼弾が、その交差する軌跡の中で互いに衝突し、周囲に一瞬の通り雨を生み出した。
誰の物とも知れない、突然の大雨に対する悲鳴があちこちで上がる。
だが、文字通り水に流したことによって、場を乱していた香水の匂いもまた、水に流れていったようだった。
マールメアが弾丸に封入された術式のそれを、念の為水の巫女姫であるサーレインによって聖別された水にしておいてくれて良かった。
そして案の定、洗い流された香水とやらは『龍の秘薬』つまりは『邪血』から精製された物であったらしく、地面にはピンク色の結晶体がそこかしこに見受けられることになった。
私やライラ達が、地面に転がるそれらを踏み潰して完全に粉々にしていく。
だが、そんな私達に向かって、降り注いだ聖水の効力で苦しみ悶える兵士達の何人かが、足元に気を取られていたライラ達に向かって槍を突き出しているのに気付いた。
だが甘い。
そんな緩慢な動作で私の目から逃れられる訳も無い。
錯乱して身体ごとぶつかって来る兵士の何人かを、私は簡単にいなす。
地面に叩きつけられた兵士たちは、今度こそ地面の上で悶えるだけの存在になった。
これで、とりあえず地上は安心かな?
そう思った矢先だった。
慢心。
正に、そうとしか言いようがない。
「アダムさん!」
ライラの悲鳴が上がる。
地面に散らばったピンクの結晶体が何時の間にかいくつかの塊になっており、それが全て、私の身体の中心目掛けて飛来して来ていた。
避ければ、ライラ達に当たる。
撃ち落とすには、遅い。
それらは私の核がある胸に目掛けて殺到すると、幾本かが私の身体の装甲を突き抜け、深々と突き刺さった。
やられた。こんな事も出来るのか。
周りの仲間達から私を呼ぶ声が次々と上がる。
まあ、どう見ても、かなり致命傷を負ったように見えるからな。
だが、こんなこともあろうかと。
奥の手とは、隠しておくものだ。
私の身体の中心から、猛烈な勢いで大量の鎖が飛び出すと、それは突き刺さった結晶体を全て塵に返した。
そして外に出た分の鎖が私の左腕に巻き付くと、結晶体によって開けられた胸の穴からは、同じ様にそこに存在する最も重要な器官にそれが巻き付いているのが見えたのだった。
失われし理の鎖。
先だって手に入れ、名実ともに所有権が私に移った原本遺物。
繋がれたもの全てを、理屈を超えて縛り付けるというこの鎖を、私は自分の核の最後の守りとして配置していたのだった。
龍すら拘束し、また龍でさえも断ち切るのは難しいこの鎖。
そんなに強度があるのなら、当然配置すべきは最も重要な核の周りなのは明白だった。
グレイプニルによって砕かれた結晶体は、私の左手から伸び、なおも地面を舐める様にのたうつ鎖たちによって全て打ち倒されたようだった。
これで今度こそ、地上は大丈夫のはずだ。
残る問題は、上空に存在するあの飛行船だった。
間違いなく、ふぇに子は拙い状況に陥っているだろう。
「ちょっとアダムさん! ビックリさせないでくださいよ! もー! もー!!」
プリプリと怒るライラへの謝罪もそぞろに、私は上空へと向かう手段を考慮し始める。
鎖を届かせるには、今よりもう少し高度が欲しい。
そんな事を考えていると、怒り顔のライラが自分の杖を私に向かって構えていた。
何を、と思っていると私の足元の地面にライラの魔力が注がれていくのが分かった。
「私だって、塔を登って修行したんですからね! アダムさんはふぇに子さんばっかり見ていたから知らないでしょうけど!」
頬を膨らませながら、ライラが魔法を構築していく。
そんな彼女を見て、私は少し愉快な気分になってしまった。
「ごめんな、ライラ。それじゃあ、お願いしても良いだろうか?」
「はい、仕方ないですね。それじゃあ行きます!」
構築された魔法が、その範囲を示す魔法陣を私の足元に描く。
「『降土』!」
地面から長方形に切り取られた大地が、私を乗せたまま勢いよく飛び出す。
本来この魔法は、こうして切り出した地面を上空に上げ、敵の頭上へ向かって落とすという魔法だ。
ライラは今回、私を空に打ち出すためのカタパルトとしてそれを使用したのだった。
そして私はその勢いを利用して高く飛び上がると、距離の縮まった飛行船に向かって左手のグレイプニルを幾本も射出した。
果たしてそれは、飛行船のあちこちに突き刺さり、食い込むことに成功したのだった。