第百二十五話 胸中、縛るもの
暫くしてふぇに子の準備が整い、後は皇子側に連絡して迎えが来るのを待つ次第となった。
私達も不測の事態に備えた準備を終える。
ナタリアとグレースには先に冒険者ギルド方面へ向かってもらう。こういう時人数がいると、色々と備えが出来て助かる。
フレンとセルキウス、それにガルナはふぇに子と共に迎えを待つ事にした。
可能な限り同行してもらって、彼女を守ってもらう。
最も戦闘能力の高い私は遊撃だ。状況に応じて行動を行う。
配置の準備も完了した頃、ガルナからふぇに子が私を呼んでいると言われた。
何やら、二人きりで話しておきたい事があるらしい。
ふぇに子の待つ部屋に向かうと、部屋の前には幾人かの使用人とガルナが待ち構えていた。
彼等に促され私は扉を開ける。
そこに居たのは、異国情緒あふれる装いとなったふぇに子だった。
背中が大きく開いたドレス姿は華美に過ぎない金属の細工物で飾られ、裾が短く詰められたスカートから伸びる脚はシルクに似たタイツで覆われていた。
いつも着ていた男性向けのメイド服の様に扇情的ではなく、しかし女性らしさを前面に押し出したその姿に、私は感心してしまった。
「正に、馬子にも衣裳だな」
「言われると思いました。でもこれ、イケてますよね? ね?」
恥ずかしさを打ち消すかのように大仰な身振りを行うふぇに子の様子に、特に変わったところは見られない。
ぱたぱたと腕を上下させるふぇに子に向かって、私は自分を呼んだ訳を率直に尋ねた。
「何と言うか、ちょっと皇子様にお話をする前に聞いて欲しい事があったんです。皆さんにではなく、同じ世界に生きて来たアダムさんに」
ふぇに子は大きな姿見の前に立ち、自分の姿を映しながら話を続ける。
「わたし、心臓の病気で死にました。十九歳でした。前にも言いましたっけ?」
彼女は自分の胸、傷痕があるという辺りをドレスの上から軽くなぞる。
「子供の頃からの病気で、激しい運動もダメ、あんまり興奮しちゃダメ、あれもダメ、これもダメ。その癖に、長く生きられないんですよ? わたし、自分以上に不幸な人間なんていないんじゃないかと本気で思ってたんです」
完治には、心臓移植が必要だったという。
「でも、すっごい幸運なことに、ドナーが見つかって手術が出来たんです。十五歳の時でした。本当に嬉しくて、きっと神様がずっと我慢していた自分の為に与えてくれた幸運だと思ってました」
その後の生活は、薬や検診こそ欠かせなかったものの、今までに禁止されてきた様々なことに制限が無くなり、その所為で歯止めが利かなくなるほどに『趣味』にのめり込んでいったのだという。
「ネットで検索すると二次創作がやたらと引っかかるのは、罠だと思うんですよ」
それは同意する。
「で、散々好きな事やって生きてきました。親なんかも、この子は苦労したんだからって、わたしを甘やかしてくれました。うち、お金持ちでしたし」
だが、大きな予後不良も無く過ごしていたふぇに子は、突然に倒れ、そのまま亡くなってしまった。
「走馬灯って本当にあるんですね。あっ! 死ぬ? って思ったら、今までの人生が一気にぶわーっと来ましたよ。それで、まあそれで……馬鹿な人生だったなって、思ったんです」
彼女が不幸な生い立ちであった事に異論は無い。
けれど、最期に客観的に人生を振り返る機会を与えられ、自分が如何に幸運に胡坐をかいていたのかを思い知らされたという。
病気ではあったが、裕福な両親のおかげで何不自由無く入院生活を送ることが出来た。
自分の身を大切に思ってくれている人達に、わがまま放題が許された。
その上、ドナーが見つかる事自体が稀な心臓移植手術を受け、人並みの生活を手に入れることが出来た。
その生活を、自分の欲望のまま自分の為だけに浪費した。
「だから、最期に思ったのは、身勝手だった自分に罰が当たったのかなと。だって、折角もらった新しい命を、無駄に消費しながら生きてたんですから。それで、もしも次があるのなら、今度はもっとましな生き方をしようと思ったんです。まあでも、アダムさんも知っての通り、へなちょこなわたしなので、調子に乗って借金生活でしたが」
愛されキャラではあったが、生活能力は本当に無いからな。
「ずっとずっと、誰かの助けで生きてきました。今もそうです。アダムさんやスピネさん、それに皆さんに甘えて生きています。自分でもわかってます」
ふぇに子が振り向き、私を正面から見据えた。
「わたし、誰かを助けたいです。貰うだけじゃなく、自分以外の誰かに与えられる人間になりたい。そうじゃないと、今度はそういう自分でないと、胸が痛いままなんです」
彼女は、自分の両手を胸の前で組み、苦しげな表情を浮かべた。
そうか。
ふぇに子を燻らせていたのは、その罪悪感か。
火の付かない不死鳥。
ふぇに子はまだ、彼女にとってはずっと、死んだままなのだ。
ここで逃げては、彼女はずっと変わらず灰のままになってしまうだろう。
それに、私も彼女の選択肢を見届けると決めたばかりだ。
「一つだけ言っておくことがある」
私は彼女の目を真っすぐ見つめた。
「君は、自分で思っている程弱くない」
私の心からの言葉だったが、ふぇに子はその言葉を気休めとして受け止めたようだった。
直後、部屋の扉をノックする音が鳴る。
どうやら舞台に上がる時間が来たようだ。
使用人たちに見送られ、着飾ったふぇに子が屋敷を離れる。
門の外では格式ばった召喚状やらの読み上げが行われ、ふぇに子はガルナ達と共に、豪奢な馬車に乗って飛行船へと向かう事になった。
馬車を見送った私は、マールメアを回収して戻って来たフレンを出迎える。
戦闘が行われる可能性があるあの場所に、非戦闘員であるマールメアを放置は出来ない。
スピネの勘を伝えられた時点で、魔道具を使ってフレンには帰還の指示が出されていた。
「もうちょっと見ていたかったんですけど……」
「マールメアさんの『もうちょっと』は『一日中』っすよね?」
グレース達との準備の際に決めた事だが、今回フレンとマールメアは屋敷で待機となる。
ぶつぶつと文句を言い続けるマールメアに、私は唯一気になっていた事を問いかけた。
「本当にあの飛行船は頂上まで行けないんだよな?」
「無理ですね。上空に行くほど大気中の魔力は薄くなります。あの飛行船は内部魔力機関と外部魔力の合わせ技で重量操作と大気組成の調整を行い飛翔するようですから。推進装置は横方向のみで縦には動かせませんし、機関部に詰められる人員の人数的にも、現時点ではこの都市にやって来た時の高度が関の山でしょう」
急に早口になるな。
それにしても外から眺めているだけでこれだけの事が分かるとは、マールメア恐るべし。
兎に角、頂上までは夢のまた夢というわけだ。
「ああでも、一点だけ。効率的に内部機関に働きかける魔導触媒があれば、もう少し上には昇れます」
「……不死鳥の素材とかはどうだ」
「ふぇに子さん? 彼女の素材では全く役に立ちません。無意味です。今はただ熱いだけの羽や毛ですからね」
そうだ。
ふぇに子の魔力量的に、それは素人でも分かる事だった。
不死鳥とは名ばかりの、名前負けの魔物。それが今のふぇに子だ。
だからこそ、皇子達から強引に引き抜きが掛かった事が予想外だったのだ。
冒険者ギルドや打ち上げの時に彼女を直接眼にした際、上手く隠してはいたが、他の皇子達が落胆交じりの顔をしたのを私は見逃していない。
つまり、彼女を見た人物の中で、唯一落胆せず陣営に加える判断をしたのがアリア達だという事だ。
そして他の皇子がそれに呼応した。尤もこれは、みすみす奪われるならばという意味合いが強いだろう。
彼女はふぇに子に何を見たのだろうか。
「もしかしたら、こいつを使うかもしれない」
私は自分の胸を指差した。
それを聞いたマールメアが不安げな表情を浮かべる。
「それがあるから装甲をここまで減らせているんですよ? あまりそういう事態にはなって欲しくないですね」
そうだな。
だが、スピネではないが、私の勘が告げていた。
きっとまた、頼ることになると。