第百二十三話 急転直下
わたし、ふぇに子。
今、スピネさんと一緒に宿の部屋にいるの。
もうすっかり陽が落ちて、ヴァルカントの街並みはその姿を変えています。
良い子は寝る時間です。
宿屋で眠る時、昔はボヤを起こさないように寝相に気を付けていました。
今は難燃性の素材で出来た革でぐるぐる巻きになって転がっています。
簀巻きとも言います。
見た目は兎も角、これが案外快適です。
スピネさんは今日も窓際でタバコを吸いながら外を眺めています。
宿に泊まる時は、大抵こんな感じで眠くなるまで過ごすそうです。
もしかしたら、わたしの寝相に注意しているのかも知れません。
スピネさんは、とても強い冒険者として知られていますが、それ以上に、凄く優しい人です。
まあ、槍に括り付けられてぶん回される刑罰を受けたりもしましたが……。
以前、今日と同じようにタバコを吸っているのを見たわたしが
「なんかカッコいいですね」
と、言ったら。
「そうだ。私はいつもカッコつけてるからな」
と返されました。
スピネさんには息子がいて、遠く離れた地で自分よりずっと真っ当な職に就いて頑張っているという話でした。
そんな息子さんの将来の妨げにならないように、自分はいつも『スピネ・ガレー』でいるのだ、と言っていました。
母親が箸にも棒にも掛からない冒険者では、息子さんに迷惑が掛かると、そう話していました。
その時初めて、わたしはスピネさんが、『スピネさん』以外の顔をするのを見ました。
優しい顔でした。
短い付き合いですが、そんな顔を外でしている所は見た事が有りませんでした。
何で出会ったばかりのわたしにそんな話をするのか、疑問に思って尋ねると
「同じ火の素養が有るからかな? お前の『匂い』は落ち着く。燻った、火の匂いだ。実は私は臭い好きなんだよ」
冗談かと思いましたが、どうやら本気の様でした。
タバコも、その銘柄の匂いが気に入っているから吸っているとの事で、わたしには良く分かりませんでしたが、その匂いはわたしに似ているそうです。
スピネさんの姿にそんな事を思い出していると、彼女が床に転がるわたしを見て呟きました。
「あの女の匂い、嫌いだな」
誰の事でしょうか。
わたしが疑問に思っていると
「アリアとかいう乳母だ。私はあんな臭いは嫌いだな。あの皇子達からも、嫌な臭いがした。箔付けのために勝負には乗ってやったがな」
わたしはスピネさんが不機嫌そうな表情を浮かべている場面を思い出しました。
もしかして、臭いが嫌いだったからそんな顔をしていたのでしょうか。
「別に臭くありませんでしたよ。ガルナさんは加齢臭がしましたが……」
「ああ、申し訳ないがあの爺さんは確かにそんなだな。だが、皇子達の匂いは臭いとは違う」
タバコの灰を窓枠近くに置いた灰皿に落としながら、彼女は遠い目で話し続けました。
「本当に微かだが、妙に嫌な臭いだ。甘いが――苦い」
わたしは彼女の言う臭いを思い返そうとして、それに思い当たる事が有りませんでした。
特に、そんな臭いはしなかったように思うのですが。
ただ、甘い匂いと言えば、わたしがどうしようもなく『推し』ている第四皇子が思い起こされます。
彼は、とても甘い匂いがしました。
くらくらと、脳が揺れるような、甘い匂い。
脳裏に蘇ったそれを打ち消すかのように、スピネさんがタバコの煙をこちらに吹きかけてきました。
不死鳥だからでしょうか。全く煙くありません。
でも、揶揄われているのが分かって、わたしは簀巻きのまま、抗議の意味を込めて転がってその煙を避けます。
ふふふ、甘いですよ!
そしてベッドの脚に頭をぶつけました。
「ぐぐぐ……」
そんなわたしの姿を見て、スピネさんがくつくつと笑っています。
「寝ろ」
「いや、無理ですって」
そんなやり取りを行っていると、スピネさんの表情が瞬時に切り替わりました。
鋭い眼光、引き締まった頬。
その全身から戦闘態勢に入ったことを示す闘気を漲らせると、傍らに常に存在する槍を部屋の入り口に向かって構えました。
「誰だ。夜中に訪ねるとは、非常識じゃねえか?」
わたしは慌てて立ち上がろうとして、再度頭をどこかにぶつけました。
どたばたと暴れていると、入り口の扉が控え目にノックされました。
「夜分遅く、先ぶれも無く大変申し訳ございません。本日お会いした、アリアでございます」
その声には聞き覚えがあった。
確かにあの正統派メイドのアリアさんだった。
自分が着ている服と比べて余りにも真っ当過ぎて、わたしは恥ずかしさを覚えた事を良く覚えている。
「帰れ。やはり安宿なだけあるな。金を握らせれば通す」
「誤解なさらないでください。お金は関係ありません。今回の事は、私が無理に宿の主人にお願いしたのです。どうしても、ふぇに子さんにあの子の力になってもらいたいのです」
なんにせよ無関係の人間をこんな遅くに通したのだから、誤解でもなんでもないのではないだろうか。
お金じゃなければ、宿のおっちゃんがアリアさんのエロ誘惑にかかったとか。
それは無いか。
そんな人には到底思えない。
「帰れ。それ以上話すなら、私はあんたを害さなきゃならなくなる。降りかかる火の粉は払う」
「その火の粉を手元に置いているのにですか? スピネさん、貴女は冒険者なのでしょう? 同じ冒険者であるふぇに子さんの意思を尊重するのが筋では無いのですか?」
貴女は、私のミトラ殿下の手助けをしたいと、思っているのでしょう?
その言葉に、わたしはゾッとしました。
そう、扉越しに言い放ったアリアさんは、昼間話し合いの席に付いていた人物と同じには思えない雰囲気を醸し出していました。
スピネさんの槍を握る手に力が入ったのが分かります。
「スピネさん。貴女も母親ならわかるでしょう? 息子には、幸せになってもらいたい。そんな、母親として当たり前の感情を」
スピネさんは押し黙ったまま槍の構えを解きませんでした。
その気配を察したのか、扉の向こうから感じられた雰囲気が元に戻ります。
「ふぇに子さん。貴女とは明日またお会いすることになると存じます。ミトラ殿下が貴女にご迷惑をお掛けした件で会いたがっておりますので」
「謝罪は受け取った。あんたからな」
「御本人様から直接謝罪を申し上げたく存じているとの事です。また、他の皇子様方も、この機会にもっとふぇに子様からお話を伺いたいと仰せでした」
その言葉にスピネさんの顔色が変わった。
「リベナス殿下以外の方々は皆、貴方には興味を惹かれております 。今後もバトランド皇国に滞在をご希望なさるのであれば、お断りにならない方がよろしいかと。」
そう言うと、扉の外からアリアさんの去る足音が聞こえてきました。
どうやら引き下がってくれたようです。
「こ、こわ~」
「クソッ。ふぇに子、怖いどころじゃないぞ。この国から出る必要がある。お前は完全に狙われてる。他の皇子も順番待ちだ。断ったら、向こうのメンツが潰れる。そうしたら、お前は消される」
なんで!?
わたし、自分で言うのもなんですけど、まだクソ雑魚ですけど!?
確か、もっと強くなるまでは安全だったんじゃあ?
「じゃあ、ミトラ君に協力しますって言えば……」
「他の皇子の勢力に消される」
詰んだ!? これ詰んでませんか!?
「お偉いさんの考えなんて分からん。私も、妾にしてやるとか散々言われてきたからな。こうなったら国の外に逃げるが吉だ」
逃げる?
「私ひとりじゃあ無理ですよー!」
「安心しろ、付いて行ってやる。なんて言ったか? 寄り掛かった船? 昔の勇者の言葉は良く分からんな」
いや、そうで無く。正しくは乗りかかった船……そうじゃなくて。
「スピネさんが『逃げた』ら、冒険者スピネ・ガレーの名前に傷がつくんじゃ……」
「気にするなふぇに子。やりたい事をやるのが冒険者だ」
待って、待って!
わたしなんかの為に、スピネさんにそんな迷惑はかけられない。
ただでさえ、返しきれない程の恩が有るのに……。
わたしは煙が出る程考え込む。そして思いついた。
「れんごーです! アダムさんみたく連合に入れてもらいます! それならオッケーでしょう!?」
わたしのナイスな意見は却下された。
そもそも、わたしを連合に保護してもらう事を視野に入れて、今回スピネさんの後輩さん達を呼んだ腹積もりもあったらしい。
でも、それは出来なかったそうだ。
理由は簡単。
わたしが、弱かったから。
あの時はお酒の席という事もありはぐらかされていたが、実績も無く、実力も無いわたしを連合の一員として迎え入れるのにはかなりの手続きが必要らしい。
コネで簡単に入れる組織であるなんて、そんな前例は認められないという事だ。
そもそも、アダムさんが連合に所属しているのすら、膨大な手続きの元に行われた処置らしい。
あの人のおかげで今代の勇者に対する共通認識が得られ、その手続きが整備されてはいるが随分頭の固い組織であるらしく、勇者であっても、寧ろ勇者だからこそ、その規範は守られるべきなのだとか。
正直、心のどこかで特別扱いをしてくれるのではと期待していた自分がいた。
「いや、アダムの奴は最大限力を尽くしてくれた。お前、ずっと強くなったよ。お世辞で無くな。正直、槍しか教えられない私には無理だった。だが、結果的にそれが向こうの最低要求を超えちまった可能性が有る」
だとしたら、随分低い設定のラインだ。
その後出した、ガルナさんのお宅に匿ってもらう案も却下された。
高名な冒険者であるスピネさんが明確に連合に助けを求めるなど、それこそ最大級の恥さらしだけど、無名で雑魚のわたし個人なら匿ってもらうのに支障は無い。
そもそも借金だってガルナさんに建て替えて貰っているのだ。今更な話のはずだ。
けれど、スピネさんが言うには当のガルナさんが皇国に半分籍を置いているような状態だから、結局は引き渡しになるのだそうだ。
「逃げる。それなら『一国から追われる冒険者』、そういう箔も付く」
いや、やっぱりだめだ。
それがわたしにとって一番楽な方法なのは間違いない。
けど、いつまでも、いつまでも、いつまでも、他人の力を当てにして、それが無ければ生きていけないなんてそんなのは駄目だ。
わたしは生まれ変わったはずだ。
わたしはふぇに子だ。不死鳥なんだ。
今はまだ借り物の心臓だけど、今度こそわたしは『わたしの心臓』で、胸を張って生きて行くんだ。