第百二十二話 絡みつく連鎖
その日の夜、私はガルナの部屋の前にやって来ていた。
先日は時間を理由に訪ねなかったが、今はそうも言っていられない。
屋敷の使用人に頼んで来訪する旨はあらかじめ伝えてある。
私は彼の部屋の扉をノックした。
「入りたまえ」
少し疲れた声が返る。
私はその声色に一抹の罪悪感を覚えつつもその扉を開いた。
ガルナが私室として使用している部屋は、書斎と寝室が繋がった形をしている。
部屋の主は、その書斎の側の机で私を待っていた。
「夜分遅くに申し訳ない」
「いや、構わないよ。思っていたよりも状況の動きが激しいのでな。こちらからも一度時間を取ろうと考えていたところだ」
元将軍であるガルナの部屋は、その肩書からは想像出来ない程に軍事色が無いように思えた。
武具の一つや二つでも飾っているのかと思いきや、前述の通り壁は殆ど本棚だった。
しかし、その棚に並ぶ本の表題を良くよく観察してみれば、その何れもが軍事に関わる兵法書や、あるいは歴史書、大戦にまつわる研究著書であることが分かる。
正しくここは、武力だけの男ではない、ガルナ・バートンの部屋なのだった。
「皇子どもの件だが、アリア殿からの申し出、はっきり断ってくれた事感謝する」
「私は元よりそのつもりだったからな。ただ、問題はふぇに子だ」
彼女は、『推し』に第四皇子を選んでしまった。
ふぇに子の反応を見るに、ただキャラクターとして好きという訳ではなく、手助けしたい誰かとして認識してしまっているように感じる。
私はガルナに、ふぇに子へ不死鳥としての覚醒を促すアドバイスを贈ったことを正直に伝えた。
あくまでも可能性の話だが、ふぇに子が私やゼラ並みに力を扱えるようになったならば、彼女の飛行能力は塔の頂上を目指す事が出来るだろう。
私の話に、ガルナは暫し考え込むそぶりを見せた。
「いや、それは個人の問題と言い張れるだろう。ふぇに子殿は今や冒険者ではあるが、特定組織に所属してはいないのだから。第四皇子に付くとは言っても、ミトラ殿下は立場も悪い。ふぇに子殿が本格的に見過ごせないほどの力を得るまでは、共々放置されるだろう」
つまり、放置出来なくなった時は拙い状況になるわけだ。
だが、その事は一先ず置いておこう。その点はふぇに子次第であるという事を忘れなければ良い。
私は件の第四皇子についてガルナに詳しい事情を聞くことにした。
アリアさんからの話では、彼女の立場上、主観が過ぎる。
「ミトラ殿下は実母である第二皇妃に遠ざけられている。それは事実だ。聞く人によっては、実に下らない理由ではあるが、当事者ともなれば確かな問題があるのだ」
第四皇子が母親に遠ざけられた理由。
それは、彼の『髪の色』だった。
「誰とも違うのだ。皇帝陛下とも皇妃とも、似ても似つかぬ髪の色。――いや、間違いなく彼は二人の御子ではある。しかし、それが理由で心無い者達から悪評を浴びせられ続けた」
第二王妃であるにも関わらず、最も遅くに子供を授かり、それが皇帝とも皇妃とも異なる容姿をしている。
成程、これは確かに下らないが厄介だ。
「どの皇子も完全無欠とは程遠い。そんな人間は勿論何処にもいないが、皇帝にはそれが求められる」
第一皇子は皇国にとっては瑕疵の無い人物だ。思想的に世界情勢とは相いれない部分が有るが、実力も人望もあり、皇帝としては問題が無い。反面、ガルナからしてみればそれは全て『皇帝としての自分』として矯正された姿なのだという。何時か無理が来る恐れがあるという。
第二皇子はそんな男の弟であり、周囲からはそれ以上を求められていない。母親からすらそうなのだそうだ。しかし能力は間違いなくあり、現状を理解しつつも虎視眈々と力を蓄えているのだとか。彼が皇帝以外の所で自分の権勢を求めるのは必然だったのだろう。
第三皇子は、被支配地域から、その力関係を明らかにするための政略結婚で生まれた皇子だ。その出自と異民族の色が強い容姿から血筋の正当性を疑われている。お膝元である帝都の人間からの反発が強いそうだ。
やはり、それぞれ事情があるのだ。
事情の無い家庭など、この世の何処にも無いのと一緒だな。
私は自分の前世をうろ覚えながら思い返していた。
「共通して言えるのは、どの皇子も『正当性』を求めている事だ。己が己である証。即ち皇帝を継ぐに足る人物であるという証だ」
そしてその最も手っ取り早い証こそが『龍の名前』という事か。
全員直接この都市にやってくるわけだ。
「そう、そこが問題なのだ。私は元々、彼等のその動きを牽制するために帝都へと戻るつもりだった。皇帝陛下から直接皇子達を諫めるお言葉を頂くつもりだったのだ。調査の時間を稼ぐためにもな」
調査?
「ああ、アダム殿も知っているだろう。『龍の秘薬』だよ」
龍の秘薬。
水彩都市パーマネトラがボロボロになる原因となった悪魔の薬だ。
原料は、廃龍ズヌバの一部にして本体とも言える『邪血』と呼ばれる液体。
それを聖水で薄め人間が扱えるように調整した、異世界人以外が『龍の力』を得るための薬。
勿論、そんな美味しい話はある訳が無い。
適切な量の秘薬を摂取した人間は、表面上は力や魔力の向上といった効果を得られる。
しかし代償として、その身の内にズヌバの分体を宿すことになるのだ。
自覚症状が無いまま身体を蝕むそれは、やがて本人の意思を乗っ取り、ズヌバの駒としてその存在を奪い取られてしまう。
最終的には、その『名前』すら奪われ、誰の記憶からも無くなってしまうという恐ろしい薬だった。
今はゼラ達も含め、対応班が各国を回りながらその対処に当たっているはずだった。
「バトランド内の秘薬の流通についてはほぼ全容が明らかになって、治療も進んでいるはずでは?」
「ああ。だが、ほぼだ。私の元将軍としての権限は広く及ぶが、それでも建前上は連合の人間だ。手が及ばない部分がどうしても出てしまう」
そしてそれにメスを入れるために直接帝都へ赴き調査を行おうとした所、途中の都市で飛行船に出くわしたのだという。
「あれは皇国が所有する遺物の中でも極めて重要な物だ。おいそれと動かすことは出来ないと思っていたのだが、これについては皇子達の派閥全員の意見の一致が有ったのだろう。完全に先手を取られたわけだ」
流石にガルナはその事態を看過することが出来ず、乗り合わせて一緒にヴァルカントへ戻ってきたという事だった。
これは確かに、タイミングが良すぎる。
「皇子達は秘薬を?」
「分からない。だが、ベルナが服用した経路を考えるに陣営の誰が使っていてもおかしくはない。あれは、皇軍への所属を切望するあまりの暴挙だったのだからな。その内部でも使用者が居ると考えるのが自然だろう」
彼の姪孫であるベルナも秘薬の被害者だった。
幸い彼女は治療によって事なきを得たが、彼女が秘薬を手に入れたのは帝都だったのだ。
皇軍でのポストを求めて各所へ面会を繰り返す中で、彼女は何者かからそれを受け取っていた。
当時はその悪質な性質が周知されていないこともあり、配布は兎も角、寧ろ研究は推奨されていた。
また、薬の効果で使用者の記憶が曖昧になってしまっている事もあり、未だに詳細については不明な点が残るという事だ。
パーマネトラの使節団に重度の患者が忍び込めていた時点で根は深いのは予測されていたが、まさか皇子陣営にまでそれは及んでいたのだろうか。
「事は国の問題だ。それ故、連合側にお話しするのは事態がはっきりしてからと考えていた。だが、事こうなっては話すほか無い」
出来ればもっと早いうちから話してほしかった思いもあるが、話してもらえただけありがたいと思うしかない。
彼の言う通り、これは国の威信に関わる問題なのだから、軽々しく話せる訳も無いのだ。
「ナタリア達に伝えても?」
「そうしてくれると助かる」
ふぇに子にも話すべきだろうか。
いや、あの子の場合、隠しきれず挙動不審になる可能性が高い。
もし相手がズヌバの影響を受けているとしたら、未だ弱い彼女の身が危ない。
では、どうするべきか。
それはやはり、彼女が自衛できる程、強くなるしかない。
やはり、私達魔物の身体を持った存在の最終的な着地点はそこになってしまうのか。
しかし、彼女には問題が有る。
性格ではない。
嗜好でもない。
切実に、彼女の『心』の問題だ。
名前以外の、前世での記憶の全てを保持しているふぇに子は、私やゼラとは違う。彼女は私達の誰よりも『人間』なのだ。
恐らくは今もずっと、前世での何もかもを引き摺って生きている。
私は状況を改善するためにも、彼女の『胸の傷』について一度しっかり話し合う必要がある事を心に決めたのだった。
そしてそれは、私自身の問題とも向き合う必要を示していた。
私やゼラ、そしてふぇに子。
何故、覚えている記憶の量に差異が有るのか。
それは、年齢などいう理由で無い事に、私は薄々感づいていた。
そしてそれこそが、真に私が求める『強さ』へと繋がる道であることにも気づいていた。
誰かに教える事で、気付くこともある。
それは確かに、全くそうだったのだった。