第十二話 14へ行け
その時です。
私の足元が不意に頼りない感触になったのは。
その感触を覚えた瞬間、私の右足首までが一気に地面に埋まってしまいました。
石壁を発動した影響でしょうか。
私の足元の地面が、急激に体積が失われた影響で階層を隔てる地面が薄くなり、石壁の重さもあって(私が重いわけではなく)崩落を始めました。
ああ、やはり、土魔法なんて乙女の魔法ではありませんでした。
崩落に気づき、私に向かって手を伸ばすロットの姿が見えます。
背後を向いたことで隙が出来た彼に襲い掛かるレッドスケルトンを、グレース隊長が裂帛の気合と共に切り捨てます。その目は私を捉えてはいませんが、事態を把握したためか明らかな焦りが見て取れます。
背後から接近しつつあった、ホブゴブリンやゴブリンメイジの急所に向けて弓矢を連射していたフレンさんは、両手がふさがっていたためか咄嗟に視線を向けるものの、私へ手を伸ばすことが出来ないでいるようです。
ナタリアさんは近くにいたメルメルを抱きしめるように抱えて飛びのきながら、残った腕で杖を振り、風の刃を放って、やはりロットを援護しています。
その目には私に対する謝罪の念が込められています。
大丈夫です、ナタリアさん。メルメルを守ってください。
全てがスローモーションに見えていました。
けれども、運動があまり得意ではない私の身体は、ゆっくりに見えるその光景を前にして、体のバランスを崩しながら崩落する地面に飲み込まれていくことしかできませんでした。
そして私一人分を飲み込む穴が完成すると、私は階下へと落下してしまいました。
そしてその穴に蓋をするように石壁が倒れ、すっかりと塞いでしまったのです。
おのれ土魔法。
元々四、五メートルほどの高さの通路でしたので、落下した先も同様の高さでした。
その高さからバランスを失ったまま落下した私は、当然の結果としてうまく着地を決めることが出来ず、強く右足首をくじいてしまいました。
「ぐっ……グレース隊長! ロット! 皆さん! 私は、真下です!」
天井に向かって私は声を上げますが、届いているかは分かりません。上の階層で続いているはずの戦闘音がよく聞こえないことから、恐らく伝わっていないでしょう。
私は中回復を唱え、自分の右足の回復を図りました。治癒は思ったよりも進みません。恐らく骨に異常が出ているのでしょう。
その場合、中回復では回復までに時間が必要となります。
お爺ちゃんに作ってもらったブーツを履いていなければ、もっと酷い事になっていたのは想像に難くありません。
歩けるようになるまで十分程必要になるでしょう。
ですが、もし歩けるようになったとしてもここを動くべきではありません。
メルメルの地図ならば、立体的に構造を把握できます。私が今いる位置が一階層下の十四階層であるならば、未探索域であっても、先ほどの場所から真下に存在するこの地点に向かうことは十分可能でしょう。
救助が来るまでは、周囲の土壁を土操作で操作して壁に紛れるなどしてやり過ごすのが無難です。
良くやりました、土魔法。
足の痛みが薄れていくのを感じた私は、ここでようやく自身の周囲の確認を行いました。
どうやらここは先が行き止まりになっている通路のようです。縦幅はやはり四メートルの高さがあるものの、横幅は狭く、人が三人並べる程度の広さでした。
まだ少し違和感の残る右足を引きずりながら、私は行き止まりに向かって進み始めます。
奥に隠れている魔物がいなければ、入り口側から隠れるように通路を塞いで救助を待つのが賢明と判断したからです。
仲間とはぐれ、たった一人で魔窟にいるという事実が、私の心臓を早鐘の様に鳴り響かせています。
ですが、ここでパニックに陥れば待ち受けているのは確実な死です。
もし私がここで死んでしまえば、唯一の家族であるお爺ちゃんの悲しみはいかほどでしょう。
それも、まだ私が物心つく前に死んでしまった父の様に、魔窟で命を落としたとなれば。
そうして周囲の警戒をしながら、通路に潜む魔物がいないことを確認すると、私はいよいよ身を隠すため土操作の魔法を使うことにしました。
結論から言えば、遅すぎました。
通路奥を確認せずに偽装を完了させていれば、落ちた際に大声など上げていなければ、そもそも階上で襲われた際に、見栄を張って大きな石壁など作らなければ。
後悔とは先に出来ないものですが、この時ほどその因果を呪ったことは無いでしょう。
通路の入り口を振り返った私は、そこにひょっこりと現れた、歪な鷲鼻を見ました。
それが仲間のものでは無いことは直ぐに気が付きました。同時にそれが、この魔窟に生息する魔物、ゴブリン種のそれであることにも。
けれども、その鷲鼻が現れた位置は私の身長よりも頭二つ分ほど高く、本来身長の低いゴブリン種ではあり得ない位置だったのです。
背筋に走る不意の緊張で、身体に鈍い痛みを覚えた瞬間、その鷲鼻の持ち主がゆっくりとその姿を露にしました。
歪んだ鷲鼻がいっそ調和していると覚える程に醜悪な顔。清潔とは程遠い乱れた歯列。背を正せば恐ろしいほどの長身であるにも関わらず、歪んだ背骨のため幾分か減じた、それでも尚ひょろりと高い体躯。
狂ったデッサンの様に細く、長い腕には、生物の骨で出来たがらくた同然の棍棒が握られています。
大飯喰らいの小鬼。
肉付きの良くないその痩身の中で、お腹だけがぽっこりと突き出たその姿は、それが有り余る食欲により異常変化を遂げた個体であることを示していました。
ジャイアントゴブリンは、そのゴブリン種には見合わぬ長身から来る飢えを賄うために、常に獲物を探し徘徊しています。
そして獲物を見つけるや否や、それが自身より強大な存在であっても猛烈な勢いで襲い掛かってくるのです。
尤も、今回発見されたのは、襲われればひとたまりもない私でしたけれども。
ジャイアントゴブリンは、涎に塗れたその口を半月状に歪ませると細い腕をばたばたと暴れさせながら私目掛けて走り始めました。
誰かが、長く、高い悲鳴を上げています。
それが私の物だと気づいた時、もう一度、スローモーションがやってきました。そして同時に、私の人生が次々に脳裏に浮かんでは消えていきます。
これが走馬灯という物なのだと、迫りくる死の現実を前にして、私はぼんやりと考えていました。
ですが、まだ。まだです。
まだ死にたくはありません。
目の前に迫りくるジャイアントゴブリンに向けて、私は石壁を唱えます。
一瞬の判断でしたが、相手の脇を潜り抜けるには足を負傷したばかりの私では分が悪すぎます。私は相手を正面で止める選択を行いました。
それに、崩落の原因となったのが石壁の魔法ならば、もしかしたら周囲の土を消費することで同様の事態を引き起こせるかもしれません。
最大射程、最大魔力で生み出した石壁は、突撃を食い止めることに成功しました。
通路を横に塞ぎ、縦方向に半分程度伸びたそれは、ですがジャイアントゴブリンの攻撃で無残にも破壊されていきます。
全力で後ろに飛びのきながら、もう一度、石壁。
横幅が足りません。ですが相手の巨体ではすり抜けることは出来そうにありません。
怪物は、最初の石壁を破壊すると、二つ目のそれを先ほどよりも素早く破壊していきます。
強度も落ちているようです。
もう一度、石壁。
構築のため放出した魔力が、魔法の完成前に霧散していくのが分かります。
発動不全。
魔力が、要求された魔法の発動必要量に満たない場合に起こる現象です。
前に突き出した腕をそのまま地面に向けて落とし、強度を確認します。
残念ながら、地面はどっしりとした厚みを感じさせる感覚を返してきました。
私はそんな地面を必死に叩き始めました。
「崩れろ……! 崩れろ……!」
二つ目の石壁を破壊していたジャイアントゴブリンが、私のそんな行動を見て、滑稽なものを見るかのように醜悪な顔面を歪ませています。
目の前の壁は既に半壊しており、罅の入ったそれを、怪物は舌なめずりをしながら手に掛け引き倒そうとしています。
まだ。まだ。まだ。まだ。
私は地面を叩き続けます。
まだ。まだ。まだ。まだ。まだ。まだ。
両手で狂ったように叩き続けます。
まだ。まだ。まだ。まだ。まだ。まだ。まだ。まだ。まだ。
まだ! 死にたくない!!