第十一話 突然の挟撃
通路に入ってからしばらくして、メルメルが鼻歌交じりに地図を拡大させたり、指先を光らせながら地図に追記を行ったりしながら歩いているのを、ナタリアさんが少し呆れたような目で見つめています。
すると、そんなメルメルとナタリアさんの様子に満足げな笑みを浮かべていたフレンさんが、突然その手をメルメルの口元に向けて伸ばしました。
「メルメル! 静かに……。みんなもちょっと警戒を厳にして欲しいっす」
フレンさんの一言に、隊の空気が変わります。
目を閉じ、神経を耳に集中させているフレンさんをカバーするように私たちが動いていると、彼はその切れ長の目をすっと開きました。
「前後から魔物が来ます。数は不明ですが、相手は推定でゴブリン種。接敵は前の方が早いです」
普段の調子とは打って変わり、熟練の狩人の雰囲気を身に纏ったフレンさんがグレース隊長に報告します。
いつもそうなら良いのに。
「後方からの遠距離攻撃に気を付けつつ、前方の階段まで抜けるぞ。階層を挟めば追撃も減る」
隊長の指示に全員が同意の首肯を返すと、やや足早に一本道の通路を進んでいきます。
やがて、聴力に優れるフレンさんでなくとも聞き取れる程にそれらの音が近づいてきました。
同時に、何時まで経っても嗅ぎ慣れない、すえた獣の様な匂いが鼻を突きます。
薄暗い洞窟型の魔窟においては、視覚よりもそれ以外の感覚が優先されることが往々にしてあります。
洞窟型の魔窟では、周囲の魔力が土壁自体を発光させているのですが、通常の光とは違い、それは万人の眼に同じ光量を与えません。
人よりも魔力の感覚器官が鋭敏なエルフ種であるフレンさんを筆頭に、私やメルメル、それにナタリアさんの方が、普段は全く相手にならないグレース隊長たちよりも先を見通すことが出来る程です。
また魔窟の壁は松明やランプなどの通常の光のみならず、魔法によって生み出された光を吸収する性質を持ちます。
その二つの性質が合わさることで、感覚としては全く誤っている理屈なのですが、魔窟内の光源は、その光を受け取る人間から距離が離れてるほどに、その光量を極端に落していくように感じる仕組みとなっています。
要は、自分に近い光源からの光のみを頼りに探索しなければならないという事です。
結果として、普段ならば問題なく見通せる距離が、どうしようもない暗闇になってしまうのです。
普段の生活、魔窟の外で暮らす中で身についている常識からは外れた感覚ですので、最初の内は兎に角戸惑うばかりでした。
ですが今はもう、駆け出しの頃の、何もかもに驚いていた私とは違うはずです。
それを証明するかの如く、私の耳と鼻が警告してくるそれらの接近をしっかりと待ち受けることが出来ています。
そして、眼がそれらをはっきりと確認するよりも早く、音もなく引き絞られたフレンさんの弓から矢が放たれました。
弦が弾かれる音が通路に響いた瞬間、同様の音が二つ、三つと続けて響きます。
そうやって放たれた矢が目標に命中するのを、やはり眼ではなく耳で確認した私たちは足を速めました。
「魔物探査」
呪文と共に、メルメルの本から水色に光る火の玉の様な物体が、前後に一つずつ飛んで行きました。
それはやがて魔窟の法則により減衰して消えていく光でしたが、その魔法の光は自身が通った軌跡の只中に在った魔物の存在を、私たちの脳裏に浮かび上がらせていきます。
背後から追撃をかけて来る集団には、体格が通常のゴブリンよりもやや大きい上小鬼や小鬼魔術師が複数体感じ取れました。
恐らく、元々この階層のこの位置で襲撃するために徒党を組んでいたに違いありません。
問題は前方の魔物でした。
前方にいたのは、その身を赤く染めた骸骨、硬質な棘を纏うスライムなどの異種混成の群れです。問題というのは、その強さが、では無くこの場に存在するということ自体が問題なのです。
それらは本来次の階層から出現するはずの魔物たちだったのです。
先に進むほど魔物が強くなるという魔窟の法則において、下の階層から魔物が上に登って来るというのは即ち、その魔物が下の階でやっていけなくなったという事、つまりは階層自体の魔物の強さの平均が上がった事を意味します。
その事に思い至った私の足が若干速度を落とします。
ですが、まだ、私たちの敵ではありません。油断せずに行けば問題は無いはずです。
そう思っては見たものの、想定外の事態に私の心には不安の影がちらついてしまっていました。
「前方の敵陣を突破! しかる後、隊列を組み直して反転するぞ! ライラ! 後方を封鎖だ!」
しかし、そんな私を鼓舞するかのような隊長の声が通路に木霊します。あるいは単にいつも通りに声が大きいだけかもしれませんが。
「はい隊長! 石壁!」
そんなグレース隊長の変わらぬ様子に平常心を取り戻した私は、 隊長の指示により挟撃を防ぐための魔法を発動させます。
指示に応じて即座に動けるのも、日ごろの訓練のたまものです。えっへん。
前後を挟まれたとはいえ、やはり私たちならば問題なく凌げる物量です。
ですがそういった油断が魔窟では命取りとなります。
何度も何度も、座学のみならず実践を通じてそれを理解させられています。
石壁の魔法は、読んで字のごとく、術者前方の指定した位置から一枚岩の壁を作り出す魔法です。
その大きさや硬度は発動の際に注ぎ込んだ魔力量によって左右され、熟練の使い手ならば鬼の突進に耐えうる壁を作り出すことも可能です。
尤も、今回の相手は徒党を組んでいるとはいえ小鬼。通路を塞いで時間稼ぎができる程の壁で充分です。
ですが、ここは正しく地味な土魔法の見せ場です。
私は安全策を取る意味も込めて、やや多めに魔力を注ぎ込みます。
引き出された私の魔力が、魔法の構築式に則った動きを見せ、そして世界の法則に承認され形を取っていきます。
豊富に存在する周囲の土元素を材料に、私が手をかざした目と鼻の先に石壁が屹立していきました。
フレンさんが前方の二人の援護に回っていた手を止めて、通路を塞ぎつつある石壁の隙間を縫うように矢を放ちます。
それにより、壁の完成前にこちらへ肉薄しようと試みていたゴブリンたちの計画は頓挫していきました。
それとは逆に見事に成功しつつある私たちの計画の行く末と、自分がそれに貢献したという自負が私の頬を緩ませます。
いけませんね、戦闘中に。
高揚した意識を抑えきれぬままに、私は前列で敵を抑えている、ロットと隊長の様子を確認するために前へと向き直りました。