第一〇五話 ガチレース勃発
一旦喧騒から離れ、ふぇに子を店へと送り届けた私は屋敷へと戻った。
そして、先に屋敷へと戻ってもらっていた皆と話し合いを行う事にした。
全員が居間へと集まる。
その中には、ベルナの姿もあった。
彼女に頼んで同席してもらう事にしたのだ。
彼女はやや居心地の悪さを感じているようで、軽く身をよじりながら辺りを見回していた。
本来の館の住人である彼女にそんな思いをさせるのは心苦しいが、こればかりは我慢してもらうしかなかった。
「あれはバトランド皇国の皇族。しかも次代の皇帝を担う皇子達だ」
セルキウスが眉を寄せた表情で断言する。
状況的にかなり高位の人間がやってきたのは分かっていたが、まさか皇太子殿下がやって来るとは。
「いえ、皇太子はまだ決まっていないのです。長子であるリベナス殿下が最有力ではあるのですが……」
私の発言に訂正を入れたのはベルナだった。
皇太子がまだ決まっていない?
立太子が済んでいないという事か、それとも――
「アウグス皇帝陛下が、まだ、その、後継者を定めておられないのです」
それは――どう考えても拙い流れだ。
皇太子が決まっていない中、その候補者達が連れ立って一か所に集まっている等、面倒事の匂いしかしない。
「なあ、それってどういう意味なんだ?」
ベルナの隣に座っていたロットがそんな発言をする。
それに対し少し困ったような顔をするベルナに代わって、ナタリアが説明を引き継いだ。
「ミネリア王国では王は男女を問わない長子相続、つまり一番上の兄弟がそれを引き継ぐ権利を第一に持っているわ。それを議会が承認し、更に守護龍へとその結果を奏上する事で『権威』を成り立たせているの。ここまでは大丈夫よね? 学校で習ったでしょう」
子供組がうんうんと頷きを返す。
「バトランド皇国では、現皇帝が実子の中から自分の後継者を指名する事で次の皇帝が決まるの。この次の皇帝候補が『皇太子』と言って、それを本格的に宣言する儀典を『立太子』と呼ぶの。皇国にも議会はあるけど、皇太子の選出に異論を挟むほどの権力は持っていないはずだわ」
皇帝が誰を選ぶかの際に、ある程度議会の意見は参考にはするんでしょうけど、とナタリアは締めくくった。
つまり、次にこの国で一番偉い人が誰になるか、まだ何にも決まっていないという状況なわけだ。
「なんで口出し出来ないんですか? 変な人選んだら困るのはみんなでしょう?」
ライラが首をかしげる。
大分危険な発言ではあるが、実際の所その問題は確かに存在する。
一同の視線がベルナに向かうが、彼女はその疑問に対して、はっきりと明文化して答える事が出来ないでいるようだった。
知らないというよりも、口に出すのは憚られるといった体の様だ。
「それは、正しく先ほどの『権威』という話に繋がるはずだ」
この手の話題に加わるには珍しい男が発言を行った。
グレースは腕を組んだまま天を仰いで話の続きを行う。
「俺達もただ酒を飲んでいたわけでは無い。情報収集くらいは行っていた。そうだな、フレン」
グレースの、普段と比べれば声量の小さい声が室内に響く。
話を振られたフレンは、少し困ったような笑顔を浮かべながらそれを引き継いだ。
どうやらグレースを急かすなりして、子供達の手前、彼にも花を持たせようとしたらしかったが、彼は得意分野ではない話にさっさと見切りをつけてしまったようだ。
彼らしいと言えば彼らしい。
「えー……うちの国は、シャール=シャラシャリーア様が、そいつが王様でも良いよって言う事で、王様は王様としてえばれる訳っすよ」
そう。決めるところまでは人間の手に委ね、それを龍が追認する事で王権を維持している寸法だ。
人間が、龍の権威を間借りしているとも言える。
「んで、バトランド皇国は、あー確か『ある龍』の名前を知る人物が、凄い貴ばれるんですよ。勇者キサラギが塔を制覇した時に、昔の皇子様、皇帝になった人がその一党に加わっていたとかで。で、その龍って言うのが――」
覇者の塔の最上階に鎮座している黒龍という訳だ。
そして現在その名前を知っているのは、現皇帝只一人。
つまりそういう事か。
勇者と旅をした黒龍、恐らくその仲間として一緒に戦った人間だけが、その名前を知る事が出来る位置にいた。
それは即ち、名前を知っている事自体が『龍に仲間として認められた』という事に他ならず、それはこの世界では充分に権威として成り立つ事実でもある。
以来、名前と共に血筋を受け継ぐ皇家に強く口を出せなくなった、という事らしい。
うちの守護龍様とはえらい違いだ。
まあ、塔の上で佇むミステリアスな黒龍と、屋台で貰い食いして怒られる幼女では、その対応に違いが出るのも当然か。
ベルナが口ごもったのは、事実として龍の権威を借りている現状を認めるという事自体が、皇帝の権威を貶す行いに通じているからだろう。
偉いから、龍の名前を知っているのであって、龍の名前を知っているから偉い、と言うのは問題がある訳だ。
なんとも面倒な話だが、権威とは実際そういう物だ。
「まあ、そういう訳だな」
その一言と共に入室してきたのは、疲れた表情を浮かべる屋敷の主、ガルナ・バートンだった。
元将軍であり、現在はバトランド皇国連合支部に所属しているという彼は、名目上国政に関わってはいないようだが、当然の様にその影響力を内外に残している。
寧ろ、皇国が連合に対する影響力を期待して送り込んだ人材とも言っても過言ではない。
「今回の件、私達が聞いても良い話なのだろうか?」
教えて貰えないのなら、自分達で情報を集めるだけの話だが、私は一応彼に確認を取った。
「無論だ。寧ろ君達には聞いてもらわなければならない話となってしまった」
ガルナは迷いなく空いている下座へとどっかりと座ると、深くため息を吐いた。
「大分、予定が狂ってしまったよ」
随分早い帰りであり、その大仰な帰還方法を見るに、本来の仕事などをすっ飛ばして英傑都市に戻ったことが伺える。
どうやら彼にも今回の出来事は、肉体、精神共に重圧を与えているようだ。
「陛下は、未だ誰にも、龍の名を受け継いでおられない」
「大叔父様! それは……!」
椅子から立ち上がったベルナを、彼は手で制する。
「陛下は、今すぐという訳ではないが、まあ良い歳の御方だ。いつ身罷られても、不思議ではない」
私もそうだがと言って、彼は、控えていた使用人によって速やかに用意された紅茶を口に含んだ。
そして、だが一切誰にも龍の名前を告げる気配が無いのだ、と彼は続けた。
「今回の件。アダム、君の行動にも一応の原因は存在するが、それを責める権利は我々には無い」
まいった。
そういう事なら確かに彼の言葉は正しい。
龍の名前の引継ぎでごたごたしている所に、今代の勇者がそれを知ることの出来る可能性のある覇者の塔にノコノコと現れたのだ。
しかも、後続の援護部隊まで到着予定と来たものだ。
連合が、今や世界の敵であるズヌバ打倒の為と大義名分を振りかざしたところで、皇族側からしてみれば何かしらの行動を取らない訳が無かった。
「つまり~、きょ~そ~?」
メルメルの言う通り、これは競争だ。
私とふぇに子、そしてライラ達でやっていたほのぼのレースではない。
皇子の間で、次期皇帝を決めるガチのレースが勃発してしまったのだ。
トロフィーは最上階。
龍の名前を獲得した人物が、次期皇帝を決めることが出来る仕組みだ。
「でも百階に行けた人物は、未だいないのでしょう?」
ナタリアがベルナに問う。
そう。
皇帝の権威が龍の名前に依存し、それが保たれているというのなら、それを知る機会は塔が今のシステムになった以降、一切無かったという事になる。
あれだけ大々的に順位表等を張り出しているのだ。
隠ぺいも不可能だろう。
「ああ、だが歴史を紐解けばそれを成し遂げた人物がいる。しかも、塔が本当に遊びの無い、超大型魔窟そのものであった時に」
そう告げるガルナの瞳が私をはっきりと捉えていた。
「勇者……」
ライラのその一言が全てを物語っていた。
確かに、五十階層を体験してみて私が感じたのはその手ごたえの無さだった。
今の私なら、百階層は現実的に攻略可能かもしれない。
「私は彼らに協力はしないぞ。事が大き過ぎ――くそ」
私の脳裏には、美形な皇子の存在に大喜びしていた、可能性だけはいっちょ前のエロメイド不死鳥の姿が浮かんだのだった。