第六十一話 どういう状況だってばよ。
声に釣られ、会場の殆どの人は反射的に入口の方へと視線を向けた。
そこには声の主と思われる一人の青年が立っている。頭にはターバンを巻いていて、その身に纏うはフカフカの遊牧風の服。
年齢は、およそ二十歳前後なのだろうか。
私の隣りにいるルークは、青年の顔を見て、顔見知りな感じで僅かに眉をひそめた。
青年の登場によってざわついていた民の皆は口を閉じ、そのまま言葉を発することなく彼に注目している。
貴族たちも、何人かは顔を顰めて、大声を上げた無礼な青年を酷く嫌っているように見える。
静寂に支配されている会場の中、青年は不敵な笑みを浮かべ、不遜に一歩を踏み出した。
が、
すぐに別の予想外の人物の声が、短い静寂を切り裂いた。
「許しませんわ、極刑に処しますわ!私が公爵令嬢ヘリミティアだと知っての狼藉ですの?放しなさいッ!無礼者!」
視線を声の方に向けると、青年の後ろに、二人の男に両脇からガッチリ拘束されている女性が見えた。
ん?……あの娘は確か、王宮の庭と政務室の前でルークと修羅場っていた娘、よね……?名前は確か――
「ヘリミティアッ!?」
拘束されているその娘を見て、ルークが驚いて声を上げる。
――そうそう、ヘリミティア。キアロ公爵様のご令嬢ヘリミティア・キアロ。席に座っている貴族たちも彼女が本人だと気付き、一旦収まったざわつきが、再び広がり始めている。
ルークは逃れようと未だに激しく暴れているヘリミティアを見て、視線を青年に戻し、冷たい口調で、
「ヘリミティアを放してもらおうか――ラオリック・フィンガルアイン」
と、青年を見据えながら言った。
――即位した国王の口からその名前を聞いた途端、ざわついていた貴族たちは更に動揺し、血相を変えた。
「ラオリック・”フィンガルアイン”……?」
「……ラオリック、だと?」
「有り得ぬ。なぜそいつが、ここに――」
「衛兵、衛兵は何をしているッ!捕らえよ!」
重罪犯した犯人を見つけたが如く、浮足立つ貴族たちとは対照的に、参加している民の皆は互いに顔を見合わせ、その名前にピンと来てなく、状況を理解できずにいる。
私は、察した。
ルークの反応、貴族たちの反応、状況を鑑みるに、目の前のこの青年は、おそらく――
「全く、せっかくの俺の登場を台無しにしたとはね。つくづくこの女は、なあ、そう思わんか、ルーク」
ラオリックは、背後のヘリミティアをちらっと一瞥し、苦笑しながら懐から一枚の封筒を取り出す。それを見せびらかすようにひらひらとさせている。――招待状?
「その前に、まず彼女を放してもらおう。ラオリック」
ぞろぞろと動き出す衛兵たちに、やめろと手で制すルーク。それを見た貴族たちは、不可解な表情で、『陛下?』と声を上げる。
まあ、それは、そうだろう。
状況証拠での推測だけど、おそらく眼前のこの青年は、西のフィンガルアインの王族に違いない。それも、かなり高位の。
名前が知れ渡っているということは、第一か、第二王子あたりかな。
敵国の王族がいきなりこの会場に現れたんだ、捕らえておきたいのは普通の反応。
しかし招待状を持っているということは、正式な賓客ということだ。捕らえるのは礼節に反する行為だし、無闇に手を出してはまた戦争激化の恐れがある。
「放してぇのはやまやまなんだが……まあ、まず話、しようじゃないか」
まだ暴れているヘリミティアを、苦笑しながらちらっと見るラオリック。しかし、ルークは素直にラオリックの話を飲むことなく、
「駄目だ。彼女を解放しろ。でないとお前が人質を取っているようには見える。招待されて来たんだろ?なら彼女を――いや、そもそも、なんでヘリミティアがお前に捕まっているんだ?」
と、途中で変なことに気付き、ラオリックに質問した。
「お前はいつも紳士的だな。そういうの本当にムカつくぜ。話せば長くなるが……まあ、いいだろ」
ラオリックは指をパチンと鳴らし、ヘリミティアを拘束している二人の男に指示を出す。それを聞いた彼の配下は、ヘリミティアからスっと離れた。
解放されたヘリミティアはラオリックの部下の二人をキッと睨んでから、『陛下!』と声を上げながらルークへと駆け寄ろうとした。
が、ラオリックの横を通り過ぎようとしていたところ――
「おっと焦るなよ?まずは話を聞け」
ヘリミティアその細腕を、ラオリックは手を伸ばし掴んだ。
「放しなさい、無礼者!」
先まで捕らえられていた恨みもあり、ヘリミティアは勢いに任せて振り向き、何の迷いもなくラオリックの頬を平手打ちした。
パチン、と乾いた音が会場に響き渡る。
その行動は一体誰が予想できたのだろう。おそらく頬を叩かれたラオリック本人でさえも、予想していなかったに違いない。
平手打ちで手を放してくれることを期待していたらしく、ヘリミティアは振りほどこうとするが、掴んでいるラオリックの力は緩まなかった。
そのことにまた怒りが湧き上がったらしく、細腕から無礼な男にはもう一発平手打ちを繰り出すが――
「……さすがに二発目は食らわねえよ。あー、本当、この女ァは」
――頬に届く前に、ラオリックにがっしりと掴まれていた。
「なッ!?なんですって……?この女?私を、この女扱いですって?ここに来る途中もあなたは随分と無礼でしたね。いいですか、由緒正しきロンレル王国の大貴族、キアロ家の――ん!?んんんん?」
この女。それを聞いたヘリミティアの目が大きく見開き、これほどの暴言聞いたことがないとでも言いたげな驚愕した表情を浮かべ、口を開き反論するが――ラオリックの部下に、背後から布のハンカチで口を塞がれてしまった。
「なあ、女、なぜ俺がお前をここまで連れてきた。そのことに不思議と思わねえか」
「ん、んんん」
ラオリックはヘリミティアの目を見て、問いかける。しかし口の中にハンカチを突っ込まれていたヘリミティアは答えることができない。
「まあ、黙って見てな」
ニヤリと笑みを浮かべたラオリックはそう言うが、『いや、黙りたくなくても黙らざるを得ないんじゃ、この状態』とやり取りを見ている私は心の中でツッコんだ。
ヘリミティアから視線を外し、ラオリックはくるっと会場の人間を一瞥してからルークに向き直り、両手を広げて――
「ルーク、ロンレル国王に即位したんだって?俺に招待状送るとか余裕あんじゃねぇかこんちくしょう」
「何の話だ?」
挑発するように尋ねるラオリックだが、ルークは小首をかしげる。
その反応を見て、ラオリックは声を荒げ、
「そういう態度がムカつくって言ってんだよぉ!思えば最初にお前と出会ったときもそうだった、お前はいつもムカつく野郎だった。敗者への余裕ってか、俺がお前に負けっぱなしだからってか?」
「そのつもりはないが」
ビシッとルークを指差し、拳をきつく握りしめている。
敵国とはいえ、王族は王族。だがラオリックの見せるその王族らしからぬ行動に、会場にいる皆が戸惑い、困惑の表情を浮かべている。
「そう、それ!その余裕が気に食わねえ。――あれは俺が十五歳の頃……」
あれ、この人、急に語り出した?
「当時は敵国の新しい指揮官が前線へと派遣されてきたなと、じゃあ軽く蹴散らしてやるかと思って出撃したらボロ負け。まあ、所詮は小細工ばかり弄するロンレルだな、と思ってたが。問題はその後だ。あのとき、あのとき、あのときも俺がことごとく撃退された」
その時の光景を思い出しているのだろうか、ラオリックは拳を握りしめ、悔しい表情を浮かべる。
一方、当事者のルークはと言うと、困ったような顔になっている。
「そうなると流石に認めざるを得ん。実力だ。小細工と奸計だけじゃ、俺をあそこまで追い詰めることはできんッ」
なおも過去の話を語るラオリックに、ルークは小さく、困った声で、
「いや……あれはお前突撃ばかりだから」
ぼそっと漏らしたが、
「何だとッ!?――フィンガルアインの勇気を愚弄する気か!ルークレオラ・ロンレル!」
ラオリックは激昂した様子でまたルークを指差し、いきなり大声を張り上げる。
聞こえていたらしい。結構遠いのに。
「ねぇ、ルーク?この人……」
色々察した私は、小声で隣のルークに尋ねると、
「……見ての通り、そういう奴だ」
ルークは肩をすくめながらため息を一つついた。
悪い人ではないということだね。
「それで頭にきた俺は、敵将のお前に決闘を挑んだ。――あれは俺とお前、初対面のとき――俺は思った。こんな体つきがそこそこの男が、あの軍を指揮してただと?ふん、力では俺のほうが上だとわからせてやる」
ラオリックは再び拳を握り、大げさに声を張り上げる。
あ、話まだ続いているんだ。
「だがッ!お前、お前というヤツは……ッ。なぜ俺との決闘なかなか応じてくれん!?」
「お前の決闘の条件がメチャクチャだからだ。俺が勝ったら城門を無条件開けろって」
「それ、普通じゃねぇのか」
「個人の決闘、軍は関係ないだろ。……はあ」
真顔で尋ねるラオリックに、ルークがまたため息を一つ吐き出した。
「ふむ、よくわからんが、まあいい。それでようやく俺の願いが叶え、お前は応じてくれた――」
「応じたというか、お前が毎日城門の下まで来てうるさいからだ。何が『ルークレオラ、俺と決闘しろ』だよ。付きまとわれてしつこかったぞ」
そういうの、ストーカーじゃね?ルーク、かわいそうに。
「つまり俺の熱意に感化されて応じてくれたということじゃないか?応じてくれたはいいが、その決闘の結果。どうなったと思う?」
「お前も当事者だろ、なぜ俺に聞く」
「そういうとこがムカつくんだよぉぉ!わざわざ俺の口から結果聞きてぇのか?言えってか?徹底的に俺を痛めつける陰湿さは変わってないな!じゃあ言ってやるよッ。俺の負けだァ、クソガー」
「別にそのつもりは――」
「そういうとこも、余裕ぶってんじゃねぇよぉ!俺が勝ったら城門開けろと言ったのに、負けた俺にお前は何も求めなかった……ッ!!!屈辱!生まれてはじめてだ、敗者の味を味わったのがな」
「いや、その前にお前が率いている軍隊は俺に何回も負けている」
ぼそっと、ルークが言った。
ナイスツッコミ。
ここに来ては、察しの悪い人でも状況を把握し始めていた。
ルークに止められたこともあり、貴族の大半は事の成り行きを黙って見守っている。民の皆も興味津々で、半ば野次馬と化していた。
併合式に突如現れた敵国の王子様、カチコミだーと思いきや、状況は急展開を見せている。
「正直お前の体つきはそこそこだ。あのとき同じ十六歳でも俺に勝てるとは思えん。だが蓋を開けてみればどうだ?俺の負けだ、畜生」
先のは聞こえてないらしい。それとも聞こえてはいるが反応しなかった?
それとね、贔屓目で見ているわけではないのだけれど、そこそこと評されたんですが、体つきはそこまで差があるようには見えない。というか互角と思います。
どちらかというと、ラオリックさんの力任せの乱暴な筋肉より、ルークのは力強さの中に優しさがあり、しなやかさも併せ持った筋肉です……私は一体何を言っている。
「あの後も、何回お前に挑んでも勝てぬ。なぜだ、筋肉か?筋肉が足りないのか?そんなことはないはずだ」
「お前の剣も力任せの突撃だけじゃ、勝てないのは当たり前だろ……」
ルークのツッコミも、若干やけくそになっている。
「何を言うッ!あんなグニャグニャの曲がった剣、俺の性に合わん!フィンガルアインの男ならば、突っ込め」
開き直りましたね……。
よくよく見ると、会場にいる皆が呆れている中、ラオリックの部下の男二人だけが共感し、ウンウンと頷いている。何、フィンガルアインの人、皆これなの?
「軍を率いてもお前に勝てん、決闘でもお前に勝てん、婚約者もお前のほうが先に見つけた、それどころか、お前は一足先に国王に即位しやがったッ!――この俺を差し置いて」
ビシッと、ラオリックはルークに人差し指を突きつける。
「別に競争していたわけじゃないだろう」
ルークは呆れた顔で返す、が、
「お前は俺のライバルだよぉぉ!好敵手だろ!?自覚を持てぇぇ!」
会場を震わせるほどの大声で、ラオリックは叫んだ。
「勝手にライバル認定するんじゃねえよ」
若干切れた声でルークが反論する。
「そんなはずはないッ!俺はずっと、お前は俺にふさわしい好敵手だと思って、鍛錬を重ねてきた」
うん、会話のドッジボール?これ話通じています?通じているようで、通じていなかったり。
皆はなんとも言えない表情を浮かべ、両者を見ている。
本当、どういう状況だってば。
片方は自国の第一王子、しかもいま即位したばかりの国王。
片方は敵国の第一王子、その敵国の王子が自分の過去を語っている。だがそれは語るにはふさわしくない灰色の記憶。しかし本人はなぜかそれを嬉々として語っている。
その敵国の王子の隣に自国公爵様のご令嬢が捕まっている。
周りの空気など気にした様子もなく、ラオリックは続ける。
「だがな、そんな俺でも、成長はする」
得意げにニヤリ、と白い歯を見せて獰猛に笑うラオリック。
それに対して、ルークは――
「――ほう?お前の口から成長という言葉が聞けるとはな」
すごく驚いた顔で答えた。
「俺を馬鹿にしているのかッ!ルークレオラ・ロンレル!!!」
案の定、ラオリックは大声を上げて吠える。
だがそんな彼を見ても、ルークは、
「いや、本気で驚いた」
真顔で返事した。
「ふんッ……調子に乗っていられるのも今のうちだ。俺は言ったよな?俺はお前に負けっぱなし……”だった”と」
その言葉の意味を察して、ルークは小さく眉を吊り上げ、
「……どういう意味だ?」
警戒しながら問いかける。
「なぁに、別に難しいことじゃない。俺は言った。お前に負けっぱなしだと。――そう、軍隊も、決闘も、婚約者も、即位も、全てだ。――だが、一つまだ”負けてない”ものがあるンだゼ?」
敵将の首を捕らえたような、勝ち誇った笑みをラオリックは浮かべ、ルークに向かって、会場にいる全員に向かって――
「ラオリック・フィンガルアイン――フィンガルアインの第一王位継承者がここに、宣言する。俺はヘリミティア・キアロを王妃とする」
またもや、会場の隅々まで届くぐらいの大声を上げた。
「な――」
その宣言を聞いて、ルークと、
「――に?」
まさかいきなり自分が指名されるとは思ってもみなかった公爵令嬢ヘリミティアが、驚いた声を漏らす。
ラブコメということはお忘れなく。
文字数が増えたので分割です。予定していた話数も少し増えます。




