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第五十七話 Q 貴女のお名前は?




 それから――。

 次期王妃となるメーフィリア・ウールリアライナと、次期国王ルークレオラ・ロンレル二人の結婚式の招待状は、沢山の人に届いた。その中には、メーフィリアの両親も含まれていた。


 王都から遠く離れた南の辺境領地、その領地の中心にある大きな領主屋敷の中に、窓際に立ち、外の風景を眺めながら、一人の中年の男がため息をついていた。

 温和で優しそうで、しかしどこか頼りなさそうで、心配になる雰囲気を漂わせているその男は――


「あなた?またため息ついて……」


 背後から呼ぶ声に、その男――ドルイエ・ウールリアライナは振り返る。


「フレイシア……仕方ないだろう、メーフィがまさか本当に次期王妃になってしまうとは」


 ドルイエは、妻フレイシアを見て、困った表情を浮かべた。

 自分のような辺境貴族、その娘が次期王妃なんて、正直かなり困惑している。


 今となってはすっかり忘れられているかもしれないが、王国の歴史書を開けば、二代目国王の時代からウールリアライナという貴族に関する記述が見つかる。

 もう、二百五十年以上前になる。その時から領地を持っているウールリアライナだが、野心がないゆえに王国の表舞台から徐々に忘れ去られていった。


 妻のフレイシアだって、元平民だ。


 自由恋愛の末に領民の妻と結婚し、領地は辺境だが領民に恵まれ、皆いい人ばかりで、生活ものんびりで悪くない――そんな生活を過ごしていたら、突然娘が第一王子の婚約者に選ばれた。


 国王への挨拶や謁見なんて、何十年に一度くらいの辺境貴族、その娘が次期王妃。

 最初は冗談だと思っていた。おそらく陛下は何か理由があり、自分の娘を一時的に借りているに過ぎないだろうと考えていた、が――まさか本当に結婚するとは。


「ああ、駄目だ、おしまいだ……」


 思わず頭を抱える現ウールリアライナ当主ドルイエ。


 自分のような田舎者が、貴族たちの権謀闘争について行けるはずもない。特に今貴族の頂点のキアロ公爵様は、辣腕のやり手だと噂されている。そんな貴族たちの場に、自分がいるとどうなる?きっと成す術もなく、一口でパクッと行かれてしまうに違いない。


「しっかりしなさい。メーフィの結婚式で、情けない姿見せてどうするんです」

「フレイシア……」


 妻は鼓舞してくれているが、結婚式の招待状を受け取ったときから冷や汗が止まらない。


「でも、お二方は招かれていますよ?」


 突如、短いノックの後に部屋の扉は開き、爽やかな笑顔を浮かべながらディランが部屋に入ってくる。

 見せつけるように、何かを掲げている。招待状だった。


「実は商隊にも届いています、招待状。さすが全員行くわけにも行かないから、私が代表で出席します」


 楽しそうに笑顔を見せるディラン。


 全員、は無理でしょうね、ドルイエは思った。

 視線を窓の外に向ければ、そこにはすっかり様変わりしていた領地の風景があった。


 ディランたちがウールリアライナを商売の中継地として運用し始めてから、様々な施設が新たに建てられ、人の出入りも増え、今じゃもはや田舎領地とは言えない繁栄っぷりを見せている。

 メーフィが今のウールリアライナを見たら、部屋どころか家を間違えたような反応を示すだろう。


「行きますよね、式」


 もう待ちきれないような笑顔を浮かべ、ディランが楽しそうに尋ねる。


 本音を言えば、行きたくはないが、行かないわけにも行かないというのが正直なところ。


 なぜなら――届いたのは結婚式の招待状だけれど、実際招かれている理由はルークレオラ第一王子の即位式だった。

 貴族として数えられている以上、出席必要がある。……それだけなら良かったんだがな。


 結婚式の出席に思いを馳せている妻フレイシアとディランを見て、拒否権がないと分かっているドルイエはまた一つ、溜息を零した。





 王国全体が即位式と結婚式に向けて、忙しく騒がしくなっている中に――ロンレルとフィンガルアインの国境を、夜の闇と混乱に乗じて越える二つの影があった。





 ――その翌日。


「……」


 前方、クリア。後方、クリア。人影ナッシング。


 目標地まで、およそ千メートル。


 巡回ルートを確認、時間を確認、オールクリア。繰り返す、イーグルは飛び立った。イーグルは飛び立った。アルファ、ブラヴォ、デルタチーム、ポイントにて待機、繰り返す、合流予定ポイントにて待機……って、そんなのいないわよ。


 厳重な警備に守られていた王宮の区域、その広々とした廊下に、人の目を盗んで移動している人間が一人。


 侍女の服を着ていて、脇に小さな包みを抱えている。


 私です。


 巡回する衛兵に見つからないように、今は全神経を動員している。

 流石に厳重な警備と保証されるだけあって、そのセキュリティの穴を見つけるのにかなりの時間を要した。

 でも私にかかれば、造作も無いことだと知りなさい。偉大なる脱出令嬢の名は伊達じゃありませんわ。


 え、何しているかって?そんなの……脱走に決まってるじゃないッ!


 何ということでしょう、結婚式を数日後に控えていた花嫁が逃げ出した。一大事だ。……じゃなくて、今更怖気付いたとか、やっぱやめようかなとか思ってたり、そういうわけじゃないが。


 まあなんていうか、厳重な警備って見ると、破りたくなるのは人の性じゃない?なんて。チャレンジーしたくなるっていうの?燃えるッ!つーの?とにかくワクワクするってさ。


 こんな厳重な警備を前に、挑戦しないようじゃ脱走令嬢の名折れじゃない?なぜ人は山を登るのか……そこに山があるからだよ。


 だからね、レッツ脱走。


 正直言うとね、今まで対峙した相手の中で一番手強かったわ。褒めてあげるわ。

 衛兵の巡回ルートと時間、速度、頻度、交代のタイミング、人の出入り、侍女たちの性格、ありとあらゆる情報を収集して、緻密に計算し、予測とシミューレートを繰り返した末に、つい私は辿り着けた……!誰にも見つからずに脱走できるルートを、見つけ出したわ。


 あーしんどー。


 今すぐ甘いものほしい。糖分がほしい。王宮を出れば食べ放題だわ。ジュルリ。

 結婚前だからダイエット?甘いもののためならば、魂だって悪魔に売りますわ。


 目標ポイント――脱走用の窓に到達した私はそれをぱかっと開け、


「WING OF FREEDOM!」


 自由の大空へと、身を躍らせた。





 白状しよう。

 たしかに脱走したのは、純粋にチャレンジーしたかったのが主な原因だけれど、満足に出歩けないのも一因。


 警備厳重ということはつまり、自由があまりないということだ。

 別に行動が制限されているわけではないが、部屋から出るとすぐ近くに衛兵がいて、気が休まないというか。


 ペコっと笑顔で頭下げると、衛兵たちは困惑の表情を浮かべるし、対応に困っているのが伝わってくる。上下関係って難しいわ。


 だいたいね、こんな田舎娘そんな大人数で守る必要は……これも全て、次期王妃の肩書が悪い、あ、聖女も。


 何よりエリンが、毒殺事件収まったから侍女の食べ物はもういいですよね?と悪魔のほほ笑みを浮かべ、こっそり運んでくれなくなった。私は悲しい、絶望デス。


 更にひどいのは、毒殺事件とその後の聖女騒動で、何ということでしょう、私の顔が大キッチンと庭師の皆……それどころか、城に勤めている殆どの人にバレた。


 シット。


 えぇ、おかげさまで脱走の難易度が何倍も跳ね上がりましたわ。ファ○ク。

 だがそんな条件の中でも脱走を果たした今なら、そう、今なら脱走史において、おそらく歴史上でも数人しか到達できなかった偉業を成し遂げた女と言えよう。

 ナンバーワンじゃなくて、数人ってとこに微妙なショボさが滲み出ているが、気にせず久々の王都を楽しもうと思います。


 というかお菓子を補充したいです。……その前に、


「クルッドさん。お久しぶりです」


 王都の一角で店を営んでいるクルッドさんを見つけ、笑顔で挨拶する。

 私の来訪を予想してなかったのだろう、クルッドさんは驚いて、一瞬固まる。


「……お、おおう。久しぶり。元気してたか」

「はい。おかげさまで。それでですね、今日はまた服を売りに来ました」


 また作っちゃいました。えへ。


「いや、それはいいが……俺、もう王都を離れようと思うんだ」


 申し訳無さそうに頬をポリポリと掻いているクルッドさん。


「え、なんで……?ラルア商会になにかされたんですか」

「そうじゃねぇ。……まぁそれもあるが、妻と一緒に行商に出ようと思ってるんだ。今がチャンスな気がする。知ってか?北から商隊が来てるんだ。人員募集中ってな。せっかくだから、いろんな大陸を回って見聞を広めようと思う」


 あー、ディランたちね。


「へー、というか奥さんいたんですか。おめでとうございます」

「何に対しておめでとうなんだよ。ったく。まぁそういうことなんだぁ。せっかくだし、陛下の即位式見てから出発しようかと思ってる」


 ニカッと笑うクルッドさん。


「そうですか?寂しくなりますね……え?」

「何言ってる。行商ならたまには戻ってくるさ。そんときゃ会いに来いよ。土産話聞かせてやるよ。あ、そうそう、ルークレオラ陛下の即位式、お前も見るんだろ?今回は特別だしな、即位式の後に次期王妃との結婚式だぜ」


 うん、見るというか……当事者なんですぅ。


「いやぁ、次期王妃ね、どんな人か見てみたいもんだ」

「あ、あはは」


 黙っておこう。


「実は最初、次期王妃に関する悪い噂かなり流れてるんだぜ?そんときは、王子様をたぶらかしたクソアマだって思ってたんだが、悪い噂がだんだんエスカレートしていき、『暴政を敷く女帝』だの何だの、んじゃおめえの顔拝んでやるかって逆に興味が湧いたんだぜ。その後は別の噂が流れ始めて、『三階から飛び降りる』とか、『森の動物に話しかける』とか、別の意味でまた興味が湧いた」


 どーも、クソアマでーす。そして噂が微妙に変わっている。そんなことで興味湧かないでください。


「えぇと、次期王妃の顔なんて、別に見なくてもいいんじゃないかな、なんて」

「何を言う、あんだけ騒がれてたからな。拝みてぇ奴らはいっぱいいるぜ、国中から集まるさ」


 ヒーっ。来ないでくださいお願いします。


「色んな意味で人気者だな、次期王妃様」


 腕を組み、しきりに頷くクルッドさん。そんな人気いりませんわよ。今でも遅くはない、次期王妃の顔を見たら死ぬ噂を流しておく?


「まぁ、楽しみにしとけ。一緒に次期王妃の顔を、拝もうぜ」


 パンと私の肩を叩き、晴れ渡る青空のように爽やかに笑うクルッドさんだった。


 引きこもりたいですわ。





「対策を考えねば」


 たくさんの食べ物が入っている紙袋を抱えながら、私は事態の深刻さに頭をひねる。

 いい意味でも悪い意味でも、人気者の次期王妃の尊顔なんて、見られるのは絶対阻止せねば。


 一体どこで踏み外したのだろうね、と自問せずにはいられない今日この頃。人生って不思議ですわ。


 顔を隠しながらの結婚式……はどう考えてもアウト。どこにそんな花嫁がいる。

 いや?そもそもウェディングドレスをちょこっとイジれば……?案外ありかも?


 色んな案について検討していると、王都の中でデートスポットとして有名な石造りの橋が見えてきた。


 橋の先は王城へと続く道だからだろう、周囲の一般人は疎らで、まだ夕暮れなのにどこか静謐さを帯びている。

 その橋の上で、石の手摺りから身を乗り出して、水面を眺めている少女がいた。


 なんだろうと思い、視線の先を辿るが、何もなかった。どうやらただ下の川を見ているだけのようだ。

 しかし、よくよく見ると少女の視線は水面だけではなく、手に握っているものにも向けていた。

 なにか握っている?あれは……。


 そのとき。突然一陣の風が吹き、


「あっ」


 少女の握っていたものを、その手から掻っ攫った。可愛らしい声を漏らし、慌てて掴もうとするが時はすでに遅し。


 風に乗り、高く舞い上がるそれは――ミサンガだった。


 体は自然と動き出していた。

 紙袋を放り出し、駆け出す。タッと、自慢の俊足で一瞬で距離を詰め、何の迷いもなく手摺りを越え、飛び出し、空中にいるそれを掴んだ。


「あっ」


 空中の私を見て、少女の口からまた声が零れた。


 重力の束縛から逃れるはずもなく、法則に従い私は――ザップン――川に落ちた。着水した瞬間濡れないように、空に向かって手を伸ばし、ミサンガを水から守った。


 濡れていないのを確認し、岸に上がる。と、足音が聞こえ、目を向けると先の少女が慌てて駆け寄ってきている。


「大丈夫ですかっ」

「ああ、大丈夫、ホイ」


 濡れてないのを再度確認し、彼女にミサンガを手渡す。


「ありがとうございます。でも、本当に大丈夫でしょうか。びしょ濡れですが」

「うん、大丈夫。このくらい」


 このくらい、故郷ではよくあるって言おうとしたら、


「いけません。風邪引きます。それに、その……あの、私のお家すぐそこなので」


 意思の強そうな瞳で、見つめてきた。

 さっきは遠いからよくわからなかったが、年齢はエリンと同じくらいだろうか。顔は整っていて、まだ幼さが若干残るが、それが逆に可愛さを演出している。髪の色は金で、ロング。


「それに、その……」


 自分のせいで、目の前の人が風邪を引いたらどうしよう、そんな視線で私を見つめる少女。

 しかし、何故か見つめる視線は少し泳いでいる。気のせいかな、少女の頬も少し赤くなって……。

 彼女の視線につられて、その先に目を向けると。


「ッ!?」


 慌てて自分の体を両手で隠し、


「えーと、それじゃお言葉に甘えて……」


 顔が赤くなりながらも、なんとか声を絞り出せた。

 それを聞いた少女は、パァッと顔を輝かせて、うんと頷いた。


 いっけない。気付かなかったわ。

 川に落ちて、濡れた服がピッタリと張り付いてて、体のラインが丸見え。


 少女はそれが言いたかったのね。故郷では普通に川で遊んでも、どうせ誰も来ないから気にしてなかった、けどここは王都、人の数はウールリアライナとは比べ物にならないことをすっかり失念していた。


「それでは少し待ってくださいね、馬車を呼びます」

「はあ……」


 そう言って、少女は小走りで橋の上に戻った。

 馬車、ね。確かに物静かで、育ちの良さを感じる。どこか良家の娘なんだろうなとは思っていたが、馬車となると、もしかしてどこかの富豪の娘さんかな。


 待つこと数分、彼女は私に手招きをし、馬車が来たことを伝える。同時に私の姿が通行人に見られないように、うまく気を利かせて馬車を止めた。


 馬車の前で待っている少女は私に紙袋を手渡す。拾ってくれたようだ、ありがとう。


 私と少女が馬車に入ったのを確認すると、御者は馬車を発進させた。

 心地いい揺れを感じながら、まだ頬が若干赤い少女に礼を言う。


「ありがとうね、気を利かせてくれて」


 真正面から礼を言われると、彼女は若干照れた様子で頬を綻ばせながら、


「いえ、礼を言うべきなのはこちらです。本当にありがとうございます」


 ペコっと頭を下げた。


「大したことじゃないけどね、気にしないで。どちらかというと、えーと」


 そう言えば名前……困っていると、少女は顔を上げ、柔らかい笑みを向けてきて、


「リリアライリ、です。長いので、リリアと呼んでもらって構いません」


 と名乗ってくれた。


「そう?じゃあ、リリア……ちゃん。そのミサンガ……」


 馬車に入ってからも、リリアはずっと手の中にあるミサンガを眺めていた。さぞ大事なものだろう。


「はい、おかげさまで。本当助かりました。あのまま川に落ちていたら、どうしようかと思いました」

「あの川の流れ、早いもんね」

「ええ、ですので、本当に、ありがとうございます……これは、私にとってとても大切なものです」


 ペコペコと頭を下げるリリア。


「大切なもの?」

「えぇ、小さい頃、お兄様から頂いたものです」

「へ~、妹にミサンガか」

「フフ、そうですね。お兄様は普段は全然そう見えないのに、もらったときは驚きました。それに、これはお兄様からの、最初で最後のプレゼントですから」

「え」


 もしかして、地雷踏んだ?


「誤解しないでくださいね、生きてますよ、お兄様」


 ああ、良かった。クスクスと柔らかい笑い声を漏らして、リリアが続けた。


「お兄様たちは、多忙です。私もそうですが、なかなか会えません」


 へー、まあ、富豪の娘ならそんなもんか。


「何年前に、前線へと赴かれました、お兄様が」


 軍人さんかな?大変だね。


「その時からすでになかなか会えませんでした、今回も、お兄様が結婚と聞いて、久しぶりに帰ってきました」

「おめでとう」

「いいえ、それについてですが、お兄様の結婚相手、とんでもない悪女と噂されています。私、心配です」

「どんな人?」

「そ、それは、口にするのも憚られるような、恐ろしい方だと。噂によりますと、何でも閨事でうまく男を取り込んで……」


 リリアの顔は赤くなり、音量は徐々に小さくなっていく。

 私も、内容については察しが付いているものの、免疫がないため二人して赤くなっている。


 話題と気まずい空気を変えるべく、


「そうだ、リリアも食べる?」


 紙袋に手を伸ばし、中からお菓子を取り出す。


「そんな、行儀悪いです」

「そう?じゃあ――」


 お菓子をリリアに見せつけるように、パクっと食べる。


「あっ」


 声を小さく漏らし、リリアが羨ましそうに見ていた。


「ん。このふわとろな食感、たまらないわよね。外はサクサクで中はトロトロ」

「ひ、一口なら」


 計・画・通・り。

 恥ずかしそうにしていながらも、お菓子の魔力と誘惑に抗えなかった純粋無垢な少女を前に、私はにやりと笑みを浮かべた。





 結局、二人で楽しく大量に買ったお菓子と食べ物を平らげた。


「うまい」

「ごちそうさまでした」


 両手を合わせ感謝の祈りを捧げるリリアを見て、感心する。

 さすが良家のお嬢様、食後のマナーも欠かさない、ただぺろりと唇を舐める私とは天と地の違い。

 しかし何を思ったのか、リリアは突然フッと吹き出した。


「なんだか豪快な食べっぷりですね、尊敬します」


 うん?褒められている?返答に窮していると、リリアは、


「お母様みたい」


 と、クスクス笑いながら言った。が、すぐに首を小さくかしげて、


「あ、でもちょっと違いますね。そうですね、お姉様と言ったほうが正しいかな?えーと」

「フィリア」


 流石に本名を名乗るわけには。数日後に皆の前で処刑、ゲフン、結婚する人が。


「フィリアさんは、私のお母様と似ています。顔ではなく、性格です。お母様もこんな感じでした。子供の頃から」

「分かる、私のお母様も――ん?」


 不意に視線を外に向けると、そこには見慣れた風景――どこかの王宮の景色が広がっている。すでに門を潜り、厩舎へと向かっている。あ、あれ?


「ねぇ、リリア?この馬車、どこに向かっているの?」

「あ、もう着きそうですね」


 もう、着きそう。その言葉に、冷や汗がダラダラと流れる。

 そして、終わりを告げるように、厩舎に到着した馬車が止まり、ドアが開かれる。


 リリアは、優雅に降りた。

 その向こうに、馬車を出迎えるように、聞き慣れた人の声が響いてくる。


「リリアライリ様」


 宰相様の声だった。

 リリアは声の主に小さく一礼して、振り返り、馬車の中にいる私に、


「申し遅れました。私、リリアライリ・ロンレルと申します。ロンレル王国の第一王女です。なかなか言い出せなくて、申し訳ありません――フィリアさん?」


 ヤバい。

 何がヤバいって?今私は脱走中。宰相様に見つかったら。


「おや、リリアライリ様、お客様ですか?申し遅れました、私はヘンリック――」


 見慣れた顔の中年男が、馬車の中を覗き込んで――私の顔を認識した瞬間、言葉がピタッと止まり、三秒ほど固まって、表情は笑顔から、眉を寄せ若干顔を顰め、また笑顔に戻り、まるで久しく会えていなかった旧友を出迎えるような声で。


「――メーフィリア様、こんなところで何しているのでしょうかね」


 目は、笑っていなかった。




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