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第五十一話 ヒーロー




 犯人の男は姿勢を低くした――そう認識した瞬間、まるで双方に距離が最初からなかったかのように、手を伸ばせば触れそうなところまで迫ってきている。


 ――疾い。

 幸い最初から警戒していたおかげで、ギリギリに反応できている。間合いがメチャクチャだけど、今はそんなの気にしていられない。


「エリン、離れて!」


 口に出したのと同時に、体を捻って回し蹴りを繰り出す。伸びてきたナイフの下をくぐり、男の体に命中した。

 相手は長身の男でナイフを持っているが、リーチの長さではギリギリ私の足に及ばなかった。


 が、相手はかなりの手練ということは、あの滑らかな距離の詰め方を見て本能で分かった。

 そして男である以上体格の差もあり、相手の速度を利用してカウンターのような形の蹴りを食らわせても、動きが一瞬止まっただけですぐにまた距離を詰めてきた。


 当然、私も無策ではない。


 追撃が来ることなんて最初から分かっている、蹴りを食らわせてすぐに後ろ――ベッドのところまで下がった。


 正直エリンを守りながら凌ぎ切れる自信はない。男が手練だとなおさらだ。


 私のやるべきことは最初から一つしかない。時間を稼いで、皆が来るまで持ちこたえること。


 男はなおも凄まじい速度で迫ってきている。伸びてくるナイフは正確に私の心臓を捕らえている。


 ――正確すぎた狙いが仇になったな。

 私は不敵にフッと笑いを漏らし、後ろ手に掴んでいたシーツをバッと広げた。


「!?」


 突如目の前に広がった純白の色。

 犯人の視界は白に染まり――殺すべき目標を一瞬見失う。


 それでも、彼は記憶を頼りにし、直前に目標がいた場所へそのまま前進する。

 暗殺を生業として数十年やってきた彼にとって、瞬時の反応は大して問題にはならん。考えなくても体は勝手に動いてくれる。


 ――それこそが、付け込む隙となる。


 一面の純白が遮ったのは犯人の視界だけ――ではなく、同時に私の視界も白く染まっている。

 しかし、心の声のおかげで、私は犯人の位置と距離が簡単に分かり、そこに――


「――は!!!」


 胴体を確実に捉えた正拳突きを繰り出した。


「ぐ!?」


 シーツの幕の向こうから飛んできた拳を食らい、犯人がくぐもった声を漏らす。

 だが数十年のベテランの彼は動じることなく、逆に攻撃位置から目標の場所を割り出し、そこにナイフを突きつけた――が、


「えい!!!」


 止まることなく次へと繋ぐ。

 私は姿勢を低くし、渾身の前蹴りを放つ。


 上体を後ろへと反らすことによって、シーツの向こう側から迫ってきた凶刃から距離を取ることに成功している。


 一度目の正拳を食らって犯人の体は強張り、僅かに硬直した。

 強引に攻撃をするも当たらずに空振り、その反動でさらに硬直している。

 トドメとばかりに私の渾身の前蹴りを受けて、崩れかけていた体勢はついに耐えきれなくなり、犯人は受け身を取るのもままならなく、小さくうめき声を漏らしながら、たまらずに後ろへと吹っ飛んでいった。


 幕を下ろすように、両者の視界を遮っていた純白のシーツが、はらりと床に落ちる。


 一連の攻防で、犯人が頼りにしているのが何十年も鍛えてきた戦闘勘と身体能力ならば、私は犯人の意表をつける心の声と感情を読める力。


 しかし――。それでも劣勢は覆せなかった。


 犯人は体格差を利用し、空中に浮いている間体勢を整え、よろめきながらもなんとか着地に成功した。


 だがそこに――


「やあ!」


 ――エリンが待ち構えていた。

 着地の隙を狙い、犯人へと長い棒を突き出す。よくよく見たら部屋に飾っている王国の国旗だった。


「!?」


 驚きは誰のものか。おそらく私と犯人の双方だろう。


 犯人の男はさっきの攻防戦でも見せなかった驚愕の表情を浮かべ、狼狽していた。ヤツは自身へと迫ってくる攻撃を避けようとしたが、着地の硬直がまだ残っている為それができなかった。


 普段では決して食らわないような一撃を――モロに受けた。


「ッぐ!」


 倒れた。今度こそ。犯人が。

 私はと言うと、まさかエリンに棒術の心得があるとは思わなかったので、呆然と見ていた。


「……エリン?」

「え?あ、えーと、ごめんなさい、不敬なことは承知していますが、緊急時なので……」


 尋ねると、申し訳無さそうな表情を浮かべるエリン。緊急時とはいえ、国旗を乱暴に振り回すことにかなり抵抗がある様子だ。


「いや、助かった。これならなんとかなりそう」


 だが私にとっては好都合だ。さっきの一撃を見る限り、それなりの実力を持っていることは確か。これならルークと皆が来るまで持ち堪えられそうだ。

 色んな意味で思わぬ伏兵だったわ、私にとって、敵にとっても。


「私の故郷は対フィンガルアインの前線領地なので、盗賊がたまに出没します。それで護身のためにお父様が。一応、盗賊二人倒したことがあります」


 照れながら話すエリン。可愛い。


「それは頼もしい。給料倍にするわ」


 まあ、目前の危機を切り抜けられたら、の話だけど。

 軽口を叩きながらも、追撃のチャンスを窺っているが、その前に起き上がった。


 犯人は転がっているナイフを拾い上げ、付着している埃を払う。


「厄日か。目標に体術の心得があるのはまぁいい。問題にならんが、いかにも優しそうな侍女までもそれなりの実力者とはなぁ。はぁ。割に合わんなぁ」


 そう言って、彼は顔を上げ真っ直ぐに見つめてきた。

 そして、懐からもう一本のナイフを取り出し、


「じゃあ本気で行くぜ」


 全身から凄まじい殺気を放ちながら宣言した。


 今まで本気じゃなかったのかーい!


 ナイフを構え、ヤツが一歩、私へと踏み込む。


「え、えい」


 その前進を止めるべく、エリンがヤツの顔面へと突きを繰り出す――が、ヤツは僅かに首を反らすだけで正確に躱していた。ウッソ。


 更に――すかさず頭の横を通った棒を、二本のナイフをシュッと上下から綺麗に切断した。


「え」


 エリンは目を丸くさせ、


「え」


 私はあまりにも滑らかな流れを見て、二人して声を漏らした。


「所詮は木の棒、切ってしまえばどうということはない」


 そう言って、ヤツは前進を止めない。


「メーフィリア様!――キャア!?」


 旗を捨て、体で止めようとするエリンだが、近付いた彼女を犯人が蹴りを放ち、吹っ飛ばした。


「エリン!」


 私は床に倒れている彼女を見て、叫んだ。が、


「他人の心配をするとは余裕だな、お前」

「――ッ!?」


 まるで耳元で囁かれたような音量に、反射的に飛び退いた。

 その直後、目の前に閃光が通り過ぎる。


 後ろへ下がるも、男の重く響く足音は直ぐ側まで来ていることを告げる。


 いちいち確認する余裕もなく、さらに下がる。――のと同時に首筋に風を感じた。冷たい金属が巻き起こした風が。


「いつまで持つかな」


 男は楽しそうに言い、二本のナイフが急所を狙い、追いかけてくる。

 それを必死に避け、


「キャ!?」


 突然足が何かに当たる感触を感じ、バランスを崩し盛大に転んだ。直前立っていた位置に、ナイフの刃が虚空を切り裂いた。


「運がいい」


 男は感心したような声で褒める。


 私はそのまま転がり、


「いたっ」


 ベッドにぶつかって止まる。


 体のあちこちが痛いが、気にしている場合ではない。彼の言う通り、転ばなかったら終わっていた。どの道それ以上避ける体力はもうない。


 最後の力を振り絞り、顔を上げて犯人を見据えた。


「お前はよくやったよォ。じゃあ死――」


 男は刃を、私へと振り下ろそうとし――


「キュ!!!」


 ベッドの下に隠れているキュウちゃんが飛び出し、体当たりを食らわせる。


「――ッ!?」


 不意を突かれ、キュウちゃん全力の体当たりを食らう犯人。数歩下がり、よろめいてしまう。


「キュキュウキュウ」


 キュウちゃんも距離を取り、威嚇するように吠えた。が、いかんせん鳴き声が可愛いので、全然威嚇には見えない。


 もちろん、今更キュウちゃんが体当たりを加えたところ、犯人の男は痛くも痒くもないが、キュウちゃんの姿を見て、一瞬犯人の動きが止まる。


 時間にしてはほんの僅か、数秒に過ぎないが――。


「メーフィッ!」


 十分だった。


 部屋の扉は蹴破られ、ルークと皆が一斉に入ってくる。




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