第四十六話 毒の前に餓死しそうなんですぅ。
――自分の大切な友達は気を失い、倒れた。
「……メーフィリア様?」
突然の出来事に、エリン・パールティスの頭は真っ白になっていた。
慌てて彼女の体を揺すってみたが、反応はなかった。
普段のメーフィリア様の性格を考えると、自分を驚かすための行動という可能性は無きにしもあらずだが、何故か本能は激しく警鐘を鳴らしている。
不安が拭い去れなく、友人の体を揺する手は激しさを増していく。まるで的中だと告げるかのごとく、激しく揺すっても、彼女は一向に起きる気配を見せない。
「……メーフィリア様?」
呼びかける声と手は震え、動悸が止まらない。
これは、ヤバい。
頭は依然として真っ白のままだけれど、不思議と体は自然と動いた。
部屋を飛び出し、廊下であらん限りの声を上げる。
「誰かっ!」
しかし、周辺はシーンと静まり返っていた。
叫んでから、エリンは思い出した。
貴族の中では未だにメーフィリア様の出自に嫌悪感を抱く者が多く、そういった貴族の顰蹙を買わないためにも、専属の使用人や侍女たちはおろか、近くを巡回する衛兵も配置されていない。
殆ど冷遇と言ってもいい状態。
その理由は――次期王妃にふさわしい扱いを受けていなければ、とやかく言いたくても言えないだろうという宰相様の配慮が、ここで裏目に出た。
エリンは自分の唇を噛み、全力で駆け出す。
時間がない。
突然倒れるなんて、普通なら絶対にありえないことだ。だから早く誰かを呼ばないと、メーフィリア様の命が危ない。
それなのに、王宮の廊下は長く、果てしなく感じる。
闇雲に走り回っても駄目だ、今一番頼りになりそうな人物は――ルークレオラ王子が真っ先に浮かんだが、どこにいるのかわからない。
となると、宰相様だ。
幸い、メーフィリア様の身の回りの世話を任されている自分は、宰相様と接触する機会が多かった、そのおかげでこの時間彼がどこにいるのかを知っている。
全力で廊下を走っていると、侍女たちや使用人、衛兵に奇異な目を向けられるが、構っていられない。
もうすぐ宰相様の政務室だ。
「――ハァ、――宰相様ッ!」
扉を乱暴に開け、室内に入る。
政務について議論中なのだろうか、室内は宰相様の他に数人の貴族が座って話している。
取り乱した様子で部屋に入ってきた私を宰相様は一瞬だけ眉をひそめ、しかし緊急事態だと察したのだろうと、咎めることもなく尋ねてきた。
「何用だ?」
私は、
「メーフィリア様が大変なんですっ!!!」
あらん限りの声で叫んだ。
あれから数十分。
普段は私とメーフィリア様二人しかいないこの部屋、今は十数人が中にいる。
慌ててやってきた第一王子は、居ても立っても居られない感じで、メーフィリア様を診ている初老の宮廷医師の様子を窺っている。
やがて、初老の医師の診察は終わり、深々と長い息を吐いた。
「確認します。一口飲んで、すぐ倒れたのですね?」
「はい……」
私に質問した医師はまた深く息を吐き、おすすめされ持ってきたお茶を注意深く観察し、匂いを嗅いだり、薬で色々試したりしている。
見ていることしかできない私には、その時間がまるで永遠のように感じた。
そして――不吉な予感は的中し、あざ笑うかのように、宮廷医師は私が一番聞きたくない答を、告げた。
「非常に申し上げにくいことですが、…」
宮廷医師が言うには、この毒は大変強力で、一口啜っただけで死に至る。
自然治癒のケースは今までゼロ、普通の解毒剤は一切効果ない、唯一の手は、使われたクオドゥルの毒と全く同じ量の毒を使って調合した解毒剤。
この毒を受けた人間は以下のような特徴が見られる。
最大の特徴、ただ眠っているだけに見える。しかしいくら呼びかけても、体に衝撃を与えても目を覚まさない。
次の特徴は、無事で健康のように見えるが、勘違いしてはいけない。猛毒に侵されていることは確かだ。
三つ目の特徴は、年齢と性別、体重によって個人差あるが、今までこの毒を食らった人は皆、漏れなく一週間以内に亡くなっている。
他にも色々あるが、それを考えても意味がないことは、自身が一番分かっている。どの道今のままだと、メーフィリア様はあと三日で死ぬ。
涙がまた一滴、頬を伝い、友人の体を覆っているシーツの上に落ちていく。
今回の騒動で、真っ先に毒殺を疑われたのは他の誰でもなく、自分だった。当然王子様と宰相様は、私を信じてくれていた。
それはありがたいことですが、今はメーフィリア様に助かって欲しい思いで頭いっぱいです。
効果がないと言われているが、気休めにはなるだろうと思い、タオルをメーフィリア様の額に乗せた。
と、
「くしゅん」
眠っているメーフィリア様が小さくくしゃみをした。
「メーフィリア様、大丈夫です、きっと助かります。エリンはここにいます、陛下も、宰相様も、皆、頑張っています」
ぎゅっと、メーフィリア様の手を握る。
だから、死なないでください、お願いします。
分かっている。分かっているんだ。目を覚ますことなんてない。解毒剤を服用させない限りは。なのに、今のくしゃみを聞いて、本当にメーフィリア様が無事のように思えて、涙がまた溢れ出す。
なんて残酷な毒だ、とエリンは思う。
「メーフィリア様……ッ……」
ハンカチで涙を拭う。その時だった。
メーフィリア様のお腹が、ぐうぅっと鳴った。
エリンがまた、大切な友人は本当は無事という錯覚に囚われて、心がえぐられるような思いだった。
が、
「お腹ペコペコで死にそうだぁ……」
唐突に、ベッドで横たわっているメーフィリア様が喋りだした。
涙で見えないが、きっと幻聴でしょう、とエリンは思った。
「起きていい?キュウちゃん?」
「キュ?キュウッ」
しかし幻聴はなかなか消えない。それどころか、今度は神獣様の幻聴まで聞こえた。
「ねえ?エリン?」
つい、『はい、何でしょうか、メーフィリア様』と返事してしまいそうになるが、ぐっと堪えた。
頑張るんだ、私。友人を失いそうになっているからって、幻聴に負けてはいけない。メーフィリア様が好きだからって、それは一時の幻であり、身を委ねては悲しくなるだけだ。
「大丈夫です、メーフィリア様。エリンは幻聴に負けません。頑張るのです」
そう言って、再びハンカチ涙を拭おうとしたとき――。
「だから死んでないだってばっ!」
顔が左右からむぎゅーされた。
長くなったので分割。




