第四十話 結婚式に向けて
自室で椅子に座りながらボゥーと鏡を眺めている。エリンは後ろに立ち、私の髪を櫛で梳いている。
『好きな人に逃げられたら』『目の前にいる』『俺は、お前のことが――』
「ぁ――ぁうぅ……」
声なき声を漏らす。
数日前廊下でルークに言われたことが、ずっと脳内で不意打ちのようにフラッシュバックし続けている。
「メーフィリア様?」
「は、はいッ!?ななな、何でしょうかッ!?」
「……大丈夫ですか。調子が悪そうなんですけど……顔赤いし、声も上ずっていますし、風邪なのでしょうか……?」
私の髪を梳いているエリンが心配そうに顔を覗き込んでくる。
「はいッ!もう全然、大丈夫です!平気です。へっちゃらなんですッ」
ここ数日、まともに喋れていない気がする。ルークともろくに顔を合わせていない。なぜかとても恥ずかしいからだ。必死に自分を落ち着かせようと努める。
それにあのとき、最初は慌てて気付かなかったのだけれど、宰相が現れることで少し落ち着きを取り戻し、今度は差し入れの入った籠をルークが持っていることに気付き、尋ねると『わざわざ持ってきたんだろ。食べないともったいない』ってルークに満面の笑顔でそう言われ――中身がぐちゃぐちゃになっているのにも関わらず、気にする様子もなく私の目の前で平らげた、それを見てまた赤面してしまう。
「……本当ですか?そうは見えませんけど」
なおも心配そうに見つめてくるエリンだが、石をも砕きそうな勢いで、コクコク頷いて安心させる。
「……それならいいんですが」
納得してくれたのか、彼女は手を動かし、また私の髪を梳き始めた。
追求から逃れて、とりあえず一安心する。だけれど――
「……体に気をつけてくださいね、結婚式は三週間後ですから」
思い出したかのような、その一言にまた脳がフリーズした。
ロンレル王国の首都から遠く離れ、名前すらろくに覚えられていない辺境領地があった。
その領地へと続く道を、複数の馬車がゆっくりと走っている。
荷台は色んな商品が積まれていて、御者や乗っている人の服装は特徴的で、王国ではまずお目にかかれないような異国の服だ。纏う旅慣れしている雰囲気で、この人達は他の大陸から来た行商人だと分かる。
「しっかし、本当に辺境だな、次期王妃の故郷」
「当初はただの冗談だと思っていたが、こりゃあの方、本当に嘘つかないな」
先頭馬車の中の二人――ディランともうひとりが、話しながら周囲を見回す。
良くロンレル王国を訪れる彼らだが、今までは王国の沿岸に停泊だけで、こんな内陸に来ることはなかった。
「本当にこの道で合ってんのか?俺たち遭難しそうなんだけど」
仲間が不安そうに尋ねた。
「まあ、多分」
曖昧に返しながら、ディランは別のことを考えていた。そもそも今回はただの下見で、正式に商売をするわけではない。
未知の領地で、新しい商品。売り物になるかどうかは、まず輸送ルートの確認と、実際商品を見てからじゃないとなんとも言えない。
と、考え込んでいるディランの思考を、仲間が声を上げて中断させた。
「ディラン、見ろ、人だ」
仲間に言われて前を見ると、まだまだ遠いが、平民の衣装を着ている複数人が森から出てくるのが見えた。
「山賊じゃねぇだろうなぁ?」
隣りにいる仲間が物騒なことを言う。笑えない冗談だが切実な問題だ。行商人を襲う賊は別に珍しくはない。海なら海賊、山なら山賊、平地なら盗賊、実にバリエーション豊かだ。ちくしょー。腰に手を当て、いつでも剣を抜けるようにするディラン。
ロンレル王国の治安はかなりいい方ではあるが、ないと言い切れないのが悲しい。これまでは治安の良い沿岸領地でその心配をする必要もなかったが、こんな辺鄙な場所だと流石に警戒する。
自国でもたまに盗賊に襲われるから、どこでも同じということは理解しているが。
仲間の皆も各自、たとえ襲われても反撃できるように準備をしている。緊張な空気に包まれながら、商隊とその人たちの距離は徐々に縮まりつつある。
が、すぐディランたちは予想外の出来事に見舞われる。
「あんれ?あんたら、こんなところで何しているん?」
双方の顔がはっきりと見えるような距離になると、その人たちは全員、中年の女性であることがわかった。
中のひとりが、ディラン達を見て尋ねた。
農作業から帰る途中なのだろう。だが油断してはいけない、背後に山賊たちが隠れて、気を取られているスキに奇襲されるかもしれない。
「……この辺りにウールリアライナという領地を、知りませんか」
警戒をしながら、普通の旅人を装い話しかけるディラン。
が、中年女性は全員その質問を聞いて、笑い声を上げた。
「旅人さん?んま、珍しいこともあるもんかねぇ。うちの辺境領地に用なんて」
「そうだねぇ。前に旅人が来たの、いつんだっけ?」
「五年前じゃなんの?最近は行商人も来なくなったのねぇ」
「ああ、辺境辺境連呼していたアイツラねぇ」
「まぁ、事実だけんどねぇ」
そこまで言い、中年女性の皆は全員笑い出した。
逆にディランたちは鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、キョトンとしている。
仲間の一人が、ディランの耳元で囁いた。
「山賊……じゃねぇよな?」
ディランもヒソヒソ声で返事をする。
「そうは見えないな。とりあえず王妃様故郷の領民だろう、案内してもらおう」
そう、このときディランたちはまだ知らない、これがウールリアライナという領地の洗礼、その序の口に過ぎないということを――。




