第四話 一途で純粋で善良
ルークレオラ・ロンレル。ロンレル王国の第一王子。
年齢は二十四歳。積極的政務に取り組み、善政を敷き、民に愛されていることで有名。また、戦略に長け、幾度となく西の蛮族を退けてきた。
最近、国王が退位間近なため、国に戻り、戦場の第一線は弟のライクルに任せている。同時に、これまで独身だったため、婚約相手を探し始める。
と、ここまでは昨夜の宴会で貴族たちの談話から得た情報。
正直、私は名前だけ知っている状態に近い。王子本人の詳細はあまりわからない。仕方がない、誰もこんな辺境の弱小貴族などをお呼びでない。
国王なんて、両親が数十年に一回謁見するかしないか程度。
その王子が、ニコニコ能天気に笑いながら私を見つめている。
一応、責任取るって言ってくれた、おかげで心の中の重荷が降りた。
「陛下、お気遣い痛み入ります。であれば、僭越ながらワタクシめは今こそが最大の機会だと愚考しておりますゆえ、どうか速やかにお部屋へ……」
「なんで?俺、責任取るって言ったしさ。それに、固い固い。俺はそういう感じ好かん」
――はえ?騒ぎになる前になかったことにしましょう、責任取るってつまりそういうことなのでは?
「……あの、つかぬことを伺いますが、陛下は騒ぎになりましたら困ります、よね?」
「ん?俺、お前を娶るって言ってんじゃん」
――と申されましても。
そもそも私、あなたとは初対面です。人柄もよくわかりません、いきなり婚約を申し込まれても、困ります。
「……陛下、私はこんな田…辺鄙な辺境貴族の娘です。陛下の御身にふさわしく……」
「俺では不満か?」
「滅相もありません」
不満以前の問題です。私だって選ぶ権利有ると思う……王子相手に口が裂けても言えませんけれど。
「大丈夫大丈夫、俺のモットーは女性に優しく。ロンレルの家訓は女性を泣かせてはならぬ」
私の思惑とは裏腹にルークレオラが自信満々に微笑んだ。
既に泣きそうです。泣いていいでしょうか?不敬だと言って死罪にしませんよね?
しかし此処に来て、薄々違和感を感じ始める。どうも私と王子の間では事態認識について食い違いが発生しているようだ。そもそも、この人、なんか勘違いしてない?
どう考えたって、辺境貴族の小娘に興味あるやつは王族に存在しないと思う。まず明らかにデメリットだ。
ルークレオラが一旦沈黙し、重々しく口を開き、言葉を紡いだ。
「……傷物にした責任、ちゃんと取るさ」
その一言が、全てを語る。
聞いた瞬間、ああ、なるほど。道理でこんな話になっているんだなと、納得した。
――いいえ、大丈夫ですよ、無傷です。心配ご無用。
しかし厄介なことに、王子様は勘違いしていらっしゃる。
どうも彼は、私をひん剥いて欲望の赴くまま楽しい一夜を過ごしたと思いこんでいるようだ。
だが実際は違う。断じて違う。と言うかなぜそのような勘違いを?
「俺、昨夜は結構飲んだしな。朝起きて自分の部屋じゃなかった、ああこれまたやっちゃったなと」
またと申したな、今。ということはつまりこれまで同じ手口で実際傷物にされた女性が大勢居ると――
「勘違いしないで欲しい。俺、女性はこれが初めてなんだ」
シット、何たる不運。その初めて(未遂で勘違い)がワタクシと。
考えてみれば当然か。でなければ婚約相手なんて探さないでしょうね。今頃子沢山だ。
どうしようかな、真実を告げてやれば、勘違いだとわかって諦めてくれるのだろうか。君の軍隊はまだまだ城を落としていないさ。……この場合、そのまま私及びウールリアライナ家が死刑に処される可能性がありますが。
王子に向かって、勘違いと指摘、立派な侮辱罪だ。
では、黙るのが正解だろうか。その場合犠牲者が私だが。
……あれ、詰んでないか。
考えろ。あなた、腐っても貴族でしょう。走れ私のシナプス。ほとばしれ私のニューロン。ご機嫌を損ねない、且つ誰もハッピーな結末と選択肢。
婚約者が居るんだ――嘘になるのでボツ。
めっちゃ遊んでいます――名誉損害でボツ。
実は男だったんだ!――愚弄、死刑。
好きな人、居るんだ――結婚しようと言ってきている王子に言える?
嫌われてみる?――これ、一歩間違えば、私及びウールリアライナ家も終わるだが。
…………一番可能性を感じるプランですら、バクチのように思える。
本当どうしようかな、これ。
あれこれ考えている私の両肩に突如ルークレオラの手が掴んできた。思考が中断させられる。
「本当に済まなかった。そのような若さで身篭もるなんて、お前も色々と辛いだろう。だが俺は決して見捨てたりはしない」
静かだけど、力強く言った。
こうして、私の名はルークレオラの結婚相手として国中に知れ渡ったのだった。
――早まるな。待てぇ、王子様、色々とすっ飛ばしてません?なんでそういう話になっているんだ。頭の中を覗いてみたい気分だ。
「失礼ですが王子様、どうしてそのような話……」
「女性と裸で共に一夜を過ごしたら子供が生まれるって、母上に教えられた」
――何教えてんですか王妃。ピュアすぎる。困る、色んな意味で。
違うんですよ王子様って教えてあげたいだけど、王子が信じてきた何十年の価値観が一気に壊れかねないので言い出せない。
そんな覚悟を決めた目で見つめないでください、泣いちゃいます。誰か、この男に真実を教えてあげて、お願い。
――問題は、王子様は酒に酔い、私を犯し、その上懐妊させたと誤解されている。実際そのようなことが一切ないのだが、本人はそう思い込んでいる。泥酔したのは事実だけど。
厄介なのは、彼は王子様であり、その勘違いや誤解を迂闊に指摘しては命が危ないこと。
――ドッドッドッ。
命が一歩間違えば危ういこの状況に頭を総動員して悩ませていると、外の廊下から慌ただしい靴音が響く。
パン。状況を整理するより早く、扉が一気に蹴破られる。
「ルークレオラ王子様!ご無事ですか!」
蹴破られた扉から現れた黒髪の中年の男が慌てて室内全体を素早く一瞥し、大声を張り上げる。
「ヘンリック、失礼だぞ。女性の部屋にノックもなしに無断で入るのは。見ろ、彼女が怯えているではないか」
先まで私と顔を突き合わせている王子が男を軽く咎める。
――それも勘違いですよ、王子。怯えてなどいません。私が誰のせいで裸ということをお忘れですか。未婚の女性が見ず知らずの殿方に肌を晒してはいけませんから、隠したのですよ。ついでに言うとあなたもその見ず知らずの殿方に入るんだけどね、王子。
「……!王子!良かった、ご無事で……コホン。失礼。私としたことが、どうか許してください」
中年の男――ヘンリックが王子様の安全を確認すると胸を撫でおろし、軽く頭を私の方へと向け、下げて一礼した。
「申し訳ございませんでした。申し遅れましたが私はヘンリック・サンドリック…」
頭を上げ、穏やかな笑みを浮かべ彼は自己紹介をし始める。
ヘンリック・サンドリック――ロンレル王国の宰相――聞き覚えのある名前と思ったが、宰相ね。
「ヘンリック、自己紹介は後だ。まず出ていってくれ、彼女が困っているではないか」
お気遣いどうも王子。あんたも出ていってくれ、困ってます。
そう言いながら、王子が床に落ちている自身の服を拾い上げ、素早く着替えを終えた。扉の付近で待っている宰相と一緒に部屋から出ていこうとしたが、何を思ったのか突然振り返った。
未だにシーツにしがみついている私を見つめて、
「言い忘れた。彼女は俺の結婚相手だ。ヘンリック、よろしくな」
と、片目でウインクしながらのたまった。
王子様、ピュアすぎます。