第三十九話 ヒロインは見た
王子ルークレオラ・ロンレルは上機嫌であった。
この間の商談はうまくいき、民の生活は更に豊かになるだろう。何より国の貴族たちはメーフィに対する評価を改めていた。
後は即位式で勇気を出して告白するだけ。まさに順風満帆。――そう思っていた矢先だった。
「陛下ッ!!!」
慌ただしい足音と共に政務室にやってきたのは、十数年以来の友人――ヘリミティアとエレンシュアだった。
彼女たちの怒鳴り込むような勢いに、思わず何事かと身構える。
二人とも顔を赤くし、表情は明らかに怒っている。
正直、俺はヘリミティアとエレンシュアに苦手意識を抱いていた。子供の頃はまだいいが、大きくなるに連れ、価値観の相違や見解の違いが増えてきて、たまに困る。
それでも極力彼女たちを傷付けまいと、細心な注意を払って接していたが……。
「陛下、聞いてますのッ!?」
心の中で苦笑を浮かべていると、正面に立っているヘリミティアが大声で詰め寄ってくる。
政務室内は書類が多く、二人までならともかく、流石に三人一緒に入ると狭いので、俺は外の廊下に出て話を伺うことにした。
「あ、あぁ、聞いてる。……どうした?」
何故二人はこんなに怒っているのだろうか。思考を巡らせたが、心当たりはない。
「あの辺境の小娘のことでしてよ」
またその話か。と俺はげんなりする。
「ヘリミティア、言っただろう、彼女のことを悪く言うのは……」
「いいえ、陛下は何にもわかっておりませんわッ!噂聞いていますの?体で男を誘惑し、籠絡するような――」
これは流石に長年の友人といえど、言っていいことと悪いことがある。俺は知っている、メーフィはそんな女性じゃない。何より――
ヘリミティアの言葉を遮るように、俺は力強く、はっきり言った。
「それ以上はやめてくれ、頼む。彼女はそんなんじゃない。何より俺は長年の友人が根も葉もない噂を信じ、他人を貶めるのが悲しい。わかってくれ、ヘリミティア」
しかし、俺の言葉なんて耳に入っていないかのような、ヘリミティアは怒りを顕にしながら大声を張り上げている。
「陛下は騙されていますのッ!思えばおかしいですわッ、たかが辺境の貧乏くさい田舎娘が、次期王妃とは。ワタクシ聞いていますの!あの宴会で、あの田舎娘は陛下を寝室に招き入れ……ああ汚らわしいッ」
ヘリミティアは一気にまくし立て、横にいるエレンシュアもウンウンと賛同している。
「……騙されてなんか、無いよ。むしろ、俺が彼女を傷付けているのではないかと、時々思う」
本心だ。
あの夜に何があったのか、俺は知っている。
惚れた弱みとでも言うべきなのだろうか。ついつい自分を呪いたくなる。
「もう一度考え直してください。高貴な陛下にふさわしくなんかありませんわ。そんな貧乏くさい田舎娘より……」
ヘリミティアはそう言って、何を思ったのか、いきなり体を密着してくる。エレンシュアもそれに倣い、俺に寄りかかってくる。
慌てて彼女たちと距離を取り、離れる。
「……どうして避けますの?私達では不満ですの?」
俺の行動を見て、ヘリミティアの声が冷たくなり、さらに体を寄せてくる。
「……俺に婚約相手がいる以上、たとえ親しき友人でも、不必要な接触はできるだけ控えておきたい」
誰が通るかわからない廊下で、もし誰かにでも見られたら、それこそ根も葉もない噂が広まる。
「……ッ。……私達より、あの小娘のほうがいいとおっしゃいますの?体で陛下を落としたような、教養も、知性も、品性も、家柄も、上品さも、何もかも卑しい田舎娘のほうが――王妃にふさわしいと?」
ヘリミティアは軽く唇を噛み、射抜くような眼光で問い詰めてくる。エレンシュアも同じだ、放さないと言わんばかりに、俺の腕に抱きつき、自分の胸を押し付けてくる。
『私達よりメーフィのほうが王妃にふさわしいと?』
その問いに、思わず頷きそうになる。
だけれどそれはできない。彼女たちの性格を考えると、傷付くのは必定。
「ヘリミティア、エレンシュア……どうして、俺との婚約にこだわる」
代わりに一つ質問をした。
「――そんなの、聞くまでもありませんわ。次期王妃なんて、あんな辺境の小娘なんかが務まる訳ありません」
ヘリミティアが自信満々に、胸に手を置きながら語った。
「そうですわ。優雅で、教養も家柄も、品性も備わっている私達の方こそ、次期王妃にふさわしいに決まってますの」
エレンシュアも、信じて疑わない様子で言った。
ふたりとも、俺が一番聞きたくない答えを口にした。
……薄々気付いていたんだ。彼女たちが好きなのは次期王妃の座とその肩書。ルークレオラ・ロンレルという男なんか全然好きじゃない。
次期王妃にさえなれれば、結婚相手は俺じゃなくてもいい。俺になんか、恋愛感情を抱いてない。
その事実を前に、俺の中に悲しさと怒りが湧き上がって、感情をぶつけるように口を開いた。
「お前たちは彼女のことを悪く言うが、それこそ誤解なんだ。あのときは――」
と。
俺はエレンシュアの視線が、変な方向に向いているのに気付いた。『何だ?』と思い、その方向に目を向けると――
――手に持っていた籠を落とし、走り去っていった彼女の背中が見えた。
体は瞬時に動いた。廊下に落ちている籠を拾い上げて、慌てて追いかける。
「待ってッ!」
その背中に、俺の言葉なんて届かないほど遠い。距離は全力に走っているのにも関わらず縮まらない。それがまるで俺と彼女の心の距離を表しているように感じて、気持ちが萎えそうになるのをぐっと堪え、無我夢中に追いかけ続ける。
あと少しなんだ……ッ!ここまで来て、諦められるか。
俺は、諦めない。
たとえ彼女に誤解されようが、嫌われようが、せめて、最後の一言だけは――自分に正直でいたい。
――足に強く力を入れ、必死に追いかける。景色が流れていく。その背中との距離は、縮まりつつある。
いける!
その背中に、手が届く。
「待ってくれッ!」
捕まえた。
彼女のその細い手首を掴んで、強引に引き寄せる。
「キャァッ!?」
小さく悲鳴を漏らした彼女の退路を塞ぐように、逃がすまいと壁際へと押し付ける。ほとんど密着の近距離で、彼女の顔を真正面から見つめる。
「……な、何よッ!」
そっけない口調。全力疾走の後に上気した顔と、激しい呼吸を繰り返す彼女を見つめながら、俺は口を開く。
「誤解なんだ。聞いてくれッ」
誤解を、解かねば。
「ふーんふーん」
鼻歌を口ずさみながら歩く。
手には差し入れの入った籠。向かう先はルークのいる政務室。昼だから正式なドレスを着ていないといけないが、商談以来、貴族たちの私に対する態度がかなり変わっていて、以前のように出歩くのも一苦労な状態ではなくなり、自由で気が楽だ。
でもやはり私は辺境の田舎貴族という印象はなかなか払拭できないらしくて、そちらから挨拶することはない。だけど私が挨拶すると挨拶を返してくれるようにはなっていた。
仕方ない。貴族は基本的に、目上の人間に頭を下げることはあっても、自分より下の人間は下げない。序列制度だからね。
しかし私は元々腰が低いので、問題ない。ノープロブレムよ。
まあ、執事のルドと屋敷の侍女たちに『お嬢様は腰が低いではなく、フレンドリーよ』って言われているが、どうなんだろう。
そのへんの区別、難しいのよね。
色々考えているうちに、ルークの政務室はもう目の前。
だけど――足はピタッと止まる。
政務室の前に、ルークと二人の高貴な令嬢が話しているのが目に入ってきた。
片方に見覚えはないが、もう片方は少し前王宮の中庭で見たことがある。ルークと修羅場っていた……えぇと、名前は確か、ヘリミティア?あのキアロ公爵の娘だ。
三人は何やら大声で言い争っていた。遠目でも分かる。明らかに修羅場。
と、ヒートアップしていた二人の令嬢がさらにルークに近寄り、距離を詰めた。
何故だろう、その光景を見ていると、胸の奥がチクリと痛む。ルークは慌てて距離を保とうとしたが、二人がそれを許さない。
……差し入れ持ってきたんだけど……出直そうかな。
なぜか今は一刻も早くここから立ち去りたかった。なんでなのか自分でもよく分からない。そんなんじゃないのは頭ではわかっているのだけれど、ルークが二人の見目麗しい令嬢に言い寄られているように見えて、心がチクリと痛む。
部屋に戻ろう、と考えたとき――もう一人の令嬢が、廊下に立っている私に気付いた。
瞬間ここにいてはいけないと直感が告げ、差し入れの入った籠が床に落ちたけれど構っていられず、脱兎のごとく来た方向に全速力で逃げる。
「待ってッ!」
背後に誰かが叫んでいる。追いかけてきている。誰なのかはわかっている、わかっているけれど、今はなぜかその顔は見たくない。
「待ってくれッ!」
いよいよ距離は縮まり、背後から伸びてきた手に手首を掴まれ、壁際に体を押し付けられる。
「キャァッ!?」
思いの外強い衝撃に、小さく悲鳴を漏らす。目を開けると、正面にルークが立って、私を逃がさないように体で退路を塞いでいた。
「……な、何よッ!」
口から出た言葉は自分でも驚くほどそっけなかった。さっきの光景が脳裏にちらついてて、胸がまたチクリと痛む。
ルークは呼吸を整えながら、口を開く。
「誤解なんだ、聞いてくれッ」
私はぷいと顔を横に逸らす。
「……いいのでしょうか、私なんか追いかけておいて。陛下はあのお二方の相手でお忙しいのでしょう」
まただ。また自分でも信じられないほど、普段絶対言わないような言葉が口からこぼれ落ちる。
ちらっと横目で彼の顔を窺うと、案の定悲しそうな表情を浮かべていた。その表情を見て、心の奥底がまたチクリと傷んだ。
そのでも彼は引かなかった。真正面から私を見据えてきて、
「ヘリミティアとエレンシュアはただの友人なんだ。信じてくれ」
えぇ、一部始終見ていましたからね。なにもないのはわかっている。わかっているのだけど、何故か見ていると心が苦しくなる。口と頭はまるで自分の制御から離れたかのように、意思とは無関係に違う言葉を吐き出す。
「……陛下はモテますものね。私なんかより、あのお二方の気持ちを考えてあげてくださいまし」
――違う。こんな事言いたくなかった。
「モテる、か。皮肉なことに、俺はどうやら好きな人にはモテてないみたいだな」
ルークが悲しそうな笑顔で、自嘲気味に苦笑した。
「……あ、そう。では離れていただけます?私忙しいんで」
ルークに、好きな人いるんだ……。ならば何故私を婚約相手と選んだんだろう。直接その方と結婚すればいい話でしょう。
どのみちこれ以上ここにいたくない。一人になりたい。彼の腕から逃れようと小さくもがいたが――
「嫌だ。好きな人に逃げられたら、また追いかけなきゃいけない」
彼は手に力を込め、放してくれなかった。それどころか、もう片方の手を壁にドンとついて、逃げ道を塞いだ。
「追いかければいいではありませんか。好きにすれば?」
何故私に構うのでしょうね。好きな人をどうぞ好きなだけ追いかけてください。
「そうも行かない。なぜなら俺の好きな女性は目の前にいるからな」
「あぁ?」
放してくれないルークにイライラゲージが上がっていき、思わず低いドスの利いた声で返事した。
ルークに挑みかかるような視線で睨むが、彼はただただ苦笑を浮かべながら私を見つめていた。
しつこいね、こうなれば力づくでも…………ん?…………んん?
一拍遅れて、何かおかしいと感じる。
『そうも行かない。なぜなら俺の好きな女性は目の前にいるから』
……え?あれ?これって、……んん?つまり……えーと、あれ?え、え?あの……好きな人、え?……目の前に、いるから…………?えぇと、つまりね……?…………そういう、事……?
頭を動かし、右を見る。左を見る。広々とした廊下には誰もいない。ルークと、私だけ。
指でルークを指差してから、自分を指差し、蚊が鳴くような小声で、
「……目の前?」
と尋ねる。
ルークは、恥ずかしそうにこくんと無言で頷く。
「――あ、あのォ?えーと、その……」
上ずったような声が出た。顔が火照って、故郷特産の林檎より赤くなっている。別の意味でさっきよりここにいたくない。一人になりたい。というか、今まともにルークの顔見れない。なので慌てて下を向く。
「あ、あの……あれ……?……えーと……」
色んな意味でやばい。頭がまわらない。
「メーフィ」
彼の私を呼ぶ声につられて、反射的に顔を上げる。ほとんど密着のこの状況で、退路を塞がれ、真正面から見据えてきた彼は口を開く。
「たとえ嫌われようが、俺は自分に正直でいたい。答えを聞かせてくれ。俺はお前のことが好――んぐ!?」
慌ててルークの口を手で塞ぐ。
それは、駄目だ。それを聞いたら、引き返せないような気がして。私はまだあの宴会から続いている誤解を解いてない。だから、今はまだ”友人”……。彼を、傷付けたくはないからだ。
「何故なんだ。俺はお前のことが――」
しかしルークは私の手から逃れ、焦った表情でなおも気持ちを伝えようとするが――
「コホン!……いや、今日はいい天気ですな。なぁーに。私はただの通りすがりの宰相、どうぞ気にしないで続けてくださいな――コホン、コホン!コホン!!!」
横からいきなり大声で、宰相がわざとらしく咳払いをしている。
私とルークはビクッとなって宰相を見るが、宰相はまるで私達に関心がないように、ゆっくりと歩いている。が、『いや、いい天気ですな。コホン、コホン。通りすがりの宰相に構わないでください。どうぞ』と、わざとらしく咳払いをして、なかなかこの場から離れる様子を見せない。
「ヘンリック……俺に恨みでもあるのか」
「いやぁ、コホン。恨みなんて、コホン。ありませんよ?コホン。ただな、コホン、私は思っています。コホン。白昼堂々で……」
睨み殺す勢いで宰相を見るルークだが、宰相はどこ吹く風かのように受け流している。
ホッとしたような、残念だったような。
二人のやり取りを見て、くすりと笑う。
政務室前の廊下。そこには二人の高貴な令嬢が立っていた。
話の最中にも関わらず、王子が二人を置いて、あの女を追いかけに行った。……屈辱ですわ。
「エレンシュア」
「ええ」
その上品で優雅な外見に反して、発した声は低く、冷たく、怒りを孕んでいる。
「このままでは終われませんわ――汚い手を使い、陛下を惑わし、身分を弁えない辺境の女が相手ならば、遠慮はいりませんってことわね」
二人の瞳は、黒い炎を宿していた。
早めに投稿します。




