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第三十八話 斜め上の噂




 公爵令嬢ヘリミティア・キアロはすこぶる不機嫌であった。


 噂を聞いた第一王子はあの女を捨て、泣いて自分に許しを請う……そうなるはずなのに。待てど暮らせど、来ない。


 加えて昨日突然お父様が、『目の敵にしているようだが、アレはやめとけ。噂が流れているが、体だけが取り柄のゲスではない、無能な輩でもない。婚約は第二王子ライクルにしろ』とそう言ってきた。信じられませんわ。

 幼い頃からお父様は常に私に、『キアロの家柄を考えろ』、『第一王子以外はお前にふさわしくない』、そう仰っていたお父様がこんな事を言うなんて。


 ――お父様らしくありませんわ。第二王子ですって?今更諦めるなんて。


 自分にふさわしいのは王族の第一王子と、ヘリミティアは常にそう思っている。

 故に今になって第二王子のライクルに婚約を持ちかけるのは、プライドが許さない。


 それに、第一王子と第二王子では天と地の差があり、即位が決まっている以上、第二王子と婚約したってなんのメリットもない。


 何より二番目では意味がない。ヘリミティア・キアロは常に一番でないと。


 ――陛下は一体、何グズグズしていますの?あんな小娘、さっさと捨ててしまえば……。

 自分未来の夫(予定)に憤慨を覚えながら、ヘリミティアは部屋の中でラルアとエレンシュアが来るのを待っていた。


 と、突然慌ただしい足音が響き、部屋に向かってくるのが聞こえた。足音が扉の前まで来たと思ったら次の瞬間、扉がいきなり開けられ――


「大変ですわッ」

「失礼」


 ――エレンシュアとラルアだった。慌てた様子のエレンシュアと、急ぎ足でもどこか余裕のあるラルア、二人が同時に入ってくる。


「はしたないですの。落ち着いてくださいまし。そんな慌ててどうしました」


 とりあえず宥めるも、エレンシュアはすごい剣幕で、


「落ち着いている場合ではありませんわッ!変な噂がッ、流れてますのッ!」


 変な噂……?

 走ってきたからだろう、エレンシュアはゼハゼハと荒い呼吸を繰り返す。


「私が説明いたします」


 しゃべるのもままならないエレンシュアを見て、ラルアが口を開く。


「実は王国、最近変な噂が流れています。奇しくも同じく次期王妃に関する噂で――」

「それならば驚くようなことでは……」

「いえ、噂の内容が問題です」


 ラルアが真剣な表情で私の言葉を遮った。そのことにカチンと来たが、今は先を促すとしよう。


「内容?」


 あの女狐に関する内容であれば、別段取り乱す必要もないとは思うが。


「ええ、内容を言います。――」


 曰く、

『ウールリアライナ領の領主令嬢、メーフィリア・ウールリアライナは、屋敷の二階から決め台詞を叫びながら飛び降りる』

『一日中、野原と山を駆け回り、大草原でゴロゴロしているような女』

『領主令嬢なのに、腰が低すぎる。普通に店のおばちゃんに金多めに払っている』

『たまに無償で領民の皆を手伝ったり』

『金欠で領内の仕事を探してバイトしていた』

『森で罠を張り、害獣を狩ってそのままバーベーキュー』

『常に領内を縦横無尽に走り回っている健脚である』

『森の動物たちとお友達』


 ……などなど。



「ラルア」

「はい、何でしょう」

「私をからかっていますの?」

「とんでもありません」


 ありえない噂の内容を耳にしたヘリミティアは、疑いの目をラルアに向けた。


 こんな方、存在しているわけがないでしょう。仮にも貴族で、領主令嬢ともあろう人間が。


 だいたい、最初の噂からすでに怪しさ満点ですわ。

 何よ、二階から決め台詞を叫びながら飛び降りるって。そんな高いとこから飛び降りるなんて正気ですの?死にますわ。

 草原でゴロゴロしているとか、信じられませんの。服が汚れてしまいますわ。変な虫がついたり、嫌ですわ。


 それに領民に金払っているなんて、貴族としてありえません。そんな貴族はいませんの。この時点で噂は嘘であるということが窺えますの。

 領民を手伝ったり、しかも無償でなんて、嘘もいいとこですわ。嘘をつくならもっとマシな嘘つきなさい。


 害獣を狩るって、おぞましい。――もうね、色々おかしいというか、おかしくない噂が一個もありませんわ!!!


「ゼー、ハー、ゼー、ハー……」


 いけません、息が上がってしまいましたわ。あまりのおかしさに。


「ヘリミティア様、大丈夫ですか」

「……ええ」


 不覚、ラルアごときに心配されるとは。ヘリミティアは心の中で軽く舌打ちをした。が、落ち着いて冷静に考えれば、これは自分たちに有利な展開なのでは?


「……全く、慌ててはしたないですわね、エレンシュア。何を慌てる必要が?こんな聞いただけで嘘だと分かるような噂でも、あの辺境の女を陥れられれば――」

「そうなりませんから慌てているのですよ、ヘリミティア様」


 またラルアに話を遮られたが、今度は怒りよりも先に、疑問が浮かび上がる。


「……どういう意味ですの」

「こんな誰も信じないような噂――えぇ、”誰も信じない”からこそ、意味があるのですよ、ヘリミティア様」

「もったいぶらないで教えなさい」

「簡単なことですよ、ヘリミティア様、エレンシュア様。人は何故、噂を信じるのでしょうか?――それはですね、信じられるからですよ。つまり、到底信じられないような、明らかに嘘だとわかる噂は信じません」


 ……それは何か不都合でもありますの?

 私とエレンシュアの疑問を浮かべた表情を見て、ラルアは――


「不都合?当然あります。今まで私が流した噂は信じられるようなものだったから人々に受け入れられているが、新しい噂によって人々は疑いを抱き始めます――『あれ、この噂、おかしいな』『そうだな、明らかにふざけているとしか。というか、嘘だろうこんな噂』『っていうかさ、前に流れてた噂もそうじゃね?』『あれも嘘?』『だっておかしいだろ。所詮噂だしな』『まあ、そうだな』――とな」


 ヘリミティアが大声を上げる。


「どうしてそうなりますのッ!」

「人間は、一つ怪しいものを見つけたら、他のも急に怪しく見える生き物ですよ、ヘリミティア様。この明らかに嘘の噂のせいで、私達が流していた噂の効果もうありません」


 商品だって同じだ。一つ偽物が混入されていれば、客は他のも偽物なんじゃないかと疑い出す。

 誰の仕業かはわからないが、やってくれたな。ラルアは表情には出さないが、心の中で相手を褒めていた。

 実にうまい手である。まさか嘘の悪い噂に対して、同じく嘘の悪い噂をぶつけてきて、上書きしてくるとは。

 しかもピンポイント狙撃のような効果を発揮する。もうこれ以上どんな噂を流しても、『どうせ嘘でしょ』と、信じてもらえない。


 そしてラルアは違和感を感じていた。早い、あまりにも早い。噂の散布速度が。まるでかつての自分。

 背後に組織がいるのは確か。問題はどこの組織なのだろう。王国内の商会はラルア商会だけで、他にこんな事ができる組織は王室の軍隊ぐらいだな。

 いや、結論ありきで考えるのは危険だ。ガルクカムの話と自分の情報網によれば、確か二週間前、モンクルック大陸から商船が来たと聞いているが、――


「――話になりませんわね。行きますよ、エレンシュア」


 考え込んでいると、突然のヘリミティアの大声に思考を中断させられた。


「ヘリミティア様ッ!?どこへ……」


 慌てて引き止める、だが制止に聞く耳持たないヘリミティアは、


「王子陛下に直談判、行きますわ!」


 ――と言い放った。




嘘の噂。(真実

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