第三十六話 貿易から始まる平和への可能性
ガルクカム候爵。
王国の貴族の中で、キアロ公爵に次ぐ権力者。同時に、ラルアのバックに居る、貴族の親戚である。
中年の男で、どこか侮れない雰囲気を漂わせている、そんな印象を受ける人物。
口を開いた彼に、商談に参加している皆が視線を向けた。王子が問う。
「どういう意味だ、ガルクカム」
「どうも何も。この提案、ラルア商会の利益にはならないと思った次第でございましょう」
雰囲気と口調からすると、単純に不満だから声を上げているのではなく、ちゃんと自分なりの意見を持ち、それを述べたまでという感じだ。
ルークも口調こそは強めだが、理性で議論しているという感じ。
ガルクカム候爵は視線を私に向け、低く『クックッ』と笑いながら、
「そもそも、王国は今までラルア商会だけでも十分やっていけているではありませんか。よそ者と貿易しなくても、問題ありませんよ。ましてや一見、利益ある話に見えて、乗ってみたら損をするような提案」
つまりこう言いたい。ガルクカム候爵は王子の提案、果たして本当に双方に利益があるのか、と。ラルア商会の肩を直接に持たないが、間接的に援護している。やはりナンバー2だけあって、この人もやり手だ。
ディランは急に変わった風向きを窺いながら、話を聞いている。
「モンクルック大陸との貿易は今まで何度もあった。損をしたことは一度もないぞ」
ルークは指摘する。だが――
「えぇ。損をしませんでしたね。今までは。なぜならラルア商会の利益は守られていましたからね。損をするわけがなかろう。ラルア商会と、外来商船の利益は別物ですよ陛下。王国側はラルアの利益を考えるべきです、それに」
ガルクカムは私を一瞥し、咎めるような笑みを浮かべて、
「申し訳ございませんが、メーフィリア様の提案でしたら、ワタクシは甚だ疑問を感じますね。儲かる根拠はあるのかと。失礼ですが、メーフィリア様は商人出身の貴族ではありませんね」
愉快そうに笑いながら、攻撃対象を私に変えた。
ルークが『むっ』と、不満そうに唇を尖らせた。
「……ラルア商会は、これ以上の利益は見込めません。他の国へのルートやコネをお持ちでないラルア商会では、輸出も輸入もままならないでしょう。買うだけではなく、売るのですよ、候爵」
挑戦状を突きつけられたような形ではあるが、挑発に乗ることなく、至って冷静に、私は静かに口を開いた。
そう、輸入ならばともかく、利益を追い求めるのであれば輸出は必要不可欠である。
まあ、何ということはない。ウールリアライナは、領内で収穫した特産を行商人に売っているから。ごく自然なことだ。それは私にとって、子供の頃から見慣れた日常であり、懐かしい故郷の風景。
ガルクカムも私の言葉に興味を惹かれたのか、両手を組み、ならば述べてみよという姿勢で見てくる。
「次期王妃様のありがたいお言葉、拝聴いたしましょう」
言葉からいちいち棘を感じるが、その奥に潜むのは冷静で狡猾で、理性的な考え。ガルクカムは無能ではない。それは応接室に入ってからすぐ気付いた。
「えぇ。先も述べた通り、ラルア商会は王国唯一の商会ですが、他の国へのルートを持っていません。北は貿易国家エルシュアランドゥ――」
私はちらっとディラン達を見る。彼らは貿易国家、エルシュアランドゥの商人である。
「――西はフィンガルアイン。南は古代山脈に阻まれていて、行けません。となると、どうしようもありません」
「知っていますとも。もっとも、西の蛮族共と貿易なんぞ、こちらから願い下げですな」
コクリと頷き、ガルクカムは言う。しかし、私は此処で、あえてその事実を告げる――
「モンクルック大陸の一部の国が、フィンガルアインと貿易していることを知っても、そう言います?」
「何……?」
ガルクカム候爵だけではなく、貴族たちの表情も変わった。
貴族たちは無理もないと思うが、ガルクカムは演技か、本気で初耳なのかはわからない。
「私は言いました。モンクルック大陸からの商船は、二種類ありますと。南のムムルアへ行く船と、西のフィンガルアインへと行く船」
厳密に言えば、此処での商船は主に王国に来るエルシュアランドゥの船を指している。
貴族たちはハッとなり、気付いたようだ。
ルークは私にだけ見えるように、指でブイのサインをしてくる。いや、だからなんのサインだってばっ!
「……それでも、事態は変わりませんよ。王国は今まで蛮族を退けてきた。今後も変わらん。利益になるかもわからん提案、乗るリスクもあろうぞ」
――口調が変わった。
ガルクカムが本気になったのか。そう感じた。案外冷静のように見えて、根は熱血者かもしれない。
「今はそうでも、未来はそうとは限りませんわよ」
「……」
内心ではわかっているのだろう。だからあえてガルクカムは無言で私の言葉を聞いていた。
貴族たちのざわめきが徐々に増していく。最初はなんの変哲もない、ただの商談のように見えて、事此処に至っては王国未来に関する大事な分岐点なんじゃないかと、感付く人が続々と出てきた。
私は、問いかける。
「よく考えてください。フィンガルアインはなぜ、王国に侵攻してきたのでしょう」
ガルクカム候爵だけにではなく、席についている貴族の皆に。
「……嫉妬、ですな。王国側の豊かな大地が欲しくて、戦を仕掛けたのです」
鼻を鳴らし、不愉快そうにガルクカムが答えた。
フィンガルアインはお世辞にも、農業に適している領土を持っているとは言えない。故に近くにいるロンレル王国の豊かな領土に目をつけ、戦争を仕掛けた。
「その通りです。そして不足な物資は他の国々と貿易で補っています」
単純な貿易国家のエルシュアランドゥは、敵対していないから自由にフィンガルアインへ行商に行ける。モンクルック大陸の複数国はフィンガルアインと貿易関係にある。
ただし問題もある。
フィンガルアインの沿岸は船の停泊に適していない上に、途中海流は険しい。
物資を輸入しても、根本の解決にはならない。常に慢性的物資不足状態に悩まされている。
ガルクカムと出席している貴族たちと、王国の宰相だけではなく、ディランたちも興味深そうに私の話に耳を傾けている。
「だから私は考えました。国力が抜かれる前に、ロンレルも積極的他国と貿易をしていく必要がありますと」
室内はざわつく。
フィンガルアインは着実に力をつけている。まだ差はあるとはいえ、縮まりつつある。いずれまた戦争を仕掛けてくるだろう。エリンのような、巻き込まれて何もかも失った人を生み出さないためにも、防がなければならない。
「言いたいことは分かりました。非礼をわびます。なかなかどうして、陛下は見る目がありますな――」
ガルクカムは苦笑を浮かべ、ルークへと目をやり、再び口を開く。
「――しかしそれでも、賛同はできません。ラルア商会はたしかにこれ以上伸び代はないように見えますが、三割軽減の上に利益を共有しようと、下手に転んだら王国が損します」
態度が幾分柔らかくなっていたが、冷静さは健在。となれば――
「ならばフィンガルアインと休戦条約を結び貿易する、というのはどうでしょうか」
私の衝撃な発言に、応接室内はざわめきどころではなくなり、貴族たちが沈黙を保っていられず続々と声を上げた。
『何を考えているッ』『血迷ったか!』『敵国などと、そんなことできるか!』
隣りにいるルークが、必死に笑いをこらえている。よほど面白いらしい、この状況。ジト目で見つめると、爽やかな笑みを向けてきた。
「静かにッ!」
宰相が貴族たちを抑えた。ざわつく貴族たちとは対照的で、ガルクカム候爵ともうひとりの貴族が全く動じずに、ただただ私の次の言葉を待っていた。
「損するかどうか、やってみないとわかりませんわ。モンクルック大陸との貿易、利はあると思います」
私の言葉を聞いて、ガルクカムは、
「興味深いですな。是非その考えを、ご教授願いましょう」
聞く気になったようだ。
貴族の駆け引きは疲れるわ。最初から聞いてよ、全く。
「まず私は言いました。ラルア商会は外への輸出も輸入ルートも持っていません。なのでこうして彼らに来てもらいました。そこで私は、王国は商品を彼らに売り、彼らの商品を王国が買い取る。――それだけでは終わりません。商品は今以上の値段で売れます。えーと、そうですね、皆様がよく召し上がる、紅茶を例に、」
多分コイツラ、紅茶ならよく飲んでいると思う。私の食事は庶民的すぎるので、良い例えが見つからない。
「王国の市場で売っている、紅茶は百グラムで――」
そこで値段を言ったが、何故か貴族たちは困惑の表情を浮かべていた。
しまった、紅茶でも知らないのか。
「――前年総予算の百万分の一ですな」
宰相が翻訳してくれた。
それで貴族たちは『あぁ』と頷く。
悔しくないもん。故郷ではこれでも上品な例だもん。
気を取り直して。
「それを、王国ではなく、モンクルック大陸で売れば、値段はこう――」
推定価格を言う。
まあ、だいたい一・二倍になるかな。
話を聞いた貴族たちはざわつき、『本当なのでしょうかね』『さあ……』『そもそも、場所が違うだけでそんなに変わるもんかね』と各々に意見を述べていた。
無理もない。この人達に、それは想像できないと思う。
実際紅茶を例に出したのも、値段変化が少ない商品の一つだから。なのに一・二倍になるとかいきなり言われたら、信じられないかもしれない。
「次期王妃様、申し訳ございませんが、楽観視し過ぎなのでは?」
と、ディランが声を上げた。
「えぇ、たしかにその価格は予測でしか無いが、当たらずとも遠からずと思いますよ?」
値段の予測に自信はあった。子供の頃から商売やっているからね。ディランたちは売れなかった場合を心配しているのも分かる。
「メーフィリア様、何故売れると確信しているのでしょうか」
貴族の一人が手を上げ、尋ねる。
「簡単ですよ。そもそも船で行商している彼らは、新しい商品や、自分の国にない商品を求めてやってきたのですから。売れると思っての行動です」
行商人は皆同じだからね。
売れないものをわざわざ旅してまで買う商人はいない。商機があると見込んでの行動。
貴族たちはそれで納得し、頷いた。
「つまり貿易が盛んになれば、国はさらに豊かになり、生活が良くなります」
私は述べる。
今まではラルア商会が全部を仕切っていたから、あまり変化はないが、他の国や大陸と貿易していけば、多様性が生まれるはずだ。
貴族たちは互いの顔を見合わせ、ヒソヒソと意見を交換する。
『どう思う?』
『悪くない話だ』
『すごいな、次期王妃様』
『陛下はそれを見越し、婚約を決めたのか』
風向きは悪くない、更に此処でトドメ。
「売上だけではありません、輸入すれば、食べたことのない食材も市場で買えます」
ジュルリ。異国の食べ物か。よだれが。
まあ、何より新しい食材があれば、新しい料理が作れる。これを――
「失礼。次期王妃様は、新しい商品の輸入について、国内価格の混乱や、王国側の商品への影響をどう思いますか」
終始黙っていた一人の貴族が、手を上げ、声を発した。ガルクカムと同じく動じなかった一人、中年で野心を感じさせる風貌。
王国貴族のナンバー1――キアロ公爵。
彼の一言に、徐々にこちら側に付きつつある貴族たちはハッとなり、成り行きを見守り始めた。
キアロ公爵は続ける。
「ご存知だと思いますが、無闇に他の国のものを輸入すれば、国内は混乱します――我々貴族は民の利益を守り、混乱を防ぐための存在だと考えています」
後半の言葉に、席についている貴族の多くはウンウンとうなずく。なるほど、この人も伊達にナンバーワンやってませんね。
しかも意外なことに、ディランは彼に同意した。
「その懸念は私もです。ロンレル王国から商品を輸入すれば、私の国の商品は圧迫されます。他国を贔屓にし、自国の商売上がったりでは、悲しい話ですね」
しかし、それについて私はちゃんと考えていた。
「えぇ、一気にとは言いません。少しずつ、双方の貿易を進めていければいいなとは思っています。何より――私の狙いは別にあります」
「ほう」
「と、言いますと?」
答えると、キアロ公爵は興味深そうに眉毛を釣り上げた。ディランは身を乗り出し、聞いてくる。
「と、その前まず何故売れると思っているのかを述べさせていただきます」
まずは契約が先。
二人は黙って私の言葉を待っている。
「商品の付加価値、です」
二人は私の話を聞いて、違う反応を見せる。
キアロ公爵は、顔色を僅かだが暗くさせた。ディランは不可解な顔になっていた。
貴族の皆も疑問に満ちた表情で互いの顔を窺っているので、私は説明し始めた。
「そもそも、皆さんは食事のとき、たった一つの食べ物をしか召し上がっていないのでしょうか」
貴族たちは首を振る。
当然。平民ですら食事は複数の料理を食べているのに、貴族がそれ以上の豪勢な食事をしているのは考えるまでもない。
私は自信に満ちた声色で語る。
「夕食のとき、蝋燭の光に彩られた室内、テーブルには今日市場から買ってきた飾りの花が花瓶の中に置いてあり、前菜、その次はメインディッシュ、食後にデザート。人によりますが、デザートの後にティータイム。実に楽しい食事時間でしょう。そこで、晩酌のワインはいかが?」
貴族たちとディランは私の言葉にまだピンときていないのは、表情を見れば分かる。だが心配することはない、私は続ける。
「『今日のワインは、飲んだことのない味だな、どこ産なのだろうか?』『ウールリアライナでございます』『聞いたことのない地名だな』『えぇ、海の向こうにある、ロンレル王国の辺境だそうです』」
芝居のかかった声に、隣のルークは必死に笑いをこらえている。
「『うむ、いい味だ……いつも飲んでるやつとは違う味わい。気に入った』『では、いつものはどうしますか』『それも飲みたいな……。うーん、うーむ。よし決めた、次から両方買ってこい!』『承知しました』……めでたしめでたし」
ディランはピンときたのだろう、腕を組みニヤニヤ笑顔で私を見ている。
キアロとガルクカムの二人は、苦笑いを浮かべながらも納得してくれていた様子だ。宰相は無表情。貴族たちはしばらくして、ようやく理解した。
「もちろんそれだけではありません。この辺境の領地ウールリアライナは、林檎が特産で、林檎を使った料理、アップルパイなんか人気あります」
自慢の一品です、どうぞ召し上がってください。
熱々のアップルパイはいかが、熱々のアップルパイ。
「そううまくいくかね」
キアロ公爵は苦笑を浮かべながら聞いた。
「林檎は色々使い道がありますわ。サラダに入れるのもいいし、」
慌てて口を噤む。
危ない。素が出てしまった。
料理の話になると、ついつい楽しくなってしまって。
「次期王妃様とはいい貿易関係を築けそうで、実に楽しいですね」
ディランと他の商人は各々笑みを浮かべて、同意してくる。
結局、売れるかどうか、腕と工夫次第でどうにかなるわ。
「しかし、値段の方は」
考え込むディランに、
「新しい料理を作れば、食材は色々入れますが、値段は従来のとあまり変わらなくてもいいですよ。少し値上がりはしたとしても、前のより沢山の食材が入っていれば、お得です」
お得。人はそれに弱い。
100で一個しか買えなかった林檎が二つ買える上に、オマケに一個ついてくるようになった日には、売り切れですようちの林檎は。
「そうですね。皆は異存無いです。王子陛下も賛成のようですし、では契約を結びましょうか」
他の仲間を見て、確認をしてからディランはルークに契約の提案をする。
「キアロ、ガルクカム、異議はあるか」
ルークは二人を見るが、首を左右に振られた。
これからは細かな契約に入り、一つ一つ確認していくそうだ。
疲れた……。
が、その前にキアロ公爵は再び口を開き、尋ねた。
「メーフィリア様に一つお尋ねしたいことがあります。まさか西のフィンガルアインと戦争を回避するために今回の貿易にこの案を考えた……のではあるまいな?」
貴族と商人たちの視線はまた、私に集まる。
「実を言いますと、はい、そうです。また戦争になれば、多くの命は失われるのでしょう。それを防ぐため、何より平和への道を進むため、モンクルック大陸との貿易は必要不可欠でした。ゆくゆくは国力強くなってから、停戦を持ちかけたいと――陛下と一緒に考えました」
「なるほど」
もう聞きたいこと無いのか、キアロ公爵は静かに目を閉じた。
と、耳に貴族たちのヒソヒソ喋る声が届く。
『次期王妃様、すごいですな』
『誑かされたと聞いた当時は一時どうなることかと思ったが、陛下の選択は正しかったですね』
『次期王妃がこれならば、王国は安泰ですな』
この人達、私に対する評価が変わり過ぎなのでは?
今回のも分割しようかと思いましたが、やめました。
流石に前編も含めて全部入れると一万字近くなりますので、分割しましたが。
貴族たち、手のひらくるくるですね。