第二十九話 日常と二人の距離
城内の大キッチンにて。
「いやー、お前、本当にすごいな」
コックたちが感心したように私の作った料理を見て褒める。あれからちょくちょく、暇な時こうしてキッチンでお手伝いをするようになっている。
皆いい人たちで、すぐに打ち解けた。ただ……
「どうだ、専属にならないか?」
入れ代わり立ち代わりにいい笑顔を浮かべてスカウトしてくる。毎回断るのが申し訳無く感じる。
「給料は今の倍、いや、三倍はどうだ。何?駄目?じゃあ四倍だぁ」
う……四倍か……。頷きそうになったがぐっと堪えて、ノーと突き付ける。
「それでは、他の用事もありますので、今日はこれくらいにします」
ペコっと頭を下げ、キッチンを後にした。
私が大キッチンを去った後。
「惜しいな……あれだけの腕を持ちながら…働けば出世し、後世に名を残すほどのコックになること間違いないのにな」
「諦めろ、あれだけガード固いんだから、無理じゃね?彼女の料理の評判は好評だが……はあ、惜しい……」
キッチン内部は陰鬱なムードに一気になった。
「王子様がやたら褒めていたな。料理が美味しいって。彼女が正式に此処で働けば、紹介してやるつもりなのに。あの訳の分からない辺境のウールなんちゃらより、ワンチャ俺は絶対彼女のほうが次期王妃に相応しいのにな――料理を愛する者に悪いヤツはいない」
コックたちが頷く。料理人ゆえに。しかし彼らは知らない、その侍女の正体が、まさに今言っていたウールなんちゃらの辺境令嬢であることを。
「ふんふん」
鼻歌を口ずさみながら、庭の手入れをする。
「よう、精が出るね」
「あ、フェンさん」
歩いてくる一人の庭師、彼は手を上げ、私に挨拶をする。
感心するように、彼は私が手入れしている樹木を見て、
「しっかし、お前さんの腕はすごいな。生まれは……大自然に囲まれたところなんだな」
と褒める。
はい、正解です。囲まれたと言うか、辺境は大自然しかありません。ただ、この人も、いや、ここの人たちも――
「どうだ、庭師に転職は……?」
勧誘してくるのです。頭を左右に振り、申し訳ない苦笑いを浮かべる。
「そうか。まあ無理は言わない。この庭の木や花、お前が来てから随分元気になったけどな」
故郷では毎日のように、大自然を駆け回っていたんですからね。本能と言うか、王都に来てから自然と触れ合う機会がめっきり減ったので、こうして庭の手入れを勝手にしていたところ、庭師の皆に見つかり、その後は……キッチンのときの流れで、皆と仲良くなり、打ち解けた。
「それでは」
満足したところ、庭師の皆にペコリと頭を下げ、此処を後にした。
「一銭ももらってないのに、よく毎日来てるな。ありゃ相当の自然好きだな。一体どこ出身なんだろう……大自然を愛する者に悪い人はいないと言う。きっといいとこのお嬢さんなんだろうな」
最近のスケジュールは、朝起きてエリンと朝食。暇な時城内のキッチンや庭にお邪魔する。王子陛下は日中、公務に追われて忙しいので、夜になってから彼の政務室でのんびり過ごすことが基本。
仲がだいぶ良くなって以来、悩みが変わった。
真実を打ち明けるのは、彼を傷付けてしまう恐れがあり、逆にタイミングを窺うのが難しくなった。
大体、男性の初めてっていうデリケートな問題に、私は知らなすぎる。男性経験がない私には、加減が分からない。
そもそも、男性との交際も、恋をしたこともない私には、難しすぎる問題だと思う。しかも周りでそのことについて聞ける人はいない。エリンは私と同じく、未経験である。宰相は……逆に怪しまれるだろう。これは私の勘だが、宰相は既婚者だと思う。ただし、自由恋愛の結婚ではないとも思う。そういう意味では、聞いても意味がない。王子様?墓穴を掘るつもりはまだありません。
本当、なんでこんな変な事態になってしまったんでしょうね。
王子様のことは、接していくうちに共通の趣味があり、共感できる考えを持っているという点では、寧ろかなり好印象です。
しかし、それで恋ですかと言われると、またなんとも答え辛い。
そもそも私は恋なんて知らない。経験したことがない。
私は、彼のことを、一体どう思っているのでしょうね……。
そして、彼は、私のことを、一体どう思っているのでしょうね。
「……」
目の前のその元凶を、ジっと見つめながら、考える。
「……どうした、俺の顔に何かついてるか」
不審に思われたのだろう、彼は筆を止め、尋ねた。
「……いえ」
顔を逸らす。うむ、何回見ても答えが出てこないのは分かっていても、ついつい視線は吸い寄せられていき、自然と彼の顔をまじまじと眺めてしまう。
「陛下、私のことを、どう思いますか」
一人で悩んでもしょうがない。時には大胆な行動に出る必要もある。聞いちゃえ。
「何だ、いきなり。大好きだよ。かわいいし、優しくて気が利く。笑うときなんかもう俺死ぬか、ここまでかと思うほどの破壊力で……」
「――陛下、からかってます?」
「いや。本心だ」
真面目な表情は雄弁する。うん、ふざけてないのは分かった。危うく褒め殺されるとこだったわ。顔が熱いわ。ここ熱くない?
「…あっ」
ふたたび政務に戻る彼だったが、握っていた羽毛筆が手から床に落ちる。拾ってあげようと手を伸ばした――が、
慌てて拾おうとする彼も手を伸ばし、先に拾った私の手は彼に握られる。突然の接触に、私は顔を上げ反射的彼を見るが、彼もまた顔を上げ私を見てくる。
二人が同時に手を放した。
「ご、ごめんっ!」「いっ、いえ……!」
咄嗟に顔を逸らした。なぜかとても恥ずかしくて、まともに彼の顔見れない。……どうしたんだろう、私。
徐々に進展していきます。




