第二十六話 公爵令嬢ヘリミティア
ヘリミティアは大変不機嫌であった。
前線へと赴いた第一王子がやっと帰ってきたかと思いきや、今度は各地へと視察に出る。
一番早く彼に持ちかけた自分の婚約は明確な返事がないまま。
一体ワタクシを誰だと思っていますの?
王族を除いて、ロンレル王国の貴族の中で、一番権力を持っているキアロ公爵の令嬢、ヘリミティア・キアロですわよ。
そのワタクシを差し置いて、他の娘を選ぶなんてあり得ませんわ。
何故返事をくれないですの?理解に苦しみますわ。
貴族の歴史、家柄、権力、全てにおいて、ワタクシこそが次期王妃に相応しいですの。
ガルクカム候爵のところのエレンシュアも狙っているようですが、あの娘には無理ですわ。身の程知らずですね。
返事が遅れているのは、陛下が照れているに違いありませんわ。ワタクシのような可憐で、天使の美貌を持つ女性は、数多の有象無象とは違いますもの。
そう、視察が終わったら彼は、きっと最初にワタクシのところに訪ねてくる。そしてこう言います。
『ヘリミティア、俺が間違っていたんだ。世界中を探しても、あなたより優れた女性なんてどこにもいない。そのことに気付けていなかった愚かな俺を許してくれ』
泣き叫びながら、自分の過ちを反省し告白、縋りついてくるに違いありませんわ。
だから、何も心配することありませんわ。常に優雅。常に凌駕。常に超越。それがワタクシ、ヘリミティア・キアロ、貴族の中の貴族。
――耳を疑いましたわ。
王子様が婚約相手を発表した。
王国の宰相からそう聞かされた時。
あり得ません。何かの間違いです。だって婚約相手はワタクシに決まっています。次期王妃は此処にいます。
「残念ながら、ヘリミティア様。事実です」
中年の男――ああ、一応この方、王国の宰相でしたっけ?が申し訳無さそうに頭を下げてきた。
ちっとも申し訳なく感じてないくせに。キアロ家より下な分際で。
「聞き間違いでしょうか?王子様の婚約相手の名前は、ヘリミティアキアロ…」
「いえ、間違いありません。それに名前と仰られても、私めもよく分かりませぬな。なにせ、どこの馬の骨とも知らぬ小娘で……」
宰相は大げさにため息を付きながら、苦笑いを浮かべた。が、ワタクシを小馬鹿にしているのが見え見えです。許しませんわ。次期王妃になった暁には、処刑しますわ。覚えておきなさい。
まあ、今はコイツなんてどうでもいい。王国の宰相と言えど、所詮はキアロ家より下の貴族、取るに足らない。
それよりどこのどいつが分からないなんてあり得ませんわ。陛下の婚約相手です、さてエレンシュア、今頃ワタクシを出し抜いたとでも思っているのでしょう。見てなさい、ワタクシが陛下に近付けば、あなたのことなんてすぐ見向きもされませんわ。
だが現実はワタクシの想像を、遥かに超えている。
メーフィリア・ウールリアライナ…?
最初は、聞いたことのない名前ですわ。と言う反応だった。
訪ねていくと、どうやらあの豚の餌場みたいな領地の領主令嬢。
一体、何が起きている?
そんなはずは、あり得ません……
聞いたこともない領地。聞いたこともない貴族。聞いたこともない娘。
…――が次期王妃!?
……何かの、間違いです。
問い詰めましょう。
しかし、彼の口から返された答えに、予想と希望を打ち砕かれた。
――あの女狐…!
なるほど、陛下は誑かされていますわ。体を重ねるなんて、さすが辺境の下賤な貴族が考えそうな手。下賤故に取れる手段。これは予想外の結果だったわ。
汚い手を使いやがって……!
同じ手を使うのは、プライドが許さない。
何か、いい方法はありませんか……?
気分転換に久しぶりに馬車を走らせ、王都の街を眺める。
相手は下賤な女狐ですわ。一筋縄には行きません。プライドが許さないが、エレンシュアと手を組むのも選択肢に入れるべきでしょうか……?
窓から平民の様子を眺めているその時だった。――見覚えのある姿が目に飛び込んできた。…ルークレオラ陛下……?
その懐に、一人の少女が抱きしめられていた。
人混みの中で、二人は見つめ合っている。
……――――。
「アクシャ」
「はい、何でしょうかお嬢様」
「ガルクカム候爵邸へ走らせなさい」
「……かしこまりました」
…ヘリミティア・キアロの眼には、ドス黒い炎が灯されていた。
とことん汚い手を使ってくるあの女狐に、こちらも相応の対応をしましょう。次期王妃は誰なのかを、教えて差し上げますわ。
ある意味ぶっ飛んでる子なのです。