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第二十五話 盛り上がる夜




 歩きながら、隣りにいる彼女をちらっと横目で観察してみる。


「…ところで、さっきまで何していたんだ?」


 極力、さり気ないといった様子で尋ねてみる。桜色に染まる肌、頬を伝い滴り落ちる汗、乱れた髪と服、裸足。大方の予測は付いているが、尋ねずにはいられなかった。


「……王宮を、走っていました」


 だが彼女の口から帰ってきたその答えは、俺の予想は正解だと告げるも、さらに興味を引かれることとなる。


「なんで?」


 そもそも、何故王宮を走っていたんだろう。特に必要性も感じないし、理由も見つからない。


「…強いて言うならば、走りたいからです。ウールリアライナにいた頃、毎日草原を駆け回り、森に入り、山を登っていました」


 彼女はなんの迷いも、臆することもなく、真っ直ぐに答えた。何故かそれが逆に気持ちよく感じた。


 しかし答えを聞く限り、やはり自分の不安は的中している。無理やり此処に連つれてきて、彼女に無理をさせているのではないだろうかという不安が。

 いきなり故郷を離れ、知らぬ土地で暮らせと言っているようなものだ。

 だから俺は――





「すまん」


 ルークレオラ王子様がいきなり謝ってきた。

 スマン…?

 これも、何かの暗号、もしくは比喩なのだろうか。

 状況から見るに彼が謝る必要はまったくないと思うのだが。


 あらゆる可能性について思考を巡らせていると、彼の政務室が見えてきた。なるほど、まずはじっくり拷問する気ね。口を割らせてからいたぶる計画でしょうか。

 私はどうなってもいいが、領民の皆、母様、父様には手を出さないでお願いします。


 彼に案内されるまま、室内へ足を踏み入れる。前回も思ったが、相変わらず書物が多い。

 細心の注意を払って、書物を傷付けないように足を進める。


「悪い、整理しようと思ったんだが、中々時間がなくて」


 床に置かれている書物を拾い上げながら、王子が目で適当なところに座るように告げてきた。

 手伝いたかったけれど、政務に関する文書なので、関係ない人が触っちゃ駄目だろうと。


 彼が本を棚に戻す作業をしている間、乱れた髪を手櫛で梳いていく。せめて最後まで失礼の無いように。だが、何故かルークレオラ王子は興味深そうに私の行動をジッと見てくる。


「――陛下?」

「あ、あぁ。すまん。珍しいもので、つい」


 さっと顔を逸らし、手を動かす王子様。

 そして独り言を呟くように、ポツリポツリと語る。


「俺の知っている貴族の若い女性は、身の回りの世話は全部侍女たちに任せているから。新鮮に感じる」


 うーん、王都に来る前ならば、流石に冗談だよねと笑うけれど、王宮の生活を経験した今では、普通に笑えない。エリンに自分でやると言ったら、『駄目ですメーフィリア様、やらせてください』と強引に押し切られる場面が多くて、困る。

 王子様曰く、自分の髪を自分の手で梳いたことが一度もない令嬢はかなり多い。怖い、色んな意味で。


「俺はある意味、幸運かもしれない。母上には自分でできることは自分でやれって小さい頃からそう教えられてきた」


 しっかりした教育です。さすが王妃様。ですが一つ言わせてください。男女間についてははぐらかさないでちゃんと教えて下さい。で無いといろいろ困ります。

 と、王子様はようやく書類を全部棚に戻した。彼は私へと向き直り、室内に置かれている椅子に腰を下ろす。

 私も椅子に座り、彼の言葉を待っている。


「……」


 しかし、彼は中々口を開かない。こうなれば先制攻撃。先手必勝。


「陛下、私がどうなっても良いのだけれど、母様、父様や、使用人、領民には手を出さないでください」


 政務室内の弱い明かりでは、彼の表情はうまく読み取れない。やがて長い沈黙を破り、彼は口を開く。





 ――綺麗だ。彼女の髪が滝のように、仄暗い室内の明かりを反射しながら垂れてゆく様子が、とても綺麗に感じた。

 それに新鮮にも感じる。何しろ今まで接してきた貴族の女性友人は皆、侍女たちが全てやってくれているから手を動かそうとすらしない。


「――陛下?」

「あ、あぁ。すまん。珍しいもので、つい」


 いかんいかん、ついつい見惚れてしまった。


「俺はある意味、幸運かもしれない。母上には自分でできることは自分でやれって小さい頃からそう教えられてきた」


 感謝はしている。おかげで、俺は戦場に赴いて、すぐに仲の良い友人ができた。第一声が、『お前、王族らしくねぇな』と笑われていたが、すぐ打ち解けて仲良くなっていた。


 視線でちらっと彼女の反応を窺う。明るくない室内では、表情がよく読み取れない。彼女はただ何も言わずに、佇んでいる。

 言葉はそこで途切れ、二人は無言になり、本を棚に戻す音だけが、響く。


 やがてそれも終りを迎え、いよいよ気まずい沈黙になってきた。

 何か、話題はないのか。何か。えぇと、…とりあえず椅子に腰を下ろし、ドキドキする心臓を落ち着かせたい。

 が、あれこれ考えていると、彼女の方から口を開いた。


「陛下、私がどうなっても良いのだけれど、母様、父様や、使用人、領民には手を出さないでください」


 ――ん?何の話?

 ……手を出す?誰が?俺が?なんで?

 あれ、もしかして、彼女、誤解している……?

 …俺に咎められるとでも思い込んでいたのか……?別にそんなつもりはないのだけどな。そんなに懐の狭い人間に見えているのだろうか、俺。


 でも彼女、覚悟を決めちゃっているようだな。

 何故かそんな悲壮な表情を浮かべている彼女を見ると、可愛く愛おしく思う同時に、無性にからかいたくなる。

 だから俺は――





「良いよ。気持ちは分かる。俺も子供の時走りたかったんだよ」

「はい、分かりました。煮るなり焼くなりご随意に…………え?」


 今、なんて?


「もしかして、責められるとでも思っていた?」

「……お言葉ですが…どう見ても、そうとしか思えませんが」

「だから気持ちは分かるって言ったろう、別に責めたりはしないさ。楽しかったでしょう?」


 それは、そうだけど。

 してやったりというニヤニヤ笑顔の彼を見ていると、何故かイラッときた。

 でもせっかく此処は事なきを得たんだから、要らぬ顰蹙を買って、事態を悪化させてはいけない。我慢我慢……。


「――それに可愛かったからな」


 が、彼の何気ない一言に触発されて、素っ頓狂な声を上げてしまう。


「――はあぁ!?」


 かわいい?あれが?どこが?

 髪は乱れ、服を整えてない。靴履いていない裸足。これのどこに可愛い要素があるのか小一時間問い詰めたい気分よ。

 陛下の審美眼はおかしいです。


 あれ?その線は考えもしなかったな。しかし、こうして考えてみると、もしかして陛下の美的観念が元々変だから、私のような辺境の子を選んだ可能性が……。

 失念していたわ。その可能性について全然思い付かなかった。


「陛下、犬についてどう思いますか」

「何だ急に。…そうだな、可愛いと思うぞ?つーか、俺、犬派」

「え、やっぱり?私も犬派なんです。可愛いよね犬……って、違う!」


 犬が可愛いのは認めるけどさ、今重要なのはそこじゃないんだよ。他の例を挙げていこう。


「陛下、猫についてどう思いますか」

「可愛いと思うけどさ、なんと言うか、あんまり合わない感じかな。…誰かが言ったじゃないか、犬は『なんでこの人、私に餌くれるの……?もしかして、この人が……神!?』と飼い主を崇めるけど、猫の場合『なんでこの人、私に餌くれるの……?もしかして、私が……神!?』って言うじゃん。そこが駄目なんだよな。俺。どうしても犬の方に親近感抱いちゃうっていうか」

「あ、私もです。猫は可愛くて好きけれど、その、なんと言うか、ツンツンっぽいところが駄目だなって……違う」


 ペット談義で盛り上がってどうする。私のバカ。

 思いの外、陛下と気が合うのが悔しい。次は何かないかなと探していると、


「……ペットなら王宮の裏庭に一杯いるよ。放し飼いで。今度一緒に見に行こうか」

「――え、良いんですか。…あっ」


 反射的に笑顔になり、うっかり素が出てしまったことに気付き、固まる。

 ルークレオラ王子陛下はそんな私の様子を、どこか楽しそうに笑いながら頷いてくれた。


「俺も政務の息抜きが必要さ、かと言って一人では寂しい、誰か一緒に来てほしいところなんだが」

「し、仕方ありませんね。陛下がそう仰るのであれば、一緒に、行ってあげても、良いですわ…」


 そっぽを向いたまま、小声で言う。

 …その後は、何気ない雑談に花を咲かせ、気が付くと夜の十一時を過ぎている。


「もうこんな時間か、名残惜しいけど」

「…陛下は、寝なくて良いのですか」

「俺は此処で寝泊まりしているようなものさ」


 部屋から出ようとする私に手を振り、見送ってくれている。

 たくさんの書物に囲まれた彼。その姿に、一抹の寂しさを覚えたからだろう、だから私は、明日また此処を訪れることになったのだ。




美的感覚を探ろうとしたらペットの話で盛り上がってしまいました。誤字脱字報告、ありがとうございます。

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