第十六話 巻き起こるセンセーション
王子様の許可が出たんで、今日から自由に動き回っても怒られないようになった。
早速だけど、城内を一通り見て回ったんだが、中でも特に興味を惹かれたのは此処、日々料理を皆に提供している厨房だった。
ちなみに、ひらひらの高貴なドレスを着ていると、一目で王子妃だとバレるので、普通の侍女の作業服に着替えている。
歩いても問題ないはずなのに、脱走時みたいに変装しているのは我ながら少なからず呆れてはいる。
まあ、一応ちゃんとした理由があるんだ。畏まられるとやりにくいし、上下関係に慣れてない私は気が滅入るから。何より面白くない。
朝食の時間が過ぎ、昼と言うにはやや早く、この微妙な時間帯。厨房――通称大キッチンの中は、誰もいない状態。
しばらく観察してみたが、近くには人はあまり来なく、働いていたコックの皆も、戻ってくる様子はない。
なので心置きなく中に入ってみることにした。
中は整然と片付けられていて、ピカピカに磨かれている。料理に使う包丁や鍋、フライパンは棚に収納されて、窯からまだ残っている微かな熱を感じる。
空気中に残る小麦粉の匂いを辿り、食材の場所を探り当てる。
何を作ろうかな……最近、お上品なものしか食べてないから、故郷の味が恋しくなっているのよね。
目の前に置かれた様々な食材を見ながら考える。
昼はどうせ侍女たちが上品な料理を持ってくるから、此処はウールリアライナの伝統料理を作ろうか。
そうと決まれば、善は急げ。
保管庫から目当ての食材を持ち出し、窯に火をつけ、料理の準備を始める。
トマト、ピーマン、ポーク……チーズは…有った。
鼻歌を口ずさみながら、生地を捏ねる。
柔らかい生地をこねこね、引き伸ばし、くるくるっと回す。彩るように赤いトマトを、ピーマンを、ポークを、黄色のチーズを飾っていく。
しかし流石王宮だ。チーズなんて高価な食材を常備しているなんて。これ、行商人から買うと結構高いんだよな。
下準備を終え、出来上がったものを窯に入れて、後は焼くだけ。
…ジュルリ。
楽しみだね、ピザ。
そう言えば、これも王都に来てから気付いたことだけど、魚って独特の匂いがするんだよね……。
脱走の時、市場で色んな嗅いだことのない匂いと遭遇したな。新天地を発見したとはまさにこのことよ。
ウールリアライナは山と森、草原、見事に大自然に囲まれているから、海の幸は中々味わえない。
海の幸と言えば、初めて見たわ。あのなんとも言えないような……奇怪な形をした……生物と言うか、魔獣?
カニとか言うらしい。恐ろしい。目ン玉がにゅっと伸びてて飛び出している。両手はおよそこの世の生き物とは思えないくらい裁縫で使うハサミの形をしている。
体は血のように赤く、棘がついてて、固い。はっきり言って怖い。
食べ物なの?と疑うくらい。
しかし店のおばさんによると、中身はうまいらしい。…本当?騙されませんわよ、田舎者と思ってからかっているのでしょうね。
「――おい、何している」
突如響いた声に、思考を中断させられる。
振り向くと、頭に白いコック帽を被った中年の男性が一人、彼の背後に見習いらしい幼い少年が二人、少女が一人立ってこちらを見ている。
「料理を作っていますよ」
「……そんなの見りゃ分かる。お前、何処の侍女だぁ?無許可でキッチン使っていいもんじゃないぞ。どの所属なんだ……ったく」
聞かれたので正直に答えたが、それを聞いて中年のコックさんは呆れた表情を浮かべた。
何処所属と言われても、ね……。
「えーと、メーフィリア様所属?」
嘘は言っていない。
しかしその名前を聞いたコックさんと後ろの見習いの三人は、驚いた顔でざわつき始める。
「…王子妃だったのか……」
中年のコックさんは、なにか複雑そうな表情でぼそっと漏らす。
「……王子様を誑かした…あの」
見習いの少年の一人が、小さな声で呟いた。
コックさんが急いで『バカ!』と叱りつけ、彼の口を塞いだが、私はそれを聞き逃さなかった。やはり快く思われていないのね。
「……しかし、王子妃の命令か?なにか食べたいものがあれば、そう仰ってくれればいいのに」
中年の温和そうなコックさんが、一つため息を吐いてから、私にそう言ってきた。
王子妃の直属使用人だと思われているからだろうか、普通に話しかけてくれている。このほうがやりやすいな。
「えーと、そうではなくて…」
「…じゃぁ何だぁ?」
「ちょっと料理がしたくて…」
故郷の食べ物の味が恋しくなったのもあるけれど、ピザなんて王都の市場でも王宮でも見かけたことがないので、久しぶりだし、作ろうとチョイスした。
だけど最大の理由は、単純に私がしたいからです。料理、楽しいからね。
コックさんは私の回答に、『はぁあ?』となり、呆れたような顔で、
「厨房の無断使用は禁止だぁ……ったく。新入りか?…使いたければ事前に――」
と、窯から溢れ出している香ばしい匂いに気が付き、鼻をクンクンとさせ、言葉を止める。
「…なんだこれ。嗅いだことのない匂いだな……これは、胡椒と、チーズを混ぜた…」
コックさんだけではなく、隠れるようにして彼の背後にいる、見習いの少年少女たちも鼻を動かし、未知の匂いに釣られて、どんな料理か、その正体を当てようとしている。
知らなくて当然だよ、だってこれ、辺境の料理だもの。
そろそろいいかな。匂いと焼き具合から判断して、窯の火を消し、手袋をつけ、焼きたてのピザを取り出す。
外に出された瞬間、ピザの濃厚な匂いがもわぁっと一瞬で拡散していき、厨房を包み込んだ。
「お、美味しそう…」
コック見習いの少年の一人が、口元によだれを垂らし、ぼそっと漏らした。
でしょう?
「食べてみる?」
ニコッと微笑み、包丁でピザを小分けにして差し出す。
「…え、いいの……?」
少年は恐る恐る聞いてくるが、言葉で語るより、切り取られたピザの一切れを、パクっと彼の目の前で食べた。
「ん~~~~~」
ほっぺが落ちたとはまさにこのこと。もう止まらない。もぐもぐ。
それを見た少年は、『あ、ずるい!俺も』、と最初の遠慮などどこへ行ったのやらといった様子で我先と近寄ってきた。
残された二人も、彼に釣られる形で、その後に続く。堤防が決壊したように。
「あ、こら!お前ら」
大声で叱りつけるコックさん。しかし、
「なにこれ、うめえぇ!」
「こんなの……食べたことない!」
「…美味しい……!」
見たことも食べたこともない食べ物を前に、矜持もプライドもなくなり、あっさり陥落してしまった教え子たちを目にしたコックさん。
すでにピザを口の中に放り込んでいて、その虜になった見習いたちはコックの言葉なんて耳に入るわけがなかった。
焼きたてのピザをハフハフと貪る見習いの少年少女。惨状を前に、手で顔を覆い、がっくりとした中年が一人。
そんな失意と敗北感のドン底にいるコックさんに、悪魔……ではなく、ピザを差し出す手が伸べられた。
「――食べてみる?」
ニコニコ笑う私。当然、悪意が一切ありません。
ピザの一切れをこれみよがしにゆらゆらと揺らして、上に乗っているトマト、ピーマン、ポーク、チーズ、その他がよく見えるようにする。
誘惑に勝てなかったのか、陥落した少年少女を見て気になったのか、コックさんはやけくそになってひったくるように、ピザを私の手中から奪い取った。
そして、それを――こんなの、喰ってやる――と言う勢いでその一切れを口の中に放り込んだ瞬間――
――コックさんの体に電撃が走る…!
「こ、これは……!トマト、ピーマン、ビーンズ、ポーク、チーズ、よく見かけるありふれた食材を組み合わせただけのものかと思いきや、このまろやかな味わい、しっくり来るような味覚のハーモニー、トマトから太陽の熱を、ピーマンから大地の鼓動を、ビーンズからは自然の風景を……!」
目をくわっと見開き、体をわなわなと震わせながら、マシンガンのように言葉を吐き出す中年コックさん。
お、おう……。正直、引いた。
勧めたのは私なんだけど、あまりのオーバーリアクションにドン引きです。
「ん…?なになに?」
入り口から何人かのコックさんが一斉に厨房に入ってきた。同僚の反応とこの騒ぎに気付き、興味を示している。
「オヴィリヴァさん、これ食べてください!」
見習いの少年の一人が、ぞろぞろと入ってくるコックの一人に、私が作ったピザを持っていって彼に勧めた。
「あん?何だこ――」
れは、と言葉は続かなかった。
不用心にピザを口の中に放り込んだ彼、二の句が継げなくなっていた。中年のコックと同じく、体をわなわなと震わせ、小刻みに震えている。
よくよく見ると恍惚の表情を浮かべている。ヤバい人にしか見えません。
「食べてください」
見習いの少女は、ピザの一切れを他のコックさんに勧める。
そして、無防備にそのまま口に入れたコックさんは、絶句。
それを見た別のコックさんが、試食。次の瞬間狂喜乱舞。
同僚の様子を目の当たりにした残りのコックさんたちも、警戒心を顕にし、ぺろっと舌でピザを舐め――豹変し、ガブッと行った。
ピザを摂取したコックは、様々な反応を見せる。続々と、次の被害者は現れ、コックたちは次々と引きずり込まれていく。阿鼻叫喚の地獄へと化す、王城の大キッチン。
……そんな中で、大キッチンから、侍女の服を着て脱出した影が一つ有った。
し、知りませんわ。お邪魔しました……。
その日から、王城のコックの間で、このわけの分からない魔性の食べ物について、詳細知っているやつを探し出せという緊急事態になっていることも、ピザがしばらくの間ブームになっていることも、この時私はまだ知る由もなかった。
ピザ、食わずにはいられない。