第十五話 ルナニーア
翌朝。エリンが来て、二人一緒に楽しく朝食を食べていると、
扉がコンコンと、柔らかくノックされ、
「どなたですか?」
エリンは扉に向かって尋ねる。
はて、誰なんでしょう?
朝食はすでに侍女たちに運ばれてきて、今食べている最中なんだから。他に特に用もなく訪ねてくる使用人は、この一週間にはいない。
宰相?と一瞬頭をよぎってしまうが、あの方のノックは捲し立てるような音。
来訪者について考えを巡らせていると、
「――ルークレオラ第一王子だ。入って良いか」
正体を明かした来訪者の名乗りに、思わず啜っている紅茶を吹き出してしまいそうになる。ゲホゲホ。
「陛下……!」
エリンが慌てて椅子から立ち上がり、扉を開けに行った。
開けられた扉から顔を覗かせ、現れたのは何処をどう見ても、ロンレル王国の第一王子、元凶の彼だった。
ルークレオラは扉を締めるエリンに軽く微笑みかけ、部屋の中に入ってきた。
そして私を見るなり、とびっきりの笑顔を向けてくる。辛い。
「陛下、ご機嫌麗しゅう」
名目上は婚約者だが、身分を考えると辺境貴族の私が王子様なんかと釣り合いが取れるわけないので、立ち上がって一礼をした。
「相変わらず固いな。まあいい。朝食中だったか、悪い。そのまま食べていいぞ?」
若干眉を顰め、そう言ってくれた王子。とんでもありません、王子様がなんと言おうが、第一王子様を前に普通に朝食を食べるなんていくら本人の許しが出たとは言え、そこまでの礼儀知らずではありませんわ。
「陛下、どうですか。一緒に朝食でも?」
肩書だけとは言え、王子妃なので、誘ってみた。これを機に仲良くなり――が、
「いや…そうしたいのは山々なんだが、この後公務が控えているんだ。せっかくの厚意、すまん」
申し訳無さそうに断る王子。忙しいのは昨夜見たものね。働き過ぎて体を壊さないように気をつけてほしい。
「――まあこうして早朝に訪ねたのは他でもない。色々伝えたいことがあるからな。まずは昨夜のことだが…」
ゲホ、ゲホ。ゲホゲホ。
今度こそ吹きかけた。
耐えた……、耐えましたわ私。
「……どうかした?」
王子に怪訝そうな目を向けられるが、
「いえ、何でもありませんわ。おほ、おほほほ……」
口に手を当てながら笑って誤魔化そうとする。
――大丈夫、バレてない、はず。その毛布から私を特定できるようなヒントがまったくない。
王子様は話を続ける。
「実を言うと、昨日の夕方なんとか時間を作ってお前に会いたかったが、すまん、公務に追われて時間がなかったんだ。許してほしい」
彼はそう言って、ペコっと謝ってきた。
なんだ。毛布の事と夜中出歩いたことではないのね。あー、びっくりして損したわ。危ない危ない。一瞬、どっかでミスしたと本気で疑ったんだから。
書類は元の位置に戻しておいた。私だと気付かれるような証拠品も現場には残していない。
「いえいえ、多忙な身は存じております。国のため、民のため、皆のため、日々働いていることはよく知っています」
ニコっと笑いながらそう返答したが。
「ああ、働きすぎていつの間にか寝てしまった、朝起きて気付いたんだが、どうやら寝ている間誰かが俺に毛布を掛けてくれた」
朗らかな笑顔で、本気でその毛布を掛けてくれた人に感謝をするような声で話す王子。
「で、誰なんだろう?礼を言いたくて使用人に聞いてみたんだ、しかし皆、首を左右に振る」
「へー、親切な人もいるんですね」
側で聞いていたエリンが感心するように言う。
「ああ、親切だ。で、今その人を探しているんだ」
エリンに同意する王子。
ヘー。イッタイ。ダレ、ナンデショウネー。
「その親切な人、知らない?」
ルークレオラ王子様は私に笑顔を向けて尋ねた。いや、だからなんで私に話を振るんだろう。
「きっとルナニーアに違いありませんわ」
ルナニーア。それは古いお伽噺の中に出てくる、家の主がいない間、もしくは眠りに就いている間、家事を手伝いする幼い少女の妖精。
王子様の私の言葉を聞いて、顎に手を当てしばらく考え込んだ後、
「ああ、きっとルナニーアに違いないな」
ぱぁあっと爽やかな笑みを浮かべてそう言った。
そのルナニーアはルナニーアでも、特別に脱走が得意で、自由が好きで、金欠でバイトをするようなルナニーアよ。
「っと、忘れるとこだった。申し訳ない、この一週間ほったらかしにして。政務に忙殺される俺が悪いんだ、他に式のことと父上の説得、貴族たちの根回し、できるだけ早く済ませるから。安心して。宰相にも俺が言っておく、苦しい思いをさせて本当には申し訳なかった。急いでエリンを使用人として派遣したのだが…」
ルークレオラは本気で申し訳無さそうな顔を浮かべ、謝っている。
しかしそんなことよりも、気になることがある。今、式って言わなかった?
……他にも貴族の根回しって聞こえたんだけど、着々と外堀埋められていく気がする。
「これからは、お前への貴族たちや宰相からの風当たりも弱くなるだろう」
そもそもこの一週間、貴族たちの顔色は私を見かける度悪くなるから、宰相に半ば部屋に押し込められている形なんだ。
その辺りは理解できるから、逆に申し訳なく思う。きっとこう思われているんだろう。どこぞの田舎貴族の娘が、王宮に紛れ込んでいる。
「本当にすまん。…っと、そろそろ行かないと間に合わなくなる。では、エリン、頼んだ。何かあったら、いつでも訪ねてきていい」
王子様はそう言い、急いで部屋から出ていった。
大変だね。
王子の話によれば、今までは宰相や貴族たちが原因で、私が出歩くのを制限されているが、それも今朝までという話。彼の奮闘により、宰相が理解を示し、貴族たちも王子様の願いを無碍にできないから、一定程度の自由行動ができるようになった。
まあ、それとは関係なく、私は普通に脱走していたんだけどな。
が、普通に行動して咎められないというのであれば、それに越したことはないだろう。
というわけで、今日から行動の制限がなくなり、王宮を正々堂々と闊歩できる。
どこ行こうかな、と期待に胸を膨らませ、冷めかけた朝食をエリンと一緒に食べる。