この胸の音だけを聴いてなさい。
———ゆう視点———
僕は今、左手をゆかりさんと繋ぎながら、玄関のドアの前に立ってる。
「ほら、ゆうくん、行くよ?」
ゆかりさんがドアを開けた途端に、今まで外で待っていた音たちが入ってくる。
自動車が通るたびに、灰色の音が光ってる。
「行けそう?」
「行く。」
外に出て駅へ向かって歩き出す。
外を歩いたのは本当に久しぶりだ。
久しぶりにこの感覚を思い出した。
外は、灰色の音で満ちていたんだった。
自動車の音、
トラックの音、
信号機の音、
すれ違う人たちの話す声、
ヒールの足音、
店内から漏れ出るBGM、
腰につけた鍵の擦れる音、
携帯の着信音、
自分の足音、ゆかりさんの足音、
などなど。
それぞれに色はあるのに、全部が混じって濁った灰色になってる。
外の世界は、やっぱり全部が灰色だ。
左手に感じるゆかりさんの手だけを意識して、引かれながら歩く。
自分がどこを歩いているかも分からないけど、ついていけばいい。
「大丈夫?戻ろっか?」
首を横にふる。
今戻ったら、もう次は外に出れない気がする。
———ゆかり視点———
「大丈夫?戻ろっか?」
家を出てからずっと、ゆうくんは辛そうに手を握りしめている。
辛そうにする美少年めっちゃ可愛いんだけど、流石に不謹慎だよね…
可哀想すぎて、手を繋いでることを楽しむ余裕もないなぁ。
さっきからすれ違う人がみんなゆうくんを見ているのが分かる。
すれ違うと「ねぇねぇ、今の子めっちゃ可愛かったよね?」とか後ろで言ってるのが聞こえたり。
自動車とか、店のBGMとか、そう言うただの音も辛そうだけど、
一番辛いのは、自分に向かってくる嫌な声なんだなってわかる。
すれ違った人がゆうくんのことを話す度に、手をギュってする。
そうこうしているうちに、駅まで来れた。
幸いピアノ教室までは3駅だ。
ゆうくんの分も用意してきたPASMOを渡す。
「はい、このカードをここにタッチするの」
「わかった」
若干ぼーっとしつつも、改札を通るゆうくん。
ちょうどホームに来ていた電車に乗り込む。
それなりに混んでいるから残念ながら座らせられない。
ゆうくんは壁にもたれてぐったりしている。
ゆうくんと他の人の壁になりながら腕の中にいる囁く。
「ここから3駅だからね。がんばろうね」
小さく頷くゆうくん。
そこでふと思いついた。
”たくさんの音が混じって灰色になって辛い”
そう言っていた。それならば、一つの音を聴かせればいい。
そっとゆうくんの頭を胸に抱いて、頭を横に向ける。
私の心臓の音を聴かせる位置だ。
逆の耳は手で塞ぐ。
周りの人から見たら、電車内でいちゃついてるカップルに見えるかもだけど、少しでもゆうくんを楽にしてあげたかった。
私の、胸の音だけ聴いてなさい。
最初、びっくりして暴れてたゆうくんだけど、少ししたらすごく落ち着いた。
家を出てからずっと強張っていた身体が、ゆっくり柔らかくなっていくのが分かる。
ピアノ教室の最寄りに着くまで3駅分、耳が真っ赤になったゆうくんのことを、ずっと抱きしめていた。