第91話 黒い男
王都を飛び立ってから、一時間ほど。
もう空も明けてきた……けど、黒雲があるから薄っすらと明るくなった程度。
やっぱりどれだけ行っても黒雲はあるんだなぁ。
黒雲病の完治薬は完成したみたいだけど、黒雲を晴らす魔法とかは開発されてないのかな?
それがあれば今後黒雲病になる人はいなくなるし、完治薬もいらなくなる。
だけどそんな簡単に黒雲を晴らせたら苦労しないよね。
まずなんで黒雲が世界を覆っているのかもわかっていないのに。
……シエルは、そろそろ起きた頃だろうか。
ヘレナさんとの訓練のときに、僕がどこに行ったか聞くだろう。
そして、シエルを置いていったことに気づいてしまうだろう。
シエルが悲しい顔をするのがわかってるから、見たくないから、僕は黙って出発してしまった。
ヘレナさんもそれに気づいていると思う。
本当は僕が直接言うべきなのに、ヘレナさんに任せてしまった。
それがわかっていてあの人は何も言わずに見送ってくれた。
ヘレナさんにはお世話になってばかりだ、絶対に恩を返さなければいけない。
今回はシエルを置いていかなければ、先に行ってるアイリさん達に追いつけない。
だから置いていくしかなかった。
シエルを足手纏いなんて思ったこと、一度もない。
意図せずに名前を付けられて契約をして相棒になったけど、彼女と相棒になって本当に良かったと思ってる。
キョースケっていう名前も、とても気に入ってるしね。
シエルが目標に向かって努力する姿は、本当に凄くて尊敬する。
お兄さんのような犠牲者を出さないために黒雲を晴らす。
だから今も厳しいヘレナさんの訓練を頑張っているだろう。
シエルには僕のワガママに付き合わせるわけにはいかない。
これは僕が、エリオ君を助けたいから勝手に取った行動だ。
だから待ってて、シエル。
すぐに戻るから。
多分怒られるだろうなぁ。
シエルはお姉さんのカリナさんに怒るときはとても怖いんだ。
僕鳥だけど、正座できるかな?
出来ないと思うし、正座は勘弁してほしいなぁ。
◇ ◇ ◇
一人の男が、ノウゼン王国のスイセンという街に到着した。
「へー、いい街だなぁ」
活気付いている商店街や人々の様子を見ながら、笑顔で歩きながらそう言った。
その日のスイセンの街の門番は、二人だった。
もっと人数が多い方が、よかったのかもしれない。
そうすれば、この男を街中に入れなくて済んだかもしれない。
「この街滅ぼしたときの光景が、思い浮かぶ……ああ、とても、いい街だ」
口角をさらに上げながら、その男は呟いた。
そのまま歩いていき、情報にあった冒険者ギルドに向かった。
中に入ると、何人かの冒険者がその男を見る。
男の姿は異質だった。
服は真っ黒で統一されていて、防具などは無く武器なども持っていない。
顔も幼く見えて、どう見ても冒険者には見えない。
依頼者なのかもしれないが、そのようにも見えない。
ギルドに入って周りを見渡して何人もの冒険者を見ると、にこやかに笑う。
警戒を解くような笑顔だったが、さらに警戒した者もいる。
(なに、あの人……冒険者じゃないし、依頼者にも見えない)
あと一週間ほどでギルド長という立場を捨て、王都に行こうとしているカリナだった。
その男がカウンターに近づいてくる。
「退いて、私が対応する」
「えっ? は、はい」
そのカウンターにいた受付嬢を下がらせ、自分で対応しに行く。
「ようこそ、冒険者ギルドへ。ご依頼でしょうか、それとも冒険者登録でしょうか?」
典型の言葉を、いつもの笑顔を顔に貼り付けて問いかける。
「聞きたいことがあるんだ」
カリナの言葉を完全に無視して、男は続ける。
「赤い鳥知らない?」
「……赤い鳥、ですか?」
「うん、僕そいつを殺さないといけないんだ」
「――っ!」
赤い鳥と聞いて、すぐに頭に浮かんだのは妹の相棒のキョースケだ。
キョースケを殺すと、目の前の男は笑顔のまま言った。
まるで友達と会う約束をしているかのように、軽い口調で。
その殺すという言葉を軽く言う男に、カリナは最大の警戒心で対応する。
「申し訳ありません。赤い鳥と言われても、レッドバードかガルーダという魔物しか思い当たりません」
「……へー、そうなんだ」
「主な生息地が書いてある紙をお渡ししましょうか?」
「嘘つくんだ」
「……なんのことでしょうか?」
顔には全く出さず、カリナは笑顔を貼り付けたまま聞き返す。
「知ってるなら話してよ。僕も面倒なことはしたくないんだ」
「……申し訳ありません、何をおっしゃているのかわかりません」
どうやらこの男に、嘘をついているとバレたようだ。
しかし言うわけにはいかない。
キョースケのことはもちろん、その契約者は自分の命よりも大事な妹だ。
その妹にこんな危険な男を、近づかせない。
男は顔を伏せて、あからさまにため息をつく。
「はぁ、じゃあいいよ。面倒だけど、無理やり聞くから」
次の瞬間、カリナの目の前に男の手があった。
残像しか見えなかったが、男が手を広げてカリナの顔を掴もうとしてきたようだ。
ギリギリで止まったその手を見てから、すぐに後ろに下がる。
「……なに、邪魔なんだけど?」
「俺がお世話になってるギルド長に手を上げようとする馬鹿を、見逃すわけにはいかないだろ」
「オルヴォさん……!」
男の手がギリギリで止まった理由は、A級冒険者のオルヴォが男の腕を掴んで止めてくれたからだった。
(こいつ、細いくせになんて力してやがる……!)
どう見ても自分より華奢な男の腕を片手で掴んでいるのだが、その細い腕から出ているとは思えない力に内心驚く。
男はオルヴォの腕を払い、一歩後退する。
近くにいた冒険者たちも、今の攻防を見てこの男がヤバイ奴だとわかり武器を抜く。
「はぁ、面倒だなぁ。ゴミ虫がたかって……邪魔するなら、全員踏み潰すよ?」
「やってみろ、ガキ」
男の目が、妖しく光った。