第88話 夜のベランダ
エリオ君の家に行った、その日の夜。
いや、もうこの時間帯は深夜かな。
いつもならシエルのベッドで、抱き枕になりながら寝ている時間だ。
だけど今日は、寝れなかった。
シエルには悪いけど腕から抜け出して、屋敷のベランダで空を見上げて考えごとをしている。
空を見上げているといっても、黒雲で覆われていて月明かりも出ていない。
街を見渡すと、街灯や家の明かりが少しついていて、月明かりが無くても完全な暗闇にはなっていない。
考えていることは、エリオ君のことだ。
前世の僕とほとんど同じ、いやそれ以上に可哀想な境遇。
絶対に、助けてあげたい。
僕はエリオ君を見て、前世のことを思い出しているんだ。
前世の僕の、父さんと母さん。
あの二人に僕は、何も返してあげられなかった。
僕はそのことが、前世での一番の心残りだ。
ずっと支えてくれた両親に、恩返しができずに死んでしまった。
エリオ君には、僕みたいにそんな経験をしないで欲しい。
あんなにエリオ君を想っている両親と一緒に、ずっと楽しく仲良く暮らして欲しい。
もちろん人は死ぬから、いつか別れるときが来るだろう。
だけどそれは、今ではないはずだ。
少なくとも、エリオ君から先に死んじゃいけない。
あんな小さい子が、あと一ヶ月の命なんて……そんなの、あんまりじゃないか。
だから絶対に助けたい。
だけど……どうすれば助けられるか、それがわからない。
黒雲病は治せない病気、というのをシエルやアリシアから聞いた。
進行を遅らせる薬は開発されているが、それを飲んでもエリオ君はあと一ヶ月しかない。
一ヶ月……あまりにも短すぎる時間だ。
「キョースケ様、何をしていらっしゃるのですか?」
突如後ろから声がして、一瞬身体をビクッと震わせる。
声でわかったが、振り向くとそこにはヘレナさんがいた。
というか自分が言うのもなんだけど、まだ寝てなかったんだ。
まだメイド姿だし。
「色々と準備をしていると、いつもこの時間ぐらいになります」
僕の思考を読んだのか、ヘレナさんはそう言った。
この屋敷はただでさえ広いから、やっぱりヘレナさんでも一人でやるのは大変そうだなぁ。
「キョー」
お疲れ様です、と言って鳴く。
「いえ、いつものことなので。それで、キョースケ様はここで何を? 月見にはこのご時世、適していませんが」
確かにそうだね。
僕は前世で病院の窓から見える月が結構好きだったんだけど、それができないこの世界はちょっと残念だな。
だけど今はちょっと考えごとをね……。
「アリシア様からお聞きしました。今日夕飯をご馳走になったお家の息子様が、黒雲病に罹っていると。そのことを考えていらっしゃるのですか?」
「……キョー」
ヘレナさんはやっぱり勘がいいなぁ。
エリオ君を助けたいんだけど、黒雲病は治せないって聞いてるから……どうしようかなぁって。
「そうですか。確かに黒雲病は治せない病気として有名です」
「キョー……」
そうだよね……さすがにヘレナさんでもわからないよね。
「ですがキョースケ様、黒雲病が完全に治る薬が開発されたと聞いたことはありますか?」
「キョ!?」
えっ、嘘!?
本当に!?
「はい、私の伝手で聞いた話ですが、確かな話です。しかしこの話は、人族の国では知られていません」
人族の国では?
つまり他の国、他の種族の国ってこと?
「私が元々住んでいた国、つまりエルフが黒雲病を治す薬を開発したようです」
エルフの国が……!
あれ、そういえば、S級冒険者のアイリさんとマリーさんが依頼で行った国って……。
「はい、黒雲病の完治薬が完成されてすぐの依頼ということなので、おそらくですがそれについての依頼かと思います」
そうか!
エルフの国に黒雲病の薬を貰いに行ったんだ!
「いえ、貰いに行ったわけじゃないと思います」
「キョ?」
「エルフの国はほとんどが閉鎖的です。黒雲病の完治薬が開発されたという、とても重要な情報が出回っていないのはそれが理由。おそらく他の国にその薬を渡すのもレシピを渡すのも、元々住んでいた私からするとあり得ないと思います」
そ、そんな……!
世界中の国の人々が、エリオ君が黒雲病で苦しんでいるのに……!
じゃあアイリさんとマリーさんが行っても、無駄なの?
「どうでしょうか。おそらくノウゼン王国が取った策としては、強迫外交に近いと思います。この国でも最高戦力であるS級冒険者のアイリ様とマリー様が共に行けば、エルフの国も無下にはできません。門前払いはせずに、最低でも交渉までは持っていけるでしょう」
そうか、だからあの二人が依頼でエルフの国まで行ったんだ。
S級冒険者二人がやる依頼なんて、どんな危険な依頼なんだろうと思ってたけど、納得した。
じゃあ二人が帰ってくるのを待ってれば、黒雲病の完治薬が持って帰ってきてくれるかな?
「少し難しいと思います。確かに交渉が上手くいけば薬とレシピを持って帰ってこれると思いますが、その薬をすぐに患者に使うとは思えません。ノウゼン王国の病院でも研究すると思うので、キョースケ様が助けたいというエリオ様に届くのは遅くなると思います」
それじゃあダメだよ!
エリオ君は余命一ヶ月なんだから、早急に渡さないと!
「では、どうするのですか?」
「……キョー」
僕が直接エルフの国に行って、薬を貰ってくる。
最低でも一個、エリオ君の分だけでも。
それが一番、エリオ君を助ける可能性が高いと思う。
「そうですか」
「キョー」
ヘレナさん、そのエルフの国の場所を教えて。
そこに僕一人で行ってくるから。
「キョースケ様一人で行くよりも、アイリ様とマリー様と合流する方が可能性は高いと思います」
そ、そうかな?
確かに僕一人で行っても、言葉通じないか……盲点だった。
「ギルドに侵入すれば、お二人がどう行った道筋でエルフの国に向かったのかわかると思います。今夜侵入しますか?」
「キョ」
もちろん、早い方がいい。
だけど僕、文字読めないんだよなぁ……。
「では私も同行します」
「キョ!?」
本当!? 助かります!
ありがとうございます!
「いえ、私から話を持ちかけたので、これくらいは当然です」
じゃあ今から行こう!
「はい、かしこまりました」
よーし、ヘレナさんがいれば百人力だ。
……ん? あれ、そういえば……えっ?
「キョ!?」
ヘレナさん、僕と会話してる!?
僕の言葉通じるの!?
「今気づいたのですか」
ヘレナさんは不思議そうに頭を傾けた。