第87話 残酷な
僕も前世では、エリオ君のように行きたいところがいっぱいあった。
小さい頃からずっと病院で暮らしていたので、海とか山を見に行きたかった。
……父さんと、母さんと一緒に。
ずっと約束していたから。
治ったら一緒に行こうって。
治ることを信じて、ずっと耐えて……それが報われずに、死んでしまった。
今でも忘れられない。
最期の眠りにつく前に見た、父さんと母さんの顔。
あんな顔をさせた僕は、なんて親不孝な息子だったんだろう。
一緒に海や山に行って、笑い合いたかった。
この世界に来て、ずっと夢だった鳥になれて、そして海と山を見た。
とても嬉しいし、感動した。
だけど……思ったよりも呆気なかったのは、父さんと母さんがいないからだろう。
二人と、一緒に見たかった。
ずっとそう願っていたから、一人で見ても少し味気なかった。
一人じゃダメなんだ。
おそらくエリオ君も一人で見に行きたいわけじゃない。
両親と一緒に、見に行きたいのだろう。
「キョースケ、大丈夫?」
エリオ君が僕の顔を心配そうに覗き込んでくる。
翼を動かして頰のあたりに触れると、確かに僕は涙を流していた。
全く気づかなかった。
エリオ君の話を聞いて、前世の両親のことを思い出したからだろう。
ほとんど同じ境遇だからこそ、エリオ君の今後に待ち受ける運命が残酷なのがわかってしまう。
黒雲病は治る手立てがなく、進行が進んでいくと死んでしまう……。
つまりかかったら、確実に死んでしまうということだ。
薬で多少その進行を遅くすることができるようだが、それでは意味がない。
「キョー」
大丈夫、と言うように強く頷いて、エリオ君を安心させる。
エリオ君はなぜ僕が泣いたのか不思議そうにしていたが、「それでね!」と言って話を続け始めた。
次は泣かないよう気をつけながら、エリオ君の話を聞いた。
その後、エリオ君ともう少し遊んで、遅い時間になったので僕たちは帰ることになった。
「今日はありがとうございました、美味しいご飯をご馳走していただいて」
「いえいえ、お礼を言うのはこちらです」
シエルとエリオ君の両親が、玄関で挨拶をする。
「エリオ君、もう迷子になっちゃダメっすよ」
「うん、一緒に探してくれてありがとう! また遊ぼうね!」
エリオ君も笑顔で手を振ってくれる。
「キョースケ、またね!」
「……キョー」
僕も翼を使って「じゃあね」という意味を込めて、手を振り返した。
屋敷に戻る途中、僕は衝撃な話を聞いてしまった。
シエルが僕とエリオ君がいない間に、両親から聞いたこと。
「エリオ君――寿命、あと一ヶ月だって」
それは、僕が考えていたよりも残酷な運命だった。
僕は思わず、「キョ……?」と聞き返してしまう。
嘘でしょ? だってまだ、エリオ君は十歳だよ?
僕も早死にだったけど、それでも一六歳だった。
それよりもっと早いなんて……。
「黒雲病の発見が遅かったみたいっす。肌に黒い部分が出てから病院に行ったら、すでに内臓には結構進行していたらしいっす」
黒くなったところが壊死するってのは、肌とか表面だけじゃない。
身体の中、内臓まで侵食し壊死させていくようだ。
「進行を遅くしても、一番大事な臓器、心臓とか脳の近くまで侵食しているみたいで……一ヶ月が、限界みたい」
シエルは目に涙を浮かべながら、そう言った。
アリシアもいつもの明るい笑顔はなく、悲しそうな表情だ。
――あんまりじゃないか。
あんな小さな子供が。
「エリオ君は海とか山とか行きたいって言ってるんだけど……そういう場所に行くと、進行が早まっちゃう可能性があるみたい」
「黒雲で凶暴化した魔物が近くにいると、なぜかわからないけど黒雲病を早めるらしいっすね」
「だからご両親は、エリオ君の願いを叶えたいけど、叶えたら死期が早まっちゃう可能性が高くて……どうするか迷ってるって」
海や山を、お父さんとお母さんと一緒に見に行きたいと、そんな小さくて些細な優しい願いを持つエリオ君が。
なぜあと一ヶ月で、死なないといけない運命なのか。
「キョースケはどっちがいいと思う? 死期を早めちゃうけど、海や山を見に行くか……それとも、寿命が縮まらないように安静にして、家族で最期まで過ごすか……」
そんな残酷な二択を、選ばないといけないのか。
彼の両親も、そんなこと考えたくないはずだ。
エリオ君のことを大事に想っている人が、残酷すぎる決断をしないといけないのか。
その二択のどちらがいいか?
選ばなければいい。
選んではいけない。
――エリオ君が長生きして、家族で一緒に海や山を見に行く。
これ以外に、選んじゃいけないんだ。
その選択肢を、作らないといけない。