第55話 姉妹の話し合い
シエルは一人、家で姉の帰りを待っていた。
相棒のキョースケは、S級冒険者のアイリとその弟子のアリシアが連れていってくれた。
久しぶりに家で一人。
キョースケが来てからは、一度も家に一人という状況はなかった。
一人でいると、昔のことを思い出す。
シエルには両親の記憶がない。
物心がついたときには既に、親はいなかった。
十歳上の姉カリナと、十三歳上の兄アルフィート。
その二人がシエルにとって、姉と兄。
そして、母と父だった。
剣の才能があった兄ととても頭がよかった姉。
兄は冒険者として活躍し、姉は受付嬢として優秀で、自分を不自由なく育ててくれた。
そしてシエルが十歳の頃、姉はその実力を買われて、二十歳という若さで冒険者ギルドのギルド長となった。
兄のアルフィートもA級冒険者という地位までに至った。
二人は、シエルの憧れだった。
どちらの道を目指すのか、シエルはとても悩んだ。
贅沢な悩みで、夕食のときに兄と姉の二人から話を聞いたり、自分がどちらかになったときにしたいことを話したりした。
三人は笑顔で、とても楽しく、幸せだった。
しかし――五年前、黒雲がスイセンの街の空を覆ったとき、それは起こった。
その日はシエルと兄のアルフィート、二人で薬草を取りに街の外に出かけていた。
まだ薬草が草原に咲いていたので、そんな危険な依頼ではない。
だから十一歳のシエルがいても、大丈夫だとアルフィートは考えていた。
だがその日に街や草原、森の上空を黒雲がいきなり覆ったのだ。
その速度は速く、数十分で見渡せる範囲の空全てが、黒で染まった。
そしていきなり魔物が凶暴化した。
A級冒険者のアルフィートがいつもなら簡単に倒せる魔物が、苦戦を強いるほどの強さになってしまった。
しかもシエルがいるので、守りながらの戦いとなる。
そして熊の魔物にシエルが襲われかけ、それをアルフィートが身体を呈して守り、吹き飛んだ。
その攻撃が致命傷となった。
致命傷を負いながらも、魔物を一人で倒し続け、シエルを街に戻るまで守りきった。
そして街の門のところで、アルフィートは力尽きた。
あのとき、自分がいなかったら。
アル兄は一人で帰ってこれた。
自分がもっと強ければ、アル兄は死なずに済んだ。
その思いが、シエルの心を占めた。
だからシエルは、強くなると決めた。
冒険者か受付嬢、その二つで迷っていたのが、決まった瞬間だった。
あの黒雲が、世界中に広がっている。
魔物も凶暴化しており、その魔物に襲われて死んだという人をよく耳にする。
強くなり、あの黒雲を消す。
それが、自分を守ってくれたアル兄に対して、してあげられることだと思っている。
シエルがそんなことを考えていると、家のドアが開いた音がした。
そちらの方を向くと、姉のカリナが帰ってきていた。
「おかえり、お姉ちゃん」
「……ただいま、シエルちゃん」
いつもなら家の中に入ると、すぐに服を脱ぎ始め、下着姿になるカリナ。
だが今日は、そのままの格好で家に入り、テーブルに座った。
シエルもその対面に座った。
「……なんで、王都に行きたいの?」
カリナが最初に、話を切り出す。
冒険者ギルドのギルド長としてではなく、シエルの姉としての質問だ。
「A級冒険者に、なりたいから」
シエルは姉の目を真っ直ぐと見つめながら、そう言った。
「なんで……って、聞かなくてもわかってるけど」
カリナは知っている。
シエルがギルドの依頼掲示板に、五年前からずっと貼ってある『黒雲を、調査せよ』を、いつもチラチラ見ていることを。
あの依頼は、A級冒険者からしか受けられない。
「……シエルちゃんが黒雲を調査しても、何も変わらないよ。あの依頼書が出されてもう五年も経ってる。それなのに、黒雲の調査は一向に進んでない。世界中の国が調べてるのにもかかわらず」
カリナも独自に調べたことがある。
ギルド長という立場を使って、情報を得た。
色々と情報を集めてわかったことは、あれは自然的なものではなく、人為的に発生したものだということ。
それだけしかわからなかった。
誰がやったのか、黒雲を世界中に広げて何をしたいのか。
全くわからない。
「だからシエルちゃんがしなくても……」
「お姉ちゃん、それでも私はやるよ。私が成し遂げたい、目的のために」
「……っ!」
シエルの力強い言葉に、カリナは言葉が続かなかった。
シエルの気持ちは知っている。
兄のアルフィートを思って、目標を掲げて冒険者をずっとやってきていた。
だから本当は、本当は、止めたくない。
だけど……。
「お姉ちゃん、私は置いていかないから」
「――っ!」
「お姉ちゃんとアル兄が私を育ててくれた。だけどアル兄が死んじゃって、それからお姉ちゃんは一人で私を育ててくれた」
「……」
「アル兄が死んで一番悲しいのは、お姉ちゃんのはずなのに。私より一緒にいた時間が長いお姉ちゃんが一番苦しいのに、それを表に出さずに私には笑顔を見せて……私が寝たときに、泣いてたよね?」
「っ! 気づいて、たの……?」
アル兄が死んだとき、シエルは自分のせいだと塞ぎ込んだ。
それを励ますために、カリナはシエルの前では絶対に笑顔を保っていた。
そのお陰でシエルは立ち直れ、ここまでやってこれた。
しかしシエルはある日、自分を慰めるために一緒に寝ていて、トイレに行きたくなって目が覚めたとき。
自分を抱きしめているカリナが、泣いていることに気づいた。
辛いのは自分だけじゃない。
いや自分よりも辛いのは、姉のカリナだった。
シエルは両親を覚えていないが、カリナは覚えている。
つまりカリナは両親が死んだときのことを、はっきりと覚えているのだ。
自分を育ててくれた両親が死んで、どれだけ悲しかったのだろう。
そして両親が死んだあと、一緒に支えあって生きてきたアル兄がいなくなり、どれだけ辛かったのだろう。
それでも一人、シエルを育てるために強くあり続けたカリナ。
カリナはシエルを王都に行かせたくないのは、心配しているわけではない。
いや、それももちろんあるのだろう。
ただそれよりも――怖いのだ。
大事な人、家族を失うのが怖い。
ただそれだけで、シエルの気持ちも考えずに、自分勝手な思いをぶつけて――。
いつの間にか、カリナの頰に涙が流れている。
それを見てシエルは立ち上がり、カリナの側に立ち、抱きしめる。
カリナの頭を、胸の中に抱きしめる。
自分の心臓の音を、聞かせるかのように。
「お姉ちゃん、私は死なないから。絶対に、お姉ちゃんを置いていかないから」
「シエルちゃん……!」
「絶対に、お姉ちゃんのもとに帰ってくるから」
姉の頭を、子供をあやすように撫でるシエル。
カリナはそれを受け、涙を流しながら抱きつく。
「絶対に、死なないでね……」
「うん」
「私に……『おかえり』を、言わせてね……」
「うん、絶対に、『ただいま』って言いに帰ってくるから。ずっと、いつまでも」
今日、その姉妹は。
数年ぶりに、二人一緒のベッドで寝た。
数年前、姉が妹を慰めながら寝たように。
今度は、その立場を逆にして。