第16話 女の子
「はぁ、はぁ……!」
その女の子――シエル・クルームは、息を限界まで切らして走っていた。
何もない草原。
だが、この草原の中に所々に咲いている花。
それは煎じて飲むと薬になる。
シエルは街で依頼を受けて、この草原まで来ていた。
ほんの五年前まではその花はこの草原のいたるところに咲いていたのだが、黒雲のせいで花は枯れていった。
今ではここの草原だけでは足りずに、遠くの森の中まで取りに行かないといけなくなってしまったのだ。
シエルは森まで行って花を採取して帰る途中、運悪くも自分じゃ対処できないほどの魔物に遭遇してしまった。
グレイウルフ。
体毛が灰色の狼の魔物、だった。
今ではこの魔物も黒雲の影響で体毛が真っ黒になり、凶暴性が増している。
前までは自分の縄張りに入ってきた者にしか攻撃してなかったはずなのに、今は遭遇しただけで襲いかかってくる。
狼というだけあってとても足が速い。
シエルが魔法で身体を強化しているにも関わらず、全く距離が離れない。
身体強化の魔法をしていなかったら、すぐに捕まって喰われていただろう。
しかし、もう時間の問題だ。
魔力が尽きぬ限り身体強化は続くが、そろそろ魔力も無くなってしまう。
さらに体力を向上しているわけではないので、街に着くまでこの速さを維持できるわけない。
「あっ――!」
そんなことを考えながら走っていると、足がもつれて転んでしまう。
そのままの勢いでゴロゴロと転がっていくが、すぐに止まる。
倒れたまま後ろを振り返ると、グレイウルフがもう避けられない距離まで来て飛びかかっているところだった。
もう無理だ、死んでしまう。
そう思った時、最後に頭に浮かぶのは死んだ兄のことだった。
(お兄ちゃん……! 死にたくない! まだ、お兄ちゃんとの約束を果たせてないよ……!)
しかし、もうどうすることもできない。
ただ目の前の光景を見続けることしか。
そして――その光景が一転する。
突如、シエルの目の前からグレイウルフが消え、真っ赤な熱い何かが通り過ぎた。
「えっ?」
いきなりのことで戸惑ったが、おそらく今のは炎だろう。
それが通り過ぎた後、地面を見ると黒い物体が燃えていた。
一瞬それがなんだが分からなかったが、先程のグレイウルフの肉片だと気付く。
命の危機から逃れた、とようやく理解したが、その上でまた恐怖心が生まれる。
自分が何も出来ずに逃げるしかなかったグレイウルフを、一瞬で肉片にしてしまう攻撃がすぐ近くで行われたということに。
そんな攻撃を自分が喰らったらひとたまりも無い。
今の攻撃がどこから来たものか、と周りを見渡そうとすると、目の前に何かが降りてきた。
それは、鳥だった。
先程の炎のような真っ赤な体毛に覆われていて、とても鋭い目には真紅の瞳が光っている。
体長はそこまで大きくない、先程のグレイウルフの方が大きいくらいだ。
(もしかして、この鳥……魔物が、さっきのを?)
グレイウルフを消し飛ばした炎をこの鳥がやったと考えると、今シエルはとても危ない状況にある。
さっきのは運良くグレイウルフだけが当たったが、少しでもズレていたら自分に当たっていた。
真紅の瞳がシエルを捉えている。
何が目的なのか。
狩りが目的だったら、グレイウルフを炎で消し飛ばしはしなかっただろう。
だから他に目的があるのかもしれない。
いや、もしかすると――邪魔者を殺して、獲物である人間を捕らえにきたのか。
そう考えてしまい、ゾッと背筋に寒気が走る。
さっきの炎を出した魔物に、自分が勝てるとは思えない。
絶望的な気持ちで目の前の鳥の魔物が、何をするかを見ていた。
「キョー、キョー」
……その真っ赤で綺麗な身体からは想像もしなかった鳴き声に、拍子抜けしてしまった。
結構高く、男の人が無理して裏声を出そうとしたような声で変な鳴き方をするから、なんとも言えない気持ちになる。
その鳥もキリッとした顔付きだったはずなのに、その声を出した瞬間からボケーっとしたような顔になっている気がしてしまう。
「キョ、キョキョ、キョー!」
変な鳴き声を上げながら、今度は翼などをバタつかせている。
おそらくこの魔物は知性があり、自分に何かを伝えようとしているのだろう。
だけど、その鳴き声や姿は控えめに言って滑稽だった。
死ぬかもしれないという恐怖が一気に無くなったことを感じて、そして目の前の鳥の姿を見て我慢ができなくなる。
「あはははっ! 何その変な動きと声!」
地面に座り込んだまま笑い声を上げてしまった。
その鳥もずっと変な動きをまじえて鳴き声を上げていたけど、自分が笑い出したことによってそれも止まる。
鳥の顔も、さっきよりなんだかボケーっとしている気がしてくる。
「あはははっ……!」
笑い過ぎたのか、それとも恐怖から逃れた安心からか。
シエルの目には涙が浮かんでいた。