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※このあと0時、幕間の投稿を予定しております。
また、幕間回については物語に直接関係のある内容となっております。
04
俺たちが車に乗り込んですぐに、アルバートの携帯が鳴った。
既に車を出してしまった彼は、俺にそれを渡してきて、通話をハンズフリーにするように求めた。
「いいんですか?」
「ええ、恐らくは共有すべき内容でしょう」
そんなやり取りで以って、俺は通話を開始する。
その開口一番は、予想外なことにキティの声であった。
『緊急事態だ。タツキにも聞こえるように頼む』
その声には切迫感があった。俺は携帯の音量を最大にして、
「聞こえてる」
それだけ伝え、それ以降の会話をアルバートが取り次いだ。
「何がありました?」
「二つ、予想外のことが起きた。一つ目はアレが予定より早く出てきたことだ」
それは、なんとなく察していたことでもあった。送迎係に向けた連絡など、どう考えても取り急ぎ伝えるべき内容に違いない。
しかし続いた内容に、俺は言葉を失った。
『二つ目は、アレがデカくなってたことだ。ざっくり見積もって百メートル弱、この間見たのの十倍だ』
「それは、……ええと。――すぐに向かいます」
それだけ言って、アルバートがハンドルを切る。車線変更のような挙動を経て、車は躊躇い無しの急加速を始めた。
『このまま作戦を共有するから切るなよ? タツキもよおく聞いておいて』
緊張感のこもった声のままで、しかし冷静な声でキティは続ける。
『アレを倒すのが、君の聖剣の役割だって仮説だったけど、うん、どう見たって刃が通らない。或いはそこに効いてくるような性能もあるのかもしれないけど、一から十まで試す時間はない、よく聞いてね』
一度言葉を切る、
『アレの弱点に剣を突き立てて見て、だめだったらこっちの切り札を打つ。ダメ元みたいな作戦に巻き込んで申し訳ないけど、それで了解してほしい』
「いいよ、乗り掛かった船だ」
向こうの緊張感にあてられてノータイムで出した結論に、彼女は短く礼を言って、
『弱点は心臓だ。古来から魔獣の類は、その血液に最も魔獣としての性質を映す』
ジークフリートが血を浴びて無敵になった逸話が、一番教科書的だけどね、と続けて。
『ただしこれも仮説だ、教科書通りだから採用したに過ぎないアイディアだ。しかしそれで行く、君には、つまり心臓まで到達してもらう必要があるんだ』
言葉を待つ。俺にはその術が、想像もつかなかったからだ。
しかし、
『ひっくり返すから、車でそこまで行ってくれ』
「――は?」
聞いてなお、全く想像がつかないことを彼女は言ってのけた。
『作戦は以上、何かある?』
「何も、了解しました」
俺の言葉は待たずに、アルバートがそう答える。言葉尻に、あとは任せてください。と付け足して、
『頼んだ。悪いタツキ、ここまでだ。アイツ洒落なんないっ、ちょっと出てくる!』
最後の言葉は気が逸ったようにまくし立てて、そして通話が終了する。
俺は、あっけにとられたままようやく声を出す。
「あの、……車で行けって言うのは?」
「雨に濡れなくていいじゃないですか。それで、どうでしょう、何か疑問はありますか?」
「――――。」
優しい口調はそのままでも、どこか楽しむような、興奮したようなニュアンスがそこにはあった。
俺は、
「あー、くそ」
そう、……吐き捨てる他になく。
「いいですよもう何聞いてもよくわかんないと思うしっ!」
「いいですね。それじゃあ、飛ばしますよ!」
――もう十分飛ばしてる、なんて思考さえ置き去りにして、車は更に速度を上げた。
ほんの数拍前までの静寂が、雲さえ揺らすような咆哮を以って引き裂かれる。
その声に滲むのは、明確な害意。
それは、敵の索敵につかまったことを物語っていた。
「やっぱバレたか! あいつ目で見てるだけじゃねえな!?」
「そっちは!?」
「完了した。到着までは五分だ、それまでにひっくり返すよ! それでそっちは!?」
「配置が完了した! 逃げられる前に、キティ!」
「オーケー!」
そして詠唱を開始する。――静かに。しかし滞りはなく。収斂し沈殿していく周囲の魔力が加速度的に密度を高め、遂に可視化し、キティの足元がほのかに光る。それが、滑るように円形に広がって、半径十メートルを超える巨大な魔方陣を描いた。
「伝達! キティの詠唱が始まった! そいつを絶対に逃がすなよ!?」
何をきっかけにアレが消えるかは、ケイルにしても確信できるような兆候はない。アレに見つかってしまった以上は、彼らにできるのは注意を引くことのみであった。
キティを見る。巨大な魔方陣は胎動し、そしてぶれるような挙動を起こす。魔方陣が持ち上がる。否、全く同じ規模の、しかし文様に明確な差異のある魔方陣が、さらに三つ、天に向かって展開したのだ。その間隔は、それぞれ二十メートル程度。キティが司る空間は、高さだけで言えばアメフラシの体高にさえ届き得る。
「――――」
その巨大な魔方陣の間隔に、更に大小幾重もの魔方陣が展開する。それぞれが膨大な魔力で紡がれた輝く柱は、或いは龍脈と呼ばれる魔力の川を直立させて、そのままスライスしたような光景でさえある。
そして、
「――召喚詠唱。私は定義する」
詠唱を唄とする。
「――塩の柱と海の亡骸。あまねく全ての薪をくべ給え。
――世界を終えろ。砂を耕せ。一を定義し、神を名乗り給え。
――観測し給え。空転し給え。計り為し営む卵殻よ。
――あなたの碑は、ともに水没するために在る。
――盟友よ、私はここにいる」
バベルの時代より消失したはずの統一言語で成されたその詠唱は、音ではなく意味としてケイルの脳を、思考を上書きする。その感覚に抗い思考を手繰り寄せながら、ケイルは戦場を俯瞰する。
……これだけの極大魔術だ、アメフラシに捕捉されないはずがない。
「各員、アメフラシの足止めをしろ! 霧散現象の余地らしきものに気付いた際は、すべて俺に伝えるように!」
先にそれだけを全員に向けて飛ばし、各個に改めて詳細な指示を飛ばしながら、ケイルはアメフラシの足元に炸裂するいくつかの剣戟を見る。それは、アメフラシが元来のサイズであったなら両断さえ可能なはずの斬撃の嵐であって、しかしここから見るその瞬きは、巨獣と比べれば火花にも劣る。
――一歩踏み出すごとに、その足音は冗談のように雨を揺らして、
「……っ!」
彼我の距離が二キロを切った頃、アメフラシが重低音を響かせながら加速する。
野生の獣の走り方で、それは、直線を突っ切ればあと十秒もかからない速度で駆け抜けてきた。
しかし、
「待機二陣! 今だ!」
機関銃のような魔法の掃射が起きた。それは獣が行く軌道をかすめ、しかしすんでのところで翻った獣に躱され、
――そして、爆発が起こる。それは。飛びのけた獣の足元に配置した団員による半設置的な奇襲だ。
「状況は!?」
ケイルが怒鳴る。返ってきたのは、損傷皆無というにべもない言葉、しかし、
それは分かっていたことだ。アレは、達城の聖剣のような、上位存在による祝福のない攻撃では損なえない。
それならば、さて。そう、ケイル・キングは嗤う。
――なぜ避けた? と。
「遊撃隊が到着した! 総員備えろ!」
直後に、同規模の爆発が、アメフラシの足元から同時に三度起きる。物理的損傷はなくとも、地面を踏みしめている時点で、アレは物理法則には従っているはずであるからして、
――つまりは、
あまりの衝撃に損傷などないままで大きくのけぞったアメフラシの姿はまさしく天を衝くほどのものであって、しかし倒れず大勢を取り戻す。
『挙動の変化を確認! 霧散するかもしれません!』
「キティ!」
「こっちはオーケーだよ。君らのおかげで仔細完璧な詠唱が出来た」
その声は、
――幾重の魔方陣の内側から響いた。
低く唸る駆動音のような音はどこまでも整然としていて、それが魔法の完成を物語る。
その内より、キティは這出て、
ケイルの方へと歩み寄る。
「もうこれは現象として成立してる。指先で小突けば、それで決壊だ」
「よろしい。――各員に通達! 魔法が成立した!」
了解の声が人数分返る。それが、防御態勢への移行が完了した合図であった。他方アメフラシは、これ以上前衛陣が威嚇を続ければいつ消えるかもわからない。
撃つなら今だ、ケイルはキティに、そう告げる。
「了解」
短く言って、最後の詠唱を、彼女の使う言葉で紡ぐ。
「召喚術式。ザ・サン・オブ・ア・ヴァンパイア(サノバヴァンプ)。
――現れ給え、盟友よ。夜ではあるが、許す。今宵は君の時間だ」
そして世界は、――白昼を迎える。
「――コレは、とある吸血鬼の話です。彼女は、この世界が好きだった」
アルバートは呟くように言う。
「血の流れない平和が好きだった。静かな教会の質素な十字架が好きだった。美しい銀のブローチが好きだった。川を渡す橋の上の冷たい風が好きだった。招かれずとも友人の家に這入りこめるようなフランクな関係性が好きだった」
あとは、女の子っぽくない料理なんかも好きだったって話ですね、と苦笑するように続けて、
「彼女は、この世界が好きだった。この世界の夜も好きだし、この世界の昼だって好きだった。太陽に照らされた道を散歩するのが好きだった。けれど、彼女は吸血鬼だった」
ゆえに、
と、言葉を切って。
「弱点の克服に、吸血鬼になって以来の最初の五十年を費やしたそうです。それでもどうしようもないものは」
――例えば、太陽に焼かれる、という最もメジャー且つ最も致命的なものなどは、
「その根源と取引することで、帳消しにしたのだそうです」
それがアレだと、車の外を視線で差す。
その光景に俺は、永遠に時間を忘れるような感覚でいた。
彼は楽し気な口調で「その時の話はこの先千年は語り草になる」なんて言いながら、
「太陽の召喚。彼女は昼を克服するために、驚くべきことに、太陽と和解して見せたのです」
もちろん、一人でできる所業ではない。
彼女と、いずれ魔法世界を崩壊に導く、とある一派が総出になって起こした事件であったと、彼は締めた。
――それは、まさしく太陽の顕現であった。
ただし、本物というわけでは無かろう。それは俺の目を焼くことはない。恐らくはサイズも落ちているのだろう、その輪郭には、元来にはそのふざけたスケールにより決してあり得ない、ささやかな湾曲が見て取れた。……或いは、月を見るときのような、一種の安心感を持って、俺はその光景にくぎ付けにされた。
「――――。」
真昼の化身が、俺の視界のど真ん中にある。
空いっぱいに、白く輝いているのだ。
白く、それこそ月のように。むしろ月が落ちてきたと言われた方が納得できる光景だ。なにせその白い太陽の奥には、未だ夜が広がっている。
ここからは、その光景が一望できる。惑星が雨雲を割って、この地表をのぞき込んでいるような恰好だろうか、そこでは、――雨が、当たり前のように消えていて、雲一つない空の最中に、白い太陽が、ほとんど地表に接するような距離感で、忽然とそこにあった。
「すごい方ですよね、本当に」
すぐそこにいるアルバートの言葉さえ、俺の耳には届かない。
「あちらも佳境のようです、行きましょう!」
その言葉に灯る熱は、きっと彼の興奮を物語っていたのだろう。これは、そう、
――いい天気だと静かに心が躍るような、或いはそんな感情だ。
雲一つない光景の下で、魔獣が天に向かって咆哮する。それは、いっそ威嚇などではなく、一種の高揚感の発露のようにも見えた。
「アメフラシ(アレ)には影響がないのか、キティ?」
「ガワだけ召喚して、物理的に雲を散らしただけだからね。わかるだろ? その辺は本当に気を使わないと普通に世界が終わるんだ」
言いあう二人だが、その視線は目の前の景色に奪われていた。間違いなく目前にいるのは討伐すべき対象であったが、しかし、
――惑星に吠える獣とは、あまりにも景色として出来すぎていた。
「なんだ、倒すのがもったいない?」
「馬鹿なことを言うな」
ケイルは短く答える。
「それより、アレをひっくり返すのだろう? 逃げられる可能性を弾ければ、我々にも選択肢が増える」
「仮説だけどね?」
キティが言うのは、アメフラシの霧散と出現が雨雲の範囲に依存しているという仮説である。つまり、雨雲が無ければ、アメフラシは消えることが出来ない。……キティはここに至るまでその「能力の範囲に限界があるという前提で建てられた仮説」を半分は信じ切れていなかったが、
「――まあ、それはいいか」
ここに至り、アメフラシの能力である雨雲が消えてもアレがまだ逃げていない現状を考えると、仮説が当たっているという線は非常に強い。
「或いは単純にアレが、あの私の太陽との戦力差も図れない馬鹿って言う線も残ってるけど」
軽口じみた物言いで、キティは嘯く。
その言葉に、それはないだろう。とケイルは返す。
当然だ。誰にだってわかる。生命個種は、絶対に、惑星一つより格下である。
「とりあえずは、仮説が合っていたものとして進めさせてもらう。これ以降は殲滅戦だ、まあしかし……」
お前にとっての本命の方は、外れてしまったのか、と。
ケイルは言う。
「いいさ、タツキだって腹を決めてくれたんだし、それに」
――これを見せてやれたし、という言葉を、キティは言わずに飲み込んだ。
念話による指示が飛び交う。その全てはケイル・キングによる多重詠唱の応用によるものであった。最低でも五つの会話を、彼は無声にて同時にこなす。元来ならそれはキティと分担するべき作業であったのだが、その彼女は、
――今まさに、戦場のど真ん中へと降り立った。
「……、……」
複数個の会話を同時にこなしながら、それでもケイルは思わずにはいられなかった。つまりは、吸血鬼という存在の脅威を。
彼女はただ一言、出る。とだけ残し、何歩かの助走を経て、そして踏み切り一歩で戦場のど真ん中、――都合二キロ先までを飛んで見せたのだ。当然その所業は、彼女にしても魔力による保護が無くてはあり得ない。しかしそれでも、それでもなお、人が膂力にて地平まで跳ぶ姿と言うのは現実離れした光景である。
ケイルは、彼女に念話を飛ばす。
「仔細ないか?」
「――仔細ないよ」
戦場のど真ん中にて、彼女はそう答えた。
着地の衝撃で巻き上がった泥は、彼女の身体から勝手に漏れる魔力がすべて払いのける。そして、汚れない分には不都合がないからと、彼女はそれを気にしない。漏れ出す魔力が「指向性を与えずとも物理的に効果を及ぼすほどの密度」のものであったとして、しかし、――人が呼吸で排出される酸素を惜しんだりはしないように。
「キティさん!」
騎士団の一人が走り寄る。大柄な男で、その手にはハルバードを携えていた。
「よう。準備は上々?」
「はい!」
作戦を脳内で反芻する。まずは白駒騎士団が連携でアメフラシの体勢を崩す、ないしは浮かせる。そこまではケイルの主導により進められ、キティはケイルの指示と状況を鑑みながら、「任意の地点」へ移動する。
そして次に、ケイルの指示が出たらキティの手番である。彼女の高出力魔法により、あの魔獣を一気呵成にひっくり返す。
相手が獣である以上、完全な行動の予知は難しい。ある程度は行動予測も広く取らなくてはならない。つまり待機しアレのスキを突くのに妥当なロケーション選びについても、「ヤマを張って待つ」のは下策の一言だ。
「……機動力を重視するよ。二重二節の詠唱が限界だと思うから」
それはケイルに対する言葉であった。
『それでいい、アレを返すのは一分二十秒後だ。車一台がトップスピードで駆け上がれるだけの時間を確保してくれ』
「わかってるさ」
それだけ言って、会話を打ち止める。そして戦場を見回す。立ち位置の相関をチェスで例えるなら、ケイルとアメフラシがちょうどキングの位置に当たるだろうか。キティは、その両陣地の中間、つまりチェス盤で言うところの分水嶺、――最前線に立って、戦場を見聞する。
騎士団員たちはそれぞれが、それこそチェスであれば十数手かけて作る定石のような好位置を、初めの配置準備から維持していたらしい。敵は、その四肢の一本一本が巨木とも見紛えるような巨体である。たった一撃で人体など粉みじんにされるはずの戦場において、しかし傷を負っているように見える物は一人もいない。
「なるほど」
チェックを狙い攻め続けるチェスで例えるのは、或いは不足があるかもしれない。あれだけの巨体に刃を通すような人材は流石にいないと見えて、この戦いはむしろ、アメフラシを罠に誘導するような文脈が見える。
それを「ライブ」で行うとすれば、なるほど打ち手がいなくては成立しないやり方だ。白駒騎士団とは、相変わらずジョークが過ぎる名前であった。
『位置を指示する』
その言葉に、キティは思索を打ち止める。
「どうすればいい?」
『到着まで残り三十秒、ふむ。……そこでいい』
今まさに、アメフラシがその腕を振り下ろす。
その直下で、
人のシルエットが気合を吐いたッ!
「――っだぁァアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
その声の主はデイジー・ポーンだ。乾坤一擲、彼女はその手に携えたクレイモアを、ただ、フルスイングする。
「るぅわああああアアアアアアアッ!!!!!」
響く轟音、唸る風。
雲一つない空が揺れるほどの衝突。――その末に、
獣は上体を仰け反らせ、たった一瞬だけ確実に浮き上がる!
「ありゃ何者だ……」
『デイジーか。あの娘は、鬼、――いわゆるオーガの末裔だ』
そういえばやたらとこの国の文化にミーハーしてたな、酒弱かったけど。という脇道は置いておいて、
「撃っちゃって良いんだ?」
『いいとも』
その言葉に、キティは歩き出す。
それに並行して、その左手には雷撃の爆音をイメージする。
「――――。」
どうせ殺せない。それならそれでいい。殺せないならむしろ、躊躇なく最高出力をはじけるというものだ。
視線の向こう、獣がその前足で空を掻く。エビ反りに近いほど体勢を崩したアレがバランスを取り戻すまでは、あと十秒といったところか。
過不足ない。それまでに終わる。
足を速める。イメージを固める。過日それは、真正の竜種を貫いた『程度』でしかなかったけれど、
――今回は派手に、神鳴りの再現と行こうか!
「――っ!」
三歩走って、左手を振りぬく。それは野球の遠投のようなフォームであって、しかし肩への気遣いなどない振りぬきっぷりであって、そしてそれは、まっすぐに巨獣の胸のど真ん中を貫く。
弾ける閃光、響く雷鳴。巨獣の身体が浮き上がり、持ち上がり、足が地面を掻き、百メートルの巨体が明確に痙攣し吹き飛んで、
そして魔獣は、
――粉塵をまき散らして遂に、横倒しとなる。
そしてキティは、それを見てしかし眉を顰めた。
腕を振りぬいたままだった姿勢を、ふわりと直立にただし、
「あっと残念、ひっくり返んないかあ……」
『――仔細ないさ』
ケイルの言葉に、キティは鼻を鳴らした。そして、
念話に専念していたキティのすぐ横を、冗談のような速度で、黒い車が通り過ぎた。
『デイジー、配置に着け』
「着いてるけど、私の仕事ってなんなわけ?」
『簡単な宅急便だ。今からそっちに行くものを、アメフラシの心臓部分まで届けてほしい』
「いや、どうやって……」
『どうやってもいい』
「――……はぁ、なるほどねー?」
アホみたいな速度で走るこの車は、先程キティを追い抜いたところであった。滑走路のような広い道路、地平線を遮るものが殆どないような景色であって、俺たちはその直線距離を、白い太陽を目指して走るような格好となる。
その先にいるのが、魔獣アメフラシ、宣言通りとはいかず横倒しであったそれは、俺の断頭なぞ待たずとも完全にグロッキー状態であった。
「このままいっても登れなくないですかね!?」
俺はそこらへんに握力の限り掴まりながら叫ぶ。
「大丈夫です、隊長が手を――」
打って……、と、言葉が妙な途切れ方をする。それで俺も、彼が視線を奪われているのと同じ方向を見る。――つまりは、俺たちが進むそのまままっすぐを、
その先にいたのは、
「うぁ!?」
デイジーだ。
俺は言葉を失う。どう考えたって人を轢いて無事で済む速度じゃない。
声にならない声で叫ぶ俺の視線の先で、デイジーがなぜか、その手に持つどう見ても人が持てるサイズじゃない大剣を腰だめに構えて、
あぁ……。とアルバートが呟いた。
「――――っ!?」
無声の悲鳴が響き渡った。轟音が響き、冗談のような衝撃が身体を貫く。絶対に人一人にぶつかった時の衝撃じゃない。俺が辺りを見回すと、否、見まわそうとしてまず目の前を見てみると、魔獣アメフラシと目が合った。
――正しくは、同じ高度にあるアメフラシの視線と、俺の視線がかち合った。
「………………………………………………………。」
その煌めく両眼が、少しずつ下にずれていく。
代わりに、空が広くなる。
俺はそこで、頬を叩く暴風に気付き、
謎の浮遊感に気付き、
そういえばシートの感触がないことに気付いて、
――そして気付く。
これは、俺が飛んでいるのだと。
「……うわあ」
眼下にあるのは、先ほどまではあんなに身近だったはずの地面と、ド真ん中から二つに割れた黒い車。なるほどあそこから俺は、さながら火山の噴石が飛び上がるようにはじき出されたわけであった。マジで死ぬ。
「って、うおわあああああああああああああああああああああ!??」
死ぬ死ぬ死ぬ死ぬうわあ死ぬだろこれ普通に! 白い太陽に頭を擦るギリギリだ。どう考えたって人が死ぬ高さだ。そこを、――俺は飛行していて、
そして、その手には、いつかのように黒い剣が握られていた。
「 」
このままいけば、衝突地点はちょうどアレの心臓部分のあたりになるだろうか。
この高揚感は、初めて聖剣を握ったあの時に近い気がした。
沸騰した思考は、俺の手綱さえ簡単に振りほどいて、そして、その全能感に誘われて俺は確信する。アレにぶつかってもきっと大事にはならないなどと。
それから、もしも今度こそアレを打倒するとすれば、その時はこうやって、
――右手と左手で、剣を強く握ればよいと。
「――――っ!!」
それは、断崖絶壁にピックを突き立てるような恰好であっただろうか。時速云百キロの速度をそのままで、俺は体当たりするように魔獣の胸に剣を突き立て、
衝突した衝撃が、そのまま魔獣の背中まで突き抜けるような感覚を、俺は握りしめた手ごたえに感じた。