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03


 それからは、一瞬で日が暮れたような感覚だった。

 途中から参加した残りの授業を聞き流しつつキティを待っていた俺は、しかし結局、再びの合流が叶わずに放課後を迎えることとなる。

 帰りの道中に彼女に連絡を取ってみると、そのレスポンスは思いのほか早く返ってきた。彼女はメールにて、再三の言葉で協力への感謝と、直接話せないままで事を進めてしまったという体の謝辞を重ねてから、先ほどの会議で決まった内容をごく簡単に確認し、最後の文で俺に、自宅待機を求めていた。

「……、……」

 そして、

今に至る。

 俺は自宅のベットに転がって、何をするわけでもなくただ瞼を落としていた。

 今夜に向けて仮眠の一つでも取るべきだろう、と電気を消して毛布を被ったのは、もう二時間以上も前のことになる。本当は食事の用意を先に済ませるつもりだったのだが、それももう、なんとなく気が向かない。

……そういえば、聖剣の使い心地を確かめてみろ、なんてタスクもあったのだったか。いや全く、一般市民に出来る試し切りなど玉ねぎのスライスが関の山だろうに。

「……。」

 気怠いような感覚に、やがて俺は瞼を締めることすら面倒に感じてきて、天井を眺める。

 明かりを落とした頃と比べたら外は確実に暗くなっているはずだが、闇に目が慣れたせいだろう。部屋のインテリアに落ちる影の色まで判別できるほど、俺の目は慣れてしまっていた。

 目を凝らせば、掛け時計の文字盤のシルエットが、曖昧にだが掴める。

今は八時の半ばを過ぎた頃であった。

 どうにも、

「……、……。はあ」

思ったよりも呆けていたかもしれない。瞼を締めることこそ苦痛であっても、蛍光灯に眼球の底を刺激されないこの空間は、永遠にいられるとさえ思えてくるほどに安寧としていた。

 睡眠不足を諦めれば、こういう時間はむしろ人を癒す。

 窓の外からここまで届く雨音を、俺はいつから聞いていたのだったか。

 帰ってきた頃は、雨は降っていかなったように思う。音と気配で雨の兆しを感じたのは、まだ俺が睡眠の摂取を諦めていなかった辺りであったはずだ。

それ以来不可逆に強まる雨は、しかし窓を叩くことはなく。

音を聞くに、どうやら垂直に階下の道路を叩いているらしい。

 昼間頃にも凪を感じた覚えがある。

今日は通して風のない日和らしい。

「……、……」

俺は上半身を起こし、少し伸びて、

手探りで蛍光灯の紐を引き、強い光に軽く目が眩み、

 眩暈が消えるのをしばらく待って、ベットから、キッチンに向かって足を下ろした。



 インスタントコーヒーの用意をして、俺は居間の方に戻る。

湯気の立つそれは、しばらくはテーブルにでも放置するとして、俺はふと部屋を見回していた。

 立ち上がって、身体に力が戻ってきてみると、先ほどの二時間強のうちに思いのほか疲れが取れていたらしいことに気付いた。縮こまった関節が良く伸びていて、いつもよりも視線を高く感じる。

 換気を求めて、俺は窓を開ける。

やはり風のない日であった。

窓べりの汚れには、恐らく気遣いの必要はないだろう。――視線を上げ外を見ると、雨音との距離がぐっと近くなる。

「……、……」

 手を伸ばせば届く距離で、雨は降りしきっていた。落涙の勢いでささやかにかき乱された空気は風となり、密室の湿気に火照った俺の頬と瞼を冷やす。

これが喧噪なら、煩わしく感じるほどの音量であった。しかし規則正しい雨の音はむしろ、半覚醒の最中の俺を、再びまどろみの世界へと誘う。

 こんなロケーションで、こういう風にリラックスするという状況は、そういえばすぐこの間にも一度あったか。あの日は手先の冷えを押し殺して居座るような時間であったが、今日の涼しさはむしろ心地いい。

ただ、このまま本当に惚け始めれば、恐らくはちゃんと寒さが身に染みてくるのだろう。その時のイメージだけでなんだか身震いが効いてきて、俺はコーヒーカップを手繰り寄せる。

 その際に、視界の隅で、携帯のランプが瞬いたことに気付いた。

「……、……」

 カップを左手に、携帯を右手に。

窓べりに腰掛けてその用事を確認する。

どうやらそれは、キティからのメールの着信の知らせであった。

 曰く、送迎を行かせたので準備をしておいてほしい、とのこと。そこに併記された約束の時間は、今から十五分程度先であった。

 わざわざ出迎えてくれるというのなら、俺の方でするべき用意は身だしなみを整える程度で済むだろう。恐らくは、件の聖剣の準備を除けば、休日外出用の手荷物を軽くまとめておけばそれでいい。

「……。」

 その簡単な作業を、しかし理由もなく先延ばしして、俺はまずコーヒーの温度を唇で調べた。



 果たして、併記された通りの時間に来客を告げるチャイムが鳴る。

ドアの先にいたのは異国の風貌の、黒いスーツを着た青年であった。

「――こんばんは、タツキ・ケート」

 それもやはり、キティやデイジーのように流暢な発音であった。発色の強い金髪と線の細い長身で以ってその相貌に浮かべる、やや愛想笑いじみた表情は、どこか所在なさげな印象を喚起させるものだ。

「アルバート・ルークです。白駒騎士団の使いとして伺いました」

「はい、……どうも」

 煮え切らない言葉を返す。

まだ意識のスイッチが入りきらないこともあってか、俺はその青年の姿をぶしつけに見てしまう。

その視線を受け流すように青年が身じろぐと、携えていた黒の傘から水滴がこぼれた。

「ああ、すみません。……準備は出来てるんです、行きましょうか」

「はい。こちらです」

 彼、――アルバートが先行し、俺は玄関に出るにあたってかかとをつぶしてい履いていた靴を履きなおす。

「ああ、そうだ」

「?」

 ふわりと、

彼が振り返った。

「その剣、私が持ちますよ」

 言って、玄関の傘立てを視線で差した。

「抜身では危ないでしょう」

 俺はそれを了解する。先行されるままにアパートの階段を降りていると、路肩に留めてある背の低い車が目に留まった。それを俺がトタンの通路で眺めていた頃、アルバートはもう階下に至り傘を広げていた。

「……、……」

 ぱつぱつ、と。

 雨音とは思えない硬質な音が響いている。俺は、その最中を往く。

 促されるままアルバートの傘の下に入り、軒下から路肩までの短いエスコートを経て、俺は車の後部座席に乗り込んだ。

「……、……。」

 まずは車内の右手に位置取り、空いた方に手荷物を広げて検分する。

携帯と財布と、最低限のものは用意できているはずだ。

 暗い車内で目を凝らしていると、アルバートも車に乗り込んだ。開閉音の位置に違和感を感じて前を見ると、どうやら左ハンドルの車であったらしい。彼は、俺に発車の断りを入れてからエンジンのキーを回し、ハザードランプの点滅音が数回、

車が、ゆっくりと滑り出した。

「剣は、とりあえず包ませてもらいました。助手席に掛けさせて頂きます」

 ミラーからそちらをのぞくと、確かに。黒く光沢のない布が、剣であるらしいシルエットを覆っていた。

「もっと、警戒していると思っていましたよ」

 ……それが、

なんだか独り言のような言葉に聞こえて、俺の返事は数拍分遅れる。

フロントガラスを叩く雨の音さえ遮らないほどに、それは静かな声だった。

「現実感がないだけですよ。このハナシ、距離感が一向に掴めなくって」

「それは、……そうでしょうね」

 ハザードが鳴り、車が柔らかく左折する。

「場所の話は、把握していますか?」

「ああ、はい。一度か二度、行ったことのある場所ですね」

「それならよかった」

 キティのメールで指定されていたのは、郊外の方に位置するとある道路であった。通りと呼ぶにはあまりにも閑散としていて、その印象はいっそ滑走路に近いかもしれない。

 そこに行った機会というのは、いつかの俺が、暇に任せて始めた散歩をこじらせて、帰り道の目算を忘れて歩き通した時のことである。

その日はよく晴れた夏の日で、広く長いコンクリートの灰色はどこまでも平坦であって、どこまでも続く空と、その向こうに見える大型施設の影に、ほんの少しだけ道中の疲れを忘れてしまった記憶がある。

「……、……」

 今日は、あの景色にどんな感慨を覚えるだろうか。この程度の雨であれば、或いはいつか見たのと同じように、背の高い街灯が照らす彼方まで景色が続くのが見えるかもしれない。

「そうだ。よければ、どこかに寄りましょうか?」

 思い出に思考を取られ始めたころに、ふとアルバートが俺に問う。

「ああ……」

 その言葉で、白昼夢から気を取り戻すように、雨をはじく音と指先のかすかな冷えを俺は思い出した。

 食事については半ば諦めていたのだが。この後が(恐らくは、だが)長丁場になるだろうことを思えば、可能であるなら腹に何かを入れておくべきかもしれない。

「じゃあ、コンビニにお願いします」

「了解です」

 三度、ハザードの点滅音。

 どうやら車線を変えたようであった。

「それと。隊長から、二つ」

 ハンドルを戻しながら彼は言う。

「言伝があります、一つは聖剣についての確認事項」

 もう一つは、

「――戦士に依頼をする態度ではなかった、とのことです」

「……、……」

 その言葉が、――妙に俺の胸に響かなかった。

寝ぼけ眼で言葉を聞き流すような、言葉としてではなく耳鳴りとして聞こえてくるような、そんな感覚がある。

 いまだ怒り冷めやらぬ、というわけではないはずだ。俺の胸に凝り固まっていた感情は、間違いなくあの男の誠意に、今しがた受け取った謝意に少しだけほぐれていた。

 無意識の領域は、きっと正しく稼働していたんだろう。恐らくは意識と理性が、ただ呆けているだけだ。

「……聖剣については二つです。その、慨した性質と、これ特有の性質について」

 俺の沈黙を数拍待ってから、彼は再び話し始めた。

「聖剣は一概に、所有者の身体能力の向上を作用させます。例えばあなたがこの鋼の塊を、正確なコントロールで投げ抜けるほどの筋肉量なんかを」

 さっき持った分だと、半端な強度の訓練では腕が抜ける重量に感じましたから、と続ける。

「聖剣が持つ格による作用です。上位存在のお墨付きを行使するなら、それなりのドレスコードがあって然るべきで、――コレは、その水準まで持ち主を引き上げてくれるんです」

 最低限のラインまでですけれどね、と彼は締めた。

「次に、この聖剣の性質について。これは我々の鑑定による評価ですが」

「……、……」

「コレは、概念を断つ類のものであると思われます」

 概念とは、

つまり、物理現象よりも更に普遍的な何かのことだろうか。

 時間とか、空間とか。俺は曖昧なものをいくつか思い浮かべる。

「……イメージがしづらいですね」

「ええ、でしたらひとまずは、……――刃が当たるものなら何でも切れる。大雑把にはそれでいいはずです」

 人の膂力では刃を通せないものであっても、そもそも両断し得ない雲や霧の類であっても、或いは「在るとされているだけのモノ」でさえ、この剣ならば振れば断てる。

 そういう話だと、彼は続けた。

「その解析の根拠を、お聞きになられますか?」

「……、……」

 試したわけではないゆえに。せめて論理的な帰結を用意するつもりであるらしかった。

 しかし、その曰く「根拠」なるもの自体にも彼らの世界の文法がふんだんに盛り込まれていることは想像に難くない。俺は首を振ってそれを断った。

「なら、その代わりに」

 アルバートが、少しだけこちらに振り替える。

「……。」

「――この評価は、キティ氏の出した推論です」

「……、……」

 それだけ、簡単に告げて、会話を終える。

言葉少ななようでその実、それは彼が俺に対して用意できる、最も信頼に値する情報であった。

「……。」

 今更ながらに、俺は彼の後頭部を注視する。

 彼が言うほど、俺は警戒していなかったわけじゃない。実際ここまでにも、俺は彼との距離感を図り損ねて、言葉の選び方にも苦心があった。

 しかしきっと、彼は優しい人物なのだろう。静かでやわらかな運転にも、なんだか彼の人柄が出ているような気がした。

「……、……」

 ――自分自身、腹を立てているわけじゃないと理解したうえで、それでも彼らの隊長に不信を抱くことがやめられない。

それはきっと、あの男ではなく、俺の方に原因がある。……それを探り始めてしばらく、言葉の代わりに思考で満たされた車内から、フロントガラスの向こうに、雨をはじくほどに強いコンビニの明かりが見えた。



 コンビニで見繕った軽食を、軒先で検分する。ベンチの類はなかったため、諦めて俺は、まず片手のレジ袋を地面に置いた。

 また、もう片方の手には、店頭で入れるタイプのコーヒーがある。屈んでレジ袋から戦利品、エビのカツを挟んだサンドイッチを取り出す。そのサンドイッチは露骨に冷たくて、頬張ってみるとほとんどその風味は感じられず、俺は無感情なままでそれを一気に食べつくす。

 ……本当に、三十秒もかからなかったかもしれない。俺がサンドイッチの空包装をレジ袋に突っ込んだ頃に、アルバートも店から出てきた。その手には、俺が店員から受け取ったのと同じサイズのコーヒーカップがあり、それと傘以外目につくものはない。

 彼は会釈しながら近付いてきて、俺に、

「失礼してもよろしいでしょうか」

 などと言いながら、くたびれた青い煙草の箱を見せてきた。

「……アルバートさんのところって、結構タバコ文化なんですか?」

 俺の言葉に、彼は視線を振ってこちらに向ける。驚いたような様子ではあったが、その所作にはしかし低燃費な印象があり、俺はぶしつけな印象を覚えなかった。

 その代わりではないだろうが、俺はふと思い出す。そういえばこれが、俺が初めて彼に振った話題であったのか。

 ……どうりで、「アルバートさん」なんて呼び方に自分自身違和感があったわけだ。

「ああ、はい。ええと」

 他方彼は、煙草に吸い付き火を付けながら、

「私とデイジーと、あと数人くらいだと思います」

 三分の一にも満たない数だ、と彼は補足する。

「寿命の短い業界ですから、許可はあるんですけどね。ウチはまじめなのが多くって」

 表立って非行をするのがはばかられたわけではないが、俺はなんとなく煙草を遠慮してしまって、口寂しさをコーヒーで潤した。

「まあ、お酒の方はみんな飲みますけどね。ご自身は?」

「……、……」

 玄関に来た時に、或いは煙草の匂いに気付いたのかもしれない。

 俺は、「たまには。」なんて曖昧な物言いで返す。

「……」

 伸びた灰を、彼は指先で叩いて落とす。

据え置きの灰皿の、雨を受けたその表面に、それは落ちて、水を吸って溶けていく。

 それから再び、会話が止まる。

 言葉が尽きて、雨の音が沈黙を潤した。

「……キティさんは」

 話題を見繕うようにして、ぽつぽつと彼は喋り出す。

「……、……」

「こちらでも、元気でやっておられますか?」

 キティ氏ではなくキティさんと呼ぶその声には、先ほどにはない親しみが込められていた。

 本当に、愛される奴だ。俺は思う。

「元気ですよ、後輩ばっかに囲まれてるだろうに、躊躇ってもんがない感じで」

 それを聞いて、呆れたように彼は笑う。

「想像がつきます。きっと、ウチに居たころと同じような調子だったんでしょうね」

「……、……」

 それは、彼女も白駒騎士団なる団体に属していたということだろうか。

「ああ、いえ。初めのころの長期任務で、しばらく行動を共にする機会があったんです」

 スカウトはしたが、曰く、見事に空振りに終わったのだという。

「どこかに属するって言うタイプじゃありませんでしたね、今思うと」

 外部協力としては積極的に力を貸してくれますから、こちらは頭が上がりません、と彼は締める。

「……その割に、キティとそちらの、ケイル・キングさんは仲が良くなさそうですけどね」

「質の悪い片思いみたいなものなんですよね」

 その言葉に、俺はふとあの巌のような顔を思い出すが、彼は、

「キティさんには、不本意な形で気に入られてしまってるみたいで……」

「あー、なるほど」

 片思いとはジョークが効いた言い回しである。

確かにアレは、変な気に入られ方をしたとすれば、相当質の悪い部類の人間だろう。

「ちなみにね、昔はもっとひどかったんですよ?」

「ひどい?」

「いやあ、こう。……思春期男子をからかう年上の感じで、色々と」

「……、……」

 隊員にここまで把握されてて、ヤツは隊長として大丈夫なんだろうか。

「時間はまだありますけれど、どうです、そろそろ向かっても?」

「ああ、はい」

 言われて、俺はコーヒーを飲み干す。まだ少し舌先を刺激するような熱さが残っていたが、気つけのつもりで強引に。

 アルバートの方も、半ばを過ぎた煙草を、最後に煙一口分だけ吸って灰皿に落とした。それから傘を広げて、俺を招く。……どうやら彼のコーヒーは、車内で頂くつもりのものであったようだ。

「そうだ。そういえば、まだ言ってませんでした」

「はい?」

 車の方へ歩きながら、アルバートは俺に、

「今日の作戦で、あなたを補佐するのが私です。どうぞよろしく」

 少しだけ冗談めかしたような挨拶に、俺も、

――他愛ない言葉を返す。

「よろしく」

「ええ」

 ここまでに、やり取りした会話の数こそ少なくはあっても、彼の人柄を掴むことはできたような気がした。俺の方に、その人事への不満は特にない。

「……、……」

 しかし、アルバートの方はどうだろうか。

俺と組むにあたっては、ある程度の相互理解があってしかるべきだろう。しかし、俺はここまでに、あまり自我を出したつもりがなかった。

 残りの移動の内で、或いは、もう少しくらい会話を重ねるべきかもしれない。

それにあたりまずは、他愛ない会話をいくつか見繕う。

 今から言うのは、――そのうちの一つだ。

「そういえば」

「はい?」

「そちらの隊員に、トランプで戦うインテリキャラっています?」

「……………………すみませんちょっと言ってる意味が」

 掴みは大失敗であった。



 とある郊外の一角にて。

その滑走路じみた風景の内で、十数人程度の人だかりが顔を突き合わせていた。白駒騎士団の面々と、キティ・オルド・マルティネスである。

 宵闇と強い雨のせいで景色は街灯五つ分の先も見通せない。しかしその向こうを、彼らはじっと見据えて待つ。時折の会話は、冷静な口調の水面下に明確な緊張感を漂わせていた。

「ここに呼ぶって言う作戦、結局あの剣が頼りだったわけなんだけど」

 話すのはキティだ。その主語の無い言葉を、しかしその場にいる全員が正しく燕下する。

 仮名アメフラシ、あの野獣的なシルエットを持つ討伐対象の目的を、彼らは、聖剣の無力化にあると踏んでいた。ゆえに、その聖剣をおとりとすることで、討伐対象をおびき出す。

 それが彼らの作戦の第一フェーズであった。

 のだが、

「いらんかったね?」

 キティの言葉を受け取って、集団の中心にいたケイル・キングが苦渋の表情を作る。

 彼らが見据える雨の先から、その時、もう一度、――野生の咆哮が轟いた。

「……聖剣が来る前に事は始められない。今は待機だ、ヤツを刺激しないように」

 その言葉に周囲の人間が頷く。聖剣でのみ対象の断頭が可能である以上、今刺激して逃げられては今日の作戦は中止せざるを得ない。

「しかしどうする? これはある意味チャンスかもしれない。待機で本当にいいの?」

「奴の知覚程度(みみのよさ)がわからないのもあるが、それ以上にヤツの正確な位置がつかめない。この雨が、ヤツがいる間は強まる一方である以上、配置準備は聖剣の到着を待ったのちに迅速に行うのが定石だ」

 それをキティは了解する。大捕り物相手の戦闘において、キティはケイルに絶対の信頼を寄せていた。


 そこに、

 轟音が響いた。


「――――。」

 そして咆哮が天を衝く。

「――おい?」

 全員が、元より『音』の出た先を注視していた。

ゆえに彼らは、その影を見逃すことがなかった。

 強い雨に、向こう二十メートル先の視界が確保できない空間で、しかし彼らはその姿を見た。無論ながらそれは決して、野生の獣風情が歴戦の猛者たちに気取られず距離を詰めていたために起きたことなどではない。

 ――二十メートル先が見えずとも、

しかしその向こうにある大型施設のシルエットくらいは、目を凝らしてみれば曖昧には掴める。

 つまり、音の方向を注視していた彼らは、

だからこそ、その曖昧な輪郭に気付けた。

 以前接敵した際には、その体高は十メートル程度であったはずの、その、雨雲に届きそうなほどの巨大な輪郭を。

「    」

 一陣の風が、ふいに吹く。

 一定だった雨足が、わずかに乱れる。

 カーテンがひらめくように、彼らはたった一瞬だけ視界を得る。

 そして一様に、言葉を失う。

 仮名アメフラシ。騎士団とそのシルエットとの距離は、目算でも二キロ以上離れていた。その足元に広がる大型施設は三階建てのショッピングモールであったはずだが、建物の天長がアメフラシの臀部にも届いていない。

「――おい、なんだよ!」

 その体高は目算にして、恐らくは百メートルを超えていた。

「あれ、デカくなってるよな!?」

「捕捉されていない! 今のうちに、各員持ち場に配置しろ!」

 ――ケイル・キングの、怒号が響いた。

雨を割くような大絶叫であった。それさえも、しかしアメフラシの耳元までは届かない。

 白駒騎士団団員は、その言葉に弾かれたように走り出す。それを見送るのはキティとケイル。完全に戦場を一望できる位置で、彼らは適宜指示を飛ばしながら配置の完了を待つ。

 張り詰めた緊張感とは隔絶して、戦場はあまりにも静謐として進む。アメフラシは足元に意識もくれずに、ただその天を衝く体高を一身に伸ばし、なお遥か高みの空を見上げていた。

「キティ」

 ケイルの言葉の先を、キティは黙って促す。

「『天の柱の門』の使用可能性を、改めて挙げておく」

「――わかってるさ」

 それは絨毯爆撃にも例え得る彼らの切り札であった。それがもたらす威力はあまりにも甚大で、天を衝く怪物を仕留めるにしてもなお過剰火力な代物ではあったが、しかし、

 ――ならば、

自陣の最大の切り札たる「聖剣」が、あのビル一つ飲み込みそうな首を断てるか?

ただの刀剣がアレの首を落とすというビジョンが、ここにきて、

ケイル・キングにはあまりにも楽観的に思えた。


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