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 自己評価でしかないが、俺は、自分が他人の感情に聡い方であると思っている。

「……、……」

 思考が空白のまま廊下を幾つか通り過ぎ、昼下がり、曇天の下の屋上にて。

「………………………………………………………………。」

 ふと。空いた思考が、ぽつぽつと埋まり始める。

 今朝方では雲間に薄い空の青が見える程度には薄かった雲の群れが、今に至って、夜の始まりとも変わらないほどに日差しの光量を遮っている。

 風はない。

 潮風はいつ香るだろうかと、俺は待っていた。

 湿気った空気が熱を持って、服の下に溜まっていくようだ。

 グラウンドの向こうに見える限界のその先まで、どんよりとした雲が覆っている。

 つまらない天気だ、と。

 俺はついに、遠くを見ることをやめて、屋上の隅に腰を下ろした。



 俺は、恐らくは人の感情に聡い方であった。

ゆえに、ケイル・キングが俺を信用していないことや、そういう人間を間違いなく動かすための態度を以って俺に接していたことは、あの場でも察していた。

 そのうえで、理解も出来た。あの化け物の断頭など、本来ならば泣き叫んで不参加を叩きつけたって理屈が通る案件だろう。

 彼が選んだ強硬的な文法は、理解してしかるべきだ。

 そして、理解してしかるべきだと理解しているのなら、あとはそう、理性の問題だ。より俯瞰的に物事を見ている人間が、大人になるべきだろう。今夜の決戦についての事情はよく知らないが、俺と彼のコミュニケーションにおいていえば、俺の方に客観視の分があると思う。

 プロがアマチュアを信頼しなくて当然の状況下で、それで俺ができることと言えば、

 それは間違いなく、あの態度への許容であった。

「……、……」

 無意識に胸ポケットに伸びた指先が、少しずつ躊躇って、そして止まる。

 階下で教室の窓が開いていたら、もしかしたら匂いが届くかもしれない。

 俺は、結局。

伸ばした指先を脱力する。

「……。」

 率直に言えば俺は、あの状況が気に食わなかった。

 それでいて、舐められて当然だと理解してしまったために、俺は我が侭に自我を叩きつけられなかった。

 今振り返ってみたって、あの場で考えなしに、例えば「あんたの態度が気に食わない」だとか言ったとして、それで俺の胸の内がすくとは思えない。そんな癇癪は、みっともないだけである。

 しかし、

――それならどうすればよかったのか。

 泣き寝入り以上の手があったなら、後学の為に教えてほしいものだ。

「……、……」

 きっと、晴れをしばらく見られていないからだろう。

 ここ最近の俺は妙に、良い方にも悪い方にも、感傷に苛まれてばかりいた。



「具体的な話をしよう」

 とある空き教室でのやり取りは、先ほどよりしばらく、意見のすり合わせの段階に入っていた。またそこに当たっては、人手のいる作業が予想されたためにデイジーが呼び戻されている。

 さて、

それまでのやり取りは、仮名・アメフラシの性質を最低限の事前調べから予測し、その対処のアイディアを挙げ続けるという形をとっていた。

つまりは、「アメフラシ」が「こういう性質」なら「こういう対処」をするし、もしも「こんな性質」であったなら「こんな対処」をしよう、というやり取りの積み上げである。その作業は、例えるなら定石を知らずに打つ詰め将棋に近い。不足した情報は、それを確実に補えるだけの膨大な想像力でカバーする必要があった。

「……、……」

 そしてそれは、歴戦の吸血鬼をもってしても難解な作業であった。頭にこもった熱を払おうと彼女が視線を振ると、カーテンの隙間から漏れて落ちる、小さな陽だまりに目が留まる。

 先ほどよりも、その光は弱いように見えた。

 この地域の天気の悪化は、どうやら急こう配な曲線を辿りがちであるらしいことを、キティはここで過ごした一年間の生活で理解していた。

 今夜も、雨が降りそうであった。

「――いいか、吸血鬼?」

「ああ、うん。聞いてるって」

 自分と同じくらいデイジーの方も聞いてなさそうなのに……、なんて思ったことは、表情には出さない。

「ここまでに可能性として挙げたアレの性質のうち、より高確率且つフレキシブルなアイディアは、アレが精霊体である、という結論だった」

 部屋の備品であったホワイトボードに殴り書きした議事録の中身を、ケイル・キングは指折り数えるように確認していく。

「フレキシブルって言うより、おおざっぱだね。私がいてよかったって話じゃん?」

 精霊体、とは端的に言えば「生物ではない」という表現である。

 それを踏まえてキティの言うところとは、柔軟的、――つまり大味なカテゴライズであるために、クリティカルな対処ができないという話だ。実際ケイルが言ったのは、相手が物質であるか非物質であるかの、生物としては全く前提の部分での区別でしかない。

「まあ、水関連だってのは『予言』の方でも出てたんだし、『水辺の方が避けてく吸血鬼』こと私に依頼を振るってのは、当然の采配だろうけどね」

「まあ『もぐりの吸血鬼』って方の二つ名には、期待してるわ」

「…………いや、吸血鬼の弱点を全部克服した先に待ってる称号がそれとは、未だに現実感がないよねえ」

 からかうようなデイジーの言葉に、キティも茶化すように返す。

 吸血鬼とは、後世には疫病の化身ともされる存在である。その弱点は太陽、十字架、香りの強い野菜、水を渡ること、など多岐にわたるが、キティはその大抵を、長い生のうちに克服、或いは帳消しにしてきていた。

「相手が水だったら、私の一番メジャーな通り名の出番でしょ、なあ坊主?」

「……全くだ」

 その、彼女が持つ名のうちでは最もメジャーで且つ最も差別的なその言葉を、敢えて自ら取り上げるキティに、ケイルは返す言葉を少し迷った。

「……それが君のユーモアの限界だな」

「うちのボスにツッコミなんて期待したらダメよ」

「……」

 こほん、咳ばらいを一つ。

「お前の代名詞については、具体的な役があるがな。それにあたってまず確認するべきことがある」

 ケイルは一度、言葉を切る。

「俺は、アメフラシの本体が雨雲である可能性を考えている」

「――へえ?」

 反応したのはキティだ。黙考するデイジーにも異議の様子はない。

「こういうことだね、つまり。……アメフラシが雨を降らすんじゃなくて、雨が降る所にアメフラシが出る」

 ケイルは首肯を返す。

「雨雲の意思を成すアバターと、言い換えられる可能性も視野に入れたい」

 そこで、「しかし」とキティ。

「どうしてその結論になった? というか、どうしてその結論で、身代わりの方の頭を落とすって言う結論になる?」

 例えばネットゲームでアバターを幾ら倒したところで、現実のプレイヤーに影響が出るはずはない。その疑問は当然のものであった。

 はたして、その言葉にケイルは即座に返答を用意する。

「……大前提、以前も言ったがアメフラシとその直上の雨雲には、明確な魔術的近似があった。無関係である可能性は除外する。そのうえで確認するが。――まず、一つ目について、お前はあの雨の日の戦いの最後の光景を、覚えているな?」

「うん? ああ」

 想起するのは友人の姿。二歩走り、三歩目で右手を振りぬき投げ放ったあの剣が、垂直に怪物の眉間に吸い込まれ、そして空が劇的に晴れる、その一瞬の光景であった。

「アレが、例えば、……雨を降らせる能力の解除によるものではないとしたら、どうだ?」

 キティは、要領を得ないといった表情を作る。

「結論から言ってくれ」

「霧散現象に説明がつく」

「……。」

 ケイルは続ける。

「まず大前提、霧散現象だけが、アレの脅威だった。そこまではいいだろう?」

 キティは再びあの、破裂するように晴れ渡った空の下を想起する。あの時、彼女自身にしても、この戦いには決着がついたのだと確信した。

 しかし、それは間違いだった。霧散現象とは全く適当な言い回しである。本当にきっかけさえ掴ませずに、アレは霧のように消えてしまった。

「……霧散現象、或いは率直に転移の類と言ってもいいだろうが、体素を薄めて移動するにせよ、座標を指定して転移するにせよ、それは魔法に違いない」

 理性無き者に種のある仕掛け(マジック)は無理だろう、とケイルは継ぐ。

「アレの能力は霧散現象と雨を降らせることだったが、――それを逆転させるとだ」

「つまり」

 キティは呟く。

「霧散する『能力』と雨を降らせる『能力』って二つの言葉を、雨が降る場所に現れる『存在』って一つの言い回しに言い換えられるってわけだ?」

「そうだ」

 短く、明確な言葉を返す。

 本体とは、言い得て妙だ。とキティは万雷の拍手を込めた言葉で返す。

「意思を持つ雲群、それがアレの本質だろう。雲群の意思をアメフラシという手足が成す。……それがあの生物の在り方だと、俺は考える」

「つまり、雨雲の範囲が、アメフラシの霧散と再発生の見積もり範囲ってことになるわけだ」

「そのとおりだ」

 議論は加速度的に結論に迫る。

「あの雨雲を、お前の代名詞で吹き飛ばす」

「サノ〇ビッチね」

「……」

 ケイルは再び咳をして、

「それでもアメフラシが消えなければ、我々の考察が外れたということだ。タツキ・ケートにとどめを頼む」

「なるほど」

 キティは言う。

 そして、ふと考えるような表情を取り、

 そして続ける。

「――ハナッから外れてたら、どうする?」

「……、……」

 この街の雨がアメフラシ由来のものであるという事前調査については良い。ケイル・キングの断言にはそれだけの力がある。しかしそれ以降はこの卓上で出した机上の結論であった。まだ確認が取れてはおらず、それなのにこの話し合いでは前提とされてきたことについて、キティは改めて問う必要があった。

 つまり、……アレは自然発生の雨の下では、本当に現象化しないのか。

……そもそもアレの持つ霧散現象に際限を設けるような発想自体が、自分たちの希望的観測なのではないか。

ただ予兆さえなく霧散するという完全なる退避性能を持つアメフラシの性質に、自分たちが全く正面から挑まなくてはならないとしたら、――それでもなお勝てるか?

 そんな行間を込めて、キティはケイルに問い、

 ケイルは、沈黙を返す。言葉を失ったわけではない。

続く言葉は、全く平坦な口調で告げられた。

「その時は、また振り出しに戻るだけだ」



「――まあ、あの霧散現象の対策を見つけないことには話始まんないしねえ。さっきの話、仮説って意味では良いんだけどさ」

 静かな校舎に、声量を絞ったキティの声が響く。

「実は私らね、近いケースのをやったことあるのよ。ハナッから想像だけで話してたんじゃないわ」

 それよりも、と響いたのはデイジーの声であった。

「ハナッからってったら、聖剣の話よ」

 議論が一段落を経て、しかし授業中の教室に戻るには中途半端なタイミングであって。教室を出たキティとデイジーはそこから直近の階段を下る。

 目的は、校舎一階の隅に据えられた自動販売機である。喉を潤すなら廊下に備え付けの蛇口でも事足りるが、それでは味気が無いし、なにより頭ばかりに血が溜まってきていい加減少し歩きたい、という意見の一致によって、二人はふらふらと歩く。

「やっぱり情報が足りないのよ。あの聖剣が本当にアメフラシの為に用意されたものなのかとか、そもそもわかってないアメフラシの目的とか」

 デイジーは珍しく口数が多い。彼女にしたって先ほどの議論では頭を回し続けていたわけで、少しくらいは頭に溜めたものを吐き出してしまいたい風であった。

 他方、言われたキティは、未だ余熱冷めやらぬ頭でその言葉を反芻する。

 つまり、アメフラシの目的についてである。

 あの日、アメフラシは、彼女らの包囲網を突破してまで達城のいる場所になだれ込んだ。その目的が分からない。

 ――ただし、全く妥当な線として、

「自分を打倒する可能性(せいけん)を排除したいってので、多分正解だと思うけどね?」

「そうかしらね」

 聖剣と悪鬼は惹かれあう。前者はその使命として、後者はその安寧の為に。

「そもそも脅威度Aって言ったら、幾つか悪い目が出たら世界が終わるくらいの桁じゃんか。聖剣の一つや二つ、出て来てみたっておかしくないよ」

「そこが、そもそも違和感があるのよ」

 デイジーは半ば遮るように言う。

「アンタはあれを見て、世界を滅ぼしかねないって思った?」

「……、……」

 脅威度定義とは、彼女らの世界の最大組織「協会」が提唱した、害性のある魔獣における汎用基準である。定義上ではG(個人による討伐が可能)からS(対応不能)までからなるその基準のうち、Aといえば、対応可能な範囲の内での最高位にあたる。

ケイル・キング曰く「神出鬼没であることのみが脅威である野生の獣」程度に与えられる水準ではない。ただの獣の膂力のみで、世界の基盤が根本から崩されるようなイメージが、キティには浮かばなかった。

「雨雲が本体ってのは物珍しいけど、出力、――アバターの限界があの程度(ただのクマ)じゃあ底が知れるし……」

 例えば、あの頭数が増える。例えばあの個体が巨大化する。例えば、例えば、例えば……

 幾つか思い浮かんだケースでは、とてもではないがAの判定には届かない。仮にアレが自治体一つの総人口を超える総体に増えたとして、それでようやく今の定義が適切だろう。或いはそれにしたって、ケイル・キングに支給された切り札は過剰に過ぎるか。

「やっぱり、君らの予言師が適当吹かしたんじゃない?」

「……しばらく悩んだ結論がそれなの?」

 言われたデイジーは脱力する。

「分かるでしょ? 水系統の性質っていうざっくりした表現だけでアンタに声をかけるほど、今回の案件はマジに考えてんのよ」

「水系統っていうざっくりした表現で予言出しちゃう時点でどうよ……」

彼女らの母体お抱えの、『記録の一節(アカシック・ワンページ)』と呼ばれるその予言師に対して、キティ自身は胡散臭いという感情しか持ち合わせていなかった。

「でも、だとしたらさあ……?」

「本当に『天の柱の門』が妥当な相手が出張ってくるとしても、――それでも、私らならなんとか出来る」

 白駒騎士団はそのためにある、と彼女は、至極当然のことのようにそう言った。

 ジャイアントキリングを生業とする狩人集団、

 自分たちはそのためにあるのだ、と。

「本当に君らは……」

 その言葉の先を言うべきか、キティはそれを口に出した後で少し躊躇った。それは皮肉交じりの枕詞ではあっても、しかし決して批難に続く語調ではなく、ゆえにデイジーはいつものような明後日の調子で言葉を待つ。

しかし、

「まあ、いいや。頑張ってよ」

何を言っても誉め言葉になりそうなのが癪に思えて、キティはそれ以上を続ける野暮を諦めた。

見えて来ていた自販機に二人は歩を速め、その足元に来て、三人分の飲み物を見繕って抱えこむ。

授業が始まるまでもう少し、或いはこの分だと、次の授業も諦めなくてはなるまいか。

キティは、先ほど分かれた友人がよく飲んでいた、とある銘柄の甘いコーヒーに指先を伸ばし、しかし思い直して手を引っ込める。

借りを返すというのであれば、それは、もっとユニークなやり方であるべきだろう。

彼女の友人はアレで、その手のジョークを面白がるのだ。


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