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第二章 『夜の太陽』

二章、――夜の太陽


01


 深い寝息だけが響く静かな部屋に、むせかえるほど強く、人の香りが充満している。

 とろりと、視界が、ぼやけながらも色を得る。

そうして意識がひとまずの覚醒を得て、俺はまず、酷く汗をかいていることに気付いた。

 果たしてそれは、決してこの六畳一間の人口密度のせいだけではなかろう。

どうにも、いつの間にやら朝になっていたようである。

「……、……」

 記憶が、途切れ途切れにだが続いていた。

眠りが浅かった証拠か、身体に意識を回してみると、関節の節々に疲労が泥のようにたまっているのがわかる。

 のそりと身じろぎしてみて、背中に返るのは床の感触であった。腹には毛布の一端がかかっている。そういえば昨日、誰が布団で寝るかで何かしらの賭けゲームをした覚えがある。

 ガツンガツンと、脳髄に鈍痛が響く。

 俺は、視線を彷徨わせる。

 カーテンを透いて、朝日がここまで届いていた。それが俺の瞼を焼く。暖房などはついていない部屋で、日差しがやけに熱くて眩しい。

 どうやら、昨日はあのまま床に倒れて意識を失っていたようであった。横倒れの姿勢のままで、俺は部屋を一通り見まわして、そして視線を前方に戻すと、

「    」

 彼我の距離、目算にして三センチ。

――下着姿のキティの、やわらかそうな腹があった。



 それから少し経つ。

 誰が先にシャワーを浴びるかのじゃんけん大会や、当然のように居間で行われる羞恥心の足りない着替え風景などの一悶着を経て、俺たち三人は登校の一路につく。

「……」

「……」

「……」

 その旅路に会話は無い。

俺たちは一様に、頭蓋骨を揺らすような頭痛との押し問答の真っ最中であった。

 今朝は珍しく、雲が薄い日和であるようだ。曇天は相も変わらず、しかしその隙間を、端々で日差しが透いて天橋立を作っている。

 いつもと比べれば暖かい朝である。

それは、玄関を出た頃の俺たちには、ちょっとした癒しを与えてくれるものであって、……しかし二日酔いが本格化してきた今に至っては、湿気の鬱陶しさだけが目立つ。

 ただでさえ脂汗が絶え間ないコンディションにあって、この湿気は全く堪えるものだった。

 そんな、ゾンビの一列縦隊みたいな登校風景にあって、

最初に音を上げたのはキティであった。

「休もう。ホントお願い」

 その声には悲壮感がこもる。

 バス停のある中心街までの狭い道を、緩やかに登っているときのことだ。

「ねえ、マジでさ。私本当に嫌だ……」

「弱音が率直すぎるだろ……」

 それは実際の所、この世界の全学生が軒並み今まさに思っていることである。体調不良も自業自得では、俺たちだけ楽するってわけにはいかない。

 しかし、

「私ら絶対お酒臭いんだよ……!?」

 その言葉に、俺もしばし歩みを止める。

「あー、……このままいったらマズいよなあ」

「絶対そうだよ!」

 食い気味にキティが答える。他方のデイジーは、家を出て以来こっち、ほどんど口を開かない。……ちなみにたまに口を開く際には、必ずと言っていいほど嗚咽とセットであった。多分実はこの娘が一番お酒弱い。

「……、……」

 決して強くない日差しが、それでも瞼に辛い。

それは、強い日和に肌が負けるのとはまた違うものであって、或いは脳髄の芯を手ずからに揺さぶられるような感覚に近いだろうか。具合の悪い時に聞く騒音のように、日差しは俺の喉の奥を逆なでする。

 坂道を一歩踏み進むたび、大腿筋を一歩分力ませるたびに、身体が軋んで別のところから何かが漏れ出しそうな予感がある。

 バス停までは、もうしばらく。

――俺はふと、その道すがらに喫茶店があったのを思い出した。

「……、……。」

 いや。まあ、着くまでに結論を出せばいい。今ここで無理やりに煩悩を断ち切る必要までは無いはずだ。いずれきっと諦めもつこう。それまでに俺は、学校に行くべきだという根拠を、出来る限り手札にそろえておけばいい。

……ダメだそんな、喫茶店で小休止なんて。そんなの絶対素敵なアイディア、――もとい悪魔の誘いである。どう考えたって学校行く気しなくなってサボるに決まってる。そのままカフェでハイソなランチタイムまで洒落込んじゃうに決まってる。なんてすばらしいやいや馬鹿な、そんなことなどするものか。

と、俺は思った。



 ――そして俺たちは喫茶店に入る。

「……」

わかっていたことである。結論を先延ばしにすれば人は大抵楽な方へと腐っていく。とりあえず少なくとも俺はそういうタイプだ。

 むしろ、なんならさっきまではあんなにも「行くべきだ」と感じていたホームルームという時間に対して、今の俺はもう純粋に憤りしか感じていない。なにせ、偉い人が「学校は八時に始めるよ!」って言わなければ俺はきっとまだ寝ていたはずなのである。権力とかマジでクソだと思う。

「……、……」

 はてさて、

学生の登校時間といえば、社会人的にもおおよそスタートダッシュのタイミングである。

時刻は午前七時四十分。大抵の喫茶系列店であれば開いてはいないだろう時間であって、俺としてもこの訪問は「流石に目当ての喫茶店が開いて無ければ諦めもつくだろう」くらいの感覚でいたのだが……。

そこは、こんな早朝であっても、当たり前のように看板を掲げていた。

 ――それは、ビルの端っこにかろうじて用意したような規模の、ささやかな喫茶店であった。

 しかし不思議なもので、喫茶店と言うロケーションに限っては、こんなこじんまりがむしろちょうど良くさえ思えるものである。

「……、……」

 三人それぞれ、肩を貸しあいながらドアを身体で押しのける。

来客を告げるベルの音は、系列店のそれとは違い生の音質だ。

さてと、ひとまずのやり取りは俺が引き受けて、

「    」

「    」

 俺は三人分の席とコーヒー、それからお冷をオーダーした。

「はあ。……こんな時でも、腹は減るよな」

 軽口じみた物言いを吐き出したのは、俺の口である。

「朝ごはん食べてないからねえ……」

 呟くようなキティの口調は、出会って以来のレコードを余裕で更新するほどに頼りない。

他方デイジーは、事情を知らない人間が見れば人生の岐路に立ってるみたいにも見えそうな嗚咽顔で黙り込んでいた。

「コーヒーは頼んだよ。なんか飯が欲しかったら」

 ――各々な。という言葉を込めてメニューを渡す。キティがそれを受け取って、俯瞰するような表情でそれを眺め始めたのを見て、俺は店内を改めて見まわす。

「……、……。」

 外観もそうであったが、この店は内装の方も、乳白色が目立つ装いであった。

 ビルの、文字通り一角にあるこの店は、奥行きのある長方形の店構えである。

立地のおかげか、店内には、その隅々まで朝日が行きわたっている。調度品の数々は白と木目調で統一され、床とアクセサリ品の濃いブラウン色が、差し色のように店のやわらかな雰囲気を強調していた。

「モーニングセットのAを三つ」

 キティの声に、品のいいおばちゃん店主の声が答える。

「三つ?」

「年長だからさ、かっこつけさせてよ」

 メニューは見ていないが、まあ、キティのセンスなら間違いないだろう。奢ってくれるということなら、そもそも全く以って文句はない。

「……。」

 ――そうしていて、やがて、

白と木目調の店内にコーヒーとトーストの二つの香りが立ち上り、ここまで流れてきた。

 更に少し待ってのちに出てきたのは、一目に見ただけでも実にオーソドックスな、トーストとスクランブルエッグの朝食であった。

「いただきます」

「……いただきます」

「……………………まふ」

 一人暮らしを始めて以来縁のなかった言葉を、俺は久しぶりに口に出す。

ちなみにデイジーは、何やら呟いたようではあるが、相変わらずのぶっちょう面のままである。

「――――。」

 一口目に、

トーストが心地いい快音を響かせた。

破裂するバターの香りに喉が渇き、俺は付け合わせのサラダに手を付ける。俺は、思っていたよりも喉が渇いていたらしい。レタスを一口分噛み締めると、その瑞々しさの中に強い甘みが感じられた。

 もう一口、トーストをかじって。その快音とバターの香りを、湯気の立つコーヒーで躊躇いなく押し流す。

 この店のコーヒーは、酸味と苦みが目立つブレンドであった。トーストとレタスの歯ごたえに目が冴え始めていた俺は、コーヒーのキレのある口当たりに今、明確に目が覚めた。

「なかなかイケるスクランブルエッグだね」

 なんて言ったのはキティである。

 俺は、敢えて一拍空けるように、咀嚼と嚥下を終えてからそれに応えた。

「一人暮らしだと大味なモンばっかでさ、久しぶりにこういう繊細な料理を食べた気がするよ」

 付け合わせのサラダにかかったフレンチドレッシングは、絶妙な調合で酢の乱暴さを感じない。トーストのバターは小麦の甘さを引きたてつつも、舌の上に味が残らない量の配慮がなされている。

また、彼女の言葉でとりあえず一口試したスクランブルエッグは、――チーズやミルクのコクを、塩味と胡椒の風味が絶妙に断つ。

「こういう、コーヒーがうまい朝食、俺好きだな」

 少しばかり気分が良くなって、俺はそんなことを言った。こんなふうにコーヒーの苦みが活きるような、口の中に残らないスッキリとした旨味は、調子の出ない朝のリフレッシュには覿面である。

「店を選んだわけじゃないけどさ。奢る側としては本望だねえ」

 肩肘をついて脱力したまま、そう言ってキティはコーヒーをすすった。

 それにつられて、俺も一口。

「……」

「……」

「……、……。」

「……、……ふう」

 何の気のない会話を、幾つか思いつきはしつつも、

俺はただ背もたれに体重を預けた。

 と言うのも、特に確信があったわけではないが、彼女の方に話題のアテがあるような気がしたのだ。

 しかし、そのまま数拍、沈黙が流れる。

 俺はその間に、先ほど思い浮かんでいた話題の全てに、いつの間にやら興味をなくして、彼女の言葉をむやみに待った。

 さらに、もう数拍分待ってみて、

 やがて彼女は、口を開いた。

「……そういえば、結局、聖剣見るのは忘れてたなあ」

 言う彼女の口調は独り言のようで、しかし俺は黙ってそれを聞いている。

 一人言のようであっても、けれどきっとそれは、言い淀み選んだ一言目であった。

 俺は、沈黙で以って返す。

「あの魔獣、アメフラシね? 今日の深夜辺りに決着をつけるつもりなんだ」

 言葉や仕草で先を促すのは憚られて、俺は代わりにコーヒーカップに口を付ける。

 デイジーは、相変わらずのグロッキーである。

店内には、人数分の人の気配と、空調が唸る低い音と、あとは薄手のカーテンから差す、淡い日差しのみがあった。

 リラックスを強く催すこの空間は心地よくて、だからだろう、手足の弛緩が不可逆的に進む。

 ――空気が、

どことなく、停滞していくような感覚がある。

「今日の夜。夜ってか深夜、っていうかー、……明日の午前一時半なんだけどさ」

 こちらを見やるキティの視線には、力がない。

 彼女は同情を交渉のテーブルにあげる人格ではない。それでも隠し切れないというように、その表情には弱り切ったものがあった。

「――あの、その時間って、空いてるかなあ?」

「……、……。」

 こういう話が出るだろうことはなんとなく察していた。或いは、昨日のデイジーの物言いで確定となっていた、と言うべきだろうか。……俺がアレの首を落とすようなとどめの大役を任されるというのは、流石に想定外であったが。

「――――。いや、別に? 空いてるよ」

 キティが『こう』なるのであれば、それはきっと、本当に必要なことなのだろう。

「……」

 その沈黙はキティのものだ。

そこには、気を遣わせたと苦みが走っているような、そんな表情がささやかに浮いていて、

 それを除けば、彼女の表情はとても平坦であった。

「そっか」

 キティは、窓の外へと視線を振る。そしてコーヒーを一口。

それにつられて、俺も一口。

「ありがとね、……貸しがもう一つってことにしといて」

 俺はふと、昨日の会話を思い出す。

 それは、……店選びに気遣いなんて無用だー、などという軽口の応酬の一幕だ。

「……、……」

 気を使ってほしくない人に気を使われるというのは、こういう感情を引き起こすということだろう。

 なんだか沈黙が痛んできて、俺は言葉を探してみて、……結局見つからずに、俺はもう一度コーヒーカップに唇を浸す。

 ふと、寒さを感じ始めたうなじを、ささやかな朝日の熱が照らす。

 そのせいで気付いた指先の妙な冷えが、俺の意識に酷く障った。



 結局、バスを捕まえたのはそれからしばらく立ったあとだ。

俺たちが学校に着いたころには、既に午後の授業が始まってしまっていた。

 なお、それまで何をしていたかと言えば、それは、何もしていなかったと答えるべきだろう。俺たちはただ、あの心地いいはずの喫茶店で、無為に時間を食いつぶしていた。

 席を立ったのは、デイジーの快復がきっかけである。それからバスに揺られてしばらく、裏口から肩をすくめて登校した俺たちを迎えたのは、――俺とキティの担当教諭であった。

「…………マジでいいご身分だな」

「……………………すみません」

 我ながら本当に上流階級だと思う。両手に花な女連れでの役員出勤とか字面的にはただのゴシップであるからして。

「お前らはー、……まあ真面目で通ってるし、たまにはいいけどな?」

 担当教諭、京極は言葉を切って、

「デイジーさんまで巻き込んだらマズいぞ? その子昨日来たばっかりだろ」

 という簡単な注意だけで、俺たちは玄関を通される。……しかしこういうときって本当に女って怖くて、「マジでシュンとしてます」っていう顔しながら立ち位置は奥ゆかしく三歩後ろである。おかげで俺は孤立奮闘、向こう三週間分くらいのごめんなさいを、この二分に詰め込む羽目になった。

「……ああ、そうだ」

 外履きを摘み廊下へ出た俺たちを、京極は思い出したように引き留める。

「外部さんが来ててな。お前らが暇してる時間があったら、捕まえてほしいって言ってたよ」

「……はあ?」

 対応するのは相変わらず俺であって、後方の二人の表情は読めない。

「――ケイル・キングさんだそうだ」

「…………はあ?」

 続いて彼は俺たちに、待ち合わせの教室と、(授業中の生徒への配慮からか)そこまでの経路を指示して、それから今の授業は欠席で話を通してくれるらしいことを言い残して、廊下の向こうへ消えていった。

 ……その後ろ姿が、向こうの職員室の中に消えるのを待つこと、たっぷり二分。

「ケイル・キングって、聞いた名前だよな?」

 と、俺は後ろを振り返る。

「私のところの隊長、あのぶっちょ面よ」

 答えたのはデイジーであったが、そのさらに後ろのキティは、――話の早いことだ、などとつぶやいていた。

「……、……」

 俺は返す言葉を得ずに、彼女らを先行して歩き始めるが、

「いやしかし……」

「?」

 言ったのはキティである。

「怒られなくてよかったねえ」

「三歩後ろで他人事ですってツラしてたやつが何言ってんだよ……」

「めっちゃ神妙な顔してたけどねっ!」

「…………なんかお前、怒られ慣れてない?」

 というかまさしく慣れてるやつのムーブだと思う。終わった直後にケロっとしてる所含めて。



 経路を辿って目的地を目指す。

私語の類は最小限に。教室への配慮で呼吸と足音を押し殺しながら、俺たちは校舎端の、今は倉庫として使われているらしい教室に向かった。

「……、……」

 指定された経路は、確かに最低限の使用教室のみを通り過ぎるものであったが、それでも、時折聞こえてくる扉越しの声や確かに感じる一塊の人気などが、どこか異世界に訪れたような感慨を催す。

或いは見知らぬ繁華街を歩く時のような、妙なアウェー感の伴った緊張に包まれた行軍である。そんな行程が終わった時には、これまた謎の脱力感が湧いてきた。

 そして、到着した教室にて。

 音に遠慮しつつ引き戸を開くと、その向こうでは、確かに見覚えのある顔が俺たちを迎えた。

「手間をかけた」

 男の開口一番は、その言葉であった。

 部屋には、廊下の静寂とは違う類の緊張感がある。

……あの日、雨を背景に見た男に覚えたのは、威圧感が欠落しそこに当たり前にあるだけのような雰囲気であったはずだ。果たして今、曇天日和を背景にして空き教室の真ん中に佇むその姿からは、――まるで巨木が占める密閉空間に押し込まれたような、動物性のモノとは違う、静謐とした存在感と圧迫感が濃密に感じられた。

 俺は、気圧されたように言葉に迷って、

 それに気付いたわけでもないだろう、彼が先に言葉を向けてきた。

「キティから話は聞いていると思う。ここからは、その内容について詰めるつもりだが、構わないか?」

 俺への問いであることは分かっていて、その言葉の内容についてもつつがなく理解できた。

 しかしそれでも、俺はどう答えればいいのか少し迷う。

 その沈黙をどう受け取ったのだろう。彼は、

「俺は、ケイル・キングだ。よろしく頼む、タツキ・ケート」

 そう言い、無表情のまま歩み寄って、そして俺に手を差し出してきて、……ようやく気付き俺はその手を取って、

「ああ、はい」

 という言葉を、なんとか絞り出した。



 教室に用意されていたのは人数分の椅子と長テーブルであった。教室という背景も相まってか、二者面談じみて見えるような配置である。彼らは黒板側を背に、俺たちはその逆を背にする格好で席を取った。

 俺から左手の窓は、全て薄手のカーテンが閉められている。ケイル・キングが俺たちを迎えた後に閉めたのだ。誰一人として異を唱える者はなく、俺もそのようなものなのだろうと受け取ったのだが、改めてみると、蛍光灯を付けるほどではないが薄暗く感じる。

 一応程度の日差しはカーテンの水色を透いていて、教室を淡い色に照らしている。カーテンの隙間の足元には、漏れた日差しが、雲間から差したそのままの乳白色で溜まっていて、それが俺たちの視界の助けになっていた。

 今朝方よりも、どうやら少し曇天が厚くなっているのかもしれないと、ふと俺は思った。

「……、……」

 この教室の窓はいつから締め切られているのだろうか。空気が酷く湿気って感じられる。

 しかし、そんな俺の印象とは裏腹に、漏れた日差しを注視すると、軽やかに舞う埃の粒子が見て取れた。

「――まず、キティに確認したい」

 初めに口を開いたケイルに、問われたキティは無言を返した。

「用事は済んだか?」

「…………………………………………まあね」

 どうも、露骨に機嫌が悪い。

 用事とは、或いは先ほどの喫茶店での件だろうか。

「タツキ君は、良いのかね?」

「俺は、まあ。はい」

 デイジーからは、剣を振り上げて振り下ろすだけの作業だなどと嘯かれたが、俺にだってある程度のイレギュラーはあってしかるべきものなのだろうことくらいわかる。

 貢献出来る自信がない、という言葉裏の感情を、俺は敢えて隠す気がなかった。

「……まず、作戦を伝える。先に言っておくが、これは、最大限、君の作業量とアドリブの余地を削減したものだ。これ以上の案はない」

 噛んで含めるように、そしてどこか圧力のある口調で彼は言う。

 俺は、その態度にどんな感情を覚えるべきか思いつかなかった。

「作戦を伝えるにあたって、簡単に情報をまとめておくが、いいか?」

 逐一に問う彼の言い回しには、俺は黙肯で以って返した。

「討伐対象は、仮名アメフラシ。君も見たあの怪物だ。あの怪物は、おそらく君の持っていたあの剣――あの、特殊な性質をもった剣でしか殺せない。ゆえに君には、アレの断頭を任せる」

 その簡潔な説明を、俺はただ黙って聞く。

デイジーとキティも、そのようにしていた。

「また、それが失敗した場合は、……我々はとある兵器を使うことになる」

 言葉を選ぶような、濁して伝えるようなその言い回しは、しかし、事前に用意されたフレーズであるように見えた。

「その兵器の性質は、例えるなら絨毯爆撃に近い。瞬間的にはアメフラシがもたらす被害の上をいく威力のものだ。出来うる限りは、君の行動による目標の達成が望まれる」

 強くもなく、弱くもなく。

 俺を伺い下手に出るわけでも、威圧し了解を急ぐわけでもない言葉である。

 表面上の距離感は、そのようであった。

「君はこの作戦において、私たちの指定したタイミングで、私たちの指定した場所に移動し、私たちの合図で聖剣を、……いや、『あの剣』を振り下ろすだけでいい。君にかかる負担は最小限となる。――問題は、剣の在り処だが……」

「それは、問題ないよ」

 キティが答える。

「問題なく、用意が可能だ」

「よろしい。それでは、詳しい日取りの確認の前に、――タツキ・ケート君」

 名前を呼ばれて、視線を振る。

「ある程度の謝礼の用意もある。君は、協力してくれるだろうか?」

 俺に問う。

 俺は。

「……、……」

 少しだけ、考え事をする。

 それは、会話をやり取りするにあたっては、ほんの数拍分のラグだったはずだ。

それだけ待たせて、そして、

俺は答える。

「いいですよ」

「感謝する」

 以上で以って、この集まりは行程を完了したらしい。

 俺は退出を促され、キティとデイジーは、どうやら部屋に残るようであった。男曰く、詳しい日時等はキティから聞けとのこと。

 その言葉のみ受け取って、彼らに背を向ける。

 数歩歩き、

「……、……」

 後ろ手に、俺はドアを閉めた。

「…………。」

 引き戸を締めると、静寂が広がる。それは、先ほどまでいた教室の扉の向こうには、もう誰もいないかのような静寂であった。廊下の向こうの使用教室の方が、距離があってもなお、まだ人気を感じる。

 俺は、

屋上への進路をとった。

 空いた時間を潰しに行くためである。



 話し合いに差し当たっては、まずケイルキングが、デイジーに見張りを命じた。ただし無論ながら、達城やその他の人物がこの会議を盗み聞く可能性を考えていたわけではないだろう。扉の番をしろと言われ、当然従ったデイジーは、しかしこれが自分を引き払わせるための名目であることを理解していた。

 なにせ彼らは、複雑な身分である。他方霊長の平和を守護する機関たる「協会」の代表者。そして他方は、分類学的に言えば「霊長の平和を損なう存在」であるはずの「協会の恩人」である。……強硬的に出るべきか、下手に出るのが正解か、ケイルがキティに取る態度は、それを見ているのが身内だけであったとしても気を抜いて選んでいいものではない。

 ゆえに、デイジーは話し合いの進行を第一とし、来るわけもない外敵を待って扉の番についていた。

 そして、一方、

薄手のカーテンが閉められた部屋では、席の半分が空白のまま、静かなやり取りがつつがなく進行していく。

ケイル・キングはまず、日取りの最終調整を俎上にあげて、

しかしキティが、――それをにべもなく蹴って別の話題を投じた。

「アレは、頭のいい奴だよ」

 それが、先ほどの少年を指す言葉であることは明白であった。

しかしケイルにはその文脈が突拍子もなく思えたのだろう、表情こそ崩さずとも、返す言葉はなくキティの続きを待った。

「君が、どう交渉を進めたかったのか、理解しているよ。アイツは」

 それを受け取って、ケイルは、

「……何が言いたい?」

「間違えたって言いたいんだよ」

 やり方を、彼女はそう言った。

「素人に掛ける荷じゃないって気付いたところまではいいんだけどな、そのあとの出方が悪い」

「なんだ、アレは尻尾を巻いて逃げるタマじゃないと?」

「そう、アレは尻尾を巻いて逃げるタマじゃない」

 もっと正しい態度があった、と。

 彼女はそう、断言する。

 どこか挑発的な言葉選びに、しかしなおも、ケイルは感情を出さない。

「それならお前が話を進めるべきだったな」

「……………………。いや、私は今日にだって話すつもりだったよ」

 どうかな、とケイルは嘯く。

「お前は、そういうことが出来ないタマだろ、――キティ・ローグラス?」

 その名を呼ばれ、彼女は、

「……、……」

 表情を隠す。

その、とある寂れたバーで出すカクテルをもじった名は、――過日、彼女が様々な友人との心躍る冒険に身を焦がしていた頃に、名乗っていたものであった。

 そしてその、たった一瞬だけ追憶した風景の中には、ケイル・キングの姿も確かにあった。

「…………本当に、年取ったよな、君は」

「追いつけるつもりだったんだ、ホントだぜ?」

 ケイルの口調が、たった一言だけ過去にさかのぼる。皺と苦労の刻まれた相貌に、そしてそこから吐き出された身の程を知らない挑発に、キティはある日の少年の面影を見出し、

 ――そして卓上は、即座に平静を取り戻す。

「辛い役だろうけど、一つだけ頼みたい。ケイル」

 それは交渉相手に向ける類の、無感情な口調であって、

「――どうか、彼を尊重してやってほしい」

「了解した」

 その内側にある感情に、ケイル・キングは首肯を返した。


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