1/3
03
「まあ結論から言うと、アレ、死んでなかったんだけどさ」
そう言ったのはキティ。そして聞くのは俺と、もう一人。
――昨日の、物騒な出会いを果たした金糸の髪の少女であった。
ちなみに、その名はデイジー・ポーンというらしい。
「そんなわけで、……ディズちゃん的には知ってるネタもあるとは思うんだけど、改めて説明、始めさせてもらうよ」
キティは、彼女をディズと呼んだ。
そして、呼びかけたままそれらしい応答は待たずに、キティはこちらに向き直る。
……昨日の初対面が未だ脳に残っている俺からすると、彼女の乱暴な様子は、なんというかこう、アイドルの裏側を見てるみたいでとてもいけない気持ちになる。
のだが、それは蛇足に違いない。
さて、
それは、梅雨の日差しが傾ぐ直前の、とある教室の中のことだ。
――私立N高校。
この街にいくつかある高校の仲では最も郊外に位置する、俺とキティと、加えて今日からはデイジーの母校にも当たる場所である。……というのもどうやらデイジー、彼ら白装束軍団と俺たちとの橋渡し役に任命されたということで、今朝しがた急に転校してきたのだ。
大人ってすごいと思ったのは、これもまた蛇足である。話を元に戻そう。
そんな俺たちがいるのはその高校の、俺とキティの属する教室であった。ゆえにそれぞれ、昨日とは違いブレザー型制服の装いである。
……個人的にはデイジーがどう見たって登校初日の制服の着崩しかたではないとは思うが、おっぱい見えそうなのもたぶん蛇足だから詳細な条件描写は割愛しようと思う。
「……、……」
最近は泣きずっぱりだったこの街だが、今日はぎりぎりでこらえが効いているらしい。
放課後の、分厚い曇天を遮るべきカーテンと窓は、今は全て開け放たれている。
なお、これはデイジーのリクエストで、曰く、こんな湿気の日に窓を閉め切ってお勉強会なんてありえないだろうとのこと。
暑い日ではないが、確かに湿気は不快である。そんな日和に、窓から廊下へ吹き抜けるささやかな風は、気づけば次の一陣をなんとなく待ってしまう程度には心地いい。
「……、……。」
ふとして静寂が起こると、そんな涼やかな風が、静かに教室を滑る。
そのたびに震えるカーテンが、曇天で濾されて淡い色となった日差しに、影を作る。
湿気の強い日は、なんとなく音がいつもよりも少ない気がする。音の代わりに、この街では匂いが、こんな日は印象に残った。
今もまた、少し先にある海から風が届いて、再びそれがカーテンを揺らして、潮の匂いがこの教室に舞い込んだ。
「ってことでね、チキチキキティさんのブリーフィング会議です」
俺とキティの席は窓側の列の半ばにある。
俺は自分の席に、デイジーはその隣の席へ。他方、謎の講釈を始めたキティは、話しやすさを優先したためだろう、自分の席ではなく俺の一つ前の席に、こちらに向かい合う形で座っていた。
……ちなみに、キティの席は俺のすぐ後ろである。彼女が選んだ席は、俺の友人男子の席にあたる。背もたれに抱き着くような形で、つまりは身体を椅子に密着させて座る彼女を見れば、おそらくあいつはそれだけで悔いなく逝けることだろうが、これは余りにも蛇足だ。というかここまで全部蛇足だ、さてと。
「それで、……どこから説明するつもりなわけ?」
会話のきっかけにデイジーが問う。
「私たちの立場的に言えば、最初っから」
それに、キティが答えた。
……今更ながら、外国人ってこんなみんな語学が堪能なのだろうか。なんでなんの違和感もなく日本語に聞こえる発音でみんな喋ってんの? おばあちゃんが日系なの?
「ってことでだ、とりあえず大前提に確認するべきなのは……」
背もたれを抱きしめたままキティは、こちらに向けて指を立てる。
「魔獣って何なのか」
まずは人差し指を。
「聖剣って何なのか」
次に中指を。
「そして、――私たちの目的だね」
最後に薬指を、彼女は立てて、
そして言う。
「判らないことがあったら、私か、アシスタントのディズちゃんに聞いてちょうだい」
誰がアシスタントだよ。と、デイジーが頬杖を突きながら、そうつぶやいた。
「とはいっても、そこまで苦にするような話にはならないはずだ」
この国の特産品ってのは、まず最初にファンタジーなんだろ? 彼女は指を三本立てたまま、そう冗談めかして言う。
「魔法も、魔獣も、君が最初に思い浮かべるようなイメージで過不足ない。魔法は、個人が物理現象に干渉する行いのことで、魔獣は、当たり前の生態系では生まれ得ない腫瘍のことだ」
人が火打石抜きで火を灯すのが魔法、絵本でお姫様をさらっていくのが魔獣だね、と彼女は続ける。
「――ただし聖剣については、ほんのちょっとのマイナーチェンジがある」
そこで彼女は、人差し指を折った。
ぴこぴこと、中指を振る。
「聖剣」
言葉を切る。
「どんなイメージがある?」
それは俺への問いであった。横目に見たデイジーは、話を聞いているのかもわからないような様子でそっぽを向いている。
少しだけ考えて、俺はその問いに答えた。
「エクスカリバーとか、ラグナロクとか、……グングニルなんかも聞いたことあるな」
あとは斬鉄剣か。
「出典偏ってんなあ……」
ちなみに俺は根っからのエフ〇フ派である。
「グングニルは槍だし、ラグナロクは武器ですらないし、……斬鉄剣ってば、ルパンザサードの五右衛門じゃないの?」
四個挙げて一個しかあってないってなんなんだ、とキティ。
斬鉄剣はオーディンのヤツである。ちなみに相手は死ぬ。
「まあいいけど、じゃあそのエクスカリバーって、どんなイメージがあるかね」
「2があるよな?」
「2は無いね、聞いたことない」
えっとだね、と彼女は会話を改める。
「もともとは王様を決める選定の剣なんだ、エクスカリバー。それを抜いた奴が主人公なのがアーサー王物語なんだけど……」
そこは知ってるかー、と彼女。
アーサーが実は女の子だったってことくらいしか知らない俺。
「そもそもあの剣、妖精が作ったやつなんだよね」
「妖精?」
「そ。フェアリー。聖剣って言うカテゴリーには、基本的にはそんな条件がある」
神様が祝福したり、竜にもらったりモノだったり、その他上位種による後ろ盾が何かしらかある、そういう話だね。とキティ。……横からデイジーが、昔は立派なら全部聖剣だったけど、今はそういうドレスコードがあるわけよ。と補足説明なのか分かりづらい言葉を付け足した。
「それでね、今回もそうなんだ。
……君の手にいつの間にか握られていて、そして君の投擲を以って所在不明となったあの剣は、何かしらの上位種による祝福を得た剣だった」
見事な意匠を見れば、君にもアレが、凡百とは違う業物だってわかったろ? と彼女は続ける。
しかし、剣なんぞ凡百の出来のものから見たこともない俺には、やっぱりよくわからない。
或いは祝福がどうだなんて言われても、そんなものを感じ取る余裕だってあの時にはなかった。あの時は、手の平に返る感触に気付き、手の平に返る感触からそれが剣だと確信し、そして投げた。それだけだ。
ただ、……恐らくだが、名匠の刀剣が纏う鬼気、みたいなイメージなのではなかろうか。
「本題はここから、聖剣には、大抵役割がある」
先天的にか、或いは後天的に、
「エクスカリバーは前者だね。王を選定する剣だ、そこには一目でわかるような威光があったとみるべきだろう。後者でいえば、君が言ったラグナロク。……アレは正しくは終末戦争という言葉に振られるべきルビなんだけれどね?」
そこに登場する戦士スルトが持つグラム、或いはレーバテインという剣は、後世、世界を燃やすための最終兵器だったとみることが出来る、と彼女。
「聖剣には役割がある」
彼女は言う。
「君のヤツにしてみれば、役割ってのは案外分かりやすい」
「聖剣ってのは、巨悪を倒すためにあるって話よ」
そこでデイジーが横槍を入れる。
「巨悪ってのは、つまりわかりやすい脅威。例えば悪いドラゴンとか、抽象的だけど、不健全なコミュニティなんかもそうね。
聖剣は、悪いドラゴンを打ち倒したり。不健全なコミュニティーを切り崩したりのためにあるわけ。
――さて。それじゃあ今、アンタにとってわかりやすい脅威って言ったら?」
「……あの化け物か?」
化け物じゃなくて、アメフラシで統一してんのよ。と彼女は付け足し、
「さっきでいうところのグラムは、巨木を燃やすために炎を纏っていた。他には、……エクスカリバーでいうと、アレは王に抜かれるために岩に刺さっていたわけ」
気の抜けたような姿勢のままで、彼女の言葉は滞りなく唇から流れ出す。
「あくまで仮説だけれど、十中八九、――アンタのアレには、アメフラシという『悪いドラゴン』を倒すためのギミックが備わっている。私たちは、――私たち白駒騎士団はそう考えている」
そこで彼女は、キティに視線を送る。
或いはデイジーは、その白駒騎士団……彼女たちのスタンスを、明確にする文脈を探っていたのだろう。つまりは、彼女らの目的についてを。
「ありがとうディズ。そんなわけでタツキ、あの剣の再顕現が、ひとまずのタスクになる」
そこで、
一度会話を預けたはずのデイジーが、キティに向けて手を上げる。
「なんだいディズ?」
「実はこいつの名前を知らない」
……ほんの一瞬、この教室がしょうもない空気に包まれる。
いや、って言うかこいつ、じゃあ今まで隣に座ってるこの俺のことを何だと思ってたんだ。
「タツキ……」
微妙そうな顔でこちらを伺うキティ。俺は、それに似たような表情をしながら答えた。
「ああー、……うん。俺はタツキ、――達城桂人だ」
ケイト……、デイジーは呟く。
「よろしくケイト、私はデイジー・ポーン。隊長の、……あのぶっちょ面、ケイル・キングの兵隊よ」
そういって彼女は握手を求め、俺はそれに応じた。
彼女の手は、細くしなやかでありながら、どこか重みのある感触を俺の手の平に返した。
「ちなみに偽名ね?」
そう茶々を入れたのはキティであった。
……みんなそんなんばっかりである。全員どこかで悪いことする予定でもあるのだろうか。
「それで、なんだったかしら」
「タツキの聖剣の再発現だね」
そうだった、とはデイジーの言葉であった。俺は、誰に対して言うでもないようなつもりで、その弛緩したやり取りに言葉を投じた。
「それなんだけど、……また出たからウチに置いてきたよ」
「――は、え?」
「傘立てに差してきた」
「……う、うわあ傘立てに差してきたのか!?」
「あれだったなら引き取ってってくれよ、抜身の刃じゃあ危なっかしくてたまんない」
「たまんねえのはこっちだよっ! 君は聖剣を傘立てに立てかけてきやがったのか!?」
キティは叫んで、たまらず立ち上がった。ガタリと音を立てて、座っていた席が倒れる。
「いや、だってさ……。おっかないんだもん」
「そっかそっか! おっかなかったかい!」
「……アンタ、落ち着きなさいよ。素人に任せたらそりゃあそうなるでしょ?」
「いやっ、だってさあ! 自然発生の聖剣だよっ? そんなの今日日、いくら出したら買えるんだか……!」
それを聞いて、
俺の表情筋がこらえ切れずにピクリと動く。
勢いよく立ち上がった姿勢のまま、「ありゃ?」と首をかしげるキティ。
俺は、――毅然とした態度で言葉を紡いだ。
「あれは俺の誇りだ、誰にも渡さない……!」
「ふざけんな!」
窓を開けてるはずなのに、いつの間にやら熱が籠り始めた議論の鎮静化を求めて、キティは俺たちに一時休憩を提案した。
俺とデイジーは、それを了承する。
ふと外に目を向けると、日の傾ぎは変わらないようでいて、その実よく見れば先ほどよりも緋色が強い。
そんな日差しが、俺とデイジーがアテもなく歩く廊下を淡く照らし、そして遅々とした速度で角度を変えていく。
曇天を透いて差す陽は弱い。それはむしろ、影の暗色をより際立たせるものだ。
薄暗い日差しに暴かれる階段の、そのすぐ裏手の空間には、たっぷりと夜を思わせる暗色がたまっている。
これからすぐに、きっと、もっと加速度的に夜が深まる。
そのすぐ先の光景が容易に浮かぶような加減の光が、この学校を包んでいた。
「……、……」
「――しかし、驚いた」
切り出したのはデイジーであった。その表情には、しかし驚いたようなニュアンスは無い。
どこか遠くを見るような、脱力したような表情で、彼女は続ける。
「あいつ、……キティね。どうでもいいことは面白がって口が軽い奴なんだけどさ、まさか、私たちの話も言って回ってるとは」
俺はしばし沈黙して、
そして答える。
「あんたらの話を、面白がってしてるって風ではないよ、アイツ」
正確には、むしろ、本当に面白がって話して聞かせてくれるのだ。ため込んだままではいられない宝物を、誰かに自慢するような表情で。
冷やかすような態度ではなく、もっと誠実な表情で、彼女はよく、俺に心躍る冒険譚を披露してくれていた。
「アンタ、アイツのこと、どう聞いてんの?」
「どうって?」
「アイツは、どういう風に自分を語ってるのかって感じ?」
「あー……」
少し言葉に詰まる。
「自分の話は、あまりしないなあ」
「……そう」
問いながらも、やはりその表情は明後日の方に向けられていた。
ぽつぽつと会話を交わしながら、もう教室を幾つ通り過ぎただろうか。気付けば俺たちは、なんとなく、屋上へ向かう足取りをとっていた。
「……キティは、さ」
「何?」
「どんな奴なんだ?」
探るような言葉を、無意識に俺は選ぶ。
喫茶店でキティ自身から聞いた彼女らの関係性が、そうさせたのかもしれなかった。
「そうね。……ダブルスパイ、誇りなき吸血鬼、コウモリ女、サノバ〇ッチ」
「?」
「……の、キティって呼ばれてた」
彼女のあだ名よ、とデイジー。
「あとは、そうね。
へたくそなのにカッコつけて中立、伊達女、クソ聖女、――英雄、白い太陽、誇り高き吸血鬼、快晴フェチのマゾヴァンパイア」
彼女がそう区切る。
そこで、上り階段に差し掛かって、
「好かれてたわ、アイツ。ウチの隊長以外には」
振り返って、そう言った。
それから、少しだけ声を落として「隊長だって、本当に憎んではいないんじゃない?」と。
「……魔法世界が終わったってのは聞いたんでしょ? アレは、その立役者の一人よ」
正確にはその一派数人の、そのうちの一人。
アイツとその仲間たちは、世界の理不尽に耐えかねて、世界の全てにまとめてケンカを吹っかけて、そしてそのままのしてしまったの、と。
そんな風に言うデイジーの様子は、やはりどこ吹く風。
「英雄よ、彼女は。……もし人柄について聞きたかったなら、それは、アンタが見てきたとおりの奴だけど」
そんな気がする、と、俺は思った。
「中立だスパイだコウモリだ、なんて言われてたけどね。アイツ、いろいろ考えてる風で、案外薄っぺらいのよ」
階段を上る。ここから二つ教室を抜ければ、次は屋上に続く階段が見えてくるはずだ。
「ここでのアイツはどう? 楽しくやってるみたい?」
「自由には、やってるよ」
「そりゃそうね」
乾いた笑いを返す。
その姿は妙に様になっていて、俺は、デイジーがどんな人物なのか、なんとなくわかったような気がした。
「ここの連中は、結構気持ちがいいみたいね」
一日いただけでも、よくわかった。と彼女は言う。
「こういう場所じゃあ、アイツも本領発揮でしょ?」
「ああ、ぶっちゃけ死ぬほどモテてるね」
彼女はまた、力を抜いた声でからりと笑う。
「顔はいいからね、喋れば形無しだけど」
「中身に惚れたって奴も多いよ、若い奴は、その手のバカばっかりなんだ」
フレンドリーにされれば、それだけで憧れが恋心に代わる。
俺の周りには、わかりやすくて、良い奴が多かった。
「へえ? ――アンタは?」
「俺?」
彼女が首肯する。
「アンタは、バカじゃないの?」
「そういうつもりじゃないって」
ニヤリと笑う彼女の表情に、からかわれているのだろうことは分かっていたが。
敢えて乗るもの、悪くないと思ってみることにした。
屋上は、いつの間にやら目前に迫っていた。
「仲良くなっちゃってさ。今更、そういう弱みを見せるのが癪なだけだな」
じゃあそっちの手のバカなんだ? と、なおもからかう彼女に俺は先行する。この先の屋上の扉には、開け方に簡単なコツがいるのだ。
――ノブを少し上げて、それから強めに引き下げる。すると、ドアの仕組みの方から固めの感触が返ってくる。
それが、開錠の合図だ。
「うまいことやってるつもりなんだよ、俺の出来る範囲でさ」
そうして開いた屋上から、風が通る。それは俺たちが上ってきた階段を滑り降りて、見下ろした階下の花瓶の花を、少し揺らした。
「へえ。――涼しくていいわね」
「空いてる時間を選べばな」
「そんなにご盛況なんだ、ここ」
言いながら彼女は、先に立つ俺を追い越した。あくまでゆっくりとした歩調で、彼女はそのまま屋上の中央へ進む。遅れて、俺がついていく。
「……、……」
扉の先へ一歩踏み出すと、
「――――。」
曇天日和ながらに、視界が一段階確実に明るくなった。
教室で感じたよりも、少しばかり風が強いように思う。湿気の匂いが、すこしだけ冷たさを帯びて感じられた。湿度のせいだろうか、いつのまにやら身体に熱がたまっていたらしい。風を感じるたび、ほてった額がさらりと乾く。
視界の向こう、曇天の下では、デイジーがゆっくりとフェンスの方に向かって歩いていく。
彼女の目線からは、おそらく、起伏と建物の少ないこの辺りの景色が一望できたはずだ。
「いいロケーションじゃない? ――ソレには」
言って、彼女が遠くから指さしたのは、……俺の胸ポケットにあたる位置だ。
「……なんだ、気付いてたのか」
「若者が苦労しない国だって聞いたわよ? そういうの、早くに覚えたら後がヒマで足らなくなると思うわ」
俺が取り出したのは、いわゆる非行少年の勲章、
――俗に言う煙草であった。
「『うまみ』を見つけたっていうこの国の煙草、気になってたのよね」
俺は彼女に歩み寄り、煙草、――セブンスターの一〇ミリボックスを渡す。彼女はその中から煙草を一本と、箱に一緒に入れてあった安いライターを引っ張り出し、それに吸い付き、火を付ける。
屋上の真ん中から、やがて、曇天に向かって一筋の紫煙が伸びた。
「そっちはいいのかよ、それとも実はキティみたいな事情があったり?」
と、さり気に振ったのは年齢の話題だ。
昨日見た彼女のカッパ姿には違和感の類などなかったが、しかしこうして引いた絵でみてみると、デイジーの制服姿というのが妙に相応じみて見える。
……実際のところ幾つなのか、というのは全く好奇心で用意した問いだったのだが、
「夢と魔法の世界に大人の事情なんて無いのよ、ディ〇ニーランド行ったことないの?」
なにやら、はぐらかされてしまったようだ。
というか日本円が使える時点でディ〇ニーランドにだって大人の事情くらいあると思う。行ったことはないんだけど……。
「それで、付き合ってくれるんでしょ?」
「まあ、いいよ」
さてと、
この時間帯であれば、教師と鉢合わせて煙草の匂いに感づかれるようなことはないだろう。キティに感づかれる分には、まあ多分、既に手遅れであるように思う。
「……、……」
手癖の動きで火を付ける。それを見たデイジーが「不良少年じゃん」とわざとらしくニヤついて見せた。
「若者は若者なりに、若者だけの悩みがあるんだよ」
「かっこつけちゃって。可愛いって言って頭撫でてあげようか?」
「やめといて……」
それこそ、大人よりも諦めが悪いぶんだけ根が深いんだ、若者の悩みっていうのは。
「悪いことがしたいなら、アイツに頼めば全部教えてくれるわよ?」
と、デイジーが言う。
言われて、俺は少しだけ、そのシーンをイメージしてしまう。確かにアイツに頼めば、悪い年長者の代表みたいなキティのことである、嬉々としてこういった若気の至りに可燃材を投入してくれそうな気がした。
「考えとくよ」
「アイツ、良い酒癖してるわよ?」
「……ぞっとしねえなあ」
タツキらと別れた後、キティは白駒騎士団の団長、例の巌のような雰囲気を持つ男、――ケイル・キングに連絡を取っていた。
『説明は済んだのか?』
開口一番、彼は問う。
キティは窓辺に腰掛けながら、開いた窓の外へと背中をのけぞらせる。
そして、空を仰いで。
煮え切らない天気だと、彼女はそう思った。
「……、……」
更に遠く、曇天が続く地平線の方を眺めながら、彼女は適当な調子で返事をした。
「休憩中だよ。よくよく考えたら、今回の作戦の概要を私はよく知らなかったし」
だからデイジーを貸したんだろう……、とわざとらしい嘆息が電話口から返された。
『しかし、急ぎでもないだろう。なんなら作戦の直前であっても――』
「タツキが出張る必要があるんだろう?」
電話の声を、彼女は遮った。
「アレはただの、平和な素人なんだ。心の準備があってしかるべきだ」
キティはそのまま数拍分、電話の声の回答を待つ。
果たして、返ってきたその内容は、キティにとっては気に食わない類の、「大人の事情」が絡んでいた。
『だからこそだ。話を聞いて臆病風に吹かれては困る』
今度はキティが、わざとらしくため息を吐いてみせる。
「守ってみせろ? 気に食わない結果に転がったら、――私は絶対に許さない」
『無論だ』
その返答に感情はない。
キティは、少し考えてから。
「…………了承は、私が取る」
それまでは、決行日までは、この前みたいにアレが出ても逃がすだけだ、と続けた。
電話口からは、短く了解の言葉が返った。
「じゃあね、切るよ」
そう言って、短い返事を流し通話を切り、そして携帯をしまってから、キティはもう一度、今度は誰に聞かせるでもなくため息を吐く。
「アイツも、それらしくなりやがってまあ……」
ふと。
冒険の日々のとあるシーン、まだ青く若かったケイルを思う。
――先ほどのため息は、彼女にとっては、あくまでポーズのものだ。過日の、熱意と正義感に振り回されっきりだった彼を思うと、キティはどうしても彼に心の底から異を唱えることが出来ない。
或いは、殊こういった作戦において彼は誰よりも有能であった。ケイル・キングがあんな風に、万が一にも作戦における達城の不在を看過できないというように振る舞うのであれば、つまりはそれだけ、あのただの平和な素人が、この作戦にとっては重要不可欠な要素であるということだ。
「……はぁ」
知り合いにばかり負担をかける。と、キティは曇天の果てを眺めながら、そう自戒する。
やがて、どこからか、煙草の香りがキティまで届いてきた。