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第五幕『幻夢の絆』

 肩まで伸ばした蒼い髪と潤んだ瑠璃色の瞳。精緻な造形の顔は人形染みた雰囲気を醸し出している。 

 白磁のようなきめの細かい肌は思わず触れたくなり、細いくびれは直ぐに壊れてしまうのではないかと錯覚する程細い。 

 華奢な躰に群青色のケープを纏った少女の可愛らしい唇は無表情に結ばれていた。


「――来るな、と言ったはずだが?」

 

 少々威圧感を込めて言ってみたが、少女――リゼットは意に返さないように無表情のまま言った。


「帰りが遅かったので。それに勇者様はが仰ったのは『待ってろ』です。『来るな』とは一言も仰られていません」


「屁理屈をこねるなよ……」

 

 リゼットの行為は勇者を心配してのことだろう。その気持ちは非常に嬉しいが、ここはファームル教総本山であるカルディナ大聖堂なのだ。


 黒焉の勇者としての能力により、探知系の魔術的結界に抵触することはないが、リゼットは優秀な魔術師とはいえただの人間だ。

 

 彼女の力なら何だかんだいって突破出来そうな気もするが、死を伴う危険があることに変わりはない。

 なるべく危ない橋を渡って欲しくないが、勇者の側に居る限りそれは土台無理な話だろう。

 

 そして、これからは今までと比べられないほどの危急存亡の淵に立たされる。 

 

 そんな場所にリゼットを引きずり込むなどあってはならない。 

 美しく聡明な少女であるリゼットはいつも引く手数多に違いない。例えそれが《黒》の従者であったとしてもだ。

 

 こんな沈みかけの襤褸船より相応しい居場所がいくらでもある。

 

 勿論、そう易々と手放せるほどリゼットの存在は小さくない。しかし、その分だけ優しい彼女には幸せになってほしかった。 

 今まで散々艱難辛苦を共にしてきたのだ。少しくらい従者の為に行動しても罰は当たらないだろう。

 胸の中で最高の従者と決別する覚悟を決め、勇者は徐にに口を開いた。


「あー、なんて言うかさ……リゼも年頃だし……その、なんだ。そろそろ身を固める決心をだな……」


「――離れませんよ」 

 

 歯切れの悪い勇者の口上にリゼットの言葉が割り込んだ。儚げな美貌に反して、そこには確固たる意志が垣間見えた。リゼットの言葉は続く。


「勇者様が何と仰ろうと、私は勇者様のお側から離れません。何処までついて行きます――例え、地獄であったとしても」


「……今よりもっと辛いぞ?領内の奴らと違って、他じゃ正体がバレた瞬間に憎悪をぶつけられる。それも並大抵じゃないような奴をな」

 

 これからの未来が容易に想像出来て、思わず苦虫を噛み潰したような顔になる。

 それでも、教皇を殺したことに後悔などない。少女の仇を取り、“新人類降誕計画”とやらを阻止できたのだ。 

 何も悔いることはない、その代わりに大きすぎる代償があろうとも。

 

 決まり悪げに頬を描く勇者に、リゼットは微風を想起させるような笑みを浮かべた。


「構いません……私は勇者様に助けられたあの瞬間から、身も心も全て貴方様のものです。勇者様のお側に居るのが私の願い」


「…………多分、死ぬぜ?いくら俺でも白旋辺りが大挙して殺しに来たらどうにもなんないしさ。このままだと、大罪人として広場の中央で処刑される」

 

 ほぼ確定的な末路。しかしリゼットの微笑みは変わらなかった。


「大丈夫です。勇者様はそう簡単にやられはしないのですから……それに、勇者様と死ねるのなら寧ろ本望です」 


 頬を赤く染め微笑むリゼットを見た瞬間、どうしようもないくらい愛おしさが胸のうちに溢れてくる。

 

 たった一人で死ぬのは怖い。それは化け物になろうと、人智を超越した存在になろうと変わらない。

 

 今まで無数の命を刈り取っておきながら勝手な話だが、『死』を誰よりも間近で覗いてきた勇者だからこそ、その恐ろしさが痛いほど分かる。

 

 喜びも悲しみも、善も悪も死んだ瞬間にたち消える。それはどんな強大な敵より深く深く魂の奥底に恐怖を突き刺すのだ。

 

 どうせ逃げられないのなら、傍らに最も心を許せる存在を最期まで側に置いておいて何が悪い。

 

 当代――十代目《黒焉の勇者》は齢九つにして化け物となった。以来リゼットに出会うまで、信条テーゼに従い孤独な戦いを延々と繰り返してきた。

 

 72の勇者の中でも、民衆に忌み嫌われ排他される黒焉の勇者の生活は想像を絶する。人々の為に戦っても、贈られるのは感謝の言葉なのではなく、侮蔑と嘲弄だ。他の勇者と比べ雀の涙程度の金を教会から受け取り、毎日ギリギリの生活を送る。

 

 当然、希望や夢などなく、世界の為に喰い潰されることを宿命付けらる。

 そんな、どうしようもないような暗闇の彷徨った勇者が世界を恨まなかったのはリゼットのお陰だ。 


 リゼット・フォン・ヴァイシュリー・ダンタリアンは文字通り勇者にとって光。暗澹の世を照らし出す、澄み切った天上の光だ。

 

 最期なら弱音を吐くぐらい許されるだろう。今まで散々絶望してきたのだ。少しでいいから希望が欲しかった。

 

 大きく息を吸い、腹の中な蠢く余計なものを全部吐き出した。胸が清涼感に満ちるのを感じながら真っ直ぐリゼットを見つめた。

 

 静謐が宿る瑠璃色の瞳が勇者を見つめ返す。


「恐らく、そう遠くない未来に白旋が手駒の勇者と共に動くだろう。しかも、他の派閥の勇者たちもだ。正直、七勇士以外は怖くも何ともないが物量で押し切られる可能性だってある」 


 勇者の口からでるのは言葉から絶望だ。それでもリゼットは只静かに聴いている。


「俺の進む先は闇だ。暗闇ばかりで息苦しいだけかもしれない。それでも…………いや、だからこそ俺の隣に居てくれ。俺はどうしようもなく弱いから、お前がいないと生きていけない。どうか、一緒に地獄へ付いてきてくれ」

 

 端から見れば勇者の言葉は見苦しい以外の何者でもなかった。そのことはよく分かっている。

 だが勇者の胸中に反して、無様な言葉を聴いたリゼットは嬉しいに頬を緩めた。


「――はい。この身朽ちるその瞬間まで、私は勇者様の隣に居ります。未来永劫、決してお側を離れません」


「…………ありがとな」


 

 照れたように頬を掻く勇者に、くすっとリゼットが笑う。 そして、そのままとことこ小走りで勇者の方に近寄ると、すっと両手を伸ばしてきた。


「触れられるのはお嫌いでしょうか」


「……ううん」

 

 自分より少し小さいが、けれどとても温かい両手に顔を包まれる。

 手に残る肉を断ち切る感触が、徐々に溶かされていった。

 頬に掛かるまだ乾ききっていない教皇の血を、小さな親指で撫でるよう拭いながらポツリとリゼットは呟いた。


「……気を付けて下さい、勇者様」


「うん……?」

 

 親指の動きを止め、リゼットは顔を近付けてきた。神に愛された美しい娘が視界を釘付けにする。 

 何処までも深く、吸い込まれそうなほど艶やかな瑠璃色の瞳は、まさに至高の宝玉だ。

 不思議な虹彩に見つめられ、思わず呼吸を忘れてしまった。

 桜色の唇が言葉を紡いだ。


「深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いております。そのことを、どうか努々お忘れ無きよう」

 

 憂慮に揺れるリゼットの瞳を覗きながら、勇者はそっと、血に汚れた己の顔を包み込む小さな手に自分のそれを重ねた。

 そして、勇者は無邪気に微笑んだ。それは教皇に向けた偽りにまみれた笑みとはほど遠く、年相応の青年が見せるものだった。


「…………大丈夫だよ。俺は弱いけど、お前が居る限り何にも負ける気はない。世界が俺を拒絶したって、お前が側に居てくれれば悪魔に魂を売り渡さなくてすむ。だから俺の心は怪物になんかならない」


「はい……勇者様。いつまでも信じています」

 

 瞬間、勇者は微笑むリゼットの手を引き寄せ華奢な躯を強く抱きしめた。次いで、柔らかい唇に自分のを重ねる。

 押し付けるような口付けは脳みそが蕩けるほど熱くて甘い感じがした。

 おずおずといった手つきで背中にリゼットの腕が回される。

 互いの唇を貪り合いながら、勇者はリゼットの言葉を反芻していた。

 

 人を殺す度、一つの世界の終わりという深淵を覗き込む。そうして、勇者は少しずつ人間の化け物から怪物へと進化を遂げていくのだ。 

 

 そして、それは《黒》としての勤めを放棄する以外逃れる術はない。

 取りも直さず、いずれ勇者は必ず怪物になるということだ。心も体も。

 リゼットに嘘を言った罪悪感はない。何故なら、例え怪物になろうとリゼットは守って見せる、そんな矛盾を抱えた覚悟が今の勇者の全てを上書きしたからだ。

 

 矛盾を内包し、信条テーゼと倫理の狭間でたゆたう。怪物になるのが先か、心が砕けるのが先か。恐らく誰にも分からない。

 

 そうして、重なり合った二つの躯はしばらくの間闇にとけ込み、やがて闇と共にさらなる闇へと進んでいった。

 此処まで呼んで下さった皆様、誠にありがとうございますm(_ _)m


 誤字、脱字とうありましたらご指摘頂けると有り難いです。


 また感想など頂けたのなら、この上ない喜びです。

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