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第三幕『悲しき結末』

 土塊の壁にしなだれる灰燼の勇者の元に近寄ると、まだ細い肩にブーツの底を押し当て無造作に蹴った。 


 余り力を入れなかった積もりだったが、予想以上に転がってしまった。 灰燼の勇者は全身を煤と砂まみれにした所で意識を取り戻した。

 

 低い呻きを漏らし両腕に力を篭めて何とか上体を起こす。 

 緩慢な動作は完全に覚醒した意識が辺りの惨状を理解した瞬間、広場に佇む石像のように固まった。

 

 暫く只の肉塊と化した仲間を呆然と眺めていた灰燼の勇者は、やがて震える声でポツリと呟いた。


「馬鹿……な。纏神を使わないで……これだと?有り得ない……」 

 

 黒装束の男たちが弱かったという訳ではない。濡れ仕事専門らしいだけあって男たちの剣筋は中々のものだった。

 何人も斬り殺したことあるのだろう。刃に込められたら覚悟も殺意も本物だった。


 ただ如何せん灰燼の勇者が弱すぎた。


 序列下位の勇者は総じてそうだが、実戦の経験が圧倒的に足りていない。元々、一人前の勇者と認められるため、会得しなければならない纏神を使えないのだから仕方がないと言うものか。

 

 本来勇者とは疾うに人間の領域をはるかに凌駕しているのだ。莫大な犠牲を代償に余りにも強大な力を得る。 

 

 そんな化け物集団の中でさらに上位の存在。


 その一角である勇者にそもそも人間が勝てる道理がない。そしてそれは灰燼の勇者にも同じ事が言える。

 ミューズ戦役と呼ばれる魔族との戦いに置いて72の勇者中で生き残ったのはたった7。

 それからまだ数年しか立っていないが、勇者不足を不安視した各国首脳たちは碌に修行もさせない内に適正あるものを勇者に仕立て上げた。この灰燼の勇者もその一人だ。

 

 何千、何万と屍の山を築いてきた勇者とひよっこでは格が違い過ぎる。

 この世界で黒焉の勇者と戦えるのは白旋の勇者くらいなものだろう。

 

 藁葺き屋根から火の粉が舞い上がり夜空を彩るなか、俯いていた灰燼の勇者はいきなり顔を上げた。その瞳には狂気が宿っている。その瞳には狂気が宿っている。


「クハハハハハハハハハハハハ!!そうかこれがホンモノの勇者の力かッ!!まるで破壊の化身みてぇじゃねぇか!!すげぇよほんと!!!」

 

 灰燼の勇者は心底愉快そうに大声で哄笑を上げる。血と灰と火の中それは暫くの間続いた。やがて気が済んだのか、笑いを止めると灰燼の勇者はふっと微笑んだ。


「あんたになら殺されてもかまわねぇや…………あとはクルチ枢機卿にでも聞いといてくれ」


 あらゆる感情を殺し、殺戮を振り撒くのが黒焉の勇者の筈だが、不覚にもこの一瞬だけ覚悟が揺らいだ。

 灰燼の勇者の信条テーゼは“信じるものに永久の忠誠を”。そして灰燼の勇者はその粗野な見た目からは想像も出来ないが、かなり信心深いファームル教徒だ。

 そんな若者が忠誠を誓う相手など一人しかいない。


 灰燼の勇者にも葛藤が苦悩があったかもしれない。化け物となっても中身は15,6の青年だ。 

 “絶対正義”に唆されれば大量虐殺ですら簡単に行うだろう。ある種、灰燼も被害者と言えば被害者なのかもしれない。

 だが、そんなことは罰の執行に何の関係もないのだ。黒焉の勇者は罪の大きさに応じた罰を等しく与える。

 

 代々継承されてきた務めを当代で放棄できる分けがない。

 

 そしてふと、胸の中で必死に自己弁護、行動の正当化していることに気づいたとき、酷く自分が滑稽に見えた。 

 

 感情を完全に殺してしまえばこんな馬鹿らしい言い訳をしなくてすむ。だがそれは先代黒焉の勇者と同じ轍を踏むことになる。

 

 それでは駄目だ。まだやらねばならないことが沢山ある。ここで闇に溺れるには早すぎる。

 

 感情制御がままならないなら別の手段を用いればいい。

 

 目を瞑り、外界の視覚情報を全て遮断する。暗闇の中でカチ、と思考が切り替わる音が聞こえた。 

 次に目を開いたとき、そこには黒の執行が悠然と微笑んでいた。


「――さよなら」

 

 素早く右脚を前に左脚を後ろにし、両の膝を曲げる。脚から腕へ、余すところなく力を伝達しながら振り抜かれた黒剣は、吸い込まれるように灰燼の勇者の首筋に迫り、若い命を大量に迸らせた。 

 

 膝から崩れ落ちる灰燼の勇者の死体を見る黒髪の青年の顔に感傷はない。

 ただ信条テーゼに従い罰を与えたにすぎないのだ。 

 

 もしかしたらこの世界で最も愚かなのは信条テーゼにのみ従う勇者かもしれないな、と思いながら勇者はゆっくり夜空を見上げた。 

 

 夜空に燦然と輝く星星が気のせいか数を増したように感じた。

 

 後に合流した従者の腕の中には、より結晶化が進んだしまったあの少女が抱えられていた。茫洋とした少女の瞳がある一点で定まった。固まりかけた腕に罅が入りながらも伸ばされる。 


「……ナ……ト…」 

 

 無言で近付き、従者の腕から少女を抱き上げる。触れた少女の肌は固く冷たく、命の灯火が消えかかっていると如実に思い知らされた。

 

 少女の身体に最小限の負荷すら与えないよう、慎重に伸ばされた腕の方に移動する。

 

 行き着いた先にはいたのは恐怖で顔をぐちゃぐちゃにした子供たちの一人だった。よく見ると顔の造形が少女のそれに似ている気がする。

 

 子供のそばに屈み込み、少女が触れることの出来るようにした。


「ご……め……んね。お姉……ちゃ……ん……間……に合……わな……かった……ごめ……んなさ……い」

 

 罅割れた少女の頬にすぅ、と一滴の雫が零れる。最早完全に硬直した腕を懸命に伸ばし、少年の顔に触れた。 


 やるせなさが全身を貫く。正義を掲げていても、たった一人の少女の命すら救えない。両手を血で染めるだけだ。


――殺すだけしか能の無い俺に存在価値はあるのか?

 

 心の中でそう自問したとき、不意に少女が此方を向いた。細い首に幾つもの亀裂が走る。

 少女の瞳はもう完全に結晶化していて、光は届いていないはずだ。だが、それでも少女は勇者をみていた。

 

 固まりかけた唇が短い言葉を紡いだ。


「あり……が……と……う」

 

 か細い声が夜の大気に響いた。それっきり腕の中の少女は動かなくなった。最期の言葉に何が篭められていたのかを知る術はもうない。

 ありがとう、そんな感謝の言葉は随分久方振りに聞いた気がする。当然だ。勇者がやってきたのは人助けなんかではなく、ただの首切りなのだから。忌み嫌われもすれ、感謝されることなどない。

 

 今のことだってそうだ。必ず助ける、そう少女に言ったが結局誰一人救えなかった。本来なら少女から罵詈雑言を吐かれても、甘んじて受ける覚悟は出来ていた。それなのに、悔しい思いや恨みたい気持ちは山ほどあった筈なのに。少女は最期に感謝の言葉を口にした。

 

――そんな彼女の瞳を閉じてやることすら、俺には叶わないのか


 少女の身体を弟の側にそっと横たえる。


 黒き聖剣を、憤りをぶつけるように地面に突き刺し、夜空を仰いだ。


「……勇者様」 

 

 憂慮が滲む声をだした従者の方を振り向いた。

 端正な顔がはっと息を飲んだのがわかった。次いで、可愛らしい唇がぎゅっと結ばれる。

 

 熱いものが頬を流れていくのを感じながら、勇者は歪な笑みを浮かべて言った。










「――教会を潰す」

 

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