第1話 非能力者月山志希のあらたなる日常
この話はあるサイトで事前に投稿されたものですが、少し改変されています。ですがまあ、殆ど変わりませんので気にしないで読んでください。
桜が満開となり、だんだんと暖かさが身を纏い始めてきた春の頃。
私、月山志希の転属が決定した。
『以下の者を、転属とする。
月山志希、公柚木
事務課→人事部第3課 』
掲示板に貼られた一枚の紙に目を奪われる私。驚きの表情を隠すことができないでいた。周りから私へ視線が向けられていることは自覚しているが、どうにもその顔を戻すことができそうにない。周囲からヒソヒソと声が聞こえる。
(もしかして彼女が・・・?)(かわいそうに・・・)(事務課からいきなりジンサン課に行くなんて・・・)
周囲が盛り上がりを見せる中、ようやく表情を戻すことができた私は、先週まで私が使っていた机の元へ向かう。人をかき分け、人事課の扉を開ける。何人かはこちらを見たが、誰もが同情の眼差しを一瞬見せた後、目を背けた。こんな光景は以前にも私も見たことがある、というよりも私がそうしていた立場であった。まさか私がその立場に立たされるなんて・・・。
その見放されたかのような、別れの挨拶とも取れる彼らの行為に涙しそうになるが、私はグッとこらえて歩を進める。
私の机には、畳まれたダンボールが一つ置いてあった。机の上においてあったパソコンは既に回収されており、私の机を示す名札もなくなっていた。
ダンボールに必要な物だけを入れておけということか・・・。私はもしかしたら涙を流していたかもしれない。だけどそれは分からなかった。心の中がぽっかり空いてしまったような感覚に陥った。ただ転属するだけだというのに・・・まだ、この会社で働く仲間のはずなのに・・・。既にいないモノ扱いしていたのか、私は。胸に空いた穴を、ヒューヒューと風が通っている気がしてくる。突然寒さが私にまとわりついてきた。まるで私を凍らせるかのように、体の外側から、内側から私を冷やしにかかる。それに対して何もできない、ただただ、氷漬けになるのを待つしかない私・・・。
一人呆然と佇む私の腕を、突如誰かが腕を絡ませて引っ張った。いきなりの出来事に戸惑う私。腕を絡ませてきた彼女を見つめる。彼女は何も言わずにグイグイと引っ張り、人事課の扉を蹴り開けた。そして例の一つもせずに立ち去る。腕を絡まれている私も一緒に出ていく。その時、人事課の人たちは皆驚きの表情を隠さずにこちらを見つめている。もしかしたらさっきの私もあんなだったのだろうか、そう思うとなんだか笑えてくる。気づけば風の通る音は消えていて、私にまとわりついてきた冷たさも消え失せていた。
引っ張られながらも、私は目の前の彼女に話しかける。
「ちょっと、もう大丈夫。大丈夫だから、柚木さん!」
そう言うと目の前の彼女―公柚木―は私に絡めた腕をサッと引き抜いた。私は絡まれた箇所のよれを直しながら話し続ける。
「柚木さん、いきなり私を連れだしてどうしたの?びっくりしたじゃない」
「ダメですよ志希さん、あんな所にいちゃあ」
そう言いながら柚木さんは私の顔を見つめてニヤける。
「今日もかわいい」
「変なコト言わないで、いきなり飛び出して、今までの御礼とか言っておかないと・・・」
「いいんですよ、そんなことしなくても」
私の言いを柚木さんはピシャリと抑える。
「あの部署での扱い味わったでしょ?あの人達にとって、あなたも私ももう別の世界の人扱いなんですよ。見ませんでした?あの同情するかのような目」
気持ち悪いったらありゃしない。そう言いながらまた歩き始める彼女を追いかける。確かに柚木さんの言いたいことは私にもわかる。だけどそれでも、最低限の事をするのが社会人なのでは・・・?
いつまでも前の部署の話をするのもどうかと思い、私は次の疑問を口にする。
「それで、私たちは今どこへ向かっているの?」
柚木さんは何も言わずに歩き続ける。どうしよう、いっちゃまずいことだったのだろうか・・・?そう思っていると、廊下の端にあるエレベーターホールまで辿り着いた。
ホールの一番近いところにあるボタンを押すと、柚木さんは私の方に振り返ってから口を開いた。
「もちろん、新しい部署よ」
短い言葉を言い終えると、ポーン。という軽い音がホールに響く。どうやらエレベーターが来たみたいだ。目の前の扉が開き、その中へ柚木さんは入る。
どうしたの?入りましょうよ。柚木さんはそう言いながら私に手招きをする。
しかし私は一瞬ためらった。これに乗ったら人事部第3課まで一直線なのだろう。つまりこれに乗ったら、自分の所属が完全に確定してしまうわけで・・・。
悶々とする私を見かねたのか。柚木さんは私を両手でホールドして無理やりエレベーターの中へ入れ込んだ。
エレベーターの扉が閉まるのを目にしながら、私は事務課との決別を悟った。
「さて、私が人事部第3課室長、厳木巌だ。ここでの仕事はわかっていると思うが、もう一度説明しておく」
私たち二人が部屋に入った途端に、室長は喋り始めた。体格の良さといい、物々しい雰囲気といい、どうも現実に存在する人間だとは思いがたい印象を受ける。存在ははっきりと認識しているのに、存在を定義しづらい。これは立体映像ですよと言われたほうがまだ納得するかもしれない。
ちらと横を見ると、柚木さんは彼の方をじいっと見つめていた。私より後輩なのに、私よりしっかりした彼女の姿につい意識がいってしまう。
「・・・ということだ、わかったか?」
はい。柚木さんは室長に返事を返す。私も一拍遅れて返事をする。しまった、聞いてなかった。こんな注意力散漫じゃ、先が思いやられる。
「基本的には他の人事部とあまり変わりない。だけどうちではちょっと違った者達を相手取る事になる。そのためか、周りからの評判も悪いらしいな」
そう言いながら、室長は私の目を射抜くかのような鋭い眼差しを向ける。これは本物でなければできぬことだろう。別に偽物だとは思っていないけれど・・・。
「だが、そんなことで心折られては、これから先もっと多くの苦難にさいなまれることになる。だから、俺が最初にお前たちに教えることはこれだ」
室長は私たちを交互に指さしながら言う。
「『気にするな』。全てを気にかけるな。何でもかんでも感情移入するな。感情は出さなければいけない時以外出すな。全て『仕方がない』で済ませろ。以上だ」
それでは早速仕事にとりかかるぞ。そう言うと室長は肘掛けに両手を乗せながら立ち上がった。体格に見合った巨躯が全身を露わにする。人間というよりサイボーグのようだ、私は心のなかでつぶやいた。
室長は重い足取りで私たちに近づき、そのまま無言で私たちの背後にある扉を開け、ズンズンと歩みを続けた。ついて来いということなのだろうか。私が彼の後ろにつくと、柚木さんも後ろからついてくる。
十数m歩いたところで、室長は歩みを止めた。彼の目の前にはガラス枠のないドアがあった。ここが仕事場だろうか。彼は取っ手を握り、ドアを開けると何も言わずに中に入った。私たちもそれに続く。
中は閑散としていた。12畳ほどの部屋の奥側に長机が一つ。そこには3つの椅子が用意されていた。私たちが座るべき場所はあそこか。ということは、と思いながら私は手前にあった机の前にある同サイズの椅子を見やる。あれが相手方が座る席というわけか。
室長について机のそばまで歩みを進めた。机の上には人数分のボールペンとメモ帳が置かれているだけであった。
室長は机の横に置いてあるカゴを机の上に乗せると、中からいくつか封筒を取り出した。
「これが午前の分だ、目を通しておけ」
茶封筒には付箋紙で数字が付けられていた。私は①と書かれた付箋紙が貼ってある封筒を開けた。
中には履歴書と、病院からの診断書が納付されていた。診断書を確認して、やっぱりそうなのかと、なんだか悲しい気分になる。
その時、バダム!と強い音が部屋の中で響いた。どうやら室長が部屋を出たらしい。ほっと一息つくと、柚木さんが私に話しかけてくる。
「危なかったねぇ、志希さん今、すっごく悲しげな表情してたよ」
「えっ?そうだった?」
そう言われてつい手で顔を触る私。それを見て柚木さんは笑う。
「アハハッ、大丈夫、今はいつも通りの志希さんです。それにしても、ここって本当にこういう人ばかり扱うのね」
彼女の見つめる先は、私の手に持っている病院からの診断書であった。
「そうね、だけどこれから私たちは、こういう人たちのために頑張らなくちゃいけないのよね」
「あんまり気張りすぎると、また厳木さんにどやされますよ?」
そうだった。いけないいけない。柚木さんの言いをしっかり刻みつけて、もう一度確認する。
今日初めて会う、『重能力者』さんの顔や名前、能力を。
■ ■
「それでは、お名前をどうぞ」
午前の部、一人目の志望者は秋葉原薪。二十歳の短大学生で、重能力者になった今でも通い続けているそうだ。
「薪さんは現在二十歳ということですが、能力はいつから発現したか覚えていますか?」
「はい、高校入ってすぐですかね。最初は驚きましたけど、すぐに慣れることができました。というよりも、なぜそんな質問を?」
それは私が聞きたいところなんですが・・・。しかし質問をしろと命令した巌室長は黙りこんでいる。どうやら説明してくれる気はないようだ。
仕方ないので、私は次の質問へと移る。
「えーと、能力は・・・テレポートですか」
「はい!自分が考えたところや、地図なんかで確認した位置へ移動することが可能なんです!しかも、自分に触れているものだったら一緒に持って行くことが可能なんですよ。例えば、手をつないで海外に行きたいと願ったらタダで世界中を渡れるんですよ。お姉さんもどうです?僕と一緒に」
「いえ・・・遠慮しておきます」
ぎこちない笑みを浮かべながらやんわりと(できていただろうか)断る私。結構浮ついているように見えるけど、大丈夫なのだろうか・・・。
「それで、希望職種の件なのですが・・・」
その言葉を発した時、薪さんがゾワッと身を震わせた。
「はい!僕、ヒーローになりたいんです!正確に言えば、『飯田橋戦隊パブリンジャー』とか『救済ヒーローウシゴメン』みたいな地域密着型ヒーローじゃなくて、『叢雨』とか『天照』みたいな全国規模のヒーロー部隊所属になりたいんです!やっぱり僕の能力っていうのはそういった広範囲でないと本領が発揮できないというか、あまりかっこよくないというか・・・。とにかく!なるんだったらヒーロー!それ一本で通していきたいと思っているんです!」
彼から熱を感じる・・・。私は彼のまくしたてに対応できずにいた。その様子を察したのか、柚木さんが続けてくれた。
「なるほど、そうですか。それでは次に・・・」
「えぇっ、それだけじゃないでしょう!こここそが一番語らねばいけない時ではないんですか!?確かにあなた方は非能力者ですし、ヒーローになれない故にあまり関心がないことはよぉくわかります。しかし!僕にとってヒーローという存在はもう目の前なんです!手を伸ばして、つかむだけなんです!僕は手を伸ばすために相談しにきたも同然なんです!ここで熱意を伝え、全国で活躍できるヒーローになるために僕はしっかりアピールしなければいけないんです!だから!・・・」
「お静かに。」
薪さんがヒートアップして、もうどうすることもできないでいた雰囲気に、室長は歯止めをかけた。たった一言で。
「アピールは後で勝手にやればいい、俺達がおまえにする仕事は、どの職場がお前に一番適しているかだ。選択肢は与えるが、お前が自由に選べるって言う訳じゃない。もし本当に、叢雲や天照に入りたいんだったら、俺達の質問をしっかり聞いて、しっかり答えろ。いいな?」
室長が矢継ぎ早に言葉をつなぐことで、薪さんを完全に抑えこむことに成功していた。なにもできなかった私とは違う。すごいという尊敬はあるが、同時に何もできなかった自分に対する悔しさがこみ上げてくる。涙腺が潤みそうになるが、そんなことしたら室長に何されるかわからないのでなんとかこらえる。
「・・・なんだよおじさん。さっきまで黙ってたのに・・・」
「黙ってたんじゃない、聴いてやってたんだ。お前の本心をな」
「それだったらもっと喋らせ・・・」
「うるさい、関係ないこと言うな。適当に決めてもいいのか?」
そう言うと、薪さんはチッと舌打ちをして黙り込んだ。あからさまに不機嫌になっている・・・。こんなことをして大丈夫なのだろうか・・・室長も含めて。
「まあ、書類上の質問はそんなところでいいだろ。それじゃあ今度は、俺からの質問だ。こっからの返事次第でお前の職場が決まる。しっかり本当のことを言えよ」
「・・・・・・」
不機嫌そうな顔はそのままではあったが、先程までの自由な雰囲気はなくなったようだ。居住まいを正して私たちを見つめる。
「それじゃあまず、その能力についてだ。お前、その能力をどうやって発見した?」
「発見?どういうこと・・・ですか」
先ほどまでの悪態を反省したのか、薪さんは口調を直しながら言葉を返す。
「ああそうだ。能力者ってもんはすぐに自分が『異能だ』と気付くわけじゃねえ。たまたま発現した能力を発動させて初めてその存在を理解する。てことはつまり、お前にもその瞬間があったってことだ。それについて話してみろ」
「えっと・・・、そうだなぁ・・・。あ、思い出した、思い出しましたよ。あれは確か夏の熱い頃でした。僕がいつものように横断歩道をわたっていると、トラックが全速力でこっちに向かってくるんです。突然の出来事に驚いちゃって、足が動かないんですよ。クラクションを鳴らしながら近づいてくるトラックを見て、僕は思ったんです、逃げなくちゃって。避けないとやばいと・・・。その時なんです。僕がその能力を発見したのは。気付いたら僕は自分の部屋にいて、ベッドの上に横になってました。この能力のおかげで、今僕は生きていけてるんだなぁって、いつも感謝していますよ」
「途中から脚色がかってムカつくが、まあおおよそ理解できた。つまりお前は『夏に、横断歩道をわたっている途中に、トラックに引かれそうになった瞬間』に能力を初めて使ったと」
「はい、そういうことです」
先程よりかテンションを下げながらも、しっかりと返事をする薪さん。なるほど、命の危機に瀕していたのか。だったらいろんな地域で活躍したいという気持ちも、ある種自分のような人を増やさないためという気持ちもあるのかも・・・・あれ?
目の前の彼の気持ちを汲もうとした時、ある矛盾が引っかかった。さっきの話と言ってることが少し違う。それは、ちょっとした手違いというか、言い間違いだったのかもしれない。だけど、そのミスが何となく気がかりであった。
先程の言葉を書き留め、その上にいくつか書き足した後、室長は口を開いた。
「なるほどなぁ・・・。ちょっと質問していいか?」
「?はい、どうぞ」
改まった様子で聞かれたからか、少し気味悪がらせながらも答える薪さん。
「お前、嘘ついてるだろ」
その言葉を聞いた薪さんの右手が少し震える。
「えっと、どこがです?」
「どこがって、全部だろうが。季節だったり原因だったり、全部が全部ウソじゃねえか」
「なっ、そんなことは・・・」
「さっき。」
薪さんが反論しようと身を乗り出そうとした時、室長の言葉が彼を止める。
「さっきこいつがおまえにした質問覚えてるか?」
そう言いながら室長は私を指さす。
「『いつその能力が発現したか?』という質問に対して、お前はすぐに『高校入学直後』と答えた。おかしいじゃねえか。お前、『夏』にその能力を発見したんだろ?だったらあの時、こいつからの返答の時にも『夏』って答えてなくちゃおかしいよなぁ?」
「それは・・・。そう、発現と発見が別だったからですよ!たしかに僕の能力は高校入学直後に発現していた。だけど、それを実際に発見したのは夏なんです!あなたもさっき言ってましたよね?発現しただけじゃ自分が異能力者かどうかはわからないって」
「ああ言ったさ。たしかにそう言った。だけどお前は違うだろ?」
「どういう・・・」
「お前は最初、発現と発見を同一視していた。だからお前は俺にその違いを説明させた。そしてその説明を聞いてお前は咄嗟に、時期の変更をした」
「・・・・・・」
室長の解釈に意義を申し立てない。ということはつまり、本当だからなのだろうか・・・だけど。
「・・・・・・ああ、そうだよ。たしかにちょっと嘘ついたよ。だけどそれがなんだ?トラック事故に巻き込まれそうになったことと、時期の違いに何が関係あるんだよ」
思わず語気を強めてしまったのか、やってしまった。という顔をしながらこちらを見つめる薪さん。しかし室長は動じる様子もなく、
「たしかにな。そことは直接関係ないな。それじゃあ次の質問だ」
と言葉を続けた。
2人のやりとりを、私は制することも助長することもできないでいた。そういえばさっき私を助けてくれた柚木さんはどうしているのだろう。とチラと見ると彼女は目を見開いて薪さんの様子を見守っていた。彼女にもどうすることもできないのだろうか・・・と思っていたら、柚木さんがスースーと息を立てていることに気がついた。もしかして彼女、目を開けたまま寝ている・・・?
「お前さっき、ひかれかけたなって言ってたな。その時の様子を出来る限り思い出していってみろ。まず夏のいつ頃だ?昼とか夜とか、それぐらいはわかるだろ」
「はい。・・・あれは、夜でしたね。はい。夜でした」
何となく歯切れの悪い返事をする薪さん。こういうところを責めるべきなのだろうか、何だその歯切れの悪さは。怪しいぞ、なんて。けれどそれは違うようだ。室長はその歯切れの悪さを責めることはなく次の質問をする。
「てことは、トラックはライトを付けていたってことか」
「そうなんですよ。横断歩道を渡る時に、やけに強い光があるなと思って、そっちを向いたらこっちに爆走してくるトラックに目が行ったんです。あの光がなかったら僕は死んでたかもしれませんね」
ハハハ。と無理したかのような笑い声をする薪さん。なんとか言い繕おうと頑張っているようだが、その熱意が、今では裏目に出ている気がしなくもない。そこまでして嘘をつく意味はあるのだろうか、嘘を侘びてすぐに本当のことを話しちゃえば楽なのに・・・。と思いはしたが、やはり私も、彼のような立場だったら嘘で塗り固めるのかもしれない。そう捉えることもできた。今更後には引けない。そんな心情なのだろうか、彼は。
「なるほどな、お前の言いたいことはよくわかった。そうまでして嘘をつき続けるのかはよく分からねえが、お前が嘘をつき続けているって言うことはよくわかった」
「・・・・・・」
返す言葉がないのか、薪さんは押し黙る。
「俺はこう見えても多趣味でな、無駄のような知識、雑学っつうのか。そういうのを見たり読んだりしてわかったふりなんかをしているわけだ。で、そんな無駄な知識の中に『トラックに轢かれそうになった時の心理』ってのがある。俺もそこまで詳しいわけじゃねえんだが、人ってのは急な出来事に頭がついていけないそうなんだ」
「・・・・・・」
「ついていけないというより、思考が追いつかないといったほうがいいかな?急に膨大な情報を目の前にすると、人間の体っていうのは強張っちまうもんなんだと」
「・・・・・・」
「お前の話を聞いてずっと不思議だったんだ。そんな状況でよくそんなに冷静なやつだったんだなって。自分が死にかけているっていうのに、自らの死の危険より先に逃げることを先に考えるなんてそうそう出来るもんじゃねえなと思ったんだよ」
「・・・・・・んだよ」
「あ?」
「それがなんなんだよ!たしかに俺は事故りそうになったんだよ!それを俺は能力で回避した!それが事実だよ!」
「そうだな、確かにそうだ。少し道にそれていたかもしれないな。お前たち、俺が話しにそれてるって気づいたら次からすぐに止めるんだ。いいな?」
と、急に私たちに話を振る室長。
「え、あ・・・」
突然呼ばれたことに驚いてしまい、うまく返事ができない。なるほど、これが室長の言ってた『急に出てきた膨大な情報』か。室長の一言すらまともに返せない私のキャパシティって・・・。
「こんな不毛なこと言ってたって仕方ねえからな。嘘を暴いたなんだ言っても結局何も進みやしねえ」
そう言うと室長は、先ほど封筒を入れていたカゴから新たに封筒を取り出した。付箋には[①-×]と書かれてあった。封筒はすでに開けられていたようで、糊付けされていた部分は乾いていてスムーズに中身を取り出すことが出来る。封筒の中にあったのは二つ折りの大きな用紙であった。
「ほれ、読んでみろ」
と言いながら室長はその用紙を私に手渡す。私はその紙に書かれていた文字を音読する。
「えーと・・・、成績表。私立SP学園、一年E組・・・秋葉原薪?室長これは・・・」
私が室長に話しかけようとした時、おい!と薪さんは大声を上げながら立ち上がった、と思った次の瞬間には私の目の前まで来ていた。能力を使ったのだろうか。どうやらかなり使い慣れているようだ。
「どうしてこんなものを・・・返せ!」
と言いながら薪さんは私の手に持っている成績表に手を伸ばす。思わず下がろうとするも、キャスター付きでないことに気づいてなかったせいで体重移動が思うように行かず椅子ごと後ろに倒れこむ。
運良く頭を打たなかったが、背中からおもいっきり倒れてしまい、背骨のあたりがとても痛い。まさかここで事務課時代の弊害が・・・。
私が目を白黒させている間に、事態は収束していたようだ。私が気づいた頃には、薪さんの手首を室長ががっしり捕まえていた。
「まだお話が済んでないので、今一度座っていただけませんかね?」
室長が語気を強めながらそういうと、薪さんは諦めたかのようにゆっくり後ずさり、椅子に座った。
「おいどうした。早く続きを読め」
倒れている私に手を差し伸べることもなく、そう言い捨てる室長。動きたいのは山々だけど、背中を打ってしまってか、動くことができない。仕方ないので私は倒れた姿勢のまま、薪さんの成績表を開いた。そこには、何の変哲もない成績が並んでいた。
へえ、結構頭いいのね彼。だけどそんな、隠すようなことはない気がするのだけれど・・・。成績を目で追いながら私はとつとつと羅列された文字をそのまま発声していく。
そして、あるところで私は言葉をつまらせてしまう。えっ・・・?こんなことってあるの・・・?私は困惑しつつも、書かれている事実をそのまま口にした。
「出欠席などの記録・・・。4月、遅刻日数、13日。5月、欠席、遅刻回数・・・、0回その後も、何回か休みはしてますが、遅刻だけは完全に0です」
これが・・・、彼の隠したかったこと?だけど、それって・・・。
「なんでこいつがそんなことをそこまで必死に隠してたか、気になるか?」
まるで心中を察したかのように話しかけてくる室長。私は思わず頷く。
「これだけ見ても、ただ5月から遅刻せずに頑張ってきたとしか思えないんですけど・・・そこに何か問題が?」
「わかるだろ。いつ能力を知ったのか。そして、こいつの人間性ってやつが」
そう言われても、私にはあまりピンとは来なかった。首を傾げている私を見て、室長は深く溜息をつくと、メモ帳に何か書きだした
「俺はもう喋るのはつかれた。最終的な候補先は書いておくから、それだけ伝えて終わらせろ」
メモ帳の1ページをびりと破いて机の上にそれを置くと、室長は椅子を持ちながら部屋の端により、そこに座り込んでしまった。私は痛みに耐えながら起き上がり、椅子を立て、必死にその席に座る。息遣いを荒くしながら、机の上においてあるそのメモを読み上げる。候補先は3つに絞られていた。
そのどれもが地元密着系の組織であり、うち2つは悪役行きであった。流石に動揺を隠せないのか、薪さんは声を上げる。
「な、なんでこんなところだけなんですか!僕はもっと大きいところに・・・」
「その答えを知ってるのは、貴方自身ではありませんか?」
そう返したのは柚木さんであった。彼女、いつの間に起きていたんだろう・・・それとも寝てなかったのか?
柚木さんの一言にぐうの音も出ないのか、薪さんは立ち上がると、ありがとうございました。とお辞儀をして部屋を出ようとした。
「各組織の資料は後ほど配送いたしますので、期日までに各組織に申し出てくださいね」
柚木さんはそう言ったが、止める気は無いようだった。室長も同じようである。彼はそれ以上何も言わず出て行った。初めのあの元気はどこへ行ってしまったのか。そんな寂しげな最後であった。
■ ■
それじゃあ俺は一旦戻るから、お前たちは次のやつが来るまで自由にしてろ。それだけを言い残して、室長は部屋を出て行った。
色々とわからないことだらけで終わってしまい、私の心のなかは釈然としない思いでいっぱいだった。
「ねえ柚木さん。さっきのあれどういうことだったか教えてくれませんか?」
柚木さんは私の背中をマッサージしてくれながら答えてくれた。
「いいですよ。じゃあまず何から話しましょう」
「だったら、あの遅刻回数について教えてください。なんで彼がそこまであれを隠そうとしていたのか・・・よくわからないんです」
「あれ自体は単に、4月の後半ぐらいに能力を発見したって言うことでしょ」
「それじゃあ、なんであそこまで・・・」
あそこまで、彼はその事実を隠そうとしたのだろう。そこまで重要な気がしないのだけれど・・・。そう続けようとした私の言葉を遮る形で、柚木さんは私に質問をぶつける。
「志希さんは、特別な能力、例えばさっきのテレポートっていう能力を手に入れたら、あなたはどうする?」
「どうするって・・・?どういう利用法をするっていうことでいいのかしら?」
「そういうこと。あなたならその能力を使ってどんな風に人生を謳歌する?」
そう言われると、つい悩んでしまう。テレポート・・・瞬間移動・・・。
「例えば、遅刻ギリギリまで寝続けて、入社時間ギリギリにテレポートで会社内に転位して遅刻しないようにする。とか」
「ああなるほど。そういう使い方も・・・うん?」
「そういう使い方があるんだけど、あなたならそういう方法で能力を使います?」
「・・・・・・」
柚木さんのおかげで一つの謎の答えはわかったが、また新たな謎が生まれる。どうして、なぜ?疑問符は先程と変わらず頭の上を旋回している。
「私だったら・・・、使いませんね」
「あら、どうして?」
「だってそれって、なんだかずるいんですもの・・・・・・」
「そういうこと。それはずるいこと。だけど彼、薪さんはズルをした。1年生の5月から遅刻をすることはなくなった。だけどそれは、彼の勤勉さが現れたのではなく、むしろ逆だった。彼は能力の存在を知って、ズルをする方法を思いついたのよ。それが、彼がずっと隠したがっていたこと」
ズルをしていた・・・だからその真実を口にはしたくなかった・・・?
「なんだか理解してないみたいね」
柚木さんは背中を押すマッサージから肩もみへと移行しながら尋ねる。
「ええ・・・・、どうしてそこまで隠したかったのか、わからない・・・です」
「それは簡単よ。彼はヒーローになりたかったんだから。ズルでも何でも、悪いことをしているってバレたらヒーローの道が暗くなるって考えたんでしょう」
「なんか単純ですね・・・」
「単純というよりも、短絡的といったほうが正しいかもしれないわね。彼にとってヒーローと正義が同義なんですから、そして正義イコール正しいって考えてる」
「・・・・・・?」
なんだか哲学めいた話をしている気がする・・・。私は話を戻す。
「まあ、そういうことなんですね、分かりました。だけどもう一つ疑問があるんです」
「厳木さんが言ってた、『薪さんの人間性』のこと?」
「そう。たしかに彼、嘘をついてちょっと悪いことをした気もするけれど、それだけで彼の希望する職場に配属させないって、なんだか横暴じゃありません?」
「まあ、あの人はあの人なりに考えているんですよ。それはまたあとで教えるとして・・・」
そういうと柚木さんは左手で一枚の紙を指した。それは薪さんの成績表であった。これを取れということだろうか、私が成績表を手に取ると、柚木さんは再び肩もみの作業に戻った。開けと言われている気がした私は、成績表を開いた。
「それを見て、志希さんはどう思いますか?」
「どうって・・・、成績がいいなぁと思うだけですかね、4ばっかり。最高点の5はないけど、それだけで悪いなんて言えないかな、なんて・・・」
「志希さんは悪い教科ってありました?」
「ああ・・・私、体育が苦手でよく2とか付けられてましたね。他にはパソコンの授業とか、理科とか、2と3を行き来してましたよ。ひどい時なんか、このままいくと1つくぞ~なんて先生から叱られたりしましたよ」
「ふふっ、志希さんって何でも正直に話しちゃうんですね」
その後もクスクスと笑う柚木さん。笑う度にその振動が肩にあたって少しくすぐったい。しかし、そこまでおかしいことであろうか。正直に話すことが。
「まあ、裏表ないっていうのはいいことだと思いますよ」
ますます好きになっちゃいます。そう言うと、柚木さんは私の体から手を離した。どうやらマッサージはこれで終わりらしい。私は両手を上げて筋を伸ばす。彼女のおかげで大分楽になった。
柚木さんは先ほど自分が座っていた椅子を私の向かいに置いて、そこに座る。正面からまじまじと見直すことで、改めて彼女の美しさを再確認する。艶のある長い黒髪に、透き通るような白い肌。目鼻立ちもしっかりしていて、おまけに背も高い。キャリアウーマンという言葉が似合う彼女であるが、実際は私より勤務経験は浅く、更にここに飛ばされるということは業績もあまりうまく行ってなかったはずだ。私のように・・・。そういえば同じ事務課だったのに、彼女との面識は数回話した程度だった気がする。
「ちょっと見せてください」
そう言いながら柚木さんは私の手から成績表を取りあげる。彼女の指、細くて長いなぁ。昔ピアノでも弾いていたのだろうか。
私がポーと柚木さんを見つめていると、彼女はそのきれいな指で一つの部分を指し示す。
「ほらこれ読んでみて。『学校生活の様子』ってところ」
「えーと?『学習面ではしっかり授業に取り組む姿勢を見せています。文化祭では劇の大道具係に立候補するなど、積極性を披露してくれました。また、体育祭では綱引きや大玉転がしなどで好成績を残しました。そして何より素晴らしいことは、学校生活の中で、今年身につけた異能を一切使わなかったことです。異能に驕ることなく一年間過ごした彼を、ご両親からも褒めてあげてください。』・・・やっぱり悪いことなんて書いてない」
「そう、表面的にはね」
表面的・・・。その言葉を聞いて、私は学生時代の記憶を思い出す。
「クラスメイトにいなかった?先生の前でだけへりくだって、裏でこそこそ悪口ばかり言う人」
「ああ、居ましたね。奥井くんっていう、野球部のクラスメイトが、まさにそんな人でした。授業中は先生をよいしょして、昼休みなんかに何人かで囲みながら嫌いな先生ランキングなんてものを作って遊んでましたね」
表面的という言葉を聞いて思い出したのが、まさにそのランキング付けをして遊んでいるシーンであった。あいつはキモい、あいつの態度がムカつく、あの先生は胸がでかくてエロい。罵詈雑言から卑猥な発言まで全て大声で叫びながら嗤っているあの気持ち悪い光景を、思い出してしまった。
「薪さん・・・この当時は薪少年か。彼は表面的には先生たちに対して良い面しか見せていなかった。遅刻すること以外は素晴らしい生徒だったのでしょう。そして能力が発現してからは遅刻もしなくなった。だけど先生はいつ、彼が気づいたかなんてわかるはずがないのだから、5月から遅刻がなくなったことに対して何も疑わなかったのでしょう。彼が更正してくれた、その程度の認識だったのでしょうね」
「・・・・・・」私は柚木さんの話を黙って聴く。
「彼が行事で何をやってたかでもわかるでしょう。彼は表面的にだけ良い態度を見せれればよかったから、行事ではなるべき大勢に紛れるような役割についてる。大道具にしたって、綱引きにしてもそう。薪少年にとって学校という場は、勉強をする場ではなく、先生に媚び諂う場所に過ぎなかったの」
「・・・でも」
最後まで柚木さんの話を聞こうと考えてはいたのだが、薪さんがそこまで悪く言われ続けることが耐え切れなかった。私は彼のために抗議する。
「でも、それだけじゃこの成績に理由が付けられないでしょ?」
そう言いながら私は成績評価の欄に指をさす。どうして私は彼を擁護しているのだろう。自分自身、不思議で仕方ない。
私の心境が表情に出ていたのかもしれない。柚木さんは手を口に当てながらすこし吹き出した。
「やっぱり志希さんっていい人ね、裏表がなくって。志希さんって、他人が陥れられていることが許せないタイプ?」
「そ、そういうタイプでは・・・」
「志希さんって、絶対評価と相対評価って知ってる?」
返事させる間もなく、柚木さんは私に質問をぶつける。
「聞いたことはありますけど・・・、正確にどういうものかっていうのは・・・」
「簡単に言うと、絶対評価っていうのは『対象グループの成績の平均値を出して、それの上か下かで評価する』方法、相対評価っていうのは『成績上位からランク付けをして評価する』方法のことを言うの。例えば、筆記テストで100点中50点をとって、順位が30人中15位の成績とすると、相対評価の場合、上から順々に決められていくから、評価は真ん中の3になる。だけど、もしこれが絶対評価で、このクラスの平均点が25点だったとしたら、15位だとしても最高評価の5をもらうことができるってこと」
「言いたいことはなんとなく分かった気がします・・・。つまり、彼の学校では絶対評価だった」
「そういうこと」
つまり、彼は頭がイイというよりも、対象グループ(この場合彼のクラスといったほうがいいか)の平均点より上、もしくは同じぐらいを取り続けていたということなのか・・・。私の学校ではどうだったのだろうか、思い出すことができない。
「成績表を事前に入手して、厳木さんは今みたいな仮説を立てていたんでしょうね。もしや、程度なんでしょうけど」
「だから室長は、私に『発現の時期』の質問をさせたんですかね・・・」
「それだけじゃないわよ」
「え、というと?」
「厳木さんが彼との話し相手に、自身でも私でもなく、志希さん、あなたを選んだことよ」
え?私?確かに、転属されて初日の初っ端から私に任せるなんて何かあるとは思っていたけれど・・・。
「厳木さんは、まああの見た目だから話しかけても殻にこもられると分かっていたんでしょう。実際、あの人と話し始めた途端静かになっちゃったじゃない」
「まあ、あの体格は威厳に満ちていますからね・・・」
「そういうことがあるから、新人を寄越したっていうのもあるんでしょうね。そして私たちが配属された。私と志希さん、どっちがかわいくて、話しやすいかなんて一目瞭然ですからね。選ばれたのも当然でしょう」
「そんな、かわいいなんて・・・」
だけど、柚木さんは見た目が美しいから、私と比べると幾らか近寄りがたいのかもしれない。そう考えると、平々凡々な私が、一番近く接せるのかもしれない。私が平凡ということ以上に、他の二人が目立ち易すぎるということもありそうだが・・・。
「志希さんのお陰で、彼は心を開いて本音をバンバン言った。自分をよく言い繕おうとしてたみたいだけど、それが逆効果になってるとも知らずに。覚えてる?彼があなたと一緒にどっかでかけませんか、なんてキザで安っぽい台詞を吐き捨てたこと」
あれ・・・?なんだか言葉に刺があったような・・・。柚木さんは彼のことをあまり良しと見ていないのかもしれない。そうでもなければここまでひどく言わないか。私は首を縦に振る。
「彼の言い方からして、何度かやったことがあるってことでしょ。無銭で外国旅行。自分の力を利用して」
「確かに、考えて見れば無銭旅行ですよね。ビザも発行してもらえない土地にも行き放題ですね」
「というよりも、問題はビザを発行せずとも、入国審査を受けずとも他国を渡り歩けてしまうことでしょう」
その台詞を聞いて、私はハッと驚きを露わにした。そうか、私はテレポートで移動することしか考えていなかったが、移動させることも可能なのか。他国に持ち出せない違法な物でも、彼なら持ち運ぶことが出来る・・・。考えもしなかった恐ろしい真実を知ってしまった。
「アハハッ、志希さんわかりやすすぎ」
柚木さんは腹を抱えて笑いながらそう言った。そんな、涙をながすほど笑わなくても。なんだか恥ずかしくなってしまう。
笑いがおさまってきたのか、柚木さんは目頭に残っている涙を拭き始める。
「はぁ、はぁ・・・。ま、そういうこと。彼の能力は使い方次第でほんとうに恐ろしい物になっちゃうの。だからこそ厳木さんは『彼の人間性』を知ろうとしたんでしょう」
「そう・・・人間性。薪さんの人間性って、結局なんだったのかしら?『世渡り上手』?」
「私から見たら、そんな優しい性格には見えなかったな」
「? 柚木さんには彼がどう見えたの?」
「私?私から見た彼、秋葉原薪は・・・『大衆に紛れることで自らの非を隠そうとする独り善がりな男』って感じかしら」
「ずいぶんとけなしましたね・・・」
「でも、彼をどう表現するか。と聞かれたらこんな風にしかまとめられないのよ。彼は大きな組織の一粒に紛れ込もうとしていた。自分の都合で勝手に外国に出たり、遅刻ギリギリまで動こうとしなかった。そのくせ他人からはいいように見られたくて仕方がない。だから彼はヒーローになりたかった。いい人に見られるためにヒーローを目指すって動機自体不純なものでしょ」
「まあ、そうですね・・・」
「それにしても、厳木さんはすごいですね」
「え?」
なぜいきなり彼の名が?私が疑問に感じていると、柚木さんは何処からかタブレットを取り出して厳木さんが残したメモを見ながら画面をタップする。
「ほら見て」
そう言いながら彼女はタブレットの画面を私に見せる。そこには厳しく叱るリーダーらしき男と、叱られて体をすぼめている男の写真があった。
「一番上に書いてあったこの組織、少数で活動していて協調性や自立心に重きをおいてるそうよ。その下に書いてある2つの組織も、どれも少数経営で協調性が自慢の組織みたいね」
「つまり、室長は・・・」
「そう。彼をこういった組織に置いて、自立化を図っているわけ。彼は事前に彼の過去を洗い出して、薪さんを知ろうとした。そして彼に『違和感』を覚えた。それを完璧に把握するため、志希さんに対話させた。そしてその対話の中で、彼の本質を見抜いて、弱点である独り善がりと群れの一人になろうとする心を矯正することが必要であることを察して、彼に適した組織をその場で書き上げたんですよね」
「全ては・・・」
全ては、重能力者の彼らに最善をつくすため。そう考えた時、室長のある言葉を思い出した。
―俺達がお前にする仕事は、どの仕事がお前に一番適しているかだ。―室長はそのたった一つの仕事に最大限に努めているということなのか。たとえそれが相手の黒い部分に触れるようなことでも、逆鱗に触れることになろうとも、彼は仕事を全うさせるのだろう。そうやってやってきたのであろう。私たちが来る前から、ずっと。
柚木さんは、タブレットを見ながらつぶやく。
「本当、この仕事彼だけでいいんじゃないかしら」
私も、概ね賛成だ。室長ほどの人間だったら一人で十分、この第3室を切り盛りできる、実際できていたのだろう。だから次々と辞めているのだろう。そして他の人達が辞めていっても平気で続けられているのだろう。だけど、だからこそ彼には、誰かが一緒にいてあげなければいけないのではないだろうか。意見を言い合えるような誰かが居てあげないと、彼の考え方は凝り固まってしまって、それこそ独り善がりな人物になってしまう。
「確かに、室長はすごい人です。私なんて足元にも及ばないほど」
私は今の思いを柚木さんにぶつける。今の私の気持ちを。
「だからこそ、あの人と同じ視線に立ちたい。私のためにも、あの人のためにも」
私の言葉を聞いて、柚木さんは呆然とこちらを見つめ、そして満面の笑みを見せつけながら立ち上がり、机に右膝をつきながら私に抱きついてきた。
「ちょ、ちょっと柚木さん・・・?」
突然の抱擁に慌てる私に対して、柚木さんは笑っていた。
「あははは。やっぱりあなたっていい人。かわいい子」
そう言いながら柚木さんは私の頭を撫でてきた。優しく、何度も撫で続ける。
少し恥ずかしいけれど、私はこの状況を受け入れることにした。
「よし、じゃあ私も頑張る」
私の頭を撫でながら柚木さんは決意するように口にした。
「志希さんと一緒に、私もあの人に追いついてみせるわ」
「私より先に、追いつきそうですね・・・柚木さんなら」
「それは嫌。志希さんと一緒に歩いていくわ。手に手を取って、あの人を追い越すつもりでやっていきましょう。私たちだったらきっと出来るわ」
「柚木さん・・・」
それはちょっと重くないですか・・・?さすがにそこまで言うのは彼女に失礼だと感じて、喉元で言葉を止めた。
柚木さんはひとしきり私の頭を撫で終えると、椅子のある場所に戻って、されど座ることはなく、
「これからも、よろしくお願いします」
と言いながら右手を差し出してきた。私は立ち上がると、迷いなく握り返した。
「ええ、これからもよろしく」
互いの体温を感じ取りながら、私と柚木さんは強く握り合った。これからの道、決してお互いを見失わないように。
決意表明が済んでからまもなく。室長がドアを開けて中へ入ってきた。
「おい、もうすぐ次の相談者がくるぞ。さっさと準備しろ」
はい。二人同時に返事をすると、私は机上にあった書類をまとめて一つの封筒にまとめ、柚木さんは自分が座っていた椅子を元の位置に戻す作業に移った。
ここに来る前までに感じていた不安は幾らかなくなっていた。まだ全て大丈夫というわけではないけれど、ここには頼れる仲間がいて、目標にすべき上司がいる。ここでできることはたくさんある。やらねばいけないことも、たくさん。
書類を手元に集めていると、薪さんの履歴書にあった彼の写真に目があった。彼はこれからどうなるのだろう。今回の面接で、彼はなにか変われただろうか、なにか気付けただろうか。無言で去りゆく彼の姿を思い出して不安な気持ちがよぎる。本当にあれでよかったのだろうか。
「おい月山ぁ!」
心のなかで負の感情が渦巻いていた時、室長に私の名を叫ばれ素に戻る。
「おまえ、まだそいつのことなんか気にしてんのか?」
左手で頭を掻きながら、右手で私の手元の紙を指さす。
「はい・・・すみません」
「まあ、すぐに忘れて次の仕事に集中しろ。なんてのも難しいかもしれねえが・・・」
室長は頭を掻きながらなにか考えているようであった。
「とにかく、『気にするな』だ。お前みたいな奴がすぐ出来るなんて思ってねぇし、すぐやれとも言わん。まずはできることをさっさと済ませろ。いいな」
その言葉は、もしかしたら室長なりの励ましの言葉だったのかもしれない。そう思うと、私の気持ちは晴れやかになった。室長はやっぱり人間であった、立体映像でもロボットでもない、心ある人間だ。と確信づけることができたからであろうか。だとすればこのことは口にしてはいけないな。
「次のやつも、お前が担当だ。頼むぞ」
「はい!」
私は、今日一番の声で返事をした。手に持った書類を封筒に入れる。その封筒をカゴの中にしまうと、次にそこから②という付箋が貼られている書類を引き上げる。
私は新たな気持ちで、書類の封を開ける。できることを、しっかりやっていこう。そうやって一歩ずつ、しっかり進んでいければいいんだから。
このシリーズは、同じ世界でいろんな人々が頑張るお話です。1話から能力者とは関係ない人を主人公にしてしまったことだけが心残りです。
次からは能力者をかければいいなと思っています。次書くかわかりませんが。
そこまで縛られない程度に書いていこうと思っています。よろしくお願いいたします。