清純で純情な話
それはある冬の、昼下がりのことだった。
買い物に付き合ってくれたお礼にと、彼女――コードネームMこと結衣にランチをおごってもらった。
ある軽食店でハンバーガーをおごってもらった俺は、ハンバーガーにかじりついた状態で目を点にする。
へーふほほふへはほ?
「そう」
向かいに座る結衣は、俺に言葉にこくりと頷く。
「Kから直接、奈々ちゃんにメールを送ってほしいの」
……。
「……」
かじったハンバーガーをとりあえず喉に通してから、俺は思う。
今の言葉を問い返しもせずによく通じたものだ。
女って不思議だ。
「あたしの携帯貸してあげるから今から奈々ちゃんにメール送ってあげて。
――あ。Kってメールやったことある?」
馬鹿にするな。俺はそこまで時代遅れじゃない。パソコンくらい持っている。
結衣は鞄から手帳と携帯シャーペンを取り出す。
「だったらパソコンのメールでいいから、奈々ちゃんに何か一言応援メッセージを入れてあげてほしいの」
応援メッセージ?
「そう。奈々ちゃんね、最近ホームシックになってるらしくて元気がないの。Kからのメールすごく喜ぶから。メアド、ここに書いとくから絶対送ってね」
言って、結衣は手帳の空白ページにスラスラと書いていく。
書き終わり、書いたページを一枚破って俺に顔を向けてくる。
さきほど破った紙を俺に差し出して、
「はい、これ」
……。
受け取り。
俺はそのアドレスに視線を落とした。
一通り流し読みして、俺は結衣へと顔をあげる。
言っとくけど俺──
ずいっと。据わった目で結衣が俺を見つめ、指を突きつけてくる。
「言い訳はいいから。黙ってそのメールに一言送って」
俺の顔が引きつる。
で、でもさ。俺、綾原とあまり話したことないし、それに……そんな奴から言葉もらって嬉しいか? 逆にどう返していいか悩ませて迷惑になるだろ。
結衣の指がさらに俺に迫ってくる。
「いいから送って。奈々ちゃんすごく喜ぶから。一人でも多く言葉をもらった方が『頑張ろう』って気持ちになるでしょ? 奈々ちゃん、遠いアメリカにいるんだよ? 慣れない環境の中できっとすごく心細いと思うの。だから一人じゃないんだよって、メールで励ましてあげてほしいの」
言い終えて、結衣は指を退けると窓辺へ顔を向けてため息を吐いた。
ぽそりと言葉を続ける。
「あたしね、小学校の頃こっちに転校して来たの」
そうなのか?
「うん、両親の仕事の都合でね。最初は全然友達とかできなくて、一人で寂しくて泣いてばかりだった。そしたら前にいた小学校のクラスみんなから応援の手紙が届いたの。『がんばれ』って。背中押してもらえたみたいで、あの時すごく嬉しかった。だから──」
目の淵の涙を指でそっとぬぐって、結衣は誤魔化すように笑う。
「ごめんね。なんかちょっと、色々思い出しちゃって」
俺は気まずく視線を伏せる。
い、いや……別に。
「──だからね、あたしが言いたいのは奈々ちゃんもそれぐらい寂しいんじゃないかってこと。Kからの言葉はすごく奈々ちゃんを元気にさせるから」
……。
俺は何も言えなかった。
ただ無言で頷きを返し、メアド等の書かれた紙をポケットに入れる。
「絶対送ってね。――はい、約束」
結衣が小指を差し出してくる。
俺は無言でその小指に自分の小指を絡ませて。
※
その日の夜――。
俺は自室でノートパソコンを前にして固まっていた。
二時間も、である。
えっと……。
メールの宛て先に綾原のアドレスは入力した。
件名には分かるように俺の名前を入力した。
あとは空白の本文のところに文字を入れるだけだ。
そう入れるだけ。
そんな簡単な作業に二時間もかけている。
何を入れればいい?
まずは挨拶を入れるべきか?
やぁ、元気? とか。
……。
止めておこう。なんか馴れ馴れしいよな。俺たちそういう仲じゃなかったし。かと言って堅苦しい挨拶はしたくないんだよな。
うーん……何が適切か……。
いきなりメールを送るわけだから何者かはハッキリしていた方がいいよな。
俺のこと覚えてる? → Re:誰? なんて返ってきてな。
ハハ。
……。
馬鹿らしい。
俺は鼻で笑った。
パソコンから目を話し、頭の後ろで両手を組んで天井を見上げる。
あーぁ。マジでどうしようかな。
……。
でもなぁ……。変に堅苦しくはしたくないんだよな。
かと言ってあまり馴れ馴れしくされてもドン引くだろうし。
ため息を吐いて。
俺は視線をノートパソコンへと落とした。
なんかだんだんめんどくなってきたなぁ。挨拶抜いていきなり本題から始めてみるか。
拝啓 綾原奈々様。突然のメールで驚かれるかもしれませんが、
いや、それだとやっぱ堅苦しいよな。
実は結衣から頼まれてこうこうこういう理由で云々、とかで……って、言い訳過ぎるだろ。これ。変な奴だって思われそうだな。ま、いっか。――よし、そうしよう。その方がすごく自然と話に入りやすい。
俺は机上に置いていた辞書をパラパラとめくった。
なぜなら相手はあの首席の綾原。下手に文法間違いはしたくない。
変なプライドが俺を本気にさせた。
俺は真剣に言葉を選び、紡いでいく。
まるでテスト前の──いや、テストですら俺はここまで本気になったことなんてなかった。
変な汗が頬を伝う。
テストでもないのに、なぜ俺はこうも真剣に文章を綴るのか。
その疑問ばかりがいつまでも頭の片隅から離れなかった。
五時間後。
俺はようやく納得のいくメール本文を完成させ、宛て先を何度も確認してから緊張ながらに送信ボタンをクリックした。
※
――それから数日後。
俺は結衣と二人で肩を並べて、荒川の傍にある遊歩道を何気なく歩いていた。
別に目的があったわけではない。
ただの散歩に付き合わされているだけだ。
いつもみたいに電話で呼び出しをくらって。
何かの直感というものだろうか。
なんだか結衣の様子がいつもと違うように思えた。
変わった?
そう思えるくらいに、なんだか妙に雰囲気がしおらしくなったというか。女の子だったんだなってことを意識してしまう感じの、なんか、こう、上手く言葉には出来ないけれど。
結衣が謝ってくる。
「ごめんね、急に呼び出して」
別に。
素っ気無く言葉を返す。
「晴れてよかったよね。昨日、雨って言ってたから」
そうだな。
結衣がノビとともに深呼吸をして、俺に言う。
「風が気持ちいいね」
あー……うん。そうだな。
ありきたりな言葉で俺は返した。
しばらく結衣と一緒に歩いて。
「……」
……。
えっと。
なんだろう、この雰囲気。
俺はぽりぽりと頬を掻くといつも通りの言葉を投げた。
つーか。なんか今日のお前、しおらしくないか? 化粧もしているし。
「そ、そっかな?」
頬を赤く染め、結衣は照れくさそうに笑ってきた。
さすが青山女子。その笑顔がすごくかわいい。
髪も普段のように結ばずストレートの髪質をふわりと下ろし、白いふわふわ帽子を被っている。指先がちょっとだけ出るセーターっぽい上服に、ひらひらのミニスカート。下はヒールの高い歩きにくそうな黒のロングブーツだし、性格からは想像もつかないような清楚可憐で女の子らしい感じの──
俺はポンと手を打ち、ぼそりと呟く。
馬子にも衣装、か……。
結衣が速攻で放ってきた肘討ちが、見事に俺のみぞおちにめりこんだ。
いつも通りの結衣であることを痛感したところで。
「あの、さ」
結衣が少し複雑そうな表情をにじませ、言ってくる。
「奈々ちゃんからのメール、届いた……よね?」
あぁ、うん。ありがとうって返ってきた。
結衣が少し寂しげな笑みを浮かべる。
「だよね。あたしのところにも奈々ちゃんからメールがきたよ。Kからメールが届いたって。奈々ちゃん、すごく……喜んでた」
気のせいだろうか。語尾が落ち込んだような、元気のないような声で聞こえた。
いや、そんなはずはないか。だって結衣と綾原は友達だもんな。
俺は照れくささを隠そうと顔を逸らして素っ気無い返事をした。
そっか。良かった。
顔を俯けて、結衣がぽつりと尋ねてくる。
「奈々ちゃんからメール来て……Kは嬉しい?」
問われ。
え、いや、嬉しいというか、なんつーか……返事が来て良かったという安心感だな。
結衣が寂しそうに呟く。
「そう、なんだ……」
……。
「……」
そして会話が途切れる。
えっと。
俺は気まずく頬を掻いてぼそりと言葉を付け加えた。
返事が来て良かったというか。その……意味が通じて。
「意味?」
結衣が顔を上げて、きょとんとする。
俺は頷く。
あぁ。けっこう俺なりに頑張って調べて書いたから。文法とか。
「文法?」
俺は焦るように頭を掻いて必死に言い訳を連ねた。
いや、その、なんつーか――だって、綾原ってアメリカに居るだろ? 言葉が難しいというか、思っていることがなかなか上手く書けないっていうか──ほら、綾原って頭が良いだろ? 間違ったらすぐ馬鹿がバレるっつーか。日本で習う英語と本場の英語って違うっていうし。教科書とか辞書とか調べて書いたけど、英語で書いた内容が本当に綾原に通じているかどうか不安だったんだ。
「K……」
ん?
結衣が悲しげに目を緩ませてくる。
「もしかしてメール、英語で送っちゃったの? 奈々ちゃん、思いっきり日本人なのに」
――。
その瞬間、俺は愕然と悟った。
アメリカに居るからと、わざわざ英語でメールを書いて送る必要なんてなかったということに。