異世界で菜園な話
はっきり言って――俺は異世界での菜園が大の苦手だ。
※
英国風の大きな貴族屋敷の回廊で。
猫耳メイド少女――リーザはとても怒っていた。
長くストレートの桃色の髪をさらりと揺らし、片手を腰に当てて頬をぷぅと膨らませて。
もう片手の人差し指を俺に突きつけ言ってくる。
「いいですか、クトゥルク様。もう二度とこの屋敷の敷地から外に出たり、許可されたこと以外の行動をしたりしないでくださいね!」
い、いや、おっちゃんが帰ってくるまで暇だったんだ。それに……
「それに何ですか?」
そろそろ元の世界に戻りたいというか。
「要するに暇なんですね?」
要するにもう帰りたいんですけど。
「ダメです」
なんで?
「ここに来た時サーシャ様とそうお約束されたではありませんか。お忘れですか?」
……。
俺は困惑の表情を浮かべて頬を掻いた。
そこを言われると何も言い返せない。
「要するに暇なんですよね?」
うー……ん。まぁ、最終的な結論を出すならそうなる。
途端にリーザの顔がぱぁと明るくなる。満面の笑みを浮かべて俺の両手をしっかりと掴み、興奮に頭上の猫耳をピンと立てて尻尾を振り、ぐっと身を近寄せてくる。
「暇だったら手伝ってほしいニャ!」
俺は思わず身を引いて動揺気味に頷いた。
に、にゃぁ。
「家庭菜園の仕事があるんだニャ! 人手が足りなくてクトゥルク様にも手伝ってほしいと思っていたところだったんだニャ!」
に、にゃ。
「嬉しいニャ! 一人じゃ絶対終わらないと思ってたんだニャ! あー良かった……」
言ってリーザは胸に手を当てほぅと安堵の息を吐いた。
……。
再びリーザは俺の両手を掴んで興奮に身を近づけてくる。にこりと微笑んで、
「やり方はちゃんと教えてあげるニャ。とっても簡単ニャ。すぐに終わるニャ」
俺はこくりと頷き、答える。
にゃぁ。
「クトゥルク様が居てくれて助かったニャ。猫の手も借りたいくらい忙しかったニャ」
上機嫌のリーザにがしっと片腕を捕獲され、俺は半ば無理やり引き摺られるようにして連れて行かれる。
「こっちだニャ。案内するニャ」
に……にゃぁ。
※
敷地内の西に設けられた菜園。
土の盛られただけの何も無いその場所に、俺はリーザによって強制的に座らされた。
リーザは嬉しそうに胸の前で手を重ね、俺に言ってくる。
「さぁ楽しい家庭菜園を始めましょ。クトゥルク様」
た、楽しい……?
「楽しいですよね?」
とても楽しいです。
「クトゥルク様にそう言ってもらえて、私とても嬉しいです。一緒に頑張りましょうね。
――ではクトゥルク様、まずは種植えから始めてみましょう」
これから?
「はい。これから始めるんです」
俺がやるのか?
リーザが俺の鼻頭に人差し指をずいと押し当ててくる。
「そうです。他に誰がやると思っているんですか?」
庭師さんとかいないのか?
「居ません」
雇えよ。なんで屋敷全般の仕事をお前一人でまかなっているんだ?
「必要ありません。私には魔法という自給自足のスキルがあるんです。サーシャ様も必要ないとおっしゃっていました」
いやお前、さっき俺には猫の手も借りたいくらい忙しいって言ってなかったか?
「空耳です」
……。
気を取り直すようにリーザはぽんと胸の前で手を叩く。天使のような笑顔でかわいらしく小首を横に傾けて、
「じゃぁさっそくお仕事を始めるニャ」
にゃぁー。
俺は掛け声とともに片腕を突き上げた。
「では、まずはポルナレタンを植える作業から始めます」
……ぽるなれたん?
「いいから早く穴を掘ってください」
――って、俺が掘るのかよ。
「そうです。他に誰が掘ると思っているんですか。早く掘ってください」
庭師ぐらい雇えよ。腐るほど金はあるんだから。なんでこういう労働力に払う金をケチるかな?
ぶつぶつ愚痴りながらも俺は言われた通りにすぐ傍の土を手で掘り始めた。
「あ! ちょ、クトゥルク様! そこじゃありません!」
べしべしとリーザが俺の頭を叩いてくる。
痛ぇーよ。ってかなんだよ。
「見てください、ほら!」
言われて。
俺は掘った土穴に視線を落とした。
するとそこには葉っぱの隠し物一枚しただけの、半裸の人型妖精が目に涙を浮かべて俺を見つめていた。怯えるように体を小刻みに震わせている。
俺は目を点にする。
……なんだ、これ。
「そこには青菜の種を植えているです」
じゃなくて、なんだ? これ。
「青菜の種ですけど」
そうじゃなくて、土から妖精が出てきたぞ。
妖精さんが寒そうに小刻みに震わせ、己の体を抱き寄せるようにして蹲る。
「あ、あの……早く土を……寒いです……」
すみませんでした!
俺は慌てて土をかけた。
「きゃぁ!」
「何してるんですか、クトゥルク様!」
ピコーンと。
俺の頭上にピコピコハンマーが炸裂した。
――痛ッ!
「痛いはずありません、ピコピコハンマーなんですから。それより早く青菜の種を助けてあげてください」
助ける……?
埋めた土の中から苦しげにうめく妖精の声が聞こえてくる。
「く、くるし……た、助けてください……」
なんでだよ!
俺は慌てて埋めた土を掘り返した。
現場監督でもするかのようにハンマーを手にしたまま、リーザが腕を組んでぷんぷんと怒る。
「クトゥルク様は女の扱いが全然なっていません! 土かけも激しすぎます! もっと優しく、シャボン玉に触れるように、もっとこう!」
お前がやれよ!
「嫌ニャ!」
俺も嫌にゃ!
「クトゥルク様なら出来るニャ! 出来ないことなんて何もないニャ! 絶対できるニャ! がんばるニャ!」
にゃぁ!
俺は半ばヤケクソになって妖精の周囲の土を取り除いていった。
再び妖精の周りの空間を確保して。
すると俺の隣にリーザがちょこんと腰を下ろしてくる。
人差し指を立てて俺を上目遣いで見つめ、
「いいですか、クトゥルク様。種植えの際に一番注意しなければならないのは土かけです。種は生き物です。か弱い女の子なんです。これからおいしい野菜を産ませる為に環境の良い土の中でその種を大切に育てていかなければなりません。その第一歩となる大事な儀式をそんな粗雑に扱っては男として──」
お願いします。普通に庭師を雇ってください。
「嫌です。クトゥルク様なら大丈夫です。出来ます。出来ない事なんて何一つもないんです。私はそう信じています。
――さぁ、早く青菜の種に土をかけてあげてください。寒がっています」
……。
「さっさと土かけるニャ」
にゃぁ。
俺は土の上に手を置いた。
穴の中で妖精が不安そうな顔で俺を見てくる。
「あの……優しく、お願いしますね……」
「優しく、そっとかけてあげるニャ」
にゃぁ。
俺は震える手で恐る恐る少しずつ、妖精に土をかけていった。
※
すべての種植えの作業を終えて。
俺は項垂れるように肩を落として疲労のため息を吐いた。
リーザが俺を見つめてにこりと微笑んでくる。
きゅっと両の拳を胸の前でかわいく握り締めて。
「明日もここで一緒に種植え頑張りましょうね、クトゥルク様」
勘弁してください。
俺は深々と土下座した。