表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/48

 その日、大納言邸では朝から宴の準備に余念がなかった。季節は春を迎えたところで日に日に冷気は緩み、庭には白梅や紅梅が咲き乱れ、池には清らかな水が満たされており、その水はやり水となってさらさらと流れていく。砂も美しく敷き詰められ、春の日差しの降り注ぐ中では、冬には寒々と見えた松の青さも、清らかに見えるから不思議なものだ。


 宴は寝殿、南の廂の間にて行われるが、今日は舞をお好みでいらっしゃる大納言殿にお見せするために、中納言家の御長男と、右大臣家の御二男。他に舞の得意な方がお二方、大納言殿の御前にて舞を御披露することとなっていた。それを南の廂の間の前に広がるお庭で舞っていただき、皆で見物しようという趣向なのだ。


 でも、男君がたくさんいらっしゃる所に結婚前の姫君がお出になる事は許されない。姫は東の対から男君達が舞を舞われるのを見ることになった。この邸は東の対は少し離れた場所にあるので、お庭の様子も遠目でご覧になるしかない。それでもお付きの侍女たちなどは、御簾の中からお姿を拝見出来るが、姫君は「おくゆかしく」さらに几帳の裏で、その切れ目の間から男君達の舞う姿を除いてご覧になるしかないのだ。姫にしてみればとてももどかしい思いがする。


「他の誰でもない、わたくしの結婚相手の事だもの。私が一番気になるに決まっているのに」


 そうは思っても、母や乳母めのとが『近くで見たい』と言っても許してくれるはずもなかった。そこで姫は生駒に頼みこみんだ。


「生駒、一生のお願いよ。宴の舞いが始まったら、乳母をしばらく私の所から引き離して置いて欲しいの。その間にわたくし、男君方の舞うお姿を寝殿の柱の陰から見るつもりよ。あそこまで行けば隠れながらでも踊っている方の御姿もお顔もはっきり見えるはずだもの」


 それを聞いて生駒はすこし考えた。そして、


「分かりました。今度ばかりは姫のわがままをお聞きしましょう。私は乳母に『姫様の婿君となられる方の舞う姿ですから、私達も良く見ておきましょう』とでも言って、乳母をお方様の御傍につなぎとめておきます。その隙に皆さまの舞をご覧になって下さい。乳母が東の対に戻る前に私がお知らせしますから、そうしたらすぐに姫は御自分の場所にお戻りください」


 と、こっそり姫君に耳打ちした。


「ありがとう、生駒。大好きよ」姫は子供のように生駒に飛び付いて喜んだ。


 中身はまだこんなにお子様でいらっしゃるのに。高貴な姫君はこれで自分の人生を決めなくてはならない。酷な事だわ。生駒は心の中で姫に同情した。せめて少しでも姫が納得できる機会を多くお与えしたい。そんな気持ちになってしまう。



 宴が始まると東の対にも管弦の調べなどが流れ、聞こえてきた。時折誰かが諧謔かいぎゃく(冗談)でもおっしゃるのか、どっと人の笑う声が聞こえたりしている。そうするうちに庭の前が使用人や童たちによって清められ、男君達が庭に下りてきた。


「ねえ、あなたは姫の乳母なのですから、姫の求婚者たちを近くでご覧になった方がいいんじゃないかしら? 姫に男君達の舞の様子を細かく教えて差し上げられるし」


 生駒が乳母にそう言った。実は乳母も美しい貴公子達が舞を舞う姿などめったに見られるものではないので、見たくてうずうずしているのだ。

 信頼してくれている乳母を騙すような真似をするのは生駒も気が引けたが、乳母は姫に仕える人の中でも誰よりも姫を大切にしている。万が一姫の我儘が知られても、この人ならきっと分かってくれる。そんな心づもりもあって、生駒は乳母にそう勧めた。


「そうねえ。大事な姫様の婿君になるかもしれない方々ですものね。私がそれを見極めるのも御役目と言うものかも」


「そうですよ。お方様にお願いしてあなたも男君方に御紹介していただいて、御挨拶をするといいわ。そしてお方様と一緒に少しだけ御見学なさればいいのよ。その御様子を後で姫に御報告できるんだから」


 そんな風に言うと乳母も結局その気になって、寝殿へと向かうことにする。


「生駒さん。姫をよろしくお願いしますよ」そう言っていそいそと出かけてしまう。


 乳母が行ってしまうのを確かめると、


「姫様、今の内に。私もすぐに乳母の所に参りますから」と生駒が言った。


「ありがとう、生駒。見終わったらすぐに戻るわ」


 そう言って姫はこっそりと東の対を抜けだした。



 姫は衣擦れの音がしないように気をつけながら東の対を抜け、渡殿を渡った。人に見られはしないかとハラハラしたが、皆、庭の貴公子達に気を取られて、こちらをうかがう人はいなかった。渡殿を無事に渡りきると、すぐ目の前の寝殿の一番端にある大きな柱の陰に隠れる。ここからならすぐ近くに貴公子達の姿を見る事が出来るからだ。


 舞はすでに始まっていた。四人の貴公子が入り乱れるように美しく舞っている。斜め横から覗き見ているので、すぐには顔など分からなかった。

 でも姫は気がついた。中でも背が高く、一番若くて細いながらも肩幅等がしっかりした男君が、誰よりも優雅に舞っている事に。

 他の方は堂々と、大きくしっかりとした動きで、男らしく大胆に舞っているが、御父上の舞う姿を小さい頃からご覧になっている姫には、それはもう一つ物足りない物があった。どうしてもどこか動きが雑で、ただ、型をなぞっているようにしか見えないのだ。


 けれど、その人の舞はとても優雅で繊細で、動きは小さいけれど滑らかだった。それでいて身体を回す時などは、ハッとするほど素早く、もともと体躯に恵まれた身体が返って男性的に勇ましくさえ見えた。その、振り返った時に姫にはその人の顔が見えた。


「白楽天の君だわ」


 思わず声に出て、慌てて姫は口をつぐんだが、幸い誰も姫に気付く事はなかった。

 やがて管弦の調べが止み、舞が終わった。大納言殿がさっそく白楽天の君に声をかけた。


「右大臣の御二男。あなたの舞を随分しばらくぶりに見たが上達したね。舞い方を変えたようだ。どなたかに教わったのか?」


「大変美しい舞を目にする機会がございまして、その方のように舞いたいと心に念じながら舞っていたのでございます」


「不思議と我が姫が舞う時の姿を思わせるものがあった。あなたが姫の舞を目にする機会はなかったはずなのだが」


「……私が姫君を思う気持ちが舞わせた舞いなのでしょう」


 すると大納言殿は満足そうに、


「中納言殿の御長男の先ほどの漢詩の朗詠も素晴らしかったが、あなたの舞もそれ以上に素晴らしかった。あなたは姫と気が合いそうな気がするな」


 と言ってほほ笑まれた。北の方も、


「そうですわね。私も朗詠をお聞きした時はこれは素晴らしいと思っておりましたが、今の舞を見ると、なんだか姫がお小さかった時のことを思い出してしまって。この方は姫と気が合うかも知れません」と言って感心なさっている。


 良かった。お父様も、お母様も白楽天の君のことを気に入ってくれた。


 姫がそう思ってホッとしている所に後ろからそっと肩を叩かれた。生駒だ。


「姫様、もうお戻りになりませんと」


「ありがとう、すぐに戻るわ」


 姫がそう言った後ろで、大納言殿が姫の乳母を紹介する声が聞こえてきた。この挨拶が終われば、乳母はすぐに東の対に戻ってくるはずだ。姫は急いで自分の居場所に戻っていった。

 生駒は姫が無事に戻れるように、乳母たちの様子をそのままそこで伺っていた。すると、


「すみません。そこの方はどなたの侍女でいらっしゃいますか? 出来れば姫君様の侍女の方を御紹介していただきたいのですが」と、若い男に声をかけられた。


「私は姫付きの女房ですけれど。姫様に何かご用でしょうか?」


 すると男はかしこまって、


「これは失礼しました。私は右大臣家の御二男、少将の忠成殿の家来で隼人と申します。姫君に我が主人からの文を預かっておりますので……」


 その時、生駒が声とも、息切れともとれるような、奇妙な音をたてたので、男は思わず顔を上げた。


「いかがなさいました? 何か失礼でも……」


「あ……なた。隼人とおっしゃるの?」


「ええ、私の名を御存じで?」


「私、生駒です。あの、人買いに売られた」


「生駒? あの時の生駒姫ですか!」


 そう言って隼人は慌てて口を押さえた。けれど、二人はそこで固まったようになって、しばらく唖然とするばかりだった。

 





ここでは話の都合で姫が男君たちを覗き見していますが、実際は男君が結婚しようとする姫の姿をこっそり覗く事は「垣間見」と呼ばれ、よく行われていました。


顔を見せない付き合いとは言え、女性の容姿はやはり男性には気になるものだったようです。


ただし、大切に隠されている人ですから、覗くのも容易な事ではありません。姫に近しい人に話しをつけるだけの交渉力は必要だったでしょう。

どっち道政略結婚では、そう断れるものでもなかったでしょうけど。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ