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出来ない約束

 夜、満月が上ると、生駒の隠れ家に忠清殿が訊ねてきた。少将殿が右大臣のお見舞いをしているので今夜は少し遅くなるという伝言と、忠清殿も宿直とのいのために今夜は様子を見に来れないと、一人暮らしの生駒を心配しての事だった。


「いくら今夜は十五夜だからとはいえ、検非違使の役人までもが酒に機嫌を良くしているとは。衛門府も同じようなものと聞いております。今夜は御用心召された方が良い」


 心配とも愚痴とも言えるような言葉をこぼしている。


「あら、こんなに月が明るいのですから大丈夫ですよ。悪党は月夜は動きにくいものです。悪党だった私が言うのだから間違いないわ」


「笑えない冗談ですな。生駒殿」忠清は苦笑いをしていた。


「だが、二人とも頭が冷えて落ち着かれたようだ。私も少し安心しました」


 その言葉に生駒は内心動揺した。どうやら昼間の兼光とあの男の手下のやり取りは、忠清の耳には入っていない様子だ。それでも生駒は念のために慎重に聞いた。


「あの男の消息は、何かつかめましたの?」


「いえ、残念ながら。しかしいつまでもなりを潜めてはいますまい。よくよく注意していますから何かあったらお知らせします。隼人に先走った真似をさせぬためにも」


 やはり役人たちはあの男達の動きを知らないようだ。


「そうね。私も隼人に無理はさせないわ。ありがとう。私の事まで気を使って下さって」


「ほんのついでに寄ったまでの事です。月夜とはいえ、戸締りには気をつけて下さい」


「分かっていますわ。本当にありがとう」


 生駒は再び礼を繰り返した。ひょっとしたらこの人に礼を言う事は二度とできないかもしれないので。忠清殿は軽く頭を下げると去っていく。


 隼人が来るのが遅くなる。今夜、隼人と逢っていられる時間が短くなってしまう。もしかしたら今夜が二人の最後の夜になるかもしれないのに。そう思うと生駒の胸は痛んだ。

 一方で、その方がいいのかもしれない。長くいればいるほど決心が鈍ってしまうかもしれないから。とも思い直した。いいえ、鈍る事は無いわ。隼人にあの男を追わせないためにも、どうしても今夜、私があの男を倒さなければ。再び心はそちらに傾き、生駒の心は揺れ動いている。


 もっと早くに隼人の愛を受け止めておきたかった。もっと深く愛しておきたかった。

 そうは思うが隼人への未練と、隼人を危険に巻き込む事を心の中で比べれば、やはり隼人の身を案じる心の方が大きく占めていた。

 最後にあの男を追う場所が大納言邸と言うのも、生駒があの男と対峙するための因縁なのかもしれない。そんな所を隼人に見せたくもなかった。


 あの方違えの夜に生駒の母は殺されてしまった。自分もどんな祈りも通用しない宿世すくせの中で生きなければならなかった。だから心の中では神も御仏も信じる事の無かった生駒だったが、今度ばかりは神仏の御導きなのかもしれないと思えた。もしそうなら私があの男を倒しに行くのは前世からの決まりごと。どうしても隼人を巻き込む事は出来ない。


 もし、本当にこれが、神仏の御導きだと言うのなら、どうぞ今夜、隼人に逢っている間、私の心は穏やかでいられますように。決して隼人に気取られる事などありませんように。

 生駒は生まれて初めて、神仏にそう、願っていた。



「遅くなってしまいましたね」


 隼人は車の中の少将に声をかけた。右大臣邸を出て、ようやくこれから大納言邸の姫君のいらっしゃる、東の対に向かわれる所なのだ。


「うむ。兄上が戻られるまで席をはずしにくかったからな」


「十五夜の管弦の御遊びに出席なさっておいでだったのですから、仕方ありませんね。若君も笛の名手でいらっしゃるから、本当なら御出席する所でしたでしょう」


「新婚と言う事で気をまわしていただいているからな。せめて父上のお見舞いぐらいは、私が居て差し上げないと。お前も早く生駒の所に行った方がいいのではないか?」


「私は姫君の御様子をうかがってからにします。でなければ返って生駒に叱られます」


「……これほど姫思いの娘を、姫のもとから離してしまった。なんとかしてやれると良いのだが」少将は気まずそうにそう言った。


「いえ、表立っては彼女は盗賊の頭として追われる罪人の身です。いくら少将殿とは言えどうする事も出来ません。それは生駒も分かっています。そのようにお気づかいいただかなくても結構でございます」


「お前にとっては生駒を我が掌中に出来たのだから、むしろ喜ばしい事なのではないか?」


「それを言われると一言もないのでございますが」隼人は苦笑してしまう。


「冗談だ。だが生駒の事は桜花の君も常に気にかけておられる。いずれほとぼりが冷めれば又お召し抱えになるだろう。もちろんその時は名を変え、どこかの受領の養女と言う事にでもしなければなるまいが」


「そこまで、気にかけていただけるとは。もったいない御言葉でございます」


 隼人が歩きながらも車に向かって深々と頭を下げた。


「私ではない。姫がそうなさりたいだろうと言っているのだ。それにこれは生駒の事。もうすっかり夫気取りだな。うっかり振られぬように気を付けろ。あれは美しい女人だからな」


 少将はそう言って隼人をからかわれる。少将は笑っておられるが、隼人はそこはかとない不安にかられた。


 生駒は自分の事を愛し始めてしまったと言っていた。自分の身を案じてもくれている。

 けれど自分達は今まで復讐と言う同じ目的で結ばれた身だ。それなのに今は互いが復讐によって身を危険にさらすことをおそれている。生駒は隼人に身の危険を感じて、隼人の気持ちが分かると言っていた。それなら生駒の気持ちは隼人と同じはず。身を投じてでも復讐を遂げるのは自分だと思っているはずだ。


 二人とも復讐など忘れて、共に生きる道を選べればこんな不安など感じずに済むことだろう。けれどそれはできない事を隼人の心は知っていた。しかも生駒は目の前で自分の母を殺されているのだ。その衝撃も恨みも、隼人を上回るものがあるに違いないのだ。

 きっと生駒は復讐を自分に任せてなどくれはしない。自分一人で行おうとすれば、何としてでも止めにかかるだろう。だが自分も生駒に復讐のために危険を冒して欲しくは無い。


 復讐する時は共に。あの男を倒すのは二人、心を合わせて。


 今夜、それを生駒に分かってもらおう。それが俺の願いだと。生駒の人生は、もう生駒だけのものではない。自分を受け入れてくれると言うのなら、生きるも、死ぬも、共にありたいと願っているのだと。

 それほど自分は生駒を愛しているし、生駒にもそう言う愛し方をして欲しいと分かってもらおう。すがりつく愛ではない、共にあろうとする愛を彼女に伝えたい。


 物想いにふけって歩くうちに、車は大納言邸の東の門前に着いていた。隼人は門番に少将の到着を告げに行くために、門を通してもらった。



「遅くなってすまない。良いのか? こんなに格子を上げてしまって」


 隼人は生駒のもとを訪れると、夜も遅いと言うのに格子はすべて上げられ、簾も巻き上げられていた。


「忠清殿と同じ事を言うのね。今夜は十五夜。この月を愛でずに過ごすなんてもったいないでしょう?」生駒が明るい口調で言う。


「そうだな。姫君もお元気でいらっしゃる。今夜は管弦の御遊びをなさって、琵琶を弾かれるそうだ。俺は御挨拶だけして失礼させてもらった」


「姫の琵琶も、御上達なさったことでしょうね」


「聞いて来ればよかったか?」


「いいえ。急いでここに来てくれたのでしょう? 嬉しいわ」


 そう言いながら簾を下ろす生駒を見て、隼人は不思議そうに、


「姫の琵琶よりも俺を気にしてくれたのか?」と聞き返した。


「姫の御上達ぶりは聞かなくても分かるの。もともと懸命に取り組む方だけど、今は少将殿にお聞かせしようと熱が入っておられるでしょうからね」


「まだまだ姫君には敵わないようだな。俺が何を考えながらここに来たか分かるか?」


「さあ。でもかまわないわ。どんな事でも。だって私の事なのでしょう?」


「当たりだ。ところで格子を下ろすのか? 月を見るんじゃなかったのか?」


「……時が惜しいわ」そう言って生駒が隼人に身を寄せた。


 そう。時が惜しい。二人の時が。


「それは俺もだ。お前とはいつも共にありたい。どんな時も。復讐の時でさえも」


 隼人は生駒を抱き寄せながらもそう言った。


「復讐の時も……」


「そうだ。俺達はいつでも一つだ。愛し合うとはそういう事だろう? 生きるも死ぬもお前とは共にありたい。どんな時も一緒だ」


「ええ。……ええ」


 隼人は睦言とともに「どんな時も共に」と耳元に繰り返した。生駒も何度も答えながら、


「出来ない約束をしている」と、心を痛めていた。


 




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