表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/48

穏やかな愛

「鳶丸、鳶丸はいるか?」


 家の小さな庭に隼人が飛び込むと、生駒の名ではなく真っ先に自分の名を呼ばれ、驚きながら鳶丸は隼人の前に現れた。


「どうしましたか? 生駒様はつつがなくお過ごしですが」


 何か生駒の悪い話でも聞いたのかと、血相を変えた隼人の顔を見て鳶丸はそう尋ねた。


「生駒ではなくお前に伝えたい事があるのだ。あの御厨子所の娘が、明日都を出て行く」


「え?」


 これは鳶丸も驚いたようだった。


「なにかあてがあるのか尋ねてみたが、そういう訳でもないらしい。ただ、故郷に帰るのだと」


「まさか。今故郷に帰っても、あいつのふた親は死んじまっているし、兄弟だっていないはず」


「そのようだ。それでも都を出て行くというのだ。お前のいない都に居るのは辛いと」


「……そうですか。でも、私にはどうする事も出来ません」


 鳶丸は諦めたような顔でうなだれた。騒ぎを聞いて生駒も出てきた。


「引き留めないのか? 故郷と言っても飢饉が起ったばかりの所だ。娘一人何のあてもなく帰ったところでとても生きては行けまい。お前はそれを放っておくのか?」


 隼人はそう詰め寄った。


「かといって私との事があるから、邸の中も居ずらくなったんでしょう。大丈夫。手当の蓄えも少しは持っているでしょうから、しばらくは暮らせるはずです。後は故郷の若い男とでも暮らせば何とかなるでしょう」


「いいや、そんなことにはなるまい。俺は娘と話をした。まだまだお前に想いを残しているのが分かった。何よりお前と逢えない事を悲しんで都を出るというような娘だ。故郷に戻ったからと言って他の男と暮らす気になどなれまいよ。放っておけば本当にひどい事になる。お前はそれでいいのか?」


「罪人の私に引き留められるのだって、十分にひどい事です」


「それでも一人ではない!」隼人は声を荒げた。


「あの娘だけではない。俺はお前の事も思って言っているのだ。お前も邸に戻れぬばかりではなく、仲間のもとにも戻れなくなってしまった。このままではお前も一人だ。そしてあの娘も一人になってしまう。もうお前は盗賊ではない。生駒も復讐を遂げればただの女人でしかなくなる。その時お前はどうする気だ? 仲間もなく、目的もなく、あの娘まで失って、何を支えに生きて行くというのだ」


「私は都では罪人です」


「都でならな。娘は都を出るという。お前も共に行くがよい」


「私のような者がついていても、何ができるってわけではないです」


「だが一人ではない。都を追われ、あてもなく暮らすのは厳しい事だろう。しかしそれは一人ではもっと厳しい。心寄せあえる者がいれば厳しい中にも喜びもあろう。きっと新しい道も開ける。お前も都を出るのだ。新しい土地で新しく二人で生きて行くのだ」


 隼人がそう言うと鳶丸もうなだれていた顔をようやく上げた。


「突然あいつを捨てた私が今更顔など出して、あいつは許してくれるでしょうか?」


「何としてでも許してもらえ。あの娘が命懸けで都を離れるというのだ。お前も命懸けで許しを請えばいい」


「命懸けで」


「お前が私の気持ちを分かるというのが本当なら、そのくらい出来るはずであろう?」


 隼人がそう言うと、鳶丸は顔をほころばせた。


「仕度をするがいい。娘は明日の朝には立つそうだから。これは少将殿が下さった絹だ。生駒の面倒を見てくれた事への禄だそうだ。私も少しばかりだが金を包んでおいた。持って行くがいい」


 そう言って隼人は鳶丸にきちんとたたまれた絹を渡した。


「ありがとうございます。お礼の言葉もありません」


「礼を言っている場合ではないぞ。お前は何としても娘に許してもらわなければ、帰る所を失ってしまう」


 そう言って隼人は笑った。


「許してもらいますとも。あいつのためならどんな詫び方だってできます」


 鳶丸もそう言って笑い、旅じたくを始めた。



「久しぶりね。隼人」生駒がようやく声をかけた。


「長らく来れずにすまなかった」隼人も生駒のいる部屋に入ってきた。


「ひどく無理な事をしたそうね。返り討に遭いかけたとか」


「少しばかり油断があったんだ。結局取り逃がした上に行方をくらまされてしまった。焦ってわざわざ機会を逃してしまったんだ。悪かった」


「隼人が無事でよかったわよ」


「ねぎらいならいい。仇を打つのはお前との約束だ。あの人には敵わなくても、約束だけは守りたい」


「約束より隼人の方が大事だわ」生駒がそうポツリと言った。


「何だ? 一刻も早く仇を打って欲しかったんだろう?」


 隼人は訝しげに聞き返した。


「それとも俺では、もう頼りにはならないか? それでも俺はお前にあの男を追わせるつもりはないぞ。今度の事で俺も頭が冷えた。もう無理な深追いはせずに、今度こそあの男をしとめて見せる」


「違うのよ。……頭が冷えたのは私の方」


「生駒?」


「私、ようやく気がついた。隼人の苦しみが分かるなんて私のおごりだったわ。私は何にも分かってなかった。隼人の想いがどれだけ深かったのか。隼人が私に危険な事をさせたくないという想いを、私は本当には分かっていなかったの。隼人が返り討に遭いかけたと聞かされて、初めて分かった。隼人がどれほど私を想ってくれているか」


 生駒はようやく隼人になんの隔ても感じずに、その目を見る事ができると思った。


「私は隼人を、復讐を通してでなければ、愛する事ができないと思い込んでいたの。あの人より深く思う事なんて出来ないと。それなのに隼人に守られ、愛されている事が辛かった」


「それに応えたいと思ったのは、私の勝手なのだが」隼人は戸惑うように言った。


「それも分かるわ。でもそうしている事は私には辛いだけだと思っていた。隼人と逢えなくなるまではね。けれど一人の時間が増えてようやく分かったの。あの人への想いと、隼人を愛する気持ちは別のものなんだって」


「……私を、愛してくれるというのか? 生駒」


「もう、愛し始めてしまっていたのよ。あの人を忘れるのが怖くて脅えていただけ。でも忘れる必要なんてなかった。あの人への想いはあの御家族への感謝に結びついている。未練を断っても、感謝の心は残り続けるわ。もうそれで充分だったの。でも隼人を失ったら、私は」


 生駒が隼人の目を見つめたままそばに寄った。


「きっと、生きていけない。逢えずにいるうちにその事に気付いたの」


 隼人が思わず生駒を抱きしめた。それでも口に出しては、


「私は、あの人のような愛し方はできない」と言ってしまう。


「いいの。あの人の愛と違う隼人の愛だからこそ、私も愛せるんだわ」


 生駒も心からそう言う事が出来た。


 生駒は隼人の胸の中で、あの人への愛とは違う、隼人の愛を感じ取ることができた。ただ、ただ、すがられることに自分を求められている事への満足感をあの人には感じ、それを生駒は愛していたのだが、そこには求めを失う不安がいつも付いて回っていた。


 けれど隼人の求める愛は、いつでも自分を包みこんでくれた。これまで生駒は自分の中にあるどうしようもない熱さが、隼人の事も熱くして共に業火に焼かれていると思っていた。けれどそれは生駒があの人からの愛され方にこだわっていただけで、生駒が自分の一方的な想いを隼人に押し付けていただけだった。

 今の生駒は隼人を感じ取ることだけに想いを寄せた。自分の熱に惑わされずに、隼人のぬくもりに甘え、身を寄せていた。そして自分達は業火にまかれてなどいない、生駒の心には隼人への愛の灯火がある事に気がついた。


 決して焼かれてなどいない。隼人との愛は互いの心の灯火を輝かせるための愛だと、生駒は知った。そんな隼人だから、私に穏やかな愛に気がつかせてくれたのだと思った。

 復讐よりも、隼人自身が大事だと、生駒は心から思っていた。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ