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婚儀

「中納言を通さず、私の指示でやって欲しい事がある」


 兼光は盗賊の頭領に会っていた。彼は中納言にも息子の大夫にも、すでに見切りをつけていた。


「大納言を亡き者にして欲しい。私は大納言と北の方を手にかけたいが、一人では無理だ。北の方は私が手にかける。お前は大納言を頼む」


「俺達は殺しもするが、人に頼まれてするんじゃねえ。あくまでも盗みのための口封じだ。それに大納言ときたらあの邸の奥のいる人間だ。あの邸の守りの堅さはこの間味わったばかりだ。そうすんなりと行くもんか。俺達はあんたのための殺し屋じゃねえぞ」


「お前達はそんな事が言える状況ではないぞ。中納言が脅えて尻ごみをし始めている。あの様子ではお前達に協力するのもそろそろ限界かもしれん。いつ、手のひらを返して役人たちを差し向けるとも限らない」


「あんな役人どもに捕まる俺たちじゃねえ。こっちこそ中納言の邸に踏み込んで、皆殺しにしてやるまでよ」


「だが、そうなれば朝廷もいい加減黙ってはいない。お前達を捕えるために検非違使だけでなく侍人や舎人達も使って本気でお前達を潰しにかかる。そうなればいくらお前達でも逃げるしかない。都で盗みは二度とできんだろう」


 兼光がそう言うと、頭領は苦々しげに顔をゆがめた。


「貴様なら中納言を丸めこめるというのか?」


「これまでも私が中納言を操ったも同然だ。今は脅えているが目の前に大納言の座が本当にぶら下がれば、中納言は必ずその座が欲しくなる。今大納言の座に自分が近い所に居ることを中納言は知っているのだからな。大納言が亡き者になれば目の色が変わるだろう。私がいなくとも中納言はお前達にすがりついてくる」


「なんだあ? お前は一人で逃げる気か?」


「私に逃げる場所など無い。そもそも私はもう、この世に未練を失ってしまった」


 そうだ。大夫はあの方の血を継いではいるものの、あの方の御心を欠片も継いではいなかった。あんな者にあの方の御志を遂げさせたところで、何の意味もないのだ。我が君はやはり一人しかおられなかった。我が君は私にとってこの世のすべてだった。我が君のいない世など、一体何の価値があろうか?


「だからこそ、大納言を亡き者にするのだ。大納言と北の方は私の手にかかったことにする。大納言はお前が一人で始末しろ。派手に襲うのではない。闇にまぎれて殺すのだ。罪は私が被る。お前は無関係でいればいい」


「俺一人にお前のあの世への道ずれ相手を殺せというのか。断ったらどうなる?」


「私が役人にお前を追い詰めさせる。お前の都での隠れ家は私が用意した物。私はすべて把握しているし、これを失えばお前は都で盗みを働くことはできまい。縄をかけられるか、田舎暮らしに戻るか、あるいは」


「あるいは?」


 突然男は喉元に冷たい感触を感じた。兼光が男の喉に剃刀をあてがったのだ。男は全く殺気を感じなかった。だが目の前のなよなよした男が、人を殺すためらいをまったく持っていない事が分かった。正気を失った者を相手にする恐怖が、男の背中を走っていった。


「今、私がお前の命を奪うかだ」兼光は何の感情もこもらない声で言った。


「……分かった。協力しよう」


 男がそう言うと兼光は何事もなかったように剃刀を懐にしまった。


「感謝する。大納言と北の方亡き後は、お前はどうとでも好きにするがいい」


「すぐにやるのか?」


「いや。今は婚儀の前であの邸は人の出入りも多く、注目されている。だが、婚儀を終え、しばらく時がたてば逆に隙が出来るだろう。それを狙う。あの二人の命は秋までで終わるのだ」


 兼光はそう言いながら立ち上がり、冷たい目を光らせたまま去っていった。


「死ぬ気じゃねえ。死ぬために事を成そうとする奴はおっかねえな」


 男は冷や汗をぬぐいながら、そうつぶやいた。



 姫は御簾の近くに居て、半月を御簾越しに眺めていた。今日、ついに月が変わって八月を迎えた。そして今夜はいよいよ少将が姫の部屋を訪れる。これから三日間、婚儀のために通って来られるのだ。邸中の人々が着飾り、もちろん姫も美しく月草のかさねの衣で装っている。

 昼間の残暑は厳しくとも、夜風には僅かに秋の気配が感じられた。

 一度はあきらめかけた結婚。姫には感慨深いものがあった。


「今年の十五夜は白楽天の君と過ごせるのだわ」


 姫はそう言って周りをぐるりと見まわした。今日の婚儀のために、簾もすべて新しいものにかけ変えられ、青々と美しい色を見せていた。新しい畳からはイ草の良い香りがし、上に敷いたしとねは硬すぎず、柔らかすぎず、ちょうどよい座り心地だ。


 几帳もすべて新調した。屏風には名人と呼ばれる絵師によって四季折々の花々が描かれ、歌自慢達が書き寄せた結婚を祝う恋の歌が書き添えられている。奥に御帳台が据えられているが、その敷物もふっくらとした綿をたっぷりと使った新しいものが用意された。


 調度品や道具類も艶やかに輝く漆に、細かな蒔絵が施された新しい品々が棚に収められている。鏡箱、鏡台、櫛などをしまう唐櫛笥からくしげ、髪を梳く時、櫛に浸す水を入れる泔坏ゆするつき、眠るときに長い髪をまとめておくための打ちみだりのはこと言った化粧道具はすべて新調した。室内には数多くの高灯台も置かれている。今は火を灯していないが、すべての灯心に火をともせば室内は昼をも欺くほどの明るさに包まれるだろう。


 文机と文箱、硯箱すずりばこはもとからある物のままだが、これは姫が北の方から譲って頂いた古風だが大変質の良い蒔絵の美しい品なので、姫も大切に使っている。そして冬に使う火桶と香を衣に焚きしめる火取りや、香を焚く香炉も、古く、趣のある品だ。


 姫は香炉を眺めながら、ここに居てくれるはずだった生駒の事を思っていた。香炉からは今、涼やかで、少し甘い香りが漂っていた。これは今日の昼間に姫のもとに届いた香を焚いているのだ。表向きは少将からの贈り物になっているが、この香りは生駒が合わせた香に違いなかった。

 白楽天の君がおいでになるには、まだすこし時がある。安らかな香り、生駒らしいわ。姫は少しばかりうとうとしてきた。


「生駒もどこかで祝ってくれているのね」夢かうつつかそうつぶやくと、


「勿論さ。きっと誰よりも喜んでいるよ」と、あの子鬼の声がした。


「オイラ、お姫さんには一言お別れを言っておきたかったんだ」


 お別れ?


「何となく、分かってはいたんだろう? 大人になったらオイラの声は聞こえなくなるって」


 ええ……そうね。何となくね。わたくし、今夜で大人になってしまうの? 私の心はすっかり変わってしまうのかしら?


「甘い、甘い。そんなに急に大人になんかなれるもんか。でもきっと何かが変わるよ。ひょっとしたらオイラの声もまだ聞こえるかもしれない。でも聞こえなくなるかもしれない。聞こえなかったらこれでお別れも同然だろ?」


 どうして聞こえなくなってしまうのかしら? 寂しいわ


「そんなことないさ。だってオイラと話さなくても、これからお姫さんは白楽天の君と何でも話せるようになるだろう? オイラはもう、用済みなのさ」


 だって、白楽天の君と子鬼は違うわ


「違いやしない。言ったよね? オイラはお姫さんの心の中に住んでいるんだって。オイラの言葉はお姫さんの心の言葉。今まではそんな言葉はオイラが聞き届けるか、あの生駒って言うお姉さんにしか話せなかっただろう? これからは白楽天の君が聞いてくれるんだ」


 それでも、全部は話せないかもしれない。そういう事があったら、自分の胸の内に収めておかなくてはならないのね? それが大人になるって事なのね?


「大丈夫だお姫さん。お姫さんには琵琶がある。お姫さんの心の言葉は琵琶の音に宿るんだ。お姫さんが琵琶を弾く限り、オイラは琵琶の音の中に宿ってるよ。オイラを思い出す時は琵琶を弾いてくれりゃいいんだ」


 そういうと子鬼は姫が父上から受け継いだばかりの、立派な琵琶の前に立った。その琵琶は弾く所の部分だけみると一見普通の琵琶だが、その裏側には目にもまばゆいほどの豪華な螺鈿が、花の模様や、鳥が列成して飛んでいる様子を描いていた。その家宝の琵琶に子鬼の姿が重なると、子鬼はすっと消えてしまった。


「お幸せに。お姫さん」


 そんな声が、最後に姫に残された。外で何かの物音がして姫は目を覚ます。


 すると少将の到着を告げる知らせが、部屋の外から聞こえた。姫は琵琶を手に取り、そっと弾き始める。間もなく少将が妻戸を開けて部屋に入られた。


「美しい音色ですね。今宵は格別です」


「お顔を合わせるのは、久しぶりですね」


「私は何度も夢でお会いしておりました」


「わたくしもです。今も夢の渡殿にいるみたい」


「ええ、でも夢ではありません。私はようやくあなたのもとにたどり着けました。桜花の君」


 姫は琵琶ごと少将に抱きしめられてしまった。


「わたくしも、お待ちしておりました。白楽天の君」


 姫はそう言ってそっと瞳を閉じた。


 



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