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敗北感

 生駒は少将殿が御帰りになると、邸に残った隼人と曹司で会う事にした。あの場であんなふうに言われては断りようもなかったのだ。


「まさか隼人が少将殿に言っていただくよう頼んだという事はありませんよね?」


「まさか。私も驚きました。昨夜は失礼な口を聞いてしまったので、今日はお詫びをしなくてはならないと思ってはいたのですが」


「いえ。隼人の言うとおりだったわ。私は姫の顔をまともに見る事が出来なかった。自分が悪いのは分かっているのに」


「俺こそ口先だけだった。あなたには何度でもその火で焼かれようと言っておきながら、昨夜のあなたの姿を真っ直ぐに見る事が出来なかった。これであなたを救えると思い込んでいたとは、とんでもない思い上がりだったんだ」


「そんなことないわ。救おうとして下さるそのお気持。私がそれを受け入れられずにいるのがいけないの。姫様には分かっているんだわ。あなたが私を救おうとしている事が」


「では、若君があんなふうにおっしゃったのは」隼人も気がついた。


「ええ。姫様が少将殿に頼まれたのでしょう。あなたからも、自分の心からも逃げてばかりの私をお諌め下さっているんだわ」


「まったく、驚くべき姫君だ。このような方、俺は他に知らない」


「私もだわ。こんなに御心を強く持っていらっしゃる方は、そうそうおられないわ。少将殿もそれをよく分かっていらっしゃるのよ」


「あなたを愛しているなど、よくも軽々しく言えたものだと恥ずかしくなりましたよ。私の愛など姫君の思いやりの足元にも及ばない」


「私なんてもっとよ。ただ、我がままに愛を追うばかり。追うだけで自分の中の愛ときちんと向き合えないのだわ。だから自分を失うし、すぐに流される。姫様達を見ていて分かったわ」


「俺もあなたを我がままに追っています」


「いいの。きっとそれで。そういう我がままな思いが強い愛を生むことを私は知っているの。知っているからこそ、その愛は信じられるわ。私はあなたを通して自分の愛を見ているの。今まで逃げ続けていた自分の心にあなたは向き合わせてくれる」


 隼人は生駒に自分の心を届ける事が、生駒に色々なものへ立ち向かわせていることに気がついた。


「俺の愛はあなたに届いているのですね」


「ええ、確かに」


「お苦しいことでしょう」


「苦しいわ。あなたが苦しんでいるように。でもそれが私を変えてくれるかもしれない。あなたの愛を我が身で感じ、あなたの苦しみを我が心で感じるわ。こんな愛され方、私は初めて知ったの。あなたが私を救おうとして下さるからよ」


「俺もこんな愛し方を初めて知りました。そしてこれほど理解されたこともない」


「あなたの苦しみが分かる事が、私の救いだわ」


 隼人は生駒を抱き寄せようとしたが、


「大納言殿への愛は、消す事ができないわ。どうしても割りきれない。私は弱いわ」


 生駒にそう言われて手が止まった。


「あなたは変わっていないのだ。愛するものを傷つけてまで立ち切ることができない。臆病な生駒姫のままだ。それがあなたの愛し方」


 今度こそ隼人が生駒を抱きしめた。


「そして私は、隼人を傷つけているのね」生駒が切なげに言う。


「それでも我がままにあなたを愛するのが、俺の愛し方なんです」


「傷つけたくないわ。隼人を」


 その言葉を発した時、生駒は気がついた。突き放せない。そして傷つけたくない。


 私は隼人を愛し始めたのかもしれない、と。



 それからの姫君は毎日、実に色々なことをなさった。琵琶の御稽古はもちろんのこと、琴をかき鳴らし、御手(筆跡)を鍛錬され、古今東西の物語を語り上手な女房に読ませた。それも読み進むごとに侍女たちに感想を聞き、意見を競わせ、それに合わせた歌も作らせた。


 良い歌ができた時にはその歌ができた物語をもとに、当代の筆自慢の絵師に絵を書かせ、彩色にも白銀や金の金泥なども使い、それは見事なきらびやかなものに仕上げた。

 その絵や歌の素晴らしさは間もなく評判になり、邸の東の対からは、人々の笑いさざめく声があふれ、琵琶や琴の音が絶える日がなかった。少将殿との文のやり取りも頻繁で、隼人は毎日邸に通って来た。


 それまでの姫への噂など、次から次へとあふれ出す歌の数々や、面白く、をかしく続けられる演奏や書かれた絵の評判、出入りする侍女たちの斬新な香の香りなどに人々の注目が集まり、たちまち立ち消えてしまう。大納言邸の東の対は人々の憧れの場所へと変わっていった。


 右大臣家の少将殿は葵祭の舞人として選ばれ、姫君は華やかに車で御見物された。

 一年の行事の中でも最も華やかで重要な賀茂の葵祭りでの舞人に選ばれる事は、公達達にとってこの上なく名誉なことだ。それを少将のこのところの舞の上達ぶりに心奪われた帝が、誰よりも真っ先に少将を舞人として御指名されたのだ。これには皆が驚き、関心を集めた。


 祭りの日は様々な話題に上る歌を作った女房達が乗った女車が注目され、少将の繊細で優雅な舞も、さすがは帝が御認めになっただけの事はあると人々は褒めそやした。その少将が姫と北の方の乗った車に丁重な挨拶をする姿も、みやびやかで美しく、それもまた人々の話題をさらっていく。いつしか姫君は称賛を浴びるようになり、とうとうあの右大臣も、


「そちらで書かせた物語を由来にしたという絵の御評判をうかがいました。我が娘の女御が大変関心を持っていて、帝などもご覧になりたがっておいでですので、ぜひともその絵をお貸しいただけませんでしょうか?」と言って来た。


 もちろん白紙にされていた姫と少将の結婚も、あらためて良い日取りを選ぶ事になり、姫君は大変に御喜びになった。

 殿上人なども中納言への遠慮こそ残りはするものの、表立って大納言を悪く言う物など無く、むしろ帝がお気に召された絵巻物を惜しげもなく姫が御献上されたことで、姫は帝の覚えの高い方となり、右大臣まで面目の立つこととなったらしい。。


 おかげで大納言殿と北の方も、物思いすることなくお健やかに過ごされるようになった。初夏の光の中で、大納言の邸はより一層輝きを増したようになり、その中でも姫君は燦然と光を放っているようだった。

 

 姫君は早くも御自分の御言葉の通りに、少将とのお約束を果たされたのだ。


 そんなある日、生駒は北の方の八千代の方に呼びだされた。生駒は北の方からはめったに呼ばれる事が無くなっていたので、後ろめたさもあって緊張しながら北の対に向かう。とはいえ、その緊張は表に出す事は出来ない。北の方の御心の御負担になるから。北の対の北の方の御前は人払いがされていた。内密のお話のようだ。


「急なお呼び、どうなされたのでしょうか?」生駒は慎重に表情を作ってお尋ねした。


「生駒にはあらためて姫のことをお願いしたいのです」北の方は真剣な表情だった。


「姫様の?」


「ええ、姫は我が娘ながら親の頼りなさにもかかわらず、とても立派に育ってくれました。これも生駒が小さな時から姫を理解して、助け続けてくれたからだと思っています。あなたは幼い時から最初の姫を亡くした私を慰め、白露が生まれてからは姫を助け続けてくれた。そして大納言殿の御心も支えているのでしょう」


 話が大納言の事に及んで、生駒は顔色が変わらないようにと気を使った。


「それが女房の役目ですので」


「そうね。でも、もしかしたら殿は生駒が思っている以上に頼っているかもしれない。私が殿を傷つけているから」


「それはお考えすぎではありませんか?」


「違うわ。姫のことを頼む以上、わたくしも恥を忍んで話しましょう。亡くなった最初の姫はね、殿の子か、わたくしの御帳台に忍び込んだ者の子か、本当の所は分からない子だったの」


「え?」生駒は耳を疑った。こんな高貴な方にそんな事が起りうるのだろうかと。


「最初の姫が亡くなった時、わたくしの憔悴が激しくて殿があなたを連れてきたけれど、姫を亡くした悲しみは本当でも、心のどこかに少し安堵した部分もありました。私はその罪悪感にもさいなまれていたのです」


「そんな……」


「殿はそれでも私を大切にしてくれる。でもわたくしは大切にされるほどに苦しくて、きっと殿を傷つけていると思うのです。だから殿はあなたを必要としている」


「いいえ、大納言殿が必要としているのはお方様です。私じゃない」


 そうよ。それはとても確かなこと。そして今分かった。大納言殿が私に見せるすがるような目。あれは私にお方様を見ておられるのだ。あの目はお方様を愛する目。


「そうかしら? 本当はわたくしは、ずっと同情されていたのではないかしら」


「違う! 違うわ! 殿が愛されているのはお方様だけ。私は愛された事なんてないのよ!」


 しまった、と生駒は思った。思わず言葉が出て、愛されていない自分が急にみじめに思えた。すべて分かっている事なのに。生駒はとうとう泣き崩れた。


「生駒。殿はあなたに女房の役目以上のことを押しつけていました。でもわたくしは殿を咎められない。わたくしはもういいの。この罪悪感から逃れるすべは無いのだから。ただ姫にはわたくしの様な事は起って欲しくない。このまま幸せになって欲しい。どうか、どうか姫のことを守って欲しい。誰かが裏切ったりしないように。姫の傍から離れずにいて欲しいのです」


「大納言殿は、お方様を愛していらっしゃいます」敗北感の中、生駒はそれだけ言った。


「そしてわたくしは殿を傷つけている。でも、姫はわたくしたち二人の子。わたくしたちの唯一の絆の証し。残酷なことを頼んでいるのは分かっているわ。それでも共に私の娘のように育った者として、姫を守って欲しい」


 北の方は涙にくれる生駒に向かって、そうおっしゃった。






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