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対面

 翌日に少将が大納言の北の方をお見舞いにいらっしゃった。もちろんそれは口実で、昨日の騒ぎで姫君が御心を痛めておいでではないかと気遣ってのことだ。大納言は喜んで少将をお迎えした。


「父上が良い顔をしなかったであろうに。良く、おいで下さった」


「私はつい先日まで大納言殿に目をかけていただいていた身です。その北の方が伏せられたと聞いて、お見舞いに伺ったまで。何も道理を外れた事はしておりません。父上も何も文句は言えないはず。もちろん、母上を御心配なさっているであろう姫君にも御挨拶をさせていただくつもりです。よろしいでしょうか?」


「もちろんです。姫もさぞかし喜ぶ事でしょう。あなたの御心には感謝しているのです。口さがのない者たちの噂に惑わされることなく、こうして我々に気を使って下さる。だが、本来は親には考を尽くすのが子の役目。その親に逆らう真似をさせているのはひとえに私の至らなさが原因だ。あまり父上を嘆かせる事のないよう」


 大納言は複雑そうにそういった。


「いいえ。そのような事は御座いません。世間の一時の噂などに振り回される方が愚かなのです。姫君は本当に素晴らしい方です。今日は、御声などもお聞かせ願えるのでしょうか?」


 少将は笑顔でそういったが、大納言は、


「そのあたりの事は、姫の母の北の方からお聞きください」


 と言って少将を北の対に御案内する。北の方は御簾越しにもお召し物も整えて、身の周りもきちんとされてお待ちしていたようだ。


「ああ、おかげんのよろしくない時にそのように気を使われる事は御座いません。私はお見舞いに伺ったのですから」


 少将はそういったが北の方は、


「いえ。あなた様は大切な我が姫の婿君になられるお方。失礼は出来ませんので」


 と、女房の口を通さず、御自身の御言葉でいった。


「だからこそです。私はこの邸と長く御縁を結ぶ身ですから、今からそのようにお気づかいなされてはお互いに大変です。もっとお気楽に接していただきたい」


 少将がそういうが、北の方は少し悲しげな声で、


「やはりあなたは良い方ですね。姫の御相手には十分すぎますでしょう」


 とおっしゃる。大納言殿も、


「私にもっとしっかりした力があれば、昨夜の様な事など起ろうはずもなかった。姫には何の落ち度もないというのに世の流れは姫に厳しい御意見ばかり。これも親の力無さのせいだろう。このままではあなたを婿に迎えた後、しっかりとした後ろ盾となれるかどうか」


 と言って力を落としていた。昨夜のことは捕えられることこそなかったものの、中納言に押され始めた大納言の苦しい立場が明らかになり、自信を失くしているようだ。


「この後、姫の所に御挨拶にいらっしゃるのね?」と、北の方はお聞きになる。


「もちろん、そのつもりでおりますが」


「ありがとう。姫も喜ぶ事でしょう。今日はごゆっくりして行って下さい。もし、少将殿がよろしければ、夜明け前に粥の支度などさせましょう」


「なんですって?」


 少将はここにきて北の方がおっしゃっていることを理解した。


 夜明け前に帰ることを匂わせるという事は、今夜から姫の下に通って欲しいという意思の現れだ。そのまま三日間通い続ければ少将は姫の婿として認められる。


「今の姫君の御境遇では所顕ところあらわし(披露宴)さえ難しいはず。それをこのような高貴な姫君に相応しくもない婚儀を親御様がお勧めになるとは解せません。なぜ父の理解を得る前に、隠れるように結婚する必要があるのですか?」


 少将がそう尋ねると大納言の表情は一層曇った物になった。


「私達もこのような形を心から望んでいる訳ではありません。しかしこのままではあなたの将来もかかわってくるでしょう。我々親のつたなさのために、このような事態になって婿君となって下さるあなたの将来を、心細いものにする訳にはいきません。この邸に通っても我々の後ろ盾が頼りにならないようであれば、いっそ姫をどこかに御隠し下さってもかまいません」


「何と言う事をおっしゃるのです。あれほどの御心を持った姫を持ちながら」


「邸に役人に乗りこまれるようでは、この先中納言殿はどのような事をなさって来るか分かりません。勢いがあちらにある事は私も分かっている。だが、私は姫だけは幸せになって頂きたい。今の私では世の噂を一蹴する事は出来ぬだろう。それなりの貴族の姫としての縁談ももう難しい事であろう。だったらせめて姫の心に添うあなたと、どんな形でも結ばれる事が姫の幸せに繋がろうかと思っての親心なのです」


「何と御心の弱いことを。大体誰もかれもが中納言殿の顔色ばかりをうかがっている。あの方にそれほどの人望がおありとは思えないのに」


 大納言は真っ直ぐな若い言葉に心が痛んだ。確かに中納言に人望があるとは言えないが、それは自分も同じこと。所詮は盗品で買った人望など時世が変われば何の役にも立たなかった。中納言は盗賊の多い最近の時世の中では検非違使の役人を高貴な身分の邸に手厚く守らせ、侍人なども多く用意するつてを持っているようだ。邸を守りたい殿上人たちは、自然と中納言におもねってしまう。そういう事にまだ汚されていない若さは、大納言には大変清らかに思えた。


「世の時流と言うのもは、人望をも超えるものなのです。あなたにもいずれ分かる日が来るかもしれない。だが私はまだ真っ直ぐなお心をお持ちなあなたを信頼しています。あなたに姫をお願いしたいのです」


「姫はこの事を御存じなのですか?」少将は厳しい顔で大納言に尋ねる。


「いや……。だが、女房からそれとなく知らされているはずだが」


 少将はすっくと立ち上がると、


「たった今すぐ、姫君にお会いします。ただし御簾越しで結構。私は姫の気持ちを自分の耳でお聞きしたい。粥の用意も要りません。私の知る姫君は、そのような形を望んではおられないはず。私が父を説得出来る日を信じて下さらなかったことを悲しく思います」


 そう言って少将は案内も乞うことなく、姫のいる東の対へと向かわれた。



 少将が急に御前にいらしたので、姫付きの侍女たちは慌てておろおろしていた。このまま姫が結婚されるかもしれない。そんな話を匂わされて侍女達も動揺している所に突然、誰の案内も無しに少将が姫の御前に現れたのだ。皆戸惑って、声一つ立てずに呆然としていた。

 そんな中で少将は姫のいる御簾の前に座ると、単刀直入に言った。


「こちらに姫付きの乳母めのとはおられますか?」


 いきなり呼ばれて、驚きながらも乳母が「私でございます」と御簾から現れた。


「失礼ながら姫への御挨拶は抜きにさせていただきます。私はさっき、大納言殿と北の方から姫君との結婚を承諾されました。この事を姫君は御存じだったのですか?」


 少将は厳しい表情を崩さずに乳母に問いかけた。


「おそらくそういうお話になるだろうとは、私から申し上げました」


「乳母のあなたはそれをお望みか?」少将は殆んど乳母を睨むように聞きいた。


「いいえ! 決して望んでなどおりません。この姫様は大変素晴らしい姫様でございます。世間に後ろめたい噂を流されるような御方ではありません。これほど御心健やかな姫君は、都中探してもおられないと私は信じております。この姫様は華やかに婿君を迎え、盛大な所顕しを持って婿君を通わせるに、相応しい方だと思っております!」


 乳母はまるで少将を怒鳴るかのような勢いでそういった。全身でこの事に不満を表しているようだ。乳母も少将を睨み返していた。周りの者は声をかけるのもためらわれるような勢いに、水を打ったように静まり返った。


 すると少将はにっこりと笑い、


「良かった。私もそう思っておりました。私ももちろん姫君を慕わしくは思っています。ですが、この姫君は日陰の身のように扱われるにふさわしい方ではありません。姫。桜花の君。あなたは私を信じてお待ちいただけますか?」


 少将は御簾の向こうにいらっしゃる筈の桜花の君に尋ねられた。


「お待ちしますわ。わたくし、何年でも。そして白楽天の君に相応しいよう、誰よりも華やかに時めいて見せます。つまらぬ誤解などわたくしの琵琶で世間に忘れさせて見せますわ」


 姫ははっきりとした声で、少将に向かってそう応えた。


「そうでしょう。それでこそあなたらしい。私は必ずこの邸に通います。父君の御許しを持ってね。私のあなたに相応しい夫となれるよう努力します。その楽しみがあれば今の私には十分だ。私は幸せですよ。桜花の君」


 すると姫が御簾の前までにじり寄って来られ、スッと御簾をかきあげられた。


「わたくしも幸せですわ。白楽天の君にこんなお言葉を頂戴出来たのですもの。わたくしを美しいと思って下さいますか?」


 姫は少将の前に初めてそのお姿を現し、これ以上ないほどの優しい表情で少将を見つめておられた。誰もそれをお止しようなどと思わない。


「美しいです。想像以上だ。これほど美しい人を手に入れるためなら、私はどんな事も惜しみなくやってのけますよ」そう言って姫の手を取った。


「今日はこれで帰りましょう。あなたの御姿を胸に。私は必ずこの邸の婿になります。そして世間に認めさせて見せる。私の妻は大変素晴らしい人だと」


「私も世の人にそう言わせてみせますわ。あなたに恥をかかせたりしません。その日までお待ちになって」姫もそう言ってにっこりと笑いかけられた。


「その日が楽しみですね。それからそこに生駒と言う女房はいますか?」


 少将は御簾の奥に向かってそう問いかけられた。


「はい。わたくしが生駒ですが」


「悪いが私の従者の隼人と会ってやってはくれぬか? あなたに逃げ回られていて、見ていられませんから」


 少将はそういたずらっぽく笑い、姫もそれを見て訳ありげにほほ笑まれていた。






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