人買い
生駒と隼人は男に馬に乗せられていたが、いくらも走らない内に馬から下ろされた。そこは場末の裏路地のようなところで、真夜中なので周囲は真っ暗。路地の奥はまったくの闇で何も見る事は出来ない。
その暗い路地の闇に向かって、男は「ヒュッ」と短く口笛を一つ吹いた。すると闇の奥から小柄な老人がぬっと顔を出す。
「注文の童だ。一人多いが」そういて男は子供たちの顔を火で照らした。
「男は注文外だがやむを得ず連れ去った。どうだ? 売れそうか?」
すると老人は一人ひとりを品定めするように眺めて、
「この器量良しの娘は注文どおり、頼まれた邸に売れるな。もう一人もどこかで下女の買い手がつきそうです。この男は案外賢い顔立ちだ。掘り出し物になるかもしれない」
「そうか。なら色を付けてもらうか」
「でも注文外には違いありません。売れたら払ってもいいが。後払いって事でなら引き受けましょう」
「がめつい奴だ。じゃあ、娘二人分はここで払ってもらおう」
そんなやり取りの間に、いつの間にか子供たちの近くには別の男が二人、女童と隼人の横に付いていた。生駒は支払いをしていた老人に腕をつかまれた。すると盗賊の男が、
「いいか。お前らはお互いの命が惜しかったら、この事は口が裂けても話すんじゃねえぞ。ガキが何言っても無駄なぐらいの後ろ盾が俺達にはあるが、それでもお前らが口を割ったら示しがつかねえ。一人でも口を割ったら、お前ら全員皆殺しだ」
そう言った途端に隼人の横にいた女童が、
「や、やだあ! 助けて!」と声を上げてしまう。男は舌打ちをした。
止める間もなく男の一人がすらりと太刀を抜いて、少女の身体を切り裂いた。少女は目を見開いたまま言切れ、隼人と生駒は声も出ない。男は老人に受け取った金の一部を放って返した。
「脅しじゃないんだ。死にたくなけりゃ、あるいは相手を殺したくなけりゃ口を割るな。分かったな」
二人の子供は目の前で起っている事が信じられないような心地で、ただ頷いていた。老人は生駒の腕を引き、隼人は別の方向に引っ張られようとしていた。
「隼人。生きて」生駒はとっさにささやいていた。目が合って隼人も小さくうなずく。
人買いの男に引っ張られながら、生駒は最後に隼人に振り返ると、隼人の方でも生駒に振り返っていた。その姿が、生駒が子供の隼人を見た最後となってしまった。
生駒はとても大きな邸の小さめの門の前に連れてこられた。門番に人買いの老人は何事かを囁くと、門が開けられ生駒を引っ張り入れる。
「お前はそこで待て」
門番はそう言って、老人を門の外に待たせたまま、生駒を邸の中に引っ張っていく。するといかにも身分の良さそうな男が生駒を見下ろした。
「童よ、お前は年は幾つだ」
「もうすぐ、七つ」
問われた生駒は、緊張のあまり息も絶え絶えに答えた。
「まだ、神の内の子ではありませんか。あの男、事もあろうに殿を相手に吹っ掛けるつもりとは!」門番が声を荒げて苦々しげな顔をする。
「気にするな。たかだかひと月かふた月足らずの差だ。それにこれは裏の売買。この程度の事はこちらも承知だ。背もそれなりにあるし、健やかそうだ」
身分ありげな男は、さらに生駒を観察した。
「うむ。これなら悪くないだろう。言い値で払ってやるがいい。ただし二度とここには近づかぬよう、言い含めるんだ」
「承知しております」門番はそう言って門の方へと帰っていく。
「ついてきなさい」
立派な服装の男にそう促されて、生駒は後をついていった。
「お前の名は?」
「生駒」
「そうか。生駒、お前はこれまでの事は全て忘れろ。ああいう男が連れて来たのだから素性は知らない方が身の為だろう。お前は親が死んで路上に捨てられていた。それだけでいい」
「お母様の事も、忘れるの?」生駒はそれだけは無理だと思った。
「母は生きているのか?」
そう言われたとたんに生駒はその場に座り込んだ。母が殺されたのはほんのついさっきの出来事だと思いだしてしまったのだ。
「お母様は、さっき死にました」喉の奥から絞るような声で生駒は言った。
「そうか。では、忘れなくてもよい。ただ、口には出すな。お前は生き延びるためにこの邸で私の妻に仕えるのだ」男は立ち止まり、かがみこんで生駒にそう言った。
「ここで?」
「そうだ、ここは私の邸。我が妻は先月お前くらいの年の姫を亡くしたばかりだ。お前は我が妻の悲しみを慰めるのが仕事だ。出来なければここにはおけない。だが、この邸の外でお前の様な子供が生き延びる事は出来ないだろう。お前はこの仕事をするしかないのだ。分かったな?」
自分に行くあては無い。お母様は殺されたし、あの男達の事を話せば自分も隼人も殺されてしまう。お父様は最近全然お邸に来てくれなかったし、自分の事があまり好きじゃなさそうだった。
幼いながらも生駒は自分と父の関係、父と母の関係を漠然と良好ではないと思っていた。父親をあてにしようとか、探し出してくれるかもしれないとは思いもしなかった。
今自分ができること。隼人の命を守ること。
「分かりました」生駒は新しい主人にそう言いった。
「八千代の方。今日から訳あってこの童をここに置くことにした。良く召し使ってやってくれ」
汚れた手足を洗われ、白い単衣にきちんとした衵に着替えさせられ、生駒はこの邸の女主人である北の方の御前に通された。
「まあ……。お名前は?」八千代の方と呼ばれた優しげな北の方はそう聞きいた。
「生駒」
そう答えて、生駒は不意に思いだしてしまった。今日の昼間まで母に「ご挨拶が出来るように」と心配をかけていた事を。生駒は堪えたつもりだったが、目に涙がにじんでしまう。
「あら、あら。どうしたの? お母様が恋しいの?」
そう問われて唇をかみしめる。今日の出来事は忘れなくては隼人の命にかかわってしまう。
「お母様は、この間、亡くなりました」生駒は精いっぱいの嘘をついた。
すると北の方は生駒の手を握って、
「そう。わたくしもあなたくらいの年の頃の姫を亡くしたの。悲しいわね。大切な人を亡くすって」そう言って生駒の頭をそっと撫でてくれた。
「小さいのに辛い目に遭われたわね。きっとお母様は仏様の御導きで極楽浄土にお行きになっていますよ。今度は生駒の近くに生まれ変わられることでしょう」
生駒には北の方様の言う事が信じられなかった。方違えに行かなければ自分達はあんな目に遭う事は無かっただろうし、仏様が御導きになったのなら、母があんな死に方をするはずがないと思っていたから。
でも、北の方の手のぬくもりや、優しく髪をなでて下さる感触がとても優しくて、生駒は黙ってその手の中に抱きしめられる。そしてその夜は北の方と一緒に寝るように言われ、
「お母様の匂いとは違うけど、同じ位優しい匂いだわ」と思った。
そして自分が生き延びられることを実感し、隼人も生き延びて欲しいと願っていた。
「北の方」とはその邸の正妻の事を言います。
邸の中の一番奥、北側で暮らすためにそう呼ばれました。
他にその人の呼び名に「~の方」とつけて呼ばれたりします。
「八千代の方」は、この家の主人が自分の妻を「八千代」と呼ぶので、その、北の方と言う事で「八千代の方」と呼ばれています。
邸の奥で暮らす方なので「奥方」とも呼ばれました。
今の「奥さん」の語源ですね。
当時は身分のない使用人の人身売買も行われました。子供も対象となったようです。ただしそれは数え年の七歳以上から。子供は七歳までは「神の内」といわれ、まだ完全な人間社会の存在ではなく、半分は神様の手の内にある命と考えられていました。幼児の生存率が決して高くはなかった時代です。そう考えなければやるせなかったのかもしれません。




